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戦場のアウラウネ  作者: 耕眞智裕
第三章 真敵
43/50

Ⅹ 支配者の都 Ⅱ

 西暦1945年3月。アルペンドナウの歴史ある都市ウィーンに、共産主義の蛮族共が蹂躙の波となって迫っていたこの時。技師として己が能力を存分に振るい、勝利を確信していた私はありのままの現実に絶望していた。

 1914年に勃発した世界大戦。正義は我々の方にあった。それなのに…… 愛するオーストリアの主君が小汚いテロリスト共に命を奪われたというのに、何故“我々が悪人となっている”のか。そして今度も我々は屈辱的な敗北を迎えようとしている。


(国際社会は今度も我らの尊厳を踏みにじるだろう)


 教会の鐘の音を聞きながら私は絶望的な未来に憤った。そして神無き世界を恨んだ。

 そして四月。東の超大国ソビエト連邦は我が国の国土に侵入。南よりウィーンに迫る。


 ――その時だった。

 私の視界は突然色を失ったかのように純白に染められた。

 最初はソ連軍の新兵器かと思った。そしてこれが死なのだとも。

 だが私が視界を取り戻した時、そこにあったのはダンテの神曲で描かれたような世界ではなく、少し懐かしいヨーロッパの街並みであった。

 

(私は先ほどまでウィーンの工場から南を望んでいた。ここは何処だ。何故私はここに立っている)


 胡蝶の夢。私はウィーンにいた自分こそが夢であり、こちらこそ現実なのだと錯覚した。それ程に五感がこの地をリアルだと強く告げていたのだ。

 だが雑踏の賑わい中、人々が話す声が“声”として認識されると、やはりここは私の知らぬ“何処か”であると嫌でも理解した。

 聞いたことがあるような言葉があるようで、やはり分からぬ言葉。それが耳に入ると、精神がおかしくなり、吐きそうになった。


「大丈夫かい?」


 私のその様子を見て青年が話しかけてきたが、私には何を言っているのか分からない。私に出来る事はただ、彼の目を見た後に首を横に振る事。どうせ母国語で話しても理解されない。


 文字通り路頭に迷い。水を求める貧者の様に私はこの地を彷徨った。手掛かりとなる『何か』を求めて視線を街並みに這わせるが、答えは出ない。

 そんな時、一人の女が私の前に現れ、水筒の蓋を開けて私に差し出した。「これが施しだというのは言葉が分からなくても伝わる」私はそう思ったが、実のところ彼女はある人物から送られた私の迎えであった。

 女は言葉が通じないのを何故か知っており、手振りで私についてくるよう誘う。迷子の私は垂らされたアリアドネの糸のような彼女の手引きに従うしかなく、水筒の中身を遠慮なく一気に飲み干すと、彼女について行った。


 女の名はレティシア・ガレル。大国レグランド帝国の軍人であり、帝国の第一皇子クローヴィスの腹心の部下であった。無論この時の私にそれを知る由は無い。


 ガレルに従い、船に乗ると私の身体は南へと運ばれる。

 数日に渡る船旅。その間、ガレルは私を丁重に扱い、いくつかの本を私に手渡した。


「これは……」


 それは教科書らしきもの。その中には簡易なイラストと共に見た事もない文字が記されていた。

 だが、ガレルがイラストの一つを指差して発音して見せると、私の耳に慣れた言葉が入ってきた。これは母国語であるドイツ語ではない。しかし、学生の頃に学んだ言葉だ。ヨーロッパの島国大英帝国の公用語である英語――彼女が発した発音は限りなくそれに近かった。

 また、次に彼女が口にした発音は私をより安心させた。なぜならそれは紛れもなくドイツ語の発音だったからだ。その時私はその言葉を連呼し、思わず涙した。

 その後もいくつかのイラストについてガレルは発音したが、全てが理解できたわけではない。ただ、私が“この世界とあの世界に何らかの関係性”が存在すると確信する理由にはなった。また、この事が知的好奇心を燃え上がる原点となったのだった。

 そして私は流されるままに第一皇子クローヴィスに謁見する事になり、知らぬ間に召し抱えられると、貴族の地位まで与えられた。

 

