ⅩⅤ 騎士
頃は十二月十五日。
先の帝国軍侵攻から半月ほどが過ぎていた。
あの戦闘は我が軍は多くの犠牲――特にマルセル湖北の損害は酷く、部隊の六割以上が消失した。だが、結果的には敵の侵攻を阻止し、我が軍が受けたものより大きな損害を与え、勝利を収めた。
王国軍は侵略者を追い払い勝利した――にも関わらず、この国の世上は暗い。というのは、先の勝利の後、帝国軍が鉄の船団を建造していた事を認め、王国の非難も空しくオルタリアはそれを事実上承認した事により異様な緊張感が国中に暗雲をもたらしたためだ。
今私たちはアーデン通信基地に待機している。もはや戦闘が身近なものとなった我々にとってかような空気が既に慣れたものであり、“いかに主が友軍の危機を救ったか”を嬉々として吹聴して回るマルスの周囲では温い笑いすらある。逆に救われたブレス特尉は悩ましい表情で自室に相棒と閉じこもっているそうだ。彼女にとって先の戦闘は少なからず心に重いものを落とすものだったという事である。
「はぁ……」
私も今、心が休まらない。ただそれは先に述べたようなことが原因ではないし、ブレス特尉のように悲痛なものでもない。私をいや増して不快にさせるイベントがこの日にあるのだ。
「そろそろご到着だな」
「ええ……」
「浮かない顔だな大尉。君は別に何かする訳ではないだろう。大変なのは特尉だよ」
突然の通達だった。つい二日前、王都ゼスから王印の付された令状が届けられたのだ。我々の部隊への令状といっても内容は軍事的なものではなく、慰安として第三王女アリス様が基地へと訪問される事になり、それを歓迎する準備をせよというものであった。
「私の知らない間に……」
「知らない? あぁ、騎士任命の事かい? てっきり特尉から聞いていたのだと思ったよ」
「聞いていません!」
イグニス様がアリス姫より騎士の任命を受けたという事を私が知ったのは令状を受けたその日――十二月十三日の事だった。私はイグニス様の御傍にいながら二か月以上その事実を知らなかったのである。
私とイグニス様の間に繋がれた強固たる主従の絆に外から亀裂を入れられるようで心底不愉快であるが、今の私にはどうする事も出来ない。リーリシアの兵である以上、かの国の法は異邦人の私も縛るのである。
「ラッシュフォード特尉の準備、完了しました」
ロイド・コックス軍曹はガレッジ大佐とバランシュ大尉に敬礼すると、そう報告し持ち場に去っていった。
「彼も顔つきが変わったね。ここに来た時はどうなる事かと思ったが、マレーティア訪問時に君が教育してくれたという事かな」
「いえ、全てイグニス様の御力です」
「そうか。流石というべきだな」
ガレッジはコックスに過去の自分を重ね、頷いた。そして、コックスが先ほどまでに準備に勤しんでいた来賓室の扉に視線を移した。
来賓室という舞台に上がる事が許されたのは賓客であるアリス姫と彼女の騎士であるイグニスのみ。部隊長であるリナ、部隊最高責任者であるコックスは勿論、基地司令であるマナ・レーン大佐でさえ、この部屋に立ち入る事は許されない。指名されなかった者に出来るのは準備と閉ざされた部屋の外からの警護のみ。
「騎士との個別会談。それを兵士激励より前に持って来るとは、姫様も相当特尉の事がお気に召したと見える。これは我々の目的に大いに貢献するものだよ」
不機嫌なリナとはうってかわり、ガレッジは上機嫌だ。
確かに、相対的に力の弱いアリス姫といえども、王族との繋がりを強化する事は「インフェクテッド達の地位向上」という二人の目的に資する。それは喜ばしい事である。
それはリナも理解していた。だが、それ以上に彼女はアリス姫を別の意味で警戒し、恐れていたのだ。
(会談の予定時間はたった30分。それだけの辛抱……)
「おっと、そう言えば戦場であの放送、えっと何といったかな、スーリヤと言ったか。あの帝国将校が大口を叩いているのに特尉はえらく怪訝な顔をしていたな。あの女に覚えがあったりするのかな」
