ⅩⅢ レクイエム Ⅲ
「本当によろしかったのですか?」
「何がだ?」
「ヴァイツァー中将及びグスト大尉の事です」
「グスト? あぁ、あの隊の隊長か。取るに足らん人間だから覚えてすらいなかったよ」
「…………」
ヴァイツァー中将の亡骸を見下し、スーリヤは冷たく笑う。
彼女は戦死したグストに代わって山岳別働部隊を率い、山際破壊によって道を寸断する事によって薔薇獄部隊の追撃を逃れ、そして本体に合流していた。
「案ずることは無い。これは殿下のお考えの内だ。
我々の任務は状況を見て部隊を撤退させる事。それには部隊の掌握が必要だ」
「……ですがこのようなやり方では」
「神経質だな君は。我々にさほど時間的余裕などないのだよ。効率的に素早くとなればこれ以上の選択肢はないだろう」
ヴァイツァー及びグストは戦場でその命を落としたが、それは敵によるものではなく、背後の味方による卑劣な一刺しによるものであった。
「あぁ、無論君の言いたい事は分かる。
グストはともかく、ヴァイツァー中将は極めて優秀な指揮官であり、軍内での人望も厚かったからな。ここで失うのは惜しいという事だろう?
だが今になっては中将も膿でしかない。麒麟も老いぬれば駑馬に劣るとは違うが、いくら優秀な指揮官であっても、感情に流され支配されれば判断も鈍る。人望があるのも困りもので、彼が生還すればこの様な事がまた起き、続く兵士も出てくる。故にここで死ななくてはならない」
「…………」
「話は戻るが、これはルートヴィッヒ殿下のお考えの内だ。
我が部隊は数は大なれど、装備はどうか? 技術省兵器開発局による改修はあるがその殆どは十年を超えるものばかりだ。特に我々が今いる旗艦車は酷い。内装外装は立派だが、中身はおんぼろ、完成から半世紀たつビンテージだ。
つまり、この部隊は捨て石という事であり、我々の使命はその中にある兵士という貴重な資源を本国に送り返すという事だ」
そう言うとスーリヤはヴァイツァーと彼の部下たちの亡骸から目を離すと司令席に太々しく座り、自分たちの部下に対し、持ち場に着くように目と手先で指示を出した。
「君の名前は何だったかな?
失礼だが、資料など読んでいる余裕が無くてね」
「シュヴァイク…… ノイマン・シュヴァイクであります」
「シュヴァイク家――中々の名門だ。しかし君も不運だな。私なんぞの所に寄こされるとは」
「いえ。その様な事は……」
スーリヤはこの青年――シュヴァイクが自分の監視として付けられていた事を理解していた。
わざわざ自分にそれなりの家の人間を付けたのはスーリヤ家が、アルベール朝レグラント帝国の黎明期から存在する高貴な門閥であり、一応の礼であった。
「ああ、そうだ。一つ言っておくよシュヴァイク君。
元老院の連中を例外として、良い家柄だからといっても今の帝国では尊重はされない。スーリヤ家も中央の政から離れて久しく、かつてのように持ち上げられるわけでもない。我々の特権は戦下においても優雅に帝都で宴を催す程度しかないのだ。それはシュヴァイク家でも同様さ」
スーリヤの言葉はシュヴァイクに鋭く突き刺さる。
ノイマン・シュヴァイクはシュヴァイク家の次男として誕生し、次代当主となる兄の補佐の為に学業に努めた。
だが実際、当主の務めは芸術家の招致や領地内での祭りの主催程度のもので、領地内の徴税や敷地の利用、さらに住民の報酬についても帝国中枢部の元にあった。故にシュヴァイク家では学業より礼儀作法やレトリックが重要視され、ノイマンの存在は小さく薄れていった。
暖簾をはたくような虚しさに辛抱ならなくなったノイマンは家を出て、中央で出世を目論むが、そこで現実を知る事になる。まさに今スーリヤが言った通りだ。
「だが、栄光というのは暗闇の中にあるものだ。
我々は今眩い立場にはないが、次期皇帝候補者に直に繋がりを持っている。生きてさえいれば引き立てて下さるだろう。
――というわけで、我々に時間はない。あのデガブツが二射目を撃ったらあの世に出世する事になる」
