Ⅺ レクイエム Ⅰ
「あなたまさか自分が人間だとでも思っているの?」
暗がりの中、顔の分からない少女が私に言う。
嘲り? 呆れ?
いや、彼女の言葉から感じるのはそこの知れぬ憎悪。
「あなたは道具。それ以上でもそれ以下でもない」
「そんな事は分かっている。私はイグニス様の道具。
あなたは一体誰? 私にそんな……」
私は正体知れぬ少女に声を上げる。
「ふぅん……
でもあなたあの方に好意を抱いているわよね?
ううん。好意なんてものじゃない。深愛、恋慕、つまりあなたは――」
「やめて!! それ以上は言わないで!!」
「あははは。図星だったか」
土足で心に入る少女の言葉にジョウルクは耳を塞ぎ、目を瞑った。
「しかも、人様に嫉妬までしている。ほんと身の程知らずな道具」
耳を塞いでも少女の声は消えない。
それどころか、少女が近づくほどにその声は大きさを増していく。
「道具に心はいらない。
無感情に、無抵抗に、主に絶対的服従。
他の子たちもそうだけど、道具としての認識があまりにも足りない」
「あなたは誰なの……」
「私が誰かですって?
知りたいなら目を開けたらどう? 私はここにいるのよ?」
まるで耳元で囁くような少女の声。
肌に触れなくとも、少女がすぐそばにいる事は分かる。
そして私は得体の知れぬ恐怖に震えながらも、少しずつ目を開け、少女の姿を眼に映す。
「????
あなたは――
――わたし……」
少女の姿は誰でもない。私――ジョウルクと寸分も変わらない。
ただ、彼女は私がした事のないような、憎しみと悲しみが混じった表情を浮かべていた。
「そう。
あなたは私。私はあなた。だから忠告しに来てあげたの。
ゆめゆめ忘れないでね。あなたに人を愛する権利なんて無いって事」
そう言うと少女の身体は黒い靄に包まれ、そして消えていく。
「――ルク?」
消えた少女の代わりに、眩い光が瞳に届き、あの人の声がする。
「――イグニス様? 私は……」
ジョウルクの視界には心配そうに見つめる主と輸送車の内装。そして同胞たちの姿。
「なぁ、休ませてやったらどうだ? 戦場についたらそんな時間もないぜ?」
王国のインフェクテッド――ジョシュア・バレット特尉はジョウルクの顔を見つめた後、イグニスに提案した。
イグニスはそれに頷くと、ジョウルクに休むように促す。
あれは夢であったのだろうか。ジョウルクはリアルな“もう一人自分”の言葉にまだ動揺し、それが夢幻とは思えなかった。
車はアルゴ・ブルート特佐及びモッカラコムを除いた三対の禁忌たちが搭乗し、目的地であるアシャリハへ三体の巨兵騎士を曳行しつつ直進していた。
アシャリハの北部カルデナでは既に小規模、単発的な戦闘が開始されており、帝国の大軍及び巨兵騎士にアシャリハ防衛軍は劣勢にある。そこで王国軍特務遊撃部隊と王国軍守備隊にもお呼びがかかったわけだ。
敵軍の規模から、“帝国軍は最後の攻勢に出た”と王国軍上層部は判断し、秘密兵器を以って戦争にケリを付けると決めた。また、動員される王国軍守備隊も敵戦力に合わせ、十二分の戦力を準備していた。
戦闘になれば負けは無い。問題は街に被害が出る前に現地に到着できるかだ。
「そろそろ到着ね。
ふふふ。巨兵騎士の戦闘はアレハント以来かしら」
サラ・ブレス特尉は嬉しそうにそう呟いた。
停戦等によって体がなまっている事を気にしているようだ。
「これはジョシュア様を王国の連中に認めさせる良い機会。
私達は戦闘に出られませんが、どうか皆さんご活躍を」
頭を下げてそう言ったのはジョシュアのポリネイトであるマルス。
ジョシュアたちが駆る巨兵騎士『アリエス』は戦闘力として期待されておらず、操り手たちは巨兵騎士への通信士として王国軍の旗艦である『スフィンクス』に搭乗する事となっていた。