リナが不安に震えている間、ガレッジはシータ・スーリヤの演説時のイグニスが示した何とも言えない表情を思い出していた。
「あ、それは恐らく、スーリヤなる将校の声色がスフィンクス襲撃の首謀と酷似していたからだと思います。酷くヒステリックでそれでいて平静で分かりやすい人でしたからね。
でもまさか生き延びているなんて。スフィンクスの主砲を受けていたのにしぶとい人です」
「特尉は彼女を始末できなかった事を後悔しているのだろうかね」
「ええ、恐らく。あそこで消えていれば敵にスフィンクスの情報が渡る事なんて無かったのですから」
リナの口から“情報”という言葉が飛び出した所でガレッジは腕を組み、「うーむ」と小さく唸る声をあげる。
「どうかなさいましたか?」
「いや、情報と言えば一つ不可解な事があるのだよ。
君は先ほど“敵にスフィンクスの情報が渡る事なんて無かった”と言ったが、本来ならあの要塞の場所に関する情報も敵に渡る事はあり得なかった。
なにせ我が軍の特級秘密事項だからね。私も無論知らなかったし、知っているのは参謀軍事会議のメンバーくらいだろうな」
王国領の辺鄙な砂塵地帯に要塞が建設されているなんて事は本来帝国が知る由もない。情報が洩れているとすれば、秘密事項故に出元は限られ、その事情もまた限定される。
「つまり、我が軍の上層部に帝国との内通者がいる可能性があるという事ですか……」
「いや、まぁ、制服組とは限らんよ。大臣方も御存じのはずだしね。
それに内通と断じるにはまだ早い。もしかしたら得体の知れない愛人やらなんやらに口を滑らせただけかもしれないしね」
ガレッジは笑みを浮かべてそう言ったが、十中八九意図した内通があったと考えていた。何故なら、敵に漏れていたのは要塞の場所のみではなく、周囲の哨戒情報もあったからであり、ぽろっとこぼすにはあまりに情報が多すぎるのだ。
「おっと話はここまでだ大尉。お客様がおいでになられたようだ」
場違いな話の途中で、ついに二人の元にアリス姫到着の知らせが入り、ガレッジは口に人差し指を当てて話を中断した。
サプライズ企画である為か、それとも彼女の影響力の小ささを物語っているのかは定かではないが、王族の一人というには警備や使用人は少なく、厳かというよりはさっぱりとした雰囲気の中彼女は王都ゼスより来たり、この基地に足を踏み入れた。
迎えに上がるのは基地司令レーンと薔薇獄部隊の幹部二人。アリス姫がここに来るという事を知るのは彼らを含めて十人足らずであり、他の殆どの兵士たちは呑気に嵐の前の静けさを満喫している。
「姫殿下に敬礼!」
ファンファーレは無い。迎えるのは敬礼する三人の将校のみ。そしてアリス姫も警備に伴った二人の近衛兵を下げると、たった一人の侍女を連れて彼らに相対した。
「ふふふ。リナさん。マレーティア訪問の折にはお世話になりましたわ」
「私のような者にありがたいお言葉」
アリス姫がここに来て最初に言葉をかけたのはリナだった。彼女の言葉と表情にはどこか挑戦的な雰囲気が漂い、リナは顔には出さないが、リナの心内には吐きそうなほどの不快感が湧き出てきた。
「そんなに畏まらないで。
私、大尉とは深い繋がりを感じるのです。
そう…… ずっと前に既に知り合っていたような……」
「恐縮であります」
わざとらしくアリス姫は暈したが、彼女はその繋がりを強く理解していた。そして、それはリナも――
シュネーウィットヘン――かつて出会った少女。リナはアリス姫が彼女であると確信しており、脅威に大会何かを感じていた。
「騎士を待たせては王族失格ね。
では、ごきげんよう」
アリス姫の言葉は何処か跳ねており、高揚する気持ちが抑えられないのが分かる。
そもそも基地に来た目的が慰安だというのが方便であり、真の目的は彼女の騎士――イグニスと対面する事であった。
