Ⅵ 獣の胎動 Ⅱ
(おかしい……
ここは一体何なんだ? あの方からは王国の極秘施設としか知らされていないが、ここはそれでは済まないような不気味さを感じる)
スフィンクスを占拠した帝国特殊部隊の長であるシータ・スーリヤは訝しんだ。
(ここは指令室…… の筈だが、見た事のないオルタリアの機械に不可解な部屋の構造…… そして方漠たる砂漠地帯を望む大窓)
傍に拘束された戦利品を侍らせた勝者であるはずの女は、落ち着きなく部屋を歩き回り、機械を凝視して回る。
「課長。そろそろ……」
スーリヤの部下の一人が彼女に声をかけ、行動を急かしたが、彼女は耳を傾ける事無く徘徊行動を継続した。
彼らの任務はスフィンクスに潜入し、この施設の目的を探る事と、その無力化であったが、スーリヤの目的は前者へと重く比重が向いていた。
「将軍。私は寛大な人間でな。貴方がこの要塞が何なのか教えてくれるのなら、帝国での待遇を考える準備がある」
「ん? 言っている事の意味が分からないぞ。ここが要塞でなくて何だというのだ?」
スーリヤは優れた軍人であり、諜報員だが湧き上がる好奇心を制御できないという子供っぽさがあった。それは多くの場合表にならないところで解消されるのだが、今回は恐怖心に近い胸騒ぎも合わさり、過度に好奇心を抱いていた。
「お隠しになっても私の目は欺けないですよ。
それじゃあお聞きしますが、この施設にある格納庫。おおよそ基地が保有する程度を超えているが、あれは何かな?」
スーリヤは部下たちに命じ、スフィンクスの内部を隈なく調査させていた。それは施設内で王国の新兵器が開発されているという疑いからであったが、それは見つからず、むしろ不審な点が次々に見つかった事で謎は深まるばかりであった。
「格納庫は格納庫だ。君にだって隠したいものがあるだろう? それを外に吊るすか? いや、鞄なり服の中に仕舞い込むはずだ。その大小に違いなんてないだろう。それに今の時期は安定しているが、ここは砂塵に晒される。余計に見世物のように外に置く事は出来ないだろう」
「詭弁だな将軍。
なら何故その“砂塵に晒される場所”に基地などあるのか?」
「さて、アレンシアに進撃してきた敵を奇襲するためではないか?」
スーリヤの問いに対し、バルボッサは無難につまらない答えを返す。暖簾に腕押しの間隔に苛つくスーリヤは銃口をバルボッサに向けると、蔑むように笑い苛つきを鎮めた。
「お立場を理解してください。
今の貴方は虜囚。生殺与奪は私の手に握られているのです」
「ああ理解しているさ。だから真摯に答えている」
拷問も生業の一つとしている公安部内部調査課の人間である彼女は、その経験から嘘を見抜く力に長けていた。その彼女から見て、バルボッサの態度は嘘をついている人間そのものであり、彼が口にする真摯な回答など意味をなさない。
「とぼけるなよ!!