「『アリエス』はおまけさ。一応持って来ているが無意味なこったよ」
ジョシュアは自虐的に呟く。彼自身、自分に力がない事は分かっていた。
“ガコン”
禁忌たちを乗せた車は突然揺れる。
道が変わったのだ。
それは目的地に到着した事を示していた。
「遠くに砲車の音が聞こえます」
エンジン音、車輪の軋む音、そして兵士たちの騒がしい声。それらの合間に確かに戦争の音が聞こえていた。
カルデナに出現していた敵軍は斥候のアシャリハ防衛軍部隊に対して威嚇程度の戦闘を行った後、進軍を止め少し後方、カルデナ平原の北西へと展開していた。そしてその直後、禁忌たちはこの地へと到着した。
「それにしても大きいな。アレがあれば俺達なんて必要ないんじゃないか?」
息苦しい車から解放され、新鮮な空気を吸いながらジョシュアは山の様な鉄の塊を見てそう言葉を零した。
“スフィンクス”王国軍の秘密兵器の姿は味方にとって頼もしくも、怖くもあった。
「ジョシュア・バレット特尉。それとポリネイトのマルス。両名はついてこい。准将がお待ちだ」
新鮮な空気の下での休憩もつかの間。王国軍兵士がジョシュアとマルスを高圧的な態度と言葉で呼んだ。
「悪い。俺は戦えないが、お前たちの奮闘を信じているぜ」
ジョシュアはイグニスとサラの肩に手を置いてそう言うと、お辞儀するマルスを連れて兵士と共に巨大な鉄塊へと向かって行った。
彼の役割は通信。今回の戦場は極めて広範囲に及ぶことが予想され、カルデナと王国領国境を結ぶ三つのルートに部隊を分け、それぞれを繋ぐ情報網が必要とされていたのだ。
ジョシュアは旗艦スフィンクスに搭乗し、主戦場たるカルデナ平原に向かい、イグニスは西の山岳地帯、サラはマルセル湖北の回廊に、そしてその三人を通じて戦況の共有するのである。
「さて、どちらが帝国の巨兵騎士と相まみえる事になるのかしら。
ラッシュフォード特尉はあの鞭の巨兵騎士と交戦しているのでしたよね?」
「ああ。
戦場はここ。アシャリハだった」
王国軍が部隊をわざわざ三つに分けたのは、確認された巨兵騎士の姿が見えなくなったからだ。
目に見える大軍を陽動とし、帝国は巨兵騎士を別のルートで南下させると推測したのだ。
「アドバイスが欲しいかい?」
「ううん。いいわ。事前に情報は貰っているから」
カルデナから王国領に侵入する経路はそう多くはない。つまるところ、効率を考えると先の二つに絞られるわけであるが、双方とも空間的制限があり巨兵騎士と対峙するほどの大軍を派遣できず、王国も巨兵騎士を以って備える。
実際の所、王国側の推測は的中していた。帝国軍が王国の哨戒部隊に発見された後、彼らは部隊を三つに分け、南下させていた。
もし、帝国軍部隊の発見が遅れていれば、王国軍は敵の別動隊の存在を感知できなかったかもしれない。そもそも、帝国軍がこの時期に大規模な軍事行動を起こす事すら想定外だったのだ。
王国軍の秘密兵器への対応すらままならない段階での軍事行動。帝国軍上層部もこれ自体には否定的な立場をとっていた。軍部を掌握する第二皇子ルートヴィッヒも例外ではなく、スコット・ヴァイツァー中将よりこの作戦案が出された時は首を横に振った。
ヴァイツァー中将は理知的で冷静と評されていたが、二人の息子をカルデナ、ラーディフで相次いで失うと、その美点は失われ、憎しみと自己嫌悪に飲まれていた。
ルートヴィッヒは彼の自暴自棄に似た感情がこの無謀な作戦に至ったと看破していたのだ。
「殿下。やらせてみてはいかがですか?」
だが、ルートヴィッヒの決断に介入する者がいた。