――これが私の秘密。

 過去のない男と呼ばれる所以だ。

 そもそも私の過去はここにはないのである。


 ところがこの日。私の過去の扉を叩く者が現れた。リナリー・オキタなる初対面の女だ。


―― “地球”よりはるばるようこそお越しいただきました――


 たったこれだけの言葉だが、それは私の中枢を揺らすモノ……

 数学者が難解な数式の糸口を思いもしないところから見つけた様な動揺が私を襲ったのだ。


「な、何故それを……」


 冷静になどなっていられない。動揺を隠しているほど余裕は無い。ヴォイニッチは漏らす様にそう口にした。


「…………」


 目の前にいる二人の女性はヴォイニッチの言葉にしばし沈黙する。


「これは極めて重大な秘匿です。それはもう世界を動かすような……」


 フローリアがヴォイニッチの瞳に鋭い視線を突き刺し、口を開いた。


「他言無用。いえ、もし外に漏れるようなことがあれば、クレスト教は非情な手段でそれを正す事になります。

 ヴォイニッチ殿。あなたには覚悟がありますか? 秘匿を心に留め、死するまで筆や口で外に出さない覚悟が」


 その時、ヴォイニッチは恐怖に震えた。先ほどまであどけない少女のような振る舞いを見せていたフローリアは強権的な聖女の姿となっていた。


「ええ。誓いましょう。私はここで見聞きした事を主と雖も口にはせず、腕をへし折る覚悟で文には致しません」


 引き下がる事は出来ない。もしこの千載一遇のチャンスを見逃したら、この先死ぬまで真理にはたどり着けない気がしたのだ。


「ふふっ。

 ではこちらにどうぞ」


 フローリアはヴォイニッチの熱のこもった誓いに満足し、彼を本棚に隠された扉へと案内する。

 扉は重苦しい音を立てながら開き、地下へとつながる階段が姿を現す。匂いは無い。風も無く仄暗い地下はヴォイニッチの心をざわめかせた。


「行きましょう。足元にはご注意くださいね」


 フローリアが先行し、薄暗く灯った灯りに照らされた足場を一歩一歩踏み進む。その一歩ごとに空気が重くなり、ヴォイニッチは酷い肩こりのような痛みを感じていた。


「ふぅ……」


 そして数分程降ると息苦しい階段は終わり、広く明るい通路に入る。その一本道の奥にはエレベーターらしきものが見え、隣には起動するための厳重なセキュリティボードが設置されていた。

 クレストの宝たる知識の宝庫を超えた先にあるモノが一体何なのか。ヴォイニッチは期待と緊張に身体を揺らしながらフローリアがセキュリティボードを操作するのを眺めた。

 そしてエレベーターに二人が乗り込むと、無言のまま地下へと進む。どれほどの速度で降っているのか、無機質な密閉空間の中では分からない。


「ヴォイニッチ殿。貴方の故郷はどんな所ですか?」


 沈黙に耐えられなかったのか、意外にも先に口を開いたのはフローリアであった。


「私の故郷。ウィーンは美しい街でした。歴史と伝統、そして音楽の街でした」


「そうですか。やはり帰りたい……と思うのでしょうか?」


「……どうでしょう。私は故郷を愛しています。ですが……」


 ヴォイニッチの脳裏に祖国の懐かしい風景がフラッシュバックする。そしてその最後は東から迫る鋼鉄の戦車と赤き炎に優しい風景が蹂躙されて終わる。もし、彼が帰郷を果たせばそれは逃れられない現実として経験する事になる。


「着きましたね」


 エレベーターが目的階に到着するまで、フローリアはヴォイニッチの心情を察し、彼の故郷に関してそれ以上何も言わなかった。

 そして地上の豪華さとはうってかわって、殺風景で薄汚れた通路を二人は進み、突き当りのシンプルな扉の前で足を止めた。


「ここはオルタリア。そしてクレストにとって最も神聖な地」


 飾りのない扉に手を滑らせ、金属のノブに手を当てるとフローリアは呟いた。

 

(この場所が世界宗教の聖地だと? この場所に何のオーラも感じない。ここはまるで……

 ――何かの研究施設みたいではないか――)


 通路脇にある窓ガラスを失った隣室に見える、錆び、壊れた『計器の様なもの』『寝台』『散らばった注射器や刃物』それらがそのままにされている様にヴォイニッチは身震いしつつ、フローリアが聖地とやらの扉を開くのを待った。