ここが唯の要塞じゃないという事は誰の目にも明らかだ。巨大な格納庫、奇怪な機械が並ぶ指令室、そして、用途不明の動力区画。全てが異常すぎる!!」
何も得られない空虚感にスーリヤは握った銃のグリップを壁に打ち付けて、ヒステリックに叫んだ。
「課長」
「何だ?」
「不明車両が要塞に接近しているという報告がありまして……いかがいたしましょう?」
兵士から未確認車両接近の報告を受け、スーリヤは一旦銃をしまうと、拘束して端に寄せた虜囚たちを睨みつけた。
「今は放置しろ。
そしてもし、その遅れた客人がパーティ会場に来るようなら、盛大にもてなせ」
「はっ」
「ふふふ…… 全く今日はツイている。まさか捕虜を運搬するための車両も用意してくれるとはな」
スーリヤは溜飲が下がったようにすっきりした表情で指令室中心にある椅子に座り、肘をついて砂漠を眺めた。
(聞きたい事は沢山あるが、それは本国に連行した後、しかる設備と道具を持って吐きださせればいい)
そして拷問の悦楽を想像しながら彼女は小さな声で嗤った。
「本当にありましたね」
「最悪の罠は回避できたという事ですねイグニス様」
要請を引き受け、現地に向かったもののイグニス、ジョウルク、そしてリナの三名はエリン・バルボッサ少尉の話には半信半疑であり、罠である可能性も考えていた。だが、地図にない透明の要塞は確かにそこに存在しており、安心と緊張という相反する感情が同時に湧き上がってきた。
「私一人でも良かったのですが……」
見上げるようにスフィンクスの巨体を見上げながら、イグニスは呟いた。
彼らの上司であるガレッジは全軍での行動を考えていたが、イグニスはそれに異を唱え、自分単独での作戦を進言していた。それは透明の要塞が実在するか不明である事、既に要塞が陥落している場合、逃走の為に人質を得ている可能性がある事などを理由にしたものであるが、ガレッジはその提案に苦言を呈していた。その理由は敵戦力が不明であるが故にいかに白兵常勝のイグニスと言えど危険は少なくないという事、そして何より彼はイグニスを無為に危険に晒す事を恐れた。
そしてそれに対し、イグニスの案にリナが自分とジョウルクが同行すると提案し、“大規模部隊が王国深部まで侵攻する事は出来ない”故に相手は少数精鋭の部隊であるはずとの考えを付した。
ガレッジは渋々その提案を飲み、三人に作戦を託すと、最後に「命の危険を感じたら、作戦を放棄して離脱しろ。君たちの損失は我が部隊の存在意義に関わる」とだけ告げた。彼としては別の人間に作戦を任せたかったが、最も戦闘力に長けた禁忌たちは外せぬとして、及第点の戦闘能力を持つ兵士はリナを除き、イグニスたちに良い感情を得ていなかった。それ故に、作戦成功を確実にしたいのであれば、この三人という人選は避けられず、複雑な気分で期待を込めて彼らを見送った。
「それにしても不思議だ」
「不思議ですか? 私達も知らない秘密の要塞に敵が襲撃してきた事ですか?」
「はい大尉。それもそうなのですが、加えて、いくら小規模でも、彼らが我が軍に見つからずにここまで来れたといのも奇妙で……」
休戦が終わった直後と言っても、無論防衛に力を抜くなんてことは無く、アレンシア周辺、送電施設、電波塔周辺、都市は勿論、特務遊撃部隊が前線に到着するまでの間、普段惰眠を貪っているアレンシア所属の正規軍も積極的に活動していた。
それを掻い潜り、王国の脇腹に敵が入り込むのは難しく、それを成し得るとすれば、王国軍の行動を傍受していたか、或いは王国内に協力者がいるか等考えられる。
「ええ、そうですね。
でも、今から私たちはその実行者に会いに行くわけです。身動きをとれなくして聞き出す事にしましょう」
リナは三人水入らずに少し上機嫌であった。
だが、要塞ゲートに車を止めると、表情は急に険しくなり、戦士の眼で無骨な扉を睨みつけた。