シータ・スーリヤ。ルートヴィッヒ直下の組織として新たに新設された特別調査隊の長であり、その立場を利用して急速に影響力を持ち始めた若い女。
「君はもっと賢い女だと思っていたのだがな。失望したよ」
「ええ。私は愚かな女でございます。
ですがどうかお話するお時間を頂きたい」
スーリヤが頭を下げ、時間を求めると、ルートヴィッヒは右手を肩まで上げて話す事を許可した。
「ありがたき幸せ。
殿下。我々には二つの対処するべき脅威がございます。
一つ目は言うまでも無く、王国に敗北する事。
そしてもう一つ目は、国内での叛乱です」
「叛乱か。ふふふ。続けろ」
「御意にございます。
巨兵騎士という悪魔を戦場に送るという王国の蛮行によって、我々は多くの尊い命を失いました。彼らは王国への憎しみを糧とし、それが士気へと繋がっている。
ですがもし、彼らの激しき波動を殿下がお止めになったらどうなってしまうか。
これは可能性の一つでありますが――」
「もうよい。君の言いたい事は分かった」
ルートヴィッヒは再度右手を上げ、スーリヤの話を止める。彼女の言いたい事を理解し、その内容の不快さ故にこれ以上言葉で説明される事を拒んだのだ。
発散するのを妨げられた者達の憤りは何処に向かうかといえば、それを妨げた臆病惰弱な帝国政府という事も考えられる。もし、彼らが政府、言い換えれば皇帝一族に刃を向ければ、崩壊は免れても致命は免れない。
「ガス抜きか……
いいだろう。だが、私は無為に戦力を殺ぐつもりはない」
スーリヤの説得により、ルートヴィッヒは渋い顔でヴァイツァー中将の作戦を条件付きで一転許可した。
条件とは巨兵騎士およびスーリヤ旗下の特別調査隊員を作戦に同行させる事の二点。前者の目的は戦力の補充、被害の軽減であり、後者は敗色が濃厚な場合に部隊を扇動し、円滑に撤退を行わせるという密命を受けていた。
「あれが噂の……」
旗艦統率車両から遠方に聳えるスフィンクスを視界に入れると、ヴァイツァー中将は呟いた。
「あれほどのものなら、彼らの魂も救われるだろうか」
帝国の勇者たちに恐れはない。恐怖など王国の巨兵騎士に対峙して以来存在しなくなった。
彼らにとってスフィンクスなど身体が大きいだけの獲物に過ぎず、主からの狩猟許可を涎を垂らして待っていた。
「閣下。伝達兵より分隊の所定ポイント通過の知らせが到着しました」
「そうか。
では始めよう。作戦名:レクイエム。
これは死した同士たちの鎮魂歌だ」
対峙する両軍。42万人の兵士を束ねるヴァイツァー中将は作戦の開始を宣言したが、猛る兵士たちを敢えてここでは動かさない。自分たちは敵の目を向けるための餌であり、別動隊が王国領に突入する事が肝要だったのだ。
その事については王国軍も感知しており、王国軍迎撃部隊全軍を指揮するジム・バルボッサ大将はブリッジ後方に待機させているインフェクテッド―ジョシュア・バレット特尉及びポリネイト―マルスに所定のポイントに配置したインフェクテッドからの報告を随時させていた。
「ポイントα。敵影なし。
ポイントβ。同、敵影確認できず」
借りてきた猫のように静かになったジョシュアに代わり、マルスが“あちら”から得た情報を言葉にすると、参謀席に座るウィル・バレンタイン准将が頷き、バルボッサ大将に伝える。
「接敵は時間の問題だろう。別動隊がいなければ鞭の巨兵騎士がここにいない事に説明がつかない」
山岳地帯及び、マルセル湖北に配備された王国軍部隊の目には、未だに敵の姿は映らない。だが、バルボッサが言う様に確かに敵は彼らの元へと進軍していた。
帝国軍、王国軍が別動隊を気にし、大部隊が集うカルデナ平原では膠着状態が続き、相手の一挙手一投足を逃さない緊迫したにらみ合いが続いたが、二刻と少し過ぎたあたりでついに状況は動く。