“キィー……”


 耳障りな音と共に鍵のない扉は開く。そして香るのは青臭い匂い。聞こえるのは小川のせせらぎのような水の流れる音。


「これは……」


 扉の先でヴォイニッチが見たのは地上の如き自然。緑の木々が茂り、人工的に作られた川に沿って色とりどりの花が咲き乱れる。


「ここは神の降り立った地。プロメテウスの始まり。そして文明の始まりの場所なのです」


「文明ですって?」


「そうです。歴史と言い換えてもいいでしょう。この地より人々は文字を使い。火を見出し、自然を支配する力を得た」


 フローリアの言葉にヴォイニッチは混乱する。彼女はここを文明の出発地とするが、ここにそれを匂わせる遺跡然としたものは無い。加えて、何故彼らはこの地を秘匿するのか全く理解できない。


「ああ、そうでした。ヴォイニッチ殿がされた質問の答え――

 あちらをご覧ください」


 ヴォイニッチの質問。ここに二人が来た理由。それは「フローリアとオキタが何故ヴォイニッチの故郷の名を口にしたか」だ。誰も知るはずがない“地球”という名を。


「あれは……」


 彼女が指す先。そこには赤い花を咲かせた巨木―― いや違う。あれは巨木ではない。

 ヴォイニッチはそれが何か分かると、驚愕する。それはクレスト教の中枢であるここにあるはずの無いもの。禁忌とされた植物の巨人だったのだから。


彼岸花ヒガンバナの巨兵騎士『レオ』――巨兵騎士の王にして、あちらとこちらを見つめる者」


 佇む巨体に向けて歩みを始めながらフローリアは語り始めた。


「先生が仰っていました。彼岸とは輪廻転生を解脱した理想の境地であると。『レオ』は彼岸からの来訪者を観察しているのです。そしてそれを記録する。“今から二年と数か月前にアルフレート・ヴォイニッチがこの地に舞い降りた“とね」


「……おかしい。何故あなた方はその彼岸が地球だと分かったのですか?」


 リナリーは明確にヴォイニッチの故郷を地球だと言い当てた。最低でもその惑星ほしを知らなくてはその言葉は出ない。

 ヴォイニッチはこの地を自分の世界の延長線上。つまり地球そのものであると推測していた。だが、彼らの言い方は地球とこの星に明らかな隔絶がある事を匂わせた。


「来訪者は貴方だけではないのです。『レオ』の観測では既に18人の来訪者が記録されています。

 そしてその誰もが自分の故郷について“地球”という言葉を残されているのです」


 巨木の様に佇む巨人にフローリアは穢れを恐れず、躊躇なく触れる。

聖女が穢れに触れるなどという光景。その異様な姿はまさに禁忌そのものだ。


「ふふふ。これこそ私がヴォイニッチ殿の事を知っていた理由です。ここだけの話、私は貴方の事をずっと追っていたのですよ」


フローリアは年頃の少女のような笑顔を見せてそう言ったが、ヴォイニッチにとって、巨大勢力にストーキングされていたという事実は末恐ろしい。


「だからこのように直接お会いでいるのに感激しているのです」

 

 “自分は特別”


 ヴォイニッチは他者の知らぬ知識を用いて帝国の軍事技術に貢献してきた。だが、その内でそのように思ったことは無く、フローリアの言葉によって今初めてそう自覚した。

 ヴォイニッチの地球の技師としての知識は確かに既存の軍事設備の改良と用途の限られる特殊兵器の開発をもたらした。だが、不思議な事にそれが民間技術に転用、影響することは無く、この程度に収まったという事には彼のこの世界に対する知識不足が影響していた。例えば、彼はこの世界の燃料や鋼鉄の特性を知らず、民間での風俗や歴史の認識も乏しい。