一度目線を外した後、アリス姫はリナを不敵な笑顔で一瞥して彼女は騎士の待つ部屋の扉へと歩みを進める。
扉を開けるは、基地司令レーン。白い手袋をはめた手で装飾のついたレバーハンドルを握り、ゆっくりと扉を開けながら頭を下げた。
「アリス姫殿下。ご機嫌麗しゅう」
扉が開いた先には儀礼用軍服を纏った青年が膝をつき頭を垂れていた。その奥にはこじんまりとしたテーブルとそれを囲う二つの椅子が設置されている。
「お久しぶりですね特尉。さぁ、頭をお上げになって」
リナたちが耳に出来た二人の言葉はここまで。姫と騎士、リナたち三人の間は一枚の扉によって遮られたのだ。ここから彼女に出来るのはただ箱の外から中身の安寧を願うのみだ。
「本当はあの子――何と言ったかしら?」
「リナ…… バランシュ大尉でございましょうか?」
麗美な装飾がなされた小さなテーブルを囲み、二人の男女は顔を合わせる。最初、イグニスは対等な立場ではないとして席に座る事を躊躇ったが、アリス姫の命令と「用意されているにも拘らず使用しないのはむしろ礼を欠く」という言葉に押されてやっと席に着いていた。
「いいえ。彼女ではなく、特尉がお連れになる女の子のことです」
「ジョウルクでございますか。ですが姫殿下。彼女は――」
席に着いて最初の話題がジョウルクについてであり、その様な事を聞かれると思っていなかったイグニスは目を泳がせる。
「フフフ、ジョウルクさんが何処のどなたであろうと関係ありません。この場は私が用意したものです。即ち、礼節も軍規も私が排する事を望めばここでは無実化する事が出来るという事です」
「姫様! いくらやんごとなきお方といえどもそのような事は」
イグニスの様子をからかうような無邪気な表情で並べられたアリス姫の言葉に彼は思わず感情的になる。それは彼自身王族の在り方を若き日に仕込まれたが故だった。
「えぇ、特尉の諫言は正しいですわ。
私達はいかなる場においても自分の立場を弁える必要がある。それは正しい認識です。
ですが一つ知って頂きたい。私が特尉を騎士に任じた事からお分かりと事と思いますが、私はあなた方を特異なものと思っていないという事を。その為に敢えてそのような言い方をしたのです」
禁忌への警戒心や恐怖が根強いリーリシア王国の王族がこの様な事を口にするのは憚られるものだ。イグニスはその事について言葉をかけようとしたが、それはアリス姫が前に出した掌によって遮られた。
「では話を変えましょう。
特尉もお耳にしている事と存じますが、我が国に重大かつ、恐ろしい知らせがありました。
――“鉄の船団”――
あの方、クローヴィス皇子は私に和平の話をしつつ裏では刃を研いでいた。それとも彼の言う本当の敵に対するためなのかしら。
なんにせよ、我らは前代未聞の危機にあるというのは確かです。頼みの綱であったオルタリアはこの事態に“介入しない”と事実上帝国の“オルタリアの主権を侵害するものではない”という主張を認めました。ふふふ、我が国の新型兵器開発に裏で関係している以上、そうせざるを得なかったのか、それともこれを機に周辺国に水中機雷のモンキーモデルを売り込もうという腹なのか」
「姫様……
心中お察しいたします。姫様は和平にご尽力されておりました事は私も知る所でした」
不快そうに語るアリス姫の心情を察し、イグニスは目を瞑って小さくそう言った。
リーリシア王国軍務大臣アリュトス・ノル・ガラが主戦論を唱える中、それに対抗するように他の大臣が彼女と共に和平論を唱え始めたのだった。特に文化産業を司る職にあったミーア・ドロス大臣は王都の貴族を中心に支持を集め、反戦運動は彼女を中心に大きな波となっていた。
だが、“鉄の船団”が表になると、運動は急激に縮小し、彼女も支持を失う事となる。イグニスはブレア一等兵を通じてその事を薄く知っていた。
「和平?