「グロックス小隊が前進。突出しています」
戦場に最初に歩を進めたのは王国軍左翼一陣を任されていたグロックス大尉旗下の砲車部隊であった。
レフ・グロックス大尉は士官学校を卒業し、首都防衛部隊に配属されて以降、まともな実戦経験に乏しく、この戦場が事実上初めての実戦であった。
今回彼に王国軍本軍の一陣という大役が与えられたのは、閑職首都防衛部隊の椅子を温めるだけのなまけものと揶揄された彼に箔をつけるための直前の人事であり、帝国別動隊の存在からこの戦場が大きなものとならないというバルボッサの楽観的予測によるものだった。
つまり、グロックスの評価は良くも悪くも凡庸であり、首都防衛部隊に花を持たせるためだけの出陣であったが、その彼が戦場に火を放つ事になってしまった。
「グロックス小隊。引き返せ。陣形を修復せよ」
グロックスの行動は王国軍にとっても予期せぬ事であった。無論、スフィンクスから前身の命令は出ておらず、王国軍陣営は軽い混乱に包まれる。
グロックスの不可解な行動は極めて単純かつ、下らない事であった。
帝国軍砲車が放つ黒煙、遠距離からでも知覚できる殺気、そして大地を揺るがす足踏み。それらは本来穴蔵に引きこもっている兵士たちを恐怖に駆り立てた。そして彼らはそれを敵の攻撃と認識し、前進した。
一部分の行動は波を立て、全体へと広がる。一人の将兵の行動が、左翼から伝播し始め、つられたように他の部隊も前進を開始する。その過程で、スフィンクスから前進を止めるように指令を受けると、それと現実の相違によって混乱はいよいよ大きくなっていく。
「なんだあの無様な陣形は? 王国軍の罠か?」
ヴァイツァー中将は前線から送られてきた敵軍の情報を聞くと、顎に手を当てる。
「はい。罠の可能性はあります。
ですが、閣下。もし罠であったとしても無視するわけには参りませぬ」
不格好と雖も、敵がこちらに向かっている事は事実であり、ヴァイツァーの副官はこちらも反撃する事を提案した。
「うむ。そうだな。
――全軍に伝令。戦いの幕は上がった。突出した敵軍部隊を迎撃しつつ、直線陣形のまま前進。敵が射程に入り次第攻撃を開始せよ」
ヴァイツァーが伝令を発するのに合わせ、帝国軍陣営三か所から信号弾が放たれる。
それは兵士たちの首輪が外される合図であり、狩りの開始であった。
エンジン音は獣の嘶き。
黒煙は滴る唾液。
復讐の獣たちは砲弾の刃を獲物に突き立てる。
群れからはぐれた獲物は爆炎の悲鳴を上げ、有効たる反撃も叶わずに足を止めた。
「酷いものだな。よもやこれほどとは」
左翼から広がる炎を見つめ、バルボッサは唇を咬んだ。
「ええ」
まるで別の生き物のように動く手足に不快感を抱く様に、スフィンクスのブリッジには重い空気が漂う。
切り崩された王国軍部隊は一度の砲撃も無く、敵の勇猛な攻撃と炎、そして脳に響く大きな音に恐れおののき、背を向けると一目散に後退した。
その無様な惨状にバルボッサは頭を抱える。
「惰眠のツケだ。敵は常に刃を研ぎ、我々は一部を除いて睡眠を貪っていた。これはその差だよ。
ふふふ。無論私自身も睡眠を貪っていた一人だ。彼らを過大に評価し、戦場というものを過小に評価していたのだからな」
バルボッサのボヤキのような言葉によってブリッジの空気はさらに重くなる。
「コホン。
伝令。炎上した砲車部隊を盾にし、負傷兵を後退。代わりにスフィンクスから予備部隊を出撃させ、左翼の補強に当たる。
他の部隊は陣形を維持し、敵が射程に入り次第砲撃を開始せよ」
自分の発言をマズイと思ったバルボッサは咳をつくと、表情と姿勢を整えて指示を出した。
「ポイントαより敵軍発見の報告!!