それらが結局のところ戦時下という状況も相まって、兵器技師としてのヴォイニッチの本質は変わらず、自分の特別さというものを薄めていたのである。


「……一つ確認させていただきたい」


「ええ。どうぞ」


「地球とこの世界。その関係性について教会は把握しているのでしょうか?」


 ヴォイニッチそう問うたのは自分の推測の正否もあるが、“特別な自分”のこの世界における立ち位置が知りたいというのもあった。


「一言で申し上げますと、“地球とは彼岸。こことは違う平行線上の異世界”それが教会の考えです。故に、関連性などは無く似て非なるモノ

 ――ですが、来訪者の方の中に興味深い考察をされていた方がおります」


 フローリアの言葉にヴォイニッチはにやけた。


「その件については私より語るに適した方がおりますのですが、お会いになりますか?」


 彼女の提案を断る理由はない。ヴォイニッチは直ぐに首を縦に振り、「お願いします」と伝えた。

 そしてヴォイニッチは後ろ髪が引かれながらも、フローリアと共に聖地を後にする。


「巨兵騎士…… あれは動くのですよね?」


「ええ。今も動いています」


「という事は血の契約……でしたか」


 静かに昇るエレベーターの中、ヴォイニッチは聖地に佇む巨兵騎士について口にした。

 

(クレストの聖地に禁忌とされる巨人が保管されているという事は、それを起動させた者がいるという事。そしてその人物は高貴な血を持っている。加えて、それなら彼らが禁忌と侮蔑するインフェクテッドとポリネイトもどこかにいるはずだ)


 ヴォイニッチはスカーレットから聞いた巨兵騎士の話を思い出していた。国家が巨兵騎士という強大な力を独占できているのは君主に高貴な血が流れており、それが巨兵騎士の起動停止を司っている。

巨兵騎士を有するオルタリアもその例に漏れないが、誰が血の提供者であり、そして誰が不名誉な立場を引き受けたのか。ヴォイニッチは何となく気になった。


「血の契約は総大司教猊下によってなされました。ディクタトルの血筋もまた、諸国の君主と同様に高貴なものなのです」


 フローリアは口を閉ざすか、はぐらかすとヴォイニッチは思っていたが、彼女はすんなりとこの疑問の一翼に答えを示した。そして残りの一翼に対しても、彼の心を読んだかの様に語り始めた。


「ふふふ。その様な事をお聞きするという事は、ヴォイニッチ殿は我が国の禁忌に対する扱いにもご関心があるようですね。

 結論から申し上げますと、『レオ』のインフェクテッド、及びポリネイトはクレスト教が責任を持って保護しております」


「……納得しかねます。

 よそ者がこの様な事を申し上げるのは不躾ですが、申し上げます。

歴史上、巨兵騎士は度々戦乱の道具となり、憎悪される対象となった。そしてそれはその操り手も例外ではない。これはクレスト教が大手を振って広めてきた事です。それなのに国内では責任を持って保護などと……」


 クレスト教は禁忌迫害の当事者である。にもかかわらずその様な態度をとる事にヴォイニッチは疑問を持った。

 

「全ては神が与えたもの。巨兵騎士もポリネイトたちも例外ではなく、等しく尊重されるべきです。

 ただ、それを伴った諍いは慎むべき禁忌というだけです」


 酷い詭弁だ。クレスト教の教義には確かに過去の争いから巨兵騎士を禁忌とする記述が存在するが、多くの司祭や宣教師が行ってきたのは非戦時下における迫害の流布と肯定であった。それは帝国内に蔓延する彼らの書物から知る事が出来る。更に度し難いのは諍いを禁忌と言っておきながら、自分たちは今の戦争を止めようとはせず、漁夫の利を得ている事だ。王国が巨兵騎士を戦争に導入した際も彼らは傍観者であった。しかも巨兵騎士の一体をあのように隠し持っている。


「そうですか。おかしなことを言って申し訳ありません」


 だが、ヴォイニッチは敢えて食い下がらない。相手がクレスト教の責任ある立場である以上、教会の名前に泥を塗ったり、教えに矛盾したりするような見解は得られず、平行線になる事は明らかだからだ。


