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戦場のアウラウネ  作者: 耕眞智裕
第三章 真敵
42/50

Ⅸ 支配者の都 Ⅰ

(見知らぬ見知った世界。身近で疎遠な世界。この二律背反に一つの仮説を示す。

 即ち、知る物と知らぬ物は地続きであり、異なるは時間軸であるという事。

 端的に言えば、私は時間という壁を越え、この地に至ったというにわかに信じる事の出来ない事象があったという事だ)


 十二王国連盟より召喚を要請され、帝国が急遽召集した使節団に混じり、帝国技術省兵器開発局長官アルフレート・ヴォイニッチはオルタリア首都プロメテウスに向かう船の中で紙に筆を滑らせながら思惑する。彼は使節団の一員として船に乗っているわけではなく、プロメテウスに行く機会を利用して彼が個人的に要請したものだ。


(これは所詮推測に過ぎない。

 あのユダヤ人……たしかアインシュタインと言ったか。彼の提唱した理論は時間跳躍の可能性を見せたが、それは神の御業としか思えない。

 もし、この世界が本当に私の考える通りだとしたらその答えの一端は文明の発祥とされている地“プロメテウス”にあるだろう)


 筆記が一段落し、ヴォイニッチは密閉された客室を出ると、空気を吸いに甲板へと出る。船首の先には島とそこに聳える塔が見えた。


「あれがオルタリナの出国管理局イミグレか。まるで自分が最も上であると示しているかのようだ」


 ヴォイニッチはそう言うと、外に出て一分も経っていない事を残念に思いながら、荷物を整理するために息苦しい客室に戻っていった。

 そしてちょうど彼が荷物の整理を終えた所で船は減速し、“ガコン”という音と共に船体が揺れると、船は北海に浮かぶオルタリア領ゲロン島に着岸した。船を降りればそこは異国の大地なのである。


「我々はオルタリア国境管理局。これより船内の調査を開始する。乗員は客室に待機するように」


 着岸して直ぐ、島から漆黒の制服に身を包んだオルタリア役人たちが船に乗り込むと、威圧的な態度でそう告げた。

 自分たちが呼び出していながらかような態度をとる事にヴォイニッチは不快に思ったが、苦言したところで意味もないのは承知しており、他国の洗礼として不遜な態度に目を瞑った。


「その鞄の中身は?」


「日記と筆記具、あと替えの服。それくらいしか入っていないよ」


「そうか。ではアルフレート・ヴォイニッチ。身分証と入国許可証を提示せよ」


 客室に乗り込んできた職員の指示に従い、ヴォイニッチは鞄の中身と身分証を公開した。そして、入国の許可が下りて威圧的な役人が客室を出ようとした時、別の役人が威圧的な役人の耳元で何かささやいた。


「…………」


 ヴォイニッチはさっさと彼らが退室する事を願いながら、その様子を黙って伺っていたが、願い空しく威圧的な役人は再度ヴォイニッチの元に寄ってきた。


「アルフレート・ヴォイニッチ。君はここで下船しろ」


「下船? なぜですか? 私は帝国内のオルタリア大使館より本土上陸の許可を得ているのですよ?」


「上からの命令だ。君がいかなる権利を持っていても、オルトリアのルールに従ってもらう。ついてこい」


 まずい事態だ。反抗すれば強制帰国の憂き目に会うかもしれぬし、ついて行ってもどんな目に会うか分からない。


「……承知した」


 そして渋々ヴォイニッチは与えられた二者の内の一つを選んだ。彼らに従い、船を降りる事を選んだのだ。

 「自分の立場上、酷い扱いをすれば国際問題としてオルトリアの名誉に傷がつく」そう高をくくり、下船を選択したが、不安が無いわけではなく、ヴォイニッチは表情に出さないが恐れを抱いていた。


「ここで待て」


 帝国使節団と顔を合わせる事すら許されず、ヴォイニッチが連れてこられたのは出入り口が二つある取調室のような一室。まるで容疑者の様に椅子に座らせると、彼一人を残して役人たちは先の言葉だけ残して退室した。


「…………」


 殺風景な白く狭い異国の空間。一人そこに閉じ込められる時間はヴォイニッチに壁が迫ってくるような圧力を与え、無限に続くような感覚を与えた。そして密閉された窮屈な部屋に縁のある今日という日を恨んだ。


“コンコンコン”