確認できる部隊は砲車120両!! 巨兵騎士は確認できません!!」
バルボッサが指示を下した直後、望んでいたわけではないが、待っていた情報がマルスより報告された。
バルボッサの予測は当たり、帝国軍別同部隊は存在した。だが、彼の表情はどこかうかない。
実のところバルボッサは帝国軍がポイントα-山岳地帯に巨兵騎士を派兵すると考えていた。
鞭の巨兵騎士『スコーピオ』は先回マルセル湖北よりアシャリハに侵攻し、敗退した。それは『スコーピオ』に限らないが、『スコーピオ』の侵攻により、アシャリハの防衛に王国が注力した事を帝国が知らない筈はなく、バルボッサはそこを避け、山岳より巨兵騎士を送り込むものと理解していた。
つまり、彼の予測は半分当たり、半分外れたわけである。
この外れた半分はバルボッサには気がかりな問題で、彼は巨兵騎士が出現すると予測した山岳方面に強力な特務遊撃部隊を配置していた。口にはしていなかったが、彼は特務遊撃部隊を信頼していたのだ。
(120程度の帝国軍相手には過ぎたる役者になってしまったな。
そして恐らく帝国の巨兵騎士は私の予測を外し、湖の方へ向かう……)
「ポイントβより報告。
敵部隊と接触、巨兵騎士の姿も確認。これより戦闘に入る」
バルボッサの想像は後方に置いた少女によって言葉となる。
鞭の巨兵騎士の相手はサラ・ブレス特尉の駆る巨兵騎士『ピスケス』。アレハント平地鉄塔攻略の立役者であるが、対巨兵騎士戦闘の経験は無く、その実力は未知数であった。
「そちらは気にかけても仕方ない。
それよりも……」
バルボッサには先ず対処すべき問題が目前にある。
帝国軍の怒涛の勢いは衰えを知らず、左翼の瓦解はもはや修復する事が困難な状況に達していたのだ。
帝国軍は背を向ける騎兵、歩兵には容赦なく狙撃を行い、只の鉄壁となった砲車には独自に開発した粗末な水袋を投げつける。これはアレハント平地での敗北から学んだ事であるが、同時に帝国が抱える重大な物資、資金不足を映し出していた。
「【カフラー】を準備せよ」
自軍の悲惨な現状にバルボッサは冷酷無比なる兵器の使用を決定する。
【カフラー】はスフィンクスが持つ超弩級砲台の一つで、艦首に存在する。その威力、射程はオルタリアを除くいかなる文明の人知を遥かに凌駕し、敵に与える恐怖は巨兵騎士に匹敵する。
「目標は敵陣中央。敵統率車推定」
バルボッサが的としたのは敵の中央。彼は信号弾が発射された三つの地点の内の一つが敵将が指示を出す旗艦車両だと推定し、その一つに指を指した。
「目標点、左2、距離1088――」
バルボッサの言葉を受け、ブリッジの砲撃手は慣れぬ手つきで機械を動かす。そして格納されていた【カフラー】の砲身がその姿を現した。
「薔薇の紋章…… 噂の薔薇獄か。全く、酷い貧乏くじを引いたものだ」
所変わり、カルデナ平原西部に位置する山岳回廊。かつてはアシャリハとの交易路として整備され、栄えたが、リーディア王国が崩壊し、チュニシアト地方が二大国の係争地となると急激に荒廃し、今や栄華の遺物と剥き出しになった岩肌が痛々しい寂れた道へと変わっていた。
そしてこの日、この地に久方ぶりの客人が現れる。
北には帝国軍の車両部隊。南には王国軍特務遊撃部隊、アシャリハ防衛軍混成部隊及び巨兵騎士『カプリコーン』。
回廊は入り組み、狭い場所と広い場所が不ぞろいに並ぶ戦いにくい場所であり、戦力をいかに配置するかが勝負を分けるカギとなる。
「ツイていない。ガキの使いのつもりで来たが、とんでもない奴が待っていた」
帝国軍部隊の後方でふんぞり返るシータ・スーリヤ特別調査隊長は敵の姿を見るとそう呟いた。
彼女の飼い主である第二皇子ルートヴィッヒはこの作戦を認可する条件として、扇動等の役目を特別調査隊に与えたが、同時にその長である彼女に現地に向かう事も加えられていた。それは彼女を試す意味も含まれている。
「予定通り工作員を送りつつ、私達は安全な北西へと向かう」
スーリヤの指示を受け、特別調査隊は後方へ下る。帝国軍としては彼らを戦力と見做していない為、敵前逃亡と咎める者も無く、スムーズに彼女たちの行動は完遂した。
「この場所は我々に利している。
最初に右方坑道に砲車部隊を侵入させ、我々は敵巨兵騎士を全軍を以って迎え撃つ」
足手まといが消え、帝国軍山岳方面侵攻部隊は勢いを増す。
山岳回廊には砲車二両ほどがやっと入れる程度のくり抜かれた穴がいくつか存在する。かつては簡易な市場や宿が交通の妨げにならないようにその中に収められていたが、今は獣の住処となり果てていた。その中には坑道のように出入り口があるものも存在し、帝国軍部隊の右に聳える崖にはその一つが存在していた。