そして三人は車を降りると、刀剣と銃器を装備し、死角が出来ぬように三角形の布陣で扉に近づいた。
「静かですね」
「伏兵は無さそうだけど、一応周囲を見てきますね」
「ええ、お願いジョウルク。
私はゲートロックの解除に入りますので、イグニス様どうか私を守って…… その……」
バルボッサ少尉から得たゲートロック解除パスを入力する為に、リナは扉の右隣にある解除ボードに身を近づけた。そしてその間の守護をイグニスに頼もうとしたが、臣下である自分を主であるイグニスに守ってもらう事を願うのを不自然に感じ、口ごもってしまう。
「当然だ大尉。任せてくれ」
それに対してイグニスが自然に放ったその言葉は、臣下であり、上官である女の頬を赤くさせた。
「私は王国軍第三特務遊撃部隊所属――リナ・バランシュ大尉である。アレンシアより機密の要件で参った。扉を開けて下さい」
惚けた顔に掌を当てて表情を正すと、リナは声を大にして扉に声を放った。
“…………”
しかし、風音に混じるのは、鉄の扉に反響した彼女の声のみであり、目の前に鎮座する巨体からはいかなる反応もない。
そしてリナは“襲撃を受けた”という情報に確信を強め、解除ボードにある12個のボタンを一つ一つ丁寧に押し込んでいく。
“ゴゴゴゴゴゴゴ……”
8ケタのパスワードを打ち込んだことで、ピピっという小さな音の後、轟音と砂煙を伴って扉は開かれる。内部は力の弱い電灯が数個だけが光を放ち、妙な薄暗さで索敵を阻んでいた。
「私が先行します。
ジョウルクはリナの警護を」
銃をジョウルクに預け、二本の剣の刃を露出させると、イグニスは音もたてずに暗がりに足を踏み込む。
“プシャ”
それは一瞬だった。叫びの声も何もなく、金属で覆われた床に迸った鮮血が飛び散った。そしてイグニスが剣を手元に戻すと、床に二人分の死体がころがる。彼らは扉傍の陰に潜み、鋭利なナイフで侵入者の命を狙ったが、その望みは果たされず、喉元を貫いたイグニスの刃によって声をあげる事すら叶わず絶命したのだった。
「…………帝国軍か。良かった」
死体の襟もとには帝国軍の紋章。イグニスは彼らが敵である事を確認すると小さく息をついた。一瞬の出来事であり、敵の所属を確認する余裕が無かったため、イグニスは自分が殺めたのが王国軍の者なのではないかという不安があったが、そうはならず、安堵で笑みをこぼした。
「クリア。
どうやら既にここは敵の手に落ちているようです」
エントランスフロアの状況を確認すると、イグニスはハンドサインで外に待機する二人を呼び込んだ。
三人は施設内に入ると直ぐに通路の場所を確認し、首の皮一枚で身体と頭部が繋がっている帝国軍の死体の傍に寄った。
「この装備、普通の兵士では無さそうですね。
恐らく、帝国のエリート部隊か特務部隊。白兵戦に特化した兵士でしょう」
兵士の装備からリナはここの兵が普通の者でないと考え、この任務が簡単ではないという事を確信した。
「では敵が集まる前に早急に参りましょう」
だが、彼女は任務を失敗するなんて事は少しも思っていない。何故なら、負けるはずのない王子が彼女と共にいるのだから。
「課長」
「何だ?」
「部下数名に連絡が取れません」
訪問者の到来が知らされてから十数分。指令室に立てこもるスーリヤの元に訪問者排除の知らせはもたらされる事無く、それどころか複数人の部下との通信が途絶えていた。
「……殺されたと言うのか?」
「申し上げにくいのですが、恐らく……」
あまりに薄気味の悪いこの状況はスーリヤを含む侵入した帝国軍特殊部隊20人に恐怖を植え付けていた。
「ククク…… 簡単に言ってくれるねぇ。
一体お前たちの訓練にどれほどの時間がかけられたと思う!? お前らがぶら下げているその装備に我が国の尊い財産がどれだけ使われた!?