 だが、その時間も軽くドアを叩く音によってあっけなく終わった。


「っ!」


 緊張と恐怖からヴォイニッチは直ぐに声を出す事は出来なかったが、訪問者は彼の了承を待たずヴォイニッチ正面にある扉を開く。


「御無礼をお詫びしますヴォイニッチ殿」


 現れたのは金の刺繍入りの白いローブを纏った黒い長髪の女神官。その女の聡明な顔にヴォイニッチは覚えがあった。いや、この世界で彼女を知らぬものの方が稀有である。


「私はフローリア・ディクタトル。クレスト教の司祭です。お目にかかれて光栄ですわヴォイニッチ殿」


女は簡単に自分の紹介をしたが、その程度の内容でこのやんごとなき女は表象できない。

フローリア・ディクタトル――世界宗教クレストの総祭司長。一国の王すら平伏する大陸の権力者。


「滅相もございません総祭司長様。私如きが――」


 予期せぬ大物の登場にヴォイニッチは対応に困り、とりあえず席に着いたまま頭を下げた。そして視界の全てが質素なテーブルの木目で覆われると、なぜこのような事になったかを考える。


(私は敬虔なクレスト教徒ではない。なにせ“ここ”に来て二年半ほどなのだからな。

 そんな私に何故わざわざ総祭司長ほどの人物が……)


 考えても解は出ない。この女と会う事になった経緯など皆目見当がつかない。


「畏まらないで下さいヴォイニッチ殿。あぁ、貴方とお会いできるのをどれほどお待ちしていたか……」


「待つ……ですか?」


「えぇ、それはもう。

 コホン。ここでは窮屈でしょう。プロメテウスに向かう車中でお話ししましょう」


 そう言ってフローリアはゆっくり立ち上がると、扉を開けてヴォイニッチを誘った。ヴォイニッチにその誘いを断る理由もなく、“お話し”とやらに興味がある事に加え、何よりこの場所が窮屈だったというのは確かだったので、すぐに席を立って彼女の後に続いた。


「総祭司長様。一つ問うてもよろしいでしょうか?」


「ええ。私が答えられるものなら」


「感謝します。

 総祭司長様は先ほど“車中”と仰いましたが、ここはゲロン島。プロメテウスのあるオルタリア半島には海を越えねばなりません」


「その事ならご心配には及びません。神から授かった叡智に不可能は無いのですから」


 フローリアは嫌味のない笑みを浮かべてそう言うと、職員にエントランスの扉を開けさせた。

 開いた扉の間隙から潮の匂いを纏った風が入り込んで二人の頬を撫でて髪を揺らした。そして二人の視界に数人の兵士と三台の高級車が入った。


「開けなさい」


 頭を垂れる兵士にフローリアはそう言うと、指先を魔法のステッキの様に振る。兵士たちは魔法にかけられた意思なき人形のように機械的に中央の車の扉を開け、前後の車に搭乗する。


「さぁどうぞ」


兵を散らしたフローリアは笑みを浮かべて手先を客席へと向けた。

ヴォイニッチはその手の動きに誘われ、彼女の前を通ると客席の奥に重い身体を押し込めた。もしもこれが何かの罠であるのなら、既に身を檻に閉じ込めているようなものだが、ここまで来て後戻りはできない。プロメテウスに発つ事を決め、船に乗り込んだ時からこうなる運命だったと諦める他ないのだ。


「私達。いや、オルタリアは内を晒される事を好みません。だからこそ、この施設の様に過度に威圧を与える存在を国境に据えているのです。中はこの様に殺風景でつまらないですけどね。フフフ」


 車が動き出し、最初に言葉を放ったのはフローリアであった。沈黙を嫌うが故の他愛のない話題であったが、緊張と好奇心の狭間で口を出せずにいたヴォイニッチの口を開くきっかけになった。


「総祭司長様。一体私に何の御用があるのでしょう?」


 率直な質問。だが、先ずこれを問わなくては始まらない。


「ええ。私どもには貴方様にしか頼めぬお願いがあるのです。

 ですがその前に、貴方様にも望みがあるのでしょう? 例えば“二年六か月と二日前。この日貴方様の身の上に何が起きたのか”とか」


「!?」


 ヴォイニッチは驚きを隠せない。目の前にいる初対面の女は、帝国の皇子以外に話した事のない事実を匂わせたのだ。


「私が貴方様のお望みになる情報を提供いたします。

 その代わり私達の願いを聞いていただきたいのです」


「願い?」


 自分の過去を知るやもしれぬ不気味な女の言う“願い”とやらにヴォイニッチは身体を固くさせた。


「そう緊張なさらないで下さい。極めて簡単な事です」


 車はトンネルに入り、点々と光る電灯をバックにフローリアは優しく微笑んだ。


「ですが、それはまた後程。今はどうかお休みください」


 そして彼女がそう告げると、ヴォイニッチの視界は煙がかかったように霞んでいく。それと同時に急な眠気に襲われると、彼は「しまった」と心で唱える時間しか与えられずそのまま暗闇に落ちていった。




