15話 僅かな距離の、この気持ち
朝の空気は、少しだけひんやりとしていた。
玄関のドアを開けた瞬間、
「おはよう、紬ちゃん」
聞き慣れた声が、すぐそこにあった。
「……透先輩?」
思わず足が止まる。
門の前に、透が立っていた。
「久しぶり、だね」
やわらかく笑うその表情は、いつもと変わらない。
ここ数日、姿を見ていなかったことが、嘘みたいに。
「……はい。お久しぶりです」
小さく返すと、胸の奥が少しだけ軽くなった。
理由は分からないけど、ただ安心した気がする。
「今日は一緒に行こうか」
何気ない一言の、そのはずなのに、ほんのわずかに間があった気がした。
「……はい」
通学路は見慣れた景色で、変わらない朝。
でも隣にいる透との距離が、いつもより少し近い気がした。
「昨日、遅かったよね」
「……え?」
「帰り、遅かったみたいだから。大丈夫かなって」
自然な聞き方で、ただの心配にしか聞こえない。
「……ちょっと、用事があって」
紬はちょっと困り、曖昧に答える。
嘘ではないが、本当でもない。
「そっか」
透はそれ以上、聞いてこなかった。
昨日、紬が何をしていたか、知っている筈なのに。
「無理はしないでね」
やさしく、そう言うだけで。
(……優しいな)
何も疑わず、そう思う。
そう思ってしまう。
教室に入っても、どこか落ち着かない。
席に座って、教科書を開く。
けれど、文字が頭に入ってこなかった。
(……見られてる)
そんな感覚が、離れない。
ポケットの中の端末は、触れなくてもその存在だけで、《夜叉》と繋がっている感覚がする。
昼休みになったが、友達と話しているのに、紬は上の空だった。
ふと視線を上げと、廊下の向こうに透の姿が見えた。
誰かと話している。
その途中で、ほんの一瞬だけ目が合った。
すぐに逸らされたが、なぜか気になってしまう。
(……なんでだろ)
でも、答えは出ない。
紬はまだ、味わった事のない、知らない気持ち。
放課後、部活の為、グラウンドに足を運んだ。
(集中しないと)
そう思うのに、どこか何かが引っかかる。
走り出し、地面を蹴る音が響く。
風を切る感覚が、心地よい。
それに集中すれば、何も考えなくていいはずなのに。
(……見られてる)
誰もいないと分かっているのに、それは消えなかった。
(気のせい……?)
自分に言い聞かせ、もう一度前を見る。
それでも、背中に残る違和感は、消えなかった。
走り終えて、足を止めると、夕日が綺麗に見えた。
なんだか、少しだけ落ち着く。
(……なんだったんだろ)
さっきの感覚を思い出し、ポケットに触れる。
小さな端末の、その存在に触れた瞬間、さっきの違和感と、どこかで繋がった気がした。
(……考えすぎ)
小さく首を振り、そう思うしかないと思い込んだ。
放課後、校門を出たところで、
「紬ちゃん」
あの声がした。
振り向くと、透が立っていた。
「……先輩」
なぜか、少しだけ安心する。
さっきまでの違和感が、薄れていくのが分かった。
「お疲れ様。部活、どうだった?」
「……いつも通りです」
そう答えながら、
(さっきまで、あんなに変だったのに)
と、心の中で思う。
「無理してない?」
その距離は、やっぱり少し近い気がする。
「してないです」
紬にはまだ、この胸が高まる気持ちが何なのか自分でも分かっていない。
「ならいいんだけど……」
それ以上は聞かない。
全部、知っているくせに。
やがて沈黙が走るが、でもそれは嫌じゃなかった。
むしろ、
(……落ち着く)
紬は自然に、そう思っていた。
歩きながらふと横を見ると、透の横顔が夕日に照らされている。
見慣れているはずなのに、なぜか少しだけ、意識してしまう。
(……なんでだろ)
気づけば、透を探している。
姿を見つけると、少しだけ安心する。
近くにいると落ち着かないのに、傍にいないと胸が苦しくなる。
「明日も、一緒に行こうか」
「……はい」
見えない何かに、繋がっている感覚。
それでも、隣にいる透の温もりが、はっきりと感じられた。
この距離が、何を意味しているのかも知らないまま。
この気持ちに、名前をつけることもできないまま。
ただ、少しずつ2人の距離は、近づいていく。