 そして、丁度会話を切るように、二人は大書庫へと戻って来る。


「お帰りなさいませ」


 この場所に留まっていたリナリーは地下世界から帰還した二人に深く頭を下げて出迎えた。


「先生。ヴォイニッチ殿が聞きたい事があるそうです。どうかお話を聞いてあげて下さい」


 フローリアが少女のような態度に戻ると、リナリーを下から見上げてそう言った。

 最初ヴォイニッチはその言葉の意味が分からず、当惑したが、すぐに分かった。つまり、この女性リナリー・オキタが“語るに適した方”なのである。


「……ヴォイニッチ殿。何なりとお聞きください。お答えできる事はお答えします。来訪者の末裔として――」


 何故リナリーが“語るに適した方”なのか、その答えは本人の口から告げられた。彼女にはヴォイニッチと同じ惑星の血が流れていたのである。


「……オキタ殿。地球とこの世界、その関係についてお伺いしたい」


「承知しました。どうぞこちらへ」


 ヴォイニッチの質問が最初から分かっていたかのようにリナリーは即答すると、彼を無限と思える本棚の並びの一角へと案内した。

 歴史、宗教、哲学、法律。一つの本棚に収められている書籍に一貫性は無く、ただ無造作に並べられているそれらの内の一冊をリナリーは手に取り、ページを捲る。本には題名は無い。ただ作者の名前“キョウジ・オキタ”とだけ背表紙に刻まれていた。


「私の祖父が残した本です。彼は故郷への帰還を夢見ながら調査研究を続けていましたが、ついにそれは叶いませんでした」


「という事は、貴方のおじいさまが――」


「はい。地球からの来訪者です。ニホンという国から来たと言っておりました」


(ニホン…… 確か極東アジアの新興国で我が国と同盟関係にあった国)


 “ニホン”という国名にヴォイニッチは覚えがあった。そしてその言葉は紛れもなく彼女の祖父と自分が同じ世界の人間であるという事を証明した。


「どうぞ。ここに祖父の考察が述べられています」


 リナリーは分厚い本の中心辺りに指を挟み、そう言ってヴォイニッチに渡した。


(……地球とアントパルの関係性について――)


 大陸の公用語マグレブト語ではなく、久しく見る事のなかった英語で書かれた文字をヴォイニッチは心の中で噛みしめるように読んだ。


(『アントパル』それは既に忘れられたこの星の古き名。そして不思議な事にこの見知らぬ星は私の故郷『地球』と酷く似ていた。

 大陸はまさに地球のヨーロッパと酷似し、その生活様式にも類似点がみられる)


 本を読みあげていくうち、ヴォイニッチはもう一人の自分と対話しているように錯覚する。本を書いた主は自分と同じことを感じていたのだ。


(その不思議な類似に興味を抱かぬはずはなく、私は教会の手を借りて調査を開始した。教会は私が国外に出る事を許さなかったが、膨大の資料と環境を与えてくれた。

 他国での調査が許されぬ以上、この資料の山とプロテウス市民に受け継げられている伝説のみが調査の対象であるが、この狭き情報元は私に満足にたるものであった。

 異邦人である私が異国の資料を読み漁る程度に語学力を獲得するのに時間は掛からなかった。というのは、この地で使われているマグレブト語なる言語は、文字に関しては理解の及ばぬ未知のものであったが、発音や文法については『地球』で用いられた言語と共通点が多かった為である。

 『英語』『ドイツ語』『フランス語』『スペイン語』『ロシア語』『ヒンドゥー後』『アラビア語』に『中国語』、そして『日本語』。私が知る限り、少なくとも九種の言語の潮流がマグレブト語には存在している。

 この言語の奇妙な親近感も、最初に挙げた地理的類似点と合わせ、私を一つの仮説に導く。

 即ち、アントパルとは地球の未来の姿という仮説だ)


 言うまでも無く、ヴォイニッチも同じことを考えていた。

 それ故に、感動に震えても、驚きや衝撃は無かった。


(だが、そう思うと一つ恐ろしく思う事がある。

 私達、地球の民の歴史が何処で、何故、隔絶されたかだ。

 資料をいくら漁ってもこの世界にあるのは地球文明の残り香のみ。北欧、アジア、アフリカ南部に該当する地域は人を寄せ付けぬ砂塵に阻まれ、資料すら存在しない。

不気味なものだ。南大陸を支配する二つの大国。それらが位置するのは我らが知る北部アフリカ。つまり、世界最大の砂漠であるサハラが広がる土地だ。そして“そこ”には乾燥帯ではなく、あたかも温暖湿潤帯の如き風景が広がり、赤道直下の熱帯であるべき場所には不毛の砂漠が広がっている。あべこべだ。