「隊長。準備が整いました。
ですがよろしいのですか? これだと敵軍にも傍受される可能性がありますが」
通信士の死体をどかしてその席に着いたスーリヤの部下はそう言い、彼女の答えを待つ。
「構わない。より広域に、そしてより早く伝達する事を優先しろ」
「了解しました。どうぞマイクを――」
部下はそう言うと席を離れ、スーリヤにタバコ箱程の大きさのマイクを手渡した。
「――勇敢なる帝国軍の勇者諸君。
私は特別調査隊隊長シータ・スーリヤ。ルートヴィッヒ殿下より大佐相当の地位を授かっている。
スコット・ヴァイツァー中将は野蛮なる王国の殺戮兵器によって、尊き帝国の戦士を失った事を恥じ、自決された。そして私に部隊を任されたのだ」
スーリヤの声は波のように帝国軍部隊を伝達し、少しの間を置いて山岳回廊で立ち往生する王国軍特務遊撃部隊の元にも届いた。
「英雄諸君よ。案ずることは無い。我々の目的は既に果たされている。ヴァイツァー中将はその命を以って勝利に殉されたのだ。
もう一度告げる。我々は作戦目的を完遂し、勝利したのだ」
スーリヤの勝利宣言に多くの帝国軍兵士は首を傾げた。
スフィンクスの主砲により、帝国軍部隊は修復不能な損害を受け、左右に分断。スフィンクスに肉薄寸前まで迫った右翼部隊も弾薬及び海水の枯渇に陥り、加えて後ろから合流した無傷の王国軍山岳部隊によって押し返されている。
状況は極めて帝国軍不利というのは誰の目にも明らかであった。
「太古の英雄は言った。“来た。見た。そして勝った”と。
王国軍は愚かにも巨兵騎士に並ぶ非人道的な禁忌を晒した。これは自ら己が正義を放棄した事に他ならない。
我々は愚行の目撃者だ。そして我々は敵を誅罰する正当性を得た。
さぁ、祖国に帰ろう。
我々は敗退者ではない。勝利者として凱旋するのだ」
スーリヤは兵士たちが疑問に思うことくらいは予期していた。だが、彼女は不安渦巻く彼らの心情を巧みに利用し、撤退を開始させた。
「隊長。まるで扇動者ですね」
「誉め言葉と受け取っておこうシュヴァイク君。
だが、これはさほど難しい事ではない。不安にまどろむ者達は救いを求めているのだ。彼らを肯定する甘言は一種の麻薬であり、深く考えるより先に同調する。さらに今回の出兵の主柱たるヴァイツァー中将が失われたというのも大きいだろう」
自分がヴァイツァーを害した事を他人事のようにスーリヤはぺらぺらとシュヴァイクに話す。
そして、自分の役目を終えるとそそくさと戦場から離れるように部下に手先で命じた。
「さて、目下の問題は王国軍が我々を逃がしてくれるかだな。三分の一、いや五分の一が撤退できれば御の字といったところか」
勢いづく王国軍からの撤退は容易ではない。特に敵陣深くまで穿った右翼部隊はほぼ無抵抗で敵の集中砲火を浴びる事となる。
だが撤退を命じた本人は自分と同胞の安全の身を重視し、彼らを救援する事も無く我先にと北進を開始し、悠長に部下との会話する。
「隊長。先ほどの話なのですけど一つ……」
「この部隊、いや、帝国正規軍の装備が旧式なのは捨て石にされたというより“帝国軍内にある亀裂”が原因と言いたいのだろう?」
「ええ。ではなぜ先ほどはあのような――捨て石などと」
「その事由も踏まえて捨て石だからだ。
帝国正規軍においては上層部から兵士に至るまでその殆どが第二皇子派、軍需産業や技術省、そして近衛兵団は第一皇子派であり、その間には小さくない確執がある。加えて、クローヴィス殿下の信奉者であるヴォイニッチ卿が新兵器を彼の私軍である大陸復興委員会に優先的に流れているのがそれに拍車をかけている。
だが、一つ看過してはいけない事があるだろう? そう、ルートヴィッヒ殿下の御意志だ。殿下はそれをさして大きなこととはお考えではないのかもしれん。
なぜならルートヴィッヒ殿下こそがクローヴィス殿下の最大の信奉者であらせられるからだ。クローヴィス殿下の利益にかなうなら自らの信者の千人や万人容易く捧げられるお方なのだよ。