それが簡単にやられるわけがないだろう!! やられるわけにはいかないんだ……」
軍帽を掴み、スーリヤはヒステリックに叫び散らす。彼女もまた言い知れぬ恐怖に怯えていた。優れた部下たちがまるで害虫を駆除するかのように殺されていっているなど信じられる筈が無かった。
だが、現実は彼女の信頼を裏切っていた。基地内で巡回していた帝国軍特殊部隊はたった三人の人間によって既に半数以上が動かぬ肉体と化していた。
「……確認して参ります」
伝令兵は上官の恐怖を払う為、彼女に敬礼すると、扉から指令室を後にした。
だが、彼は生きて帰ってこなかった。指令室の床に戻ってきたのは何者かによって切断された彼の一部だけ。その表情は先ほど部屋を出た時と同じで、恐怖も痛みも無く死した事が伺えた。
「ヒイィィィィイイ!!」
部下の亡骸と視線が合い、スーリヤは叫びを上げた。彼岸が向こうから近づいてくる恐怖に耐えられなかった。
「クリア……
どうやらここが指令室みたいですね」
伝令兵の血の跡を沿うように現れたのは血塗れの二刀を持った黒髪の青年イグニス。そしてその後ろを黒髪の女性リナと場違いな幼い少女ジョウルクが続いた。
「バルボッサ大将!!」
リナが部屋の端で拘束されている者達の中に、王国軍の重鎮の姿を見つけると、彼女は傍に立つ帝国軍に発砲し、彼らに駆け寄った。
そして銃撃を受けて後ずさりした兵士がジョウルクによって惨殺されるのを横目に、リナは捕虜たちの拘束をナイフで解いていく。
「君の名は?」
「第三特務遊撃部隊所属リナ・バランシュ大尉であります」
バルボッサは命を繋ぐ一通が通じた事に感謝しつつ、リナに自分たちを救った恩人の名前を問うた。
「特務遊撃部か……」
バルボッサにとって前線に向かうはずの彼らがここに来るのは意外であった。そして異常な戦闘力で目前の兵士を無力した少女の正体も部隊名から察しがついた。
「そして禁忌……」
「同、第三特務遊撃部隊所属イグニス・ラッシュフォード特尉とジョウルクであります」
不快そうにバルボッサが口にした“禁忌”という言葉を覆い潰す様に、リナは彼らの名前をはっきりと告げ、バルボッサの脳に刻み付けた。
そして「その姿を見よ」と言わんばかりにスーリヤと対峙するイグニスの姿を見つめ、バルボッサの視線を誘導した。
(何なんだ! 何なんだよこのバケモノは!
…………ふふふ。そうか、こいつが例の…… 最悪だ。ここに来て最悪の札を引いてしまった)
修羅の如き姿の敵を前にして、スーリヤは軍帽を深くかぶると、古傷が疼く右二の腕を握りながら窓際まで後退していた。
イグニスたちの強襲によって指令室に残された帝国軍はスーリヤただ一人となった。先ほどまで強圧的な態度をとっていた女は今や怯える子羊だ。
「形勢逆転だな。
君たち帝国軍の勇敢さは称賛に値するが、蛮勇が過ぎた。
ここは我が軍の要塞故に通信は我らが掌握している。君たちは伝令兵を使わなければ仲間とのコンタクトも碌に取れない。もう積みなのだ」
拘束を解かれたバルボッサがリナとジョウルクを連れ、縄の跡が残る手首を摩りながらスーリヤに近づき、この場の支配者が変わった事を告げた。
「投降したまえ。聞きたい事が山ほどあるのでな。殺しはしない」
もはや自決するか、投降するかの二択。投降しても厳しい拷問は免れず、綺麗な体と精神で本国に帰れる保証はない。
「もはやこれまでか……」
自分がすべき事を思い、死する事は出来ず、スーリヤは悄愴の表情で銃を捨て、両手を掲げた。
バルボッサは先ほどまで拘束されていた王国軍兵にスーリヤの拘束を命じ、兵士は銃を構えたまま非武装の彼女にゆっくりと近づいていく。
“バァン!!”