――

――――

――――――

――――――――カチャ。


 瞼通しのぼやけた光の中。ガラス、或いは陶器のようなものが金属に擦れる音がする。

 体は動く。手足に酷いおもりは無い。ただ身体を温める布が全身を覆っているだけだ。


「おはようございます。ヴォイニッチ様」


 先ほどの音は止まり、代わりに若い女の声が聞こえる。

 私は誘われる様に瞼を開き、声の主がいる右側へと顔を向けた。


「君は……」


 目に入ったのはクレスト教のローブとフレンチメイドを合わせて割ったような不思議な装束を纏った二十代前半と思しき女性の姿。


「ヴォイニッチ様の御世話を仰せつかりましたリアナ・レーンと申します」


(お世話係?

 私は確か車中で総祭司長と話していて、突然眠気が……)


 状況が読めず思考が混濁する中、ヴォイニッチは身体を起し、身を覆っていた掛布団を落とした。


「どうぞお飲み物です」


 リアナと名乗った女は目覚めのヴォイニッチにすかさず一杯の水を渡す。


「…………」


 ヴォイニッチはその杯を受け取ったが、それを口にすることなく、ワイングラスに注がれた透明の液体をただ見つめていた。先の件もあり、警戒していたのだ。


「お気に召しませんか? でしたら他のものをご用意しますが。コーヒー、紅茶、緑茶、ジュース…… それともアルコールが良いでしょうか?」


 彼女の発言はヴォイニッチが水を口につけない理由を理解していない事を示していた。そして仮に毒が入れられているとしても、自分を害す機会などいくらでもあった事から、その線は薄く感じられ、ヴォイニッチは「いや。頂くよ」と告げると手にした杯を口先に当てた。


 喉を通り、身体に伝う透明の液体は冷たく、残存する眠気を外へ追い払っていく。その過程で意識がはっきりとし始め、ヴォイニッチは状況の説明を世話係であるという女性に問うた。


「私はどれくらい寝ていたのだ? それにここは……」


「ヴォイニッチ様は半日ほどお休みになられておりました。

 そしてここはプロメテウス市教界きょうかい区、カノッサ大聖堂『客人の間』でございます」


「カノッサ大聖堂……」


 世界宗教クレスト教の総本山にして、オルタリア人すら容易に入る事を許可されぬ教界区の中心。そして、始まりにして世界の全てを識る場所。ここにはヴォイニッチが求めてやまないものがあった。


「はい。カノッサ大聖堂でございます」


 リアナはそう笑顔で答えると、ヴォイニッチに渡した空の杯を預かり、盆と共に部屋の唯一の出入り口である扉の前へと運ぶと、ゆっくりと盆が入る程度に扉を開いた。


「ヴォイニッチ様が起きられました。総祭司長様にお伝えください」


「承知いたしましたレーン様」


 その際、扉の向こう側にいた男にリアナはヴォイニッチが起きた事を伝え、水差しとグラスの乗った盆を手渡した。


「総祭司長様か……」


 微かに耳に入ったその言葉に、ヴォイニッチは彼女との話を思い出す。


(彼女は私が知りたい情報を与えると言った。確かにここにはそれがあるかもしれない。

 途中眠らされたのは入区経路を隠す為か)


 宝物庫に入る事が許されたかのような高揚にヴォイニッチの口角が上がる。


「私の鞄は何処ですか?」


 彼の高まる熱情は紙とペンを求めずにはいられなかった。

 しかし、リアナは申し訳なさそうな顔で首を横に振る。


「申し訳ありませんヴォイニッチ様。教界区で筆を使うのを許されているのは、上級司祭以上の役職を持つ者に限られておりまして…… 帰国の際全てのお荷物をお返しいたしますのでどうかお許しください」


 情報を秘匿する為のルール。上級司祭以上の役職を持つ者は約60人。たったそれだけの人間が情報を独占している。


(ただ、文にしなければ自由だ)