 きっと何かあったのだ。文明を破壊し、環境が一変するほどの何かが。そう考える他ない。

この世界の歴史は神話だ。それは地球の諸文明も同様であるが、この世界の神話は我々に答えの糸筋を見せてくれている。

クレスト教の古文書「創世記」によると、その者達は天空より現れ、人々に農業を教え、火を教え、そして神として崇められたとされる。

 “古代宇宙飛行士説”地球ではそう呼ばれた学説は鼻つまみものにされがちであるが、資料は何者かの飛来を示す表現がこの「創世記」のようにいくつも見られる。

 結論から言うと、この星の歴史は飛来者によって終焉を迎え、飛来者によって改めて始まった。――と思うのだ。まさにフランスの医師、ノストラダムスが示した恐怖の大王の降臨のように)


 話はヴォイニッチが思っていた所から斜め上へと進み始めた。

 その内容に彼は眉をひそめたが、好奇心が手伝い、本は閉じられることなくページは更に進む。


(ここに暮らす者達の多くは紛れもなく、我々と同じ人だ。クレストの総大主教、各国の君主、そして庶民に至るまでそうであろう。

 だが、一部我々とは違うものがある。唯一人類の普遍的願望を体現した異質の存在。超自然の力を持った巨人を操る不老不死の少女達。

 そして“少女達”以外にもう一人、不老不死の存在がある。それは―――)


 英語で書かれた文章はここで終わっていた。

 その後、白紙のページがいくつか続き、何もなかったかのようにマグレブト語で農業に関する記述が始まる。


「どうでしたか?」


「……オキタ殿。貴方はこの文字が」


「いえ、全く分かりません。祖父は私にここの人間として暮らすよう願ったもので」


「そうですか……」


 仮に読めたとしても、彼らにはこの全ては理解できない。ここに記されていたのはいつか現れる来訪者へのメッセージなのだから。


「別の本を読ませて頂いてもよろしいでしょうか? 例えば巨兵騎士の本など」


「ええ、勿論です。こちらですどうぞ」


 キョウジ・オキタの仮説はヴォイニッチが思っていたものより遥かに先に進んでいた。いや、暴走していたのかもしれない。

 ただ、彼の言葉はヴォイニッチに“調べるべきもの”を与えた。


(気候だけではない。鉱物もそうだ。ランページ鉱などという正体不明の物質が、文明の進歩を阻害している

 そして動物もそうか)


 オキタは隔絶の真相に至る事は出来なかった。それ故の使命感なのだろうか、ヴォイニッチは真相へのアプローチに燃えていた。

 彼の立場は、教会の枷に繋がれてないという点ではオキタより恵まれており、また、オキタが書ききるに至らなかった者にも心当たりがあったのだ。




 ―――ヴォイニッチには三日間の時間が与えられた。

 食事は上級司祭によって書庫に持ち込まれ、オキタ女史の監視と助力の下、ヴォイニッチは寝る間も惜しんで貪るように本を漁る。

 オキタが解を得られなかった以上、ここの全てを以てしても、答えは出ない。だが、ヴォイニッチには知識があまりにも不足していた。

 例えば、黄道十二星座の名を冠した十二体の巨人。

 彼らは禁忌とされるほどの力を持ち、“ポリネイト”と呼ばれる少女と共に契約した者の前に現れる。それは大陸中で知られた一般常識だ。

 ただ、それについての細かな知識に関しては少数の者だけで独占されている。

 そして私も知らなかった12の騎士のデータがここにはある。

『蒲公英の騎士アリエス』『斧折樺の騎士タウラス』『白檀の騎士ジェミニ』『海菖蒲の騎士キャンサー』『彼岸花の騎士レオ』『大島桜の騎士ヴァルゴ』『宿木の騎士ライブラ』『苧環の騎士スコーピオ』『仙人掌の騎士サジタリアス』『白薔薇の騎士カプリコーン』『靭葛の騎士アクエリアス』『白粉花の騎士ピスケス』

各国の軍事関係者が喉から手が出るほど欲する情報だ。実際、ヴォイニッチも涎が垂れるのを抑える事が出来ない思いだった。

だが、いくら調べても“それらが何か”という具体的な情報は存在しない。ヴォイニッチが巨兵騎士に関する情報をいの一番で漁ったのは、巨兵騎士の一体である『レオ』が“地球から人間を招く”という自分とは無関係ならざる能力を持っていた事によるのだが、その力の理由は勿論、彼らが如何にして作られたのかも神話や形而上学的タームで誤魔化されていた。