スーリヤの身体に兵士の手が触れようとした瞬間、彼らの後方から一発の銃声が轟いた。銃弾を放ったのは、幸いにイグニスたちの進路から外れ、死を免れた帝国軍特殊部隊の生き残りたちだ。
先の銃撃は威嚇射撃であり、誰に直撃する事も無かったが、スーリヤはそれによって生じたチャンスを逃すはずはなく、鼠のように王国軍の包囲をすり抜けると、脱兎のごとく仲間の元へと走り抜けた。
「作戦は放棄する! 撤退だ! 私に続け!」
仲間の脇を通る際、彼女は部下たちに作戦の放棄と撤収を伝え、自分に続くように命じた。残った仲間は6名。スーリヤは13人の兵士たちがたった三人の強襲者たちによって葬られた事を信じざるを得ず、化け物を相手には出来ないと作戦の放棄を選択したのだ。
(クソっ…… 何という失態だ。まさかアイツがここに来るなんて!! 運に見放されたのが原因とはいえ、私には失敗という現実しか残らない。せっかくここまで来たというのに……)
スーリヤは王国の悪鬼の如き剣士の事を知っていた。彼とぶつかれば、勝つことはおろか、彼の身体に傷をつける事すら困難である事も。そんな人間と敵地の奥底、孤立無援の地で遭遇する恐怖は筆舌に尽くしがたい。
「はぁはぁ……」
彼らは走った。道中仲間の無残な亡骸を目にしながらも、足を止められる事は許されない。
「課長はお先に!! 我らは最後の仕事を致します!!」
基地の出口に差し掛かろうとした時、仲間の二人が足を止めて叫んだ。彼らの脇には格納庫へと向かう通路。帝国軍特殊部隊が受けた使命の内の一つである“要塞の無力化”を命を賭して実行しようというのだった。
「くっ…… 貴様ら……」
スーリヤは笑顔で爆破装置を見せる兵士たちに何かを言おうとしたが、彼らの背後から足音と剣を伴った影が見え、奴が近づいている事を知ると、ただ敬礼だけすると二人を残して出口へ向かった。
結果的に彼らの行動は彼女たちを救う事となった。追跡者イグニスはスーリヤ達ではなく、破壊工作へと向かった兵士を追い、少しながら時間稼ぎになったのだった。
「急いで車に乗り込め!」
砂漠に擬態するような砂色のカバーを取り除くと、帝国軍軍用車四台が姿を現した。スーリヤは四台それぞれに最低一名ずつ生き残りたちを乗せ、自分は先頭車両に乗ると直ぐにエンジンをかけさせた。
「……逃げられたか」
遠くで車のエンジン音を聞き、剣に付着した粘つく血をふき取ると、イグニスは使命を果たせなかった二人の死体を睨んでそう言った。
“イグニスさ…… ラッシュフォード特尉。速やかに指令室に戻れ”
基地内の帝国軍兵士が一掃され、施設内放送を使ってリナが掃除屋に帰還を命令した。イグニスは姿の見えぬ声に一人「了解しました」と呟くと、剣を鞘にしまい、命令通り皆が集まる指令室へと向かった。
「使えるか?」
「ええ、起動は可能です。ですが使える砲門は弾数1の右舷砲【メンカウラー】のみで自動迎撃システムはオルタリアの技術者がいないと……」
「それだけ使えれば十分だ。準備しろ」
バルボッサは指令室中心にある高い椅子に座ると、大窓から逃走する四台の軍用車を見つめながら基地スタッフに指示を出した。
「閣下。一体何が始まるのですか?」
男たちが忙しなくマニュアルを見ながら機械を動かしているのを見て、リナは率直に彼にそう聞いた。
「今に分かる。禁忌と共にそこで見ておれ」
リナの問いに、バルボッサは目線すら合わさずそう返すと、彼の座る椅子の脇にある低い椅子に座るよう指示した。リナは首を傾げながら指示通りに椅子に座ると、自分の膝の上にジョウルクを乗せ、二人で状況を見守った。
「ラッシュフォード特尉。ただいま戻りました」
「イグニス様! さぁこちらっ!! えっ!!」
二人が椅子に座してから二分ほど経ったところでイグニスが指令室に戻り、リナが彼に場所を譲るために立ち上がろうとした瞬間。突然の揺れで椅子に尻が吸いつけられた。
「な? 何ですか? 地震ですか?」
ジョウルクがリナのひざ元から離れると、きょろきょろと辺りを見ながら声をあげた。
「落ち着け禁忌の少女。これは地震ではないよ」