特尉は何か勘違いされておられるようです。私は元よりクローヴィス皇子が示されたものを信じてはいませんでしたわ。ただ、橋渡しとして父と大臣に皇子の言葉をお伝えしただけです。私如きが神輿になれるとお思いになるのは酷い買い被りですわ」
アリス姫の不快感の原因は“自分の和平活動がそれを示した側に潰された事”ではなく、“帝国の戦略に自分が利用された”という疑いであった。
そもそもドロス大臣の活動の中でアリス姫は一切顔を見せず、ただ神輿として名前のみが担がれていただけであり、ブレアが得ていた情報はドロス大臣のキャンペーンをそのまま入れたに過ぎなかった。
「話を戻しましょう。鉄の船団によって状況が変わります。海が天然の障壁で平和なモノとされていたのが、これからは彼らの一方的な侵攻路となる。王国としてはこれを許す事は出来ません。故にこれから始まる事になるでしょう」
首を横に振り、紅茶を一口口に含むとアリスは不快の仮面を落として話を始めた。
「電撃的帝国本土侵攻作戦。
帝国軍が船団を用いた戦略を始める前に、王国が帝国の首元に嚙みつく。流石に慎重論を唱えていた軍や貴族の重鎮も火がついた尻を見たら立ち上がるしかないという事ですね」
帝国本土侵攻作戦は鉄製船団の存在を危惧したバレンタイン准将とガラ大臣によって既に示されていたが、船団の存在を怪しむ者達や慎重論者によって棚上げされていた。そして今、棚上げされる理由が消滅した以上、この作戦に異を唱える者はもはやいない。作戦自体は発令されていないが、水面下で準備は着々と進められている。
「パラダイムは変わり、北海は不可侵の聖域ではなくなる。これからは帝国軍の占有通行路となるわけです。王国としたらそんな事許せるはずもありません。
これはまさに乾坤一擲の作戦。出し惜しみなく、王都周辺に配置された部隊も駆り出しての大掛かりなものとなるでしょう。無論、特尉達にも重要な役割が巡ってくることでしょう」
実際この基地やアシャリハに大量の物資や兵員が送られ、王国軍の約70%が国境に集結しつつあった。
「命を賭して戦いに身を投じる所存であります」
アリス姫の発言に対し、イグニスは軽々とそう言葉を返したが、それは彼女を酷く不快にさせるものであり、それは表情にも表れていた。
「特尉。あなたは誰です?」
「私でございますか? 私は王国軍特務遊撃部隊所属、イグニス・ラッシュフォード特尉であります」
アリス姫の問いにイグニスは所属と名を答えたが彼女の顔面を覆う曇りは晴れない。それどころか、瞳に怒りのような感情を加えてイグニスを睨みつける。
「そして姫様の騎士にございます」
イグニスはその鋭い眼光に刺され、そう付け加えた。
「そう。貴方は私のたった一人の騎士」
満足のいく回答を得てアリス姫は表情を柔らかくしてそう口にした。そして「コホン」と咳をついて姿勢を正すと、イグニスの瞳に自分が映っているのを確認しながら話を続ける。
「故にあなたの命は貴方一人のものではない。私の許可も無く死ぬ事など絶対に許されないのです。もし私の身に何かあったらどうするのですか?
もし、死の危機に瀕した時は真っ先に逃げなさい。どんなに惨めでも無様でも、他の誰が犠牲になろうとも逃げて私の元に帰って来なさい。これは貴方の義務なのです」
アリス姫の言い様は鋭い刃物のようで、イグニスの心に突き立てられる。
「はぁ、貴方が余計な事を仰ったせいで苛立ってしまいましたわ」
そしてイグニスの反論、反応の隙を与えず溜息をついてあきれ顔を見せ、ふと白いキャスターの上に置かれた時計に目をやった。
騎士と姫の時間は既に25分程が経過しており、姫が最も話したいと思っていた事を話す余裕が無くなった。
本来彼女が語る事を欲したのは、戦後の禁忌地位の向上についてであり、それを彼女自身が先陣を切って訴えるつもりであると伝えたかったのだ。
「最後に念を押します。
必ず生きて帰りなさい。出なければ私の計画もパァというものです」
立ち上がりそう告げるアリス姫の姿に、自分の妹が時として垣間見せる王女の威厳のようなものを感じ、イグニスは懐かしく思った。
「ところで姫様。あの方、アリエル殿の姿が見えませぬが、何処に」
家族と彼女を重ねてしまった事で少し気が抜け、イグニスはアリス姫の入室から気になっていた事を思わず口にしてしまった。
「アリエルでしたら特別な仕事の為に王都に残しています。少し気になる事がありまして……」
イグニスの疑問に対してアリスはそれだけを返し、具体的には語らなかった。イグニスもそれ以上の口出しはせず、両者の語らいはここで終了した。