帝国軍はそれに目を付け、部隊の一部を侵入させると、巨兵騎士の背後に回り込み後方部隊を強襲、巨兵騎士の操り手の乗る車両を破壊するという絵を描いていた。
それを可能とするは、帝国が入手した忘れられし交易路の緻密な情報。掘られた横穴は一見では判別が難しく、その情報を持っている帝国はこの地の戦闘に於いて優位に立っていた。実際、その“全て”を知るのは今現在彼らを置いて他にはいなかった。
「射程に入り次第砲撃開始。奴を引きつけつつ攻撃するのだ」
帝国軍分隊指令のその言葉の後、数分程を待ってついに戦場に火が放たれる。
帝国軍より放たれた十数個の砲弾は、巨兵騎士『カプリコーン』の俊敏極まる動きによって切り払われ、盾によって防がれ、王国軍には一切のダメージを与える事かなわない。
「流石は薔薇の巨兵騎士か。
だが、所詮薔薇獄など巨兵騎士頼みの雑兵。戦いの真髄は禁忌ではなく人間である事を知るといい」
全ての攻撃を防がれながらも、帝国軍は衰えを知らず、後退しながらも絶え間なく攻撃を繰り返す。
その全ての攻撃を恐ろしい技能で全て払い、カプリコーンは後方にそれがいく事を許さず、牛歩で前進する。
「頃合いか。
そちらはどうだ?」
「――こちら先行部隊。チェックポイントを通過。これより作戦行動に入ります」
先行部隊が巨兵騎士後方に回り込んだことを知ると、別同部隊隊長の口角が上がる。
後方に出現した砲車による奇襲攻撃、そして巨兵騎士の反転を許さぬ砲車部隊の苛烈な三段撃ち。王国の巨兵騎士の盾は破られ、薔薇がこの地に散るのは確実となる。
「ふふふ。先行部隊突撃開始。禁忌の裏に隠れる臆病者どもに天罰の雷を――」
意気揚々と隊長は攻撃命令を下したが、その直後、巨兵騎士の後方山沿いに赤黒い炎が出現した。そこは表見的には自然に空いた洞穴の様であったが間違いなく帝国軍が利用している横穴の出口であり、彼の周囲に緊張が走った。
「砲撃のタイミングが早い…… 出口付近に敵が接近していたのか?」
自分たちが放つ砲撃の奥に見える一筋の煙を眺め、隊長が呟くと、先行部隊と繋いだ有線通信からノイズと共に人の声が聞こえてきた。
「――ジジ…… こちらジャック・ジスト軍曹…… ジジ――ルベール少尉はて――を受けて、名誉ある――死をなさいま―― 指揮は、私に移譲――命令を求――」
切れ切れの通信の中、炎の音と痛ましい人の叫びをバックにジスト軍曹は必至に冷静を保ちつつ言葉を繋げていた。それは先の爆炎が帝国軍のものでは無く、王国軍によってなされていた事を示していた。
「本当に出てくるとは。驚きましたね」
異国生まれ異国育ちの部隊長は洞窟内で炎上する敵砲車を見てそう呟いた。
傍から見れば底の浅い洞窟にしか見えない穴から敵が現れた事に素直に感心していたのだ。
実際、入口と出口が繋がっている横穴は珍しく、百近くあるそれの内繋がっているのはここを含め三か所しかない。それ故に彼女の反応はさして不思議ではない。
ではなぜ敵奇襲部隊の頭を叩く事が出来たかと言うと、ここで合流した友軍の提案によるものであった。
約一時間前――
「こちらアシャリハ防衛軍部隊を率いるアレン・グレイル少佐であります」
特務遊撃部隊は禁忌を扱い、構成員も異国民や正規軍のドロップアウトと見做され、正規軍からは余りよく見られていなかった。
それ故に正規軍部隊の隊長が単身でわざわざ彼らの元に訪れ、敬礼を以って挨拶をするなど極めて珍しい事であり、旗艦車両に集う特務遊撃部隊の者どもは一時思考を停止させた。
「アレン・グレイル少佐…… 確かアシャリハで……」
特務遊撃部隊監督官ヒュートン・ガレッジに呼ばれ、ここに来ていた禁忌、イグニス・ラッシュフォード特尉が少し挨拶に現れた若い将校の顔を見て、そう言葉を漏らす。
「はい特尉殿。アシャリハ防衛の際助けて頂いた者です! 覚えて頂き光栄の至り」
アレン・グレイル。アシャリハ防衛の際に薔薇獄部隊に要請を求めた将校。当時はアシャリハ防衛軍部隊の形だけの指令補佐であったが、今は紆余曲折を経て、基地司令ドワイト・ハーマン中将の下、防衛部隊隊長の地位に就いていた。
「いえ、私如きにそのような言葉……」
「感謝の気持ちは素直にとっておくものですよ特尉。それとも私が申しあげた事に間違いがありましたか? 貴方の行動に悪意があったのですか?」
「いいえ。そのような……」
グレイルの言葉にイグニスはたじろぎ、それ以上の言葉が出ない。
「コホン、話はもういいかな?