「……ヴォイニッチ殿。少しよろしいでしょうか?」


 調べ物が行き止まりに差し掛かりかけた三日目の朝。 

 ここでの滞在を許された最後の日に、珍しくオキタ女史からヴォイニッチに言葉をかける。


「レグラント帝国が大部隊を以ってチュニシアト地方カルデナに進軍。アシャリハ北部に展開する王国軍と接触しました」


 朝食を運びに来た上級司祭からもたらされた情報をオキタは淡々とヴォイニッチに告げる。


「帝国軍には巨兵騎士一体も確認されています」


「巨兵騎士?」


 オキタから告げられた情報にヴォイニッチは眉をひそませる。

 時期的に大陸復興委員会軍を動かすとは思えず、本国に何かあったのではないかと思ったのだ。


「ええ。『苧環の騎士スコーピオ』

 帝国の保有する巨兵騎士で間違いないでしょう?」


(『苧環の騎士スコーピオ』…… アリアス・グレン名誉少尉。

 なるほど、やんちゃな第二皇子の仕業か)


 件の巨兵騎士の名が示され、この事態の原因に推測がつく。

 アリアス・グレンは大陸復興委員会所属の軍人であるが、元はルートヴィッヒ第二皇子の下僕であり、第二皇子が召集を命じれば馳せ参じない訳にはいかない。


(帝国軍最後の軍事行動にならなければ良いが……)


 どう見ても帝国に利する結果は得られないという事は分かっていたが、最悪の事態だけは回避して欲しいとヴォイニッチは願った。


「貴方様も心落ち着かぬでしょう。

 どうです? ティタン行きの船を用意いたしますが」


 昼夜を問わない調査を付き合わされ、オキタも流石に参っていた。だからこそ、ヴォイニッチにわざわざ船の手配までしていたのだった。


「……ありがとうございます」


 帰る国を無くすわけにはいかない。

 そうヴォイニッチは思い、後ろ髪が引かれるが、帰国を決めた。


「それではこちらへどうぞ。既にお荷物は船に乗せております」


 オキタの周到さに呆れ混じりの溜息をつくと、フローリアに対する挨拶の余裕もなく、教会が保有する港にヴォイニッチは向かった。






 そしてヴォイニッチが去った書庫にて、二人の女は言葉を交わす。


「残念でしたね教総祭司長様」


「いえ。先生。全く残念ではありませんよ」


「あの方は神子様の行方に心当たりはなかった。

 くたびれ儲けではありませんか?」


 フローリアがヴォイニッチを読んだ目的は、彼が推測した通り、神子の所在を知るためであった。


「来訪者は神子様によって召喚される。来訪者たるヴォイニッチ殿が無関係なはずありませんわ。

 それに幾千の信徒を見つめ、懺悔を聞いていた私には分かるのです。あの方が嘘を仰っていると。

 言葉と言葉の隙間、息の荒さ、紅潮する頬、身体の微細な震え、目線の動き、ヴォイニッチ殿の全てが私に教えてくれました。

 あの方は私達が神子様について問いているのだと気付き、動揺し、何かを隠した」


 フローリアは信徒を見るように、ヴォイニッチも観察していた。それは学んで得たものではなく、教総祭司長としての経験から獲得した職業病のようなものだ。


「しかしよろしいのですか?

 教総祭司長様の仰りようだと、ヴォイニッチ殿に神子様がお隠れになったと知られた事になります。これは我々にとって――」


「いいえ先生。むしろこれは私達にとって好都合なのです。

 ヴォイニッチ殿が約束通り、口を閉ざしてくれたのなら結構。

 もし、口外し、我々に不利益をもたらすのなら、それはそれで帝国に介入する口実が出来ます。

 苦悩しているのはあちらの方で、私達は対岸からゆっくりと眺めているだけでいいのです。

 まぁ、今の帝国に我々に対峙する余裕はないでしょうけど」


「恐ろしいお方ですね」


「先生のご指導の賜物ですわ」


 フローリアの黒い部分に苦笑いするオキタに対し、フローリアは無邪気な笑みで返した。

 そして二人は対岸の火事を、調理を眺める客のように静観する。これはこの国にとって特別な事ではない。燃える世界を安全な所から優雅に見つめるのは日常なのだ。


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