バルボッサは場に不釣り合いな少女の姿を一瞥すると、リナに対して使った厳しい口調ではなく、子供に対する優しい言葉でそう言った。
「何だあれは?」
足場の悪い砂地を走る四台の車からスフィンクスが土煙を上げているのを見てスーリヤは呟いた。そして双眼鏡を取り出すと、状況を確認する為に基地を凝視する。
「まさかアイツらやってくれたのか」
残された二人の仲間が使命を果たした可能性に一瞬スーリヤの口角が上がったが、火が見えないところからそれは否定され、また、基地の右側から収納された砲門が露出するのが見えるとニヤケは歯ぎしりに変わった。
「奴ら我々を狙っているのか?」
「狙っている? 大丈夫ですよ。王国軍の砲弾はここまで飛んできません」
距離は一キロ近く。王国の砲車の射程を超える位置まで彼らは逃亡しており、また、見える砲門の可動範囲は狭そうでこちらには届きそうにない。だが、スーリヤは言いし得ぬ不安を感じていた。
「スフィンクス起動。【メンカウラー】照準。ターゲット敵部隊」
指令室右側の機械に手を当てる兵士が声をあげる。そしてリナたちの目に信じられない事が起こった。
「っ!!」
砂漠を一望していた大窓が、まるで紙芝居を捲っているかのように左に動き始めたのだ。そして今度は捉えた敵部隊を中心に風景が流れ始める。
そう、スフィンクスは命を得たかのように“動き始めた”のだ。オルトリアの突出した技術は巨大な鉄の塊をフロートさせ、複雑な推進を指令室――いや、艦橋に並ぶ機械で制御する。これこそ王国がオルトリアに黄金の山を積んで作らせた秘密兵器だった。スフィンクスは要塞ではない。高い戦闘力を持った陸上空母なのである。
「調整不足で誤差が生じております」
「構わん撃て。このまま逃がすわけにもいかない」
訪問が眼球のように不気味に動くと、アリのように這う四つの黒い塊にその筒先を向けた。
「5・4・3・2・1 【メンカウラー】砲撃!!」
爆音と共に放たれた一つの塊は、回転しながらぶれる事無く帝国の逃亡者たちの尻に向かうと、巨大な火柱が砂漠にあがった。
ターゲットの生死は確認できない。赤と黒の渦が砂漠を覆い、彼らを隠しているのだ。
「今日見た事は他言無用だ」
その壮絶な光景に言葉を失っている禁忌たちとリナにバルボッサは厳しい口調でそう言うと、柱のように上がる黒い煙を神妙な面持ちで見つめた。
それからイグニスたちはバルボッサに言われたよう、直属の上司であるガレッジ大佐を含む部隊の仲間たちにもこの日の事について何も語らなかった。まるで切り取られた様な一日。彼らの活躍は機密のヴェールによって隠され、表に出る事は無いと思われていた。そんな時。
「これは……」
前線にある第三特務遊撃部隊に王国軍部より秘密の物資が届いた。宛先はイグニス・ラッシュフォード特尉、リナ・バランシュ大尉、そしてジョウルク。大佐の許可を得て、箱を開けるとそこには一着の女性用軍服と三つの賞状と勲章が丁寧に入れられていた。女性用軍服はサイズからジョウルクの為に作られたものであり、ポリネイト専用の白色ではなく、王国軍正式の深い緑色のものであった。
「白百合重白章か。いや、たまげたな」
白百合重白章は顕著な働きをした王国軍軍人に贈られる白百合章において二番目に名誉ある勲章である。これらは本来、正規軍の上級士官などが対象となるものであり、特務遊撃部隊であまつ禁忌である二人に贈られたのは異例中の異例であった。
「なるほど。どうやら軍上層部は叙勲式を公式で出来ないから、こっちでやってくれと言っているようだな。こんな場所だが、多少の祝賀会は許されるだろう」
部下の大活躍にガレッジは笑うと、早速特設叙勲式の準備を始めた。
「なぜあのような者達に…… 閣下は禁忌がお嫌いではなかったのですか?」
バルボッサの副官が彼にそう問うた。それに対し「ああ、虫唾が走るほどに私は禁忌が嫌いだ」と答えた。
「それではなぜ?」
副官はそれを聞き、なお疑問を膨らませる。そんな彼に対し、バルボッサはその理由を答えた。即ち――
「禁忌が虫唾が走るほど嫌いだが、私はそれ以上に恩知らずが死ぬほど嫌いなのだ」