では改めて。私は特務遊撃部隊監督官ヒュートン・ガレッジ大佐だ。貴公と共に戦えることを光栄に思う」
イグニスが作った沈黙を咳をついてガレッジは破ると、グレイルに敬礼し歯切れよくそう述べた。
「轡を並べられる日がこんなにも早く来るとは」
グレイルも敬礼して返し、ここに共にいる事の嬉しさを言葉にした。そしてその後、体の向きを変え、リナ・バランシュ大尉にも軽い挨拶をすると再度ガレッジに身体を向ける。
「それで閣下。
私より一つお話があるのですが」
挨拶は終了という面持ちでグレイルは胸ポケットから折り畳まれた紙一枚を取り出し、ガレッジに手渡した。
「――これは?」
紙を広げ、それを一瞥した後、ガレッジはグレイルに問う。
「山岳回廊の地図です。簡易なものですが」
「それは承知している。聞きたいのはここに記された記号の意味だ」
紙には即席の地図が記され、いくつかの地点に色付けされた点や線が加えられていた。その点の一つを指差し、ガレッジは再度グレイルに問う。
「それは商用洞窟があった――と思われる場所です」
「“思われる”と言うと、確かではないという事か」
「恥ずかしながらその通りです。
商用洞窟は商人個人によって作られたものが多く、彼らはリーディア王国崩壊時にアシャリハの商人組合を嫌って帝国に亡命。無数に存在する商用洞窟の情報は我々にはなく、我が軍は…… いや、防衛部隊は山岳出口の防衛のみに専念しておりました」
「――そうか。
それで。少佐のお考えとは?」
王国軍の怠慢と言えば簡単であるが、以前この地はアシャリハ商業組合の私兵たる防衛軍のテリトリーであり、街との関係を重んじた王国軍が手を出す事が出来なかったのは仕方のない事だった。
ガレッジはそれを汲み取り、グレイルにその事を口にすることなく話を続けさせた。
「はい閣下。申し上げます。
この地図に示されたものは申し上げたように商業洞窟の場所。そしてその色は存在の可能性の程度を表しています」
「可能性の程度というと?」
「はい。簡潔に言えば存在する可能性です。
私はここに来るまでに我が部隊の者達からこの地の情報を集めました。ですが、商業組合関係者も含む我が軍においても、確かな情報というには些か届かず。可能性を示す程度が限界で――」
王国編入前より、王国側における山岳回廊での交渉権はほぼアシャリハ商業組合が独占し、それは彼らの権力ソースとなっていた。それ故に山岳回廊の情報は秘匿され、知る者は少なく、加えて先の帝国軍の蹂躙によって資料の多くも焼失していた。
「青は信頼度が低く、赤は高い。黄はその中間。
まぁ、信頼度が高いと言っても、我が部隊の中において“それ”を覚えている、ないし知っている人間が他より多かったに過ぎませんが」
「地図の意味は分かった。
それで、この地図を少佐はどのように使うのか?」
「私は敵を待伏せしようと考えております」
グレイルはそう言うと回廊南部にある赤い蛇行した線を指差した。
「ここにはかつて二か所に出入り口を持つ坑道がございました。もし私が帝国軍の将校なら利用を考えるかもしれません」
グレイルはそれ以上口にしなかった。ただ、回答を求めるようにガレッジの顔を鋭く見つめた。
「大将閣下は我々に細かな指示はお出しにならなかった。それに我々はこの地には疎い。その案にのってみるのも悪くは無いか」
仮に帝国軍が思うように動かなくとも王国領内への侵入阻止に大きな問題にはならず、もし彼らが動けば優勢が固定される。ガレッジはそう考え、グレイルの案に乗る事を決定した。