 形に残す事、それと恐らく口外を禁じられるが、脳に残し、考察する自由は束縛されない。


「カーテンを開けていいですか? それとも景色を網膜に残すのも禁じられているのですか?」


 ヴォイニッチはプロメテウスのルールを受け入れると、リアナに窓を覆う分厚いカーテンを開ける許可を求めた。


「勿論構いません。どうかプロメテウスの美しい夕焼けを堪能ください」


「ありがとう」


 カノッサ大聖堂客人の間の南に位置する大窓。その脇に配置されたカーテン開閉ボタンを押すとその先にある夕焼けの世界が少しずつ現れる。


「おお……」


 ヴォイニッチがいたのは彼が思うよりずっと高い場所だった。

 カノッサ大聖堂中心塔高層より教界区の整備された街並み、そして区を仕切る赤レンガの壁の向こうに高層建築が乱立するのが見える。

 これがプロメテウス。文明の始まりにして“支配者の街”―――


「…………」


 客人の間ここに来るものは皆ヴォイニッチと同様の反応をするだろう。ただ圧倒され“手の届かない天上の都市”を改めて思い知る。これこそがこの部屋の目的であった。仮にヴォイニッチが求めなくても、リアナはカーテンを開けるのを勧めるつもりであったのだ。


「なるほどな」


 初め、ヴォイニッチは景色に呑まれた。だが、すぐに何かを納得したように腕を組んでにやける。

 今までの来客は驚き、怯え、竦んだり、歓喜の言葉を示したりしてきたが、ヴォイニッチは何か違う。リアナにとってその様な態度を示す者など例が無かった為、むしろ彼女が驚きの表情を見せた。


「私の推測は正しいかもしれない。私の知る世界が進めばきっとこの様な景色となっただろう」


 リアナにはヴォイニッチが発したその言葉の意味が分からない。ただ、この男から得体の知れなさを感じる他なかった。


“コンコンコン”


「総祭司長様の命でヴォイニッチ様をお迎えにあがりました」


 フローリアによる迎えの到着。それはリアナが思っていたよりもはるかに早かった。それはヴォイニッチがフローリアにとって重要な客人である事を暗に意味する。


「ヴォイニッチ様。ご準備はよろしいでしょうか?」


 向かう場所に持ち込みは許されない。準備というのは心持の他に無く、知識に乾いたヴォイニッチはリアナに「勿論です」と即答した。




 移動といっても、客人の間からフローリアの待つ大聖堂大書庫への移動であり、景色はただ重厚美麗な内装と、大陸の古今東西から蒐集した美術品に限定された。ヴォイニッチはそれを眺め、時に説明を受けながら窓のない通路を進み、ついに厳重に警護された一本の通路に至った。

 中からは分からないが、大書庫は大聖堂と独立した建物であり、その周囲は壁と堀によって囲われている。ヴォイニッチが今目にしている一本の通路はそこに至るための唯一の出入り口であった。


「ここより先はヴォイニッチ様お一人でお願いいたします」


 通路は教団の支配者たちに許されたものしか通る事は許されない。外からの者がここを通る事を許されるのは前代未聞であり、案内人たちにも緊張が走る。


「承知しました」


 その様な事情は露知らず、ヴォイニッチは答えると、迷いようのない一本道を一人進み始めた。

 あたかも無限回廊の如き、圧迫感のある静寂の道。先ほどまで室内を飾っていた装飾の類は無く、白い壁と照明だけが視界を飾る。

 そして二分程歩いただろうか、ついにヴォイニッチは大扉と対面する。


(ノックをすべきか)


 等と扉の前で刹那思惑すると、扉の方が答えを出したかのように開き始めた。それと同時に香る古い本独特の香りがヴォイニッチを興奮させる。


「お待ちしておりました。ヴォイニッチ殿」


 声を発したのは、教団のヴェールではなく、女学生のような装束で身を包んだフローリア。その装いにより宗教指導者の一人には見えないが、聖女としての純心さは空気を伝いヴォイニッチも知覚した。


