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1話 善意は時に、死を招く

夕暮れの帰り道は、いつもより静かだった。


部活終わりの身体は心地よく疲れていて、風早 紬(かぜはや つむぎ)は軽く肩を回しながら歩く。


オレンジ色に染まった空と、少しひんやりした風。


何も変わらない、いつもの1日。


――たすけて。


不意に声がして、紬は足を止める。


「……今の、誰?」


辺りを見回すが、人の姿はない。


住宅街の道には、街灯がぽつぽつと灯り始めているだけだ。


気のせいかと思い、再び歩き出そうとした、その時。


――ねぇ……たすけて……。


今度ははっきりと聞こえた。


か細く、今にも消えそうな声。


子どもか、それとも女性か、判別はつかない。


ただ、確かに“助けを求めている声”だった。


(……放っておけないでしょ)


小さく息を吐き、声のした方へと足を向けた。


細い路地に入るが、昼間なら何でもない道なのに、夕暮れの影が濃くなったせいか、やけに暗く感じる。


「大丈夫ですかー? どこですかー?」


返事はないが、ただ奥へ奥へと誘うように、気配だけが続いている。


足音がやけに響き、空気が重く感じる。


(……変だな)


そう思った時には、もう遅かった。


 ――うえ、だよ。


「え?」


反射的に顔を上げた瞬間、背筋が凍る。


天井――いや、建物の壁に、何かが張り付いていた。


黒く歪んだ塊に、異様に長い脚。


絡みつくように広がる影。


そして、その中央に “人の顔”。


ぐちゃりと歪んだそれが、にたりと笑った。


「――ッ!?」


逃げようとした瞬間、何かが腕に絡みついた。


糸が粘つく感触とともに、身体が引き寄せられる。


「な、に……これ……っ!」


もがくが、外れない。


逆に締め付けは強くなるばかりだ。


足も、胴も、次々と糸に絡め取られていく。


息が、苦しい。


視界の端で、それがゆっくりと降りてくる。


人の声を真似ていたそれは、もう隠そうともせず、歪んだ口を大きく開いた。


――たすけて、って言ったでしょ?


ぞっとするほど楽しげな声だった。


(……やばい)


理解した瞬間、身体が冷たくなる。


これは、助けを求めていたんじゃない。


“餌を呼んでいた”。


糸が首に絡み、段々と締まっていく。


 ――ああ、これ、死ぬかも。


妙に冷静な考えが浮かんだ。


(……やだな)


胸の奥が、きゅっと痛む。


もっと走りたかった。


もっと笑いたかった。


明日も、普通に学校に行って、友達とくだらない話をして――。


そんな当たり前が、急に遠くなる。


その時、


「――情けないな」


低い声が、すぐ近くで響いた。


バチン、と何かが弾ける音とともに、糸が切れた。


紬の身体が地面に落ちる。


荒い呼吸の中で、顔を上げるとそこに、立っていたのは、赤い瞳を持つ、片側だけの角を生やした鬼だ。


人ではないと一目で分かる存在が、無造作にその“化け物”を見上げている。


「餌遊びか。趣味が悪いな」


その声には、恐れも焦りもなかった。


「……だ、れ……」


紬の声は震えていた。


その存在は、ゆっくりとこちらを振り返る。


視線が合い、ぞくり、とした。


怖いのに、目が離せない。


そんな矛盾した感覚。


彼は、少しだけ口元を歪めた。


「助けてやってもいい」


一歩ずつ近づいて来て、逃げる力もない紬の前で、しゃがみ込むと、その赤い瞳で真っ直ぐに見下ろしてきた。


「――契約しろ」


「……契約……?」


理解が追いつかない。


ただ、その言葉だけが耳に残る。


「そうすれば、生かしてやる」


淡々とした声は、まるでそれが当然であるかのように。


「代わりに――」


その瞳が、わずかに細められる。


「最後に、お前の心臓を喰う」


理解したくないのに、意味ははっきりと分かった。


助かる代わりに、いずれ死ぬ。


それも、目の前の“これ”に喰われて。


普通なら、拒むはずだ。


怖くて、逃げ出すはずだ。


けれど、紬の中に浮かんだのは、たった一つ。


(……まだ、終わりたくない)


それだけだった。


震える手をぎゅっと握り、そして、


「……いいよ」


顔を上げて、言った。


「契約、する」


その言葉に、彼はほんのわずかに目を細めた。


「――物好きだな」


空気が変わり、熱が走る。


紬の身体の奥に、何かが流れ込んでくるような感覚。


髪の一部が、ふわりと揺れ――赤く、染まった。


「行くぞ」


紬は、まだ震える足で立ち上がる。


でも、それ以上に、まだ終わりたくない。


目の前の異形を見据える。


さっきまでとは違い、身体の奥に確かな“力”があるのを感じた。


「――っ」


夕暮れの中、戦いが始まる。


人間のままでいようとする少女と、それを喰らう鬼の、契約の物語が。

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