そして危険因子となったヴァイツァー中将とこの犠牲はバーターになりうるとお考え――なのかもしれん」
スーリヤの考えはおおよそ的を射ていた。
ルートヴィッヒは彼女が思う程帝国軍兵士の事を軽くは見ていなかった。だが、それ以上にクローヴィスへの思いが強いのも事実であり、この作戦を認可したのも彼への批判が集中するのを恐れたためであった。
「まぁ、何にせよ我々に続く者がいる以上目的は達せられた。重要なのは組織内の下らん対立よりそこだよ。
古の者達は帰るまでが遠足などと言ったそうだが、その言葉に倣い身の安全を第一に帰るとしよう」
特別調査隊は背後の味方に振り返る事も無くひたすらに驀進する。
スーリヤがこの場から離れる事に急かされているのは少し前にスフィンクスによって危険に晒された苦い経験が根底にある。平静を装っていてもあわや命を捨てかけた事実は確かに彼女を焦らせ、古傷に痛みを宿らせた。
そして帝国軍部隊の突然の転進を前に王国軍を率いるバルボッサ大将は顎に手を当て、意見をバレンタイン准将に求める。
「山岳方面の帝国軍はそれなりの数が残っており、後方で合流する腹積もりかもしれません。また、巨兵騎士も移動を開始しているという報告もあり、深追いは危険かと。
加えて先の放送は――」
「ああ、それは私も思ったところだ。わざわざ容易に傍受できる通信を用い、あの煽るような内容。さて、これは我々を誘う罠か、それとも強がりの虚勢か」
アレハント鉄塔での失敗以降、帝国軍は通信に過剰なほど気を使っていた。それは王国軍側も知る所であったが、それ故に今回の件は彼らに疑念を抱かせるに至った。
「我が部隊の損害は軽微ではありません。
将官は敵を追うより友軍の救助を優先すべきと考えます」
スフィンクスのブリッジから火を上げる左翼部隊の姿を確認し、バルボッサは首を縦に振った。
帝国軍の殿を務める部隊は意外としぶとく、全てを出し尽くす勢いで王国軍を押しとどめていた。いずれ押し返される事は明らかであるが、自軍部隊が無為に消耗するのを無視する訳にいかなかった。
「将軍閣下。
このスフィンクスの力なれば、撤退する敵集団を一網打尽に出来ます。
えぇ、いかなる準備も怠らないのが我々商人の誇りです故、抜かりなく、独自に砲弾の準備をさせて頂いております。
無論、我々の努力と思いやりの対価は後程頂きますが」
二人の将の間に割って入り、商魂たくましいオルタリアの商人は商談する。
「無用だ。
敗走する敵軍は散開しており、コストに見合う成果は得られない」
バルボッサは商人にそう言い、商人の提案を一蹴したが、それと同時に先のスーリヤが口にしていた言葉を気にしていた。
(“王国軍は愚かにも巨兵騎士に並ぶ非人道的な禁忌を晒した”
我々が帝国の鉄船の脅威を訴えている最中にこの発言。それを見越してのものであるならば、スフィンクスをここで使用したのは間違いだったのだろうか。
いや、それを含めての作戦…… 始まる前から既に戦略的に敗北していたと言うのか。
あぁ、思い出したよ。あの癇に障る偉そうな声、あの時の顕示欲が強そうな女か。内部においても秘匿されたスフィンクスを襲撃した者が関わっているのならあり得ぬ話ではないか)
バルボッサは過度に深読みしていた。スーリヤの大口は兵士を鼓舞し従わせるために装飾されたものであり、彼が思っている様な意図はなかった。
だが後にバルボッサの嫌な予測は的中する。それはこの段階での帝国にとっても予期せぬ事であり、偶然から生まれたものであった。
「右翼を西に進軍。半数を敵の追撃、半数を左翼で奮闘する味方の援護にまわせ」
バルボッサの指示により、王国軍右翼部隊は未だ炎に包まれる【カフラー】着弾点をよけながら移動し、部隊を二つに割る。
一方は残留する帝国軍部隊を挟み撃ちする形で左に回り、もう一方は撤退した帝国軍部隊を追って北上を開始する。
王国軍部隊の戦意は高く、例え手負い、衰弱した相手であっても無慈悲に完膚無き攻撃によって殲滅する所存であった。