「お初にお目にかかりますヴォイニッチ殿」


 そしてもう一人。フローリアの隣に40代前半ほどと思しき白髪が混じった黒髪の女性の姿があった。


「帝国技術省兵器開発局長官アルフレート・ヴォイニッチであります。

 この度は総祭司長様の御招き、感謝の言葉もありません」


 ヴォイニッチは二人に頭を下げ、淡々とそう口にする。別に繕っているわけではなく、知識の海への入場を許可してくれたフローリアには確かな感謝があった。


「いえ、全ては私の我儘です。

 あ、先生。先生も名乗ったらいかがですか?」


「“先生”はおやめください総祭司長様。

 ……書庫管理をさせて頂いておりますリナリー・オキタと申します」


 リナリーは軽く自己紹介したが、大聖堂書庫の管理に携わっているのは彼女一人であり、それは即ち知の支配者の一人である事を意味する。


「いいじゃないですか。父も私も先生に沢山の事を教わったのですよ」


 二人の和やかな雰囲気を見ると、おおよそ強権を持つ輩には見えない。


「ところで例の件――私へのお願いというのは……」


「ああ、すみませんヴォイニッチ殿」


 二人の姦しい会話を邪魔するのは悪いと思いつつ、ヴォイニッチは話を切り出した。


「私が提示するものはここの全て。あらゆる知識です。

 そして、私が欲するのは貴方に唯一つ問う事」


「問い? ですか……」


 割に合わない。この二つは全く等価ではなくヴォイニッチにとってはこれほど美味しい話はない。


「ええ。私の問いに答えて下さい」


「分かりました。私が答えられるものでしたら……」


 隠された膨大な知識と引き換えにいかなる事を問われるのか、ヴォイニッチは息を飲んでそれを待つ。


「私達はあるお方を探しているのです。

 見た目は――少女と言って差し支えないです。ですが言動はどこか大人びいているようで、でもやはりどこか子供で……」


「お名前は教えて頂けないのですか?」


 フローリアが求めたのは“人”に関する問いであった。


「ええ。それを申し上げる事は出来ません。それに、きっと偽名を使っているでしょうし、あえて名を出す意味もないでしょう」


「他に特徴等は……」


「特徴ですか。

 肌の色は白く、髪は――」


 フローリアが並べる探し人の特徴。実の所ヴォイニッチにはその特徴を有する人物に覚えがあった。

 即ち、オルタリア共和国考古学研究員でありながら第一皇子クローヴィスの寵愛を受ける謎多き女――スカーレット・クレナイだ。

 ヴォイニッチは苦汁の選択を迫られる。


――これは交渉故、誠実に答えるのが当然である。しかし、容易く仲間の情報を渡して良いのだろうか――


 ヴォイニッチはクレナイを警戒すれども嫌っておらず、また個人的な欲求の為にクローヴィスとクレナイの関係を壊すかもしれぬ事に手を貸すのは忠義に反すると考えた。


「その少女は何者なのでしょう? 総祭司長様はその者をどうするおつもりで?」


 ヴォイニッチは不躾であるが、探し人の事について踏み込んでいった。


「フフフ。どうも致しません。あの方は教団にとっても重要な方であるが故、病気などされていないか心配なのです」


(総祭司長ともあろう人間に“あの方”と言われる人物がいかなるものか――そう考えた時、一人思い浮かぶ者がいる。姿を見せぬクレスト教のご神体にして預言者。名もなき生きる門外不出の秘宝“神子”と呼ばれる存在だ。神子による信託は私がここに来る一年前を最後に行われていないのも神子の失踪となれば理由がつく。しかし、だとしたら……)


“それが事実ならクレスト教はクローヴィス殿下、そして帝国を許しはしないだろう”


 クローヴィスの思考は最悪の予測に至った。彼の仕える主君と仲間が罪深き禁じられた逃避行をしていたという予測だ。そして後になってその予測が真実であるという事を彼は知ることになる。


「お力になれず申し訳ありません。

 私の知る者、見た者を考えておりましたが、総祭司長様がお示しのお方に至る事が出来ませんでした」


 唇を咬んでヴォイニッチはそう答えた。彼の知る歴史には己が欲の為に主君を裏切る臣下が幾度となく現れる。ヴォイニッチはそうはなりたくなかった。仮にフローリアが言う様に少女の健康を気遣っているのみだとしても、最悪のケースがどうしても彼の頭から離れないのだ。


「……そうですか。

 私の方こそすみません。お呼び立てしてしまって。今日はどうか我が国が誇る知識の泉をご堪能下さい」


「え? いや、失礼しました。総祭司長様の意に沿えなかったにも関わらず、その様な事を……」


 道を開けるようにフローリアが大書庫に手を向け、そしてそこに向かう事を勧めた。その事にお役御免になり、追い出されると思っていたヴォイニッチは豆鉄砲を受けた鳩のような顔になる。


「ヴォイニッチ殿は私の質問に答えられた。ですから私の方も望むものを差し上げるのは当然でしょう?

 それと、先生なら貴方の聞きたい事を教えて下さるでしょう。異界からの来訪者ヴォイニッチ殿」


「…………」


 書庫の閲覧を許可されたのは嬉しい限りであったが、フローリアが続けて述べた言葉にヴォイニッチの身体は冷え切った。


「ヴォイニッチ殿。

 ――“地球”よりはるばるようこそお越しいただきました――」


 そして書庫の管理者リナリーが放った懐かしい言葉に体が震え、それを隠す事すらヴォイニッチには出来なかった。


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