2話 血が宿る刃と共に
身体の奥が、熱い。
心臓の鼓動がやけに大きく響く。
息を吸うたびに、何か別のものが混ざっているような違和感があった。
「……これ、何……」
自分の手を見と、わずかに震えているのに、不思議と力は満ちていた。
視界の先で、あの異形――泣蜘蛛が蠢く。
さっきまでとは違い、こちらを警戒するように、低く唸っている。
「来るぞ」
低い声が、すぐ後ろから聞こえた。
「え――」
「戦え」
「は!? 無理でしょあんなの!」
思わず叫ぶ。
さっきまで死にかけていた相手だ。
勝てるわけがない。
「契約しただろ。もうお前は、“普通”じゃない」
その言葉と同時に、何かが身体の奥から溢れ出した。
視界が赤く染まり、熱が腕へと流れ込む。
「っ……!」
無意識に手を前へ突き出すと、赤い光が形を成した。
細く、鋭く、揺らめくような美しい刀が現れる。
「……え?」
思わず呟くが、手の中にあるそれは、確かな重みを持っていた。
刀身には血のような赤い筋が走り、まるで生きているかのように脈打っている。
「それがお前の武器だ」
背後から、あの男の声がする。
「俺の血で出来てる」
「は!? いや意味わかんないんだけど!?」
「いいから使え。死にたくなければな」
泣蜘蛛が動き、無数の糸が、空間を裂くように飛んできた。
「――っ!」
反射的に刀を振るうと、鋭い音が響く。
糸が、あっさりと断ち切られたのだ。
「……切れた?」
驚く暇もなく、壁から地面から、四方八方へと糸が伸びる。
身体が軽く、自分のものとは思えないほど、速く動ける。
「迷うな。喰われるぞ」
「……っ!」
紬は、歯を食いしばる。
(こんな所で、終わりたくない)
その一心で踏み込み、泣蜘蛛の懐へ。
気味の悪い顔が、目の前に迫る。
だが、もう止まらない。
「――はぁっ!」
振り下ろすと、赤い刃が空気を裂く。
硬い何かを断ち切る感触がし、泣蜘蛛が甲高い悲鳴を上げた。
「……やった、の……?」
「まだだ」
呼吸を整えていると、紬の足元から糸が噴き出した。
「うわっ!?」
足を取られ、倒れかける身体を、無理やり立て直す。
「集中しろ。そいつはまだ生きてる」
「分かってる……!」
心臓がうるさく鳴っているが、不思議と身体は動く。
刀を握る手に、熱が集まる。
「……っ!」
今度は迷わず一直線に、泣蜘蛛の歪んだ顔のその奥へ、赤い刃が、深く突き刺さる。
「――これで終わり!」
振り抜くと、泣蜘蛛の身体が崩れ始めた。
黒い塊が、煙のようにほどけて消えていく。
やがて何も残らず、再び静寂が戻る。
紬は、その場に立ち尽くした。
手の中の刀も、ふっと消える。
「……はぁ……っ」
膝が震え始め、ようやく実感が追いつく。
「……生きてる……」
「当たり前だ」
振り返ると、あの男がそこにいた。
相変わらず、つまらなさそうな顔で紬を見ている。
赤い瞳が、じっとこちらを見つめ、ぞくりとする。
「言っとくが、これは始まりにすぎない」
「……え?」
「これからもっと来るし、お前を狙う奴もいる」
「……なんで……」
「弱い人間が、妖の力を持ったから」
言葉が出ない。
普通に生きていたはずなのに。
一瞬で、全部が変わった。
その時、あの男がわずかに視線を逸らした。
「……ああ、あと一つ」
「まだ何か?」
「最後は――俺が喰う」
冗談じゃない。
その事実が、胸に重く沈む。
紬は何も言えなかった。
夕暮れは、完全に夜へと変わっていた。
もう、戻れない。
血が宿る刃と共に、その現実だけが、確かにそこにあった。