だが、その意気は突然現れた“壁”によって阻まれる事になる。
「敵軍砲車部隊補足、数は約30」
立ち塞がるは砲身をこちらに向けた帝国軍砲車の壁。
「待ち伏せか。だが我々の怒涛の進軍は止められぬ。
射程に入り次第砲撃を開始せよ。足を止めるな。食い破る気概で進め」
王国側の将校も砲車の射程が帝国より劣っている事を熟知しているが、あえてそこを無視し、紡錘の形をとらせ、勢い任せに部隊を突進させた。
「よし。先手を取った。
どうやら奴ら我々の気迫に恐れを抱いているらしい」
帝国軍砲車からの攻撃は無かった。
王国軍はその隙を逃すことなく、射程に敵を収めた砲車から次々に砲弾を射出した。
“ドォーン”
一方的な攻撃にも関わらず帝国軍砲車は一切動きを見せない。視野の狭い猪の如き王国軍部隊はその異様さを察知する事は出来ず、速度を増して破壊された砲車の残骸に潜り込む。
“ジジジジ……”
その時、炎上する手国軍砲車は奇怪な音を発し、直後花火のような爆発が起きる。
「な、これは……」
小さな飛沫のような炎は一瞬にして膨れ上がり、横一列に配置された帝国軍砲車に燃え移り、爆発と引火を繰り返す。そして気が付けば王国軍部隊の前には炎の壁が築き上げられていた。
「全軍停止、止まれぇ!!」
突撃した先頭車両は爆発に巻き込まれ、一瞬宙に浮き帝国軍砲車の残骸群の仲間に加わる。
部隊長はそれを見て、全軍に停止の指示を下したが、猪は急に止まれない。多くの車両が先頭車両の二の舞となり、ギリギリ衝突を免れた車両も前輪が脱落し、走行機能を失った。
王国軍によって穿かれた穴は自軍の残骸によって埋めなおされ、彼らは炎の壁を前に呆気にとられていた。
「……この忌々しい壁の突破は可能か?」
「可能であります。
消火剤を用いれば――」
「はぁ、つまり足止めされるわけか。仕方ないな
騎兵は後方の救護車より消火剤を! その他は衝突した友軍の救助に当たれ」
燃料を媒体に燃える炎にはそれ以外に対処しようがなく、王国軍部隊は敵の逃走を許すほかなかった。
部隊指揮官は炎の先にいる敵の尻を思い、溜息をつくと、軍帽を整え、救助活動の指示に回った。
「アレは役に立ちましたでしょうか?」
「役に立ってくれなくては困る。我が国の貴重な火薬と燃料、そして鉄を犠牲にしたのだからな」
逃走する帝国軍旗車の中でノイマンは後方の心配をする。
帝国軍山岳部隊の砲車は残存する全てと、合流した砲車の一部を足止めの為のトラップとして利用した。それらの乗員は皆輸送車や救護車に搭乗し、狭苦しい思いをしながら故郷へと向かっていた。
「定員オーバー故に燃料も帝国国境に辿り着くかどうか。彼らの精神に影響がなければいいのですが」
「帝国領に辿り着けば問題ない。
それにあそこで死ぬよりかはマシだろう」
車内に存在した死体はヴァイツァー中将のみが丁寧に移され、他は道中で投棄されており、スーリヤ達は広い空間で茶をすすりながら、他の兵士の苦しみについて語り合った。
「ヴァイツァー中将のご遺体。偽装はしましたが大丈夫なのでしょうか」
「検死員に工作員を忍ばせている。問題ない。
全く君は心配性だな。ますますこの仕事に向いているように感じるよ」
ヴァイツァー中将は自決した――そういう事にしておかなくてはならない。ヴァイツァー中将は軍内の評価が高く、かつては皇帝とも交友があった。その様な者を害したとなれば最悪死を伴う罰を受ける事になる。スーリヤはここでは口にしなかったが、工作員を潜伏させる事の他にいくつものリスクヘッジをかけていた。
スーリヤの方言高論は結果的に帝国軍部隊の四割の生還に寄与した。
これは彼女に密命を与えたルートヴィッヒの想定を上回る成果であり、彼女に相応の地位と評価を与えざるを得なくなる。
だが、これは彼女の成果というより迅速に行動した帝国軍兵士と殿を務めた部隊の粘り強さに起因するものであり、彼女からしてみても棚から牡丹餅であった。




