第13話 逃げられない、初任務
小さな端末が、手のひらに収まる。
黒くて、無機質で。
軽いのに、何故だかやけに重く感じた。
「それは連絡用だ。位置も把握できる」
(……そっちがメインだろうな)
「逃げようとは思わない方がいい」
「……はい」
選んだ以上、あの日常にはもう戻れない。
その日の夜、端末に指定された場所は、古びた廃ビルだった。
もちろん人気はなく、風が冷たく不気味だ。
「……ここ、かな」
端末を確認すると、今居る場所が点滅していて、此処で間違いないようだ。
足が、少しだけ震える。
(やるしかない)
紬は一歩踏み出し、中に足を踏み入れた。
廃墟なので、もちろん電気も通っておらず、暗くて足音だけが、やけに響く。
「……いる」
自分以外の気配は、確かにある。
(どこ?)
姿が見当たらず、視線を巡らせた瞬間、
「っ!」
背後に気配を感じ、振り返るが何もいなかった。
(今、いた……)
ざら、と擦れる音がしたと思うと、横から影が飛び出してきた。
「!」
避けきれず、腕に浅い痛みが走る。
紬は顔を歪ませながら、まだ分かっていない妖と距離を取る。
そこにいたのは、人の形をした“影”だった。
輪郭が揺れ、目だけが赤く光っているそれは、影喰い。
影喰いが動いたと思うと、目で追えない程速く、さっきよりも動きが読めない。
(どこから来る……?)
視線を走らせるが、姿を捉えられず、影喰いは消えてしまった。
「……!」
突然自分の影が、わずかにズレたのだ。
「っ!」
紬が飛び退くと、影から影喰いが現れた。
(落ち着け……)
分かってるのに、呼吸が乱れる。
紬は足に力を入れ踏み込み、手を伸ばす。
全身に熱が走り、髪の一部が赤く染まる。
そして、血が宿る刃が現れ、紬は手にした。
「……っ!」
いくら紬が影喰いに襲いかかっても、影がすり抜けるように消える。
(当たらない……!)
紬が焦っていると、再び背後に気配を感じ、
「!」
かろうじて避けたと思ったが、肩に衝撃が走った。
バランスを崩すした紬は、膝が床につく。
(このままじゃ……)
視界の端で、影が歪むが、焦りのせいで気付くのが遅れた。
「……っ!」
再び影喰いの攻撃が、腕を掠める。
(捕まえられない……!)
「何、やってんだ」
聞き覚えのある声がし、影喰いに炎が走った。
暗闇を裂く光で、影が逃げ場を失う。
一瞬だけ、輪郭がはっきりしたのだ。
「……紅蓮!」
「俺以外に、殺られるわけねぇよな」
ぶっきらぼうな声だが、その炎は確実に助けになっていた。
「あいつ、影に潜るの……!なかなか当たらなくて!」
「……面倒くせぇな」
紅蓮が炎を強めると、影喰いの姿が揺れ、動きが鈍り始めた。
「今なら見えるだろ」
紬は黙って頷き、集中する為に深く息を吸った。
(落ち着け)
さっきより見える、何より影喰いの行動が読める。
すると、影喰いが突っ込んで来た。
(来る……!)
紬は落ち着いて避け、そのまま踏み込んで刀を振り下ろす。
「……っ!」
確かな感触があり、影喰いが歪み、崩れ始めた。
「今だ」
紅蓮の炎と紬の刃炎が重なり、
「これで、終わり!」
影喰いは、音もなく崩れた。
「……はぁ……っ」
紬はその場に膝をつき、息を整える。
まだ、手が震えている。
(倒せた……)
普通に負けると思ったが、紅蓮のおかげでなんとか勝てる事が出来たのだ。
突然、監視されているあの端末が鳴る。
びくりと肩が揺れ、画面を見ると、
【任務完了を確認】
とだけ書かれていた。
玲、いや《夜叉》は最初から、最後まで紬の戦いを黙って見ていた。
「また、《夜叉》の所行ってきたんだろ?」
少しだけ、紬の言葉が詰まる。
「……決めたから」
紬は、端末を見たまま言う。
「取引、受けた」
「……そうか」
紅蓮はそれ以上は何も言わず、紬を否定する事もなかった。
だが、ポケットの中の端末が、この取引の存在を主張する。
これがある限り、逃げられない。
どこにいても、何をしていても。
まるで、玲の手の上で、踊らされている気分だった。