「先行部隊。後退せよ……」
そしてグレイルの予想は的中した――
王国軍部隊が帝国軍にとって都合の良い配置をしていたのは彼らを誘い出す為であり、「この地の全てを知っている」という帝国軍部隊隊長の自信は部隊を近視眼にしていた。
「ぎゃあぁぁぁああ!!」
隊長は撤退を命じたが、それは容易なものではない。坑道出口は王国軍のクロスファイアーポイントとなり、部隊の先頭はその全てを浴びる。そして、後方に下がろうにも坑道の狭さによって円滑にはいかず、混乱は止まる事を知らない。
度重なる攻撃によってついには坑道出口は崩れ落ち、坑道内部の生存者は充満する煙と二酸化炭素に苦しみ、もはや考える事も困難になると、視界不良の中昏睡し、地に倒れる。坑道は地獄絵図と化していた。
「こうなると思っていたよ。
あの部隊の隊長は浅はかが服を着ている様な男だったからな」
帝国軍部隊の作戦が失敗したとの報告を受け、安全圏に逃げていたスーリヤは嘲わらうとそう口にした。
「隊長…… それ以上は……」
「ふぅん? 私が何か間違っていると?
奴の立てた作戦は諸刃の剣だった。失敗すれば自軍をより苦しめる。
この体たらくを見ると奴の作戦はこれ一本で、相当に自信があったのだろうな。これを浅はかと言わず何と言う?」
「…………」
「まぁ、君の言いたい事も分かる。彼は別に見方を殺す為にこの様な事をしたわけではないからな。
だが結果は結果だ。我々の行動を次のフェイズに移す」
スーリヤは立ち上がると侍らせた部下たちに右手の親指と人差し指を立てて見せた。
「……ですが隊長。我が軍はまだ――」
「いや。駄目だね。これは駄目だ。
今は何とかもっているように見えるが、三段撃ちによる牽制には限りがある。突破されれば後は薔薇の騎士様の虐殺ショーの始まりだ。
それより牽制が機能している内に撤退を開始し、消耗を無くす方が賢明だろう。
あぁ、そうだ。我々は敗北する。最低でもこの戦場ではその未来は変わらんだろうな」
不気味な笑顔に汗を浮かべてスーリヤは圧のこもった語勢で部下に言葉をぶつけた。
そしてその直後、地面が激しく揺れ、轟音と共に山の向こうから閃光が降り注いだ。
「…………」
天変地異のような光景に山岳地帯で交わる両軍は時が止まったかのように空を見上げ、竜巻のような炎とそれに続く黒煙を目に焼き付けていた。
「スフィンクスの炎……」
薔薇の戦士たちは“それ”を知っている。敵を焼き尽くす滅塵の炎。オルタリアが産み落とした破壊の雷。
「敵集団後退を開始しました」
空を覆う黒煙によって大地が暗闇に包まれると同時に帝国軍部隊は戦場を放棄し、砲撃を散発的に行いながら後退を始めていた。
「追いますか?」
前線で指揮を執るリナ・バランシュ大尉は旗艦車に搭乗するガレッジ、及びグレイルに追撃の許可を求めた。
「……深追いはせず、距離を維持しつつ追撃せよ」
帝国軍の動きは頭がすり替わったかのように、先程のものとは別物であり、前者を苛烈と例えるなら後者はしなやか。砲撃の数は少ないが、無駄がなく、砲車の機動力をうまく利用し立ち回る。
先は攻め、今は受けであり、無論違うのは当たり前ではあるが、ガレッジは彼らのギアチェンジに薄気味悪さを感じていた。だが、これを放置する訳にもいかず、部隊に追撃を命ず決断をした。
真昼の暗闇の中、王国の追撃が開始される。
そして、一方、対極にあるマルセル湖北では二体の巨兵騎士が衝突していた。




