Ⅻ 大陸復興委員会
帝都ティタン。統合作戦本部庁舎の地下深くに公にされる事のない空間がある。仄暗く、纏わりつく湿気を帯びた空間には拷問器具が並び、錆びた鉄格子が並ぶ。
そこに貴族の礼服に身を包んだ男が兵士を連れて靴音を立てる。行く先は空間最奥にある懲罰房。懲罰房には何かある事を示すがごとく、儚い灯りが煌めいており、二人はただそこを進んでいった。
「ヴォイニッチ卿。こちらです」
兵士が懲罰房の鍵を開けると、鈍い音と共に鉄の分厚い扉が開かれる。
房の中は血と金属が混じり合った様な不快な臭いで満ちており、ジャラジャラと微かに鎖が冷たい床を這う音が聞こえる。
「灯りを」
一寸先も見えぬ暗闇を払うよう、貴族の男――ヴォイニッチは兵士に対して指示した。兵士は即座に頷くと、ランタンの火を強くして室内を照らす。
「わたくしに何か御用ですか?」
そこにいたのは翠の髪の女。罪人用の衣服を纏い、四肢に嵌められた錆びた枷には鎖が繋がられていた。
「儚くも、美しい。そして、その声に聡明さが感じられる。だが……」
ヴォイニッチは彼女に対する印象を隠すことなく口にする。そして、最も彼の目を引いたのは女の無気力な眼であった。世捨て人、全てを諦めた様な瞳に彼の心は吸い込まれそうになる。
「外せ」
「ヴォイニッチ卿?」
「鎖を外せ。彼女には似つかわしくない」
「で、ですが……」
ヴォイニッチの指示に兵士が難色を示すのは、女が恐ろしいからである。人ならざる未知の力を与えられた化け物。それが女に対する当たり前の反応であった。
「やりたまえ。私はクローヴィス殿下よりこの件に関するすべての権限を与えられている事を知らぬはずが無いであろう?」
「承知いたしました『大陸復興委員会』軍務長官殿……」
ヴォイニッチの脅しの様な言葉に兵士は逆らう事は出来ない。レグラント帝国の政治を司る第一皇子、クローヴィス・アルベールは直属の組織である『大陸復興委員会』の創設を宣言し、巨兵騎士の管理運用は軍務省から当委員会に移管されていた。ヴォイニッチは当委員会の軍務部門統括の立場にあり、事実上巨兵騎士に関わる組織の最高責任者の地位にあった。
「改めて、挨拶しよう。私はアルフレート・ヴォイニッチ。帝国技術省兵器開発局長官と大陸復興委員会軍務部門統括を兼任している。マリア・マクラレン名誉大尉。君と君のポリネイトの管理は私が持つこととなった」
外された枷の痕をさすりながら、翠の髪を揺らし、マリアは無気力な眼を新たなる主に向けた。
「お気の済むままに。私はただ世の流れに任せ、罰を下し、罰を受けるだけです」
ラーディフにて二人の巨人が激突した日、帝国における禁忌たちが置かれている環境に変化が生じていた。大陸復興委員会はポリネイト、インフェクテッドを戦力としてのみならず、研究対象と位置づけ、地下の施設から新たに建設された研究機関に彼らの身柄を移した。そこは厳しい監視の中である事は変わらないが、地下施設とは比べ物にならない程にあらゆるものが整っていた。
その中で特筆すべきは、拷問や懲罰が新体制の下で行われなくなった事であり、マリア・マクラレンがカルドバンカにおいてリーディア旅団の首魁であるヴォルフ・イル・リンドを取り逃がした事への責として懲罰房に入れられていたのも中止となった。
かくしてポリネイト、インフェクテッドの地位は大陸復興委員会の庇護のもと向上したわけであるが、無論反発も大きかった。その大勢は「危険な化け物には首輪を付けるべきで、また、失態には懲罰を課し己が立場を理解させるべき」という意見であった。これはポリネイトやインフェクテッドに対する軽蔑や差別から来るもので、反論としては詭弁の域を出ない。だが、このような考えは元老院の中でも一般的であり、一種のコモンセンスとなっていた。
故にクローヴィスはこの考えを否定せず、帝国の貧窮する経済面からアプローチした。砲車は燃料と火薬を消費し、騎兵や歩兵は銃弾などだけでなく、騎獣、人命も消耗する。だが、巨兵騎士は自己再生能力を持ち、多くは再生可能な武器を所持している。その操縦者である禁忌を敢えて拷問や懲罰で消費するは帝国経済に不利益を被ると元老院に示したのである。
しかし、それでも禁忌に対する嫌悪感による反対の声は大きく、クローヴィスは言葉を変えて先の事を言い直した。
「砲車や騎兵は我が国の尊い資源や人命を失い、終戦の先に見えるのは干からびた祖国だ。だが、禁忌はどうだろうか。あれらはその悍ましき力を行使するのみで、失われるは敵兵の命と己が命のみだ。我々は道具を粗末に扱う愚者ではない。分かるな?」
クローヴィスの言葉は元老院の者どもが抱える『禁忌の存在に対する嫌悪感、優越感』を満足させるものであった。彼らも禁忌に対する現在の扱いが帝国に損失を与える可能性を理解していたが、それを公にするには感情と伝統が邪魔をし、合理的にそれらを払拭する理由を求めていた節があった。
結果的に元老院と皇帝一族の三分の二の賛成をもって大陸復興委員会に禁忌を扱う部門が発足した。この際、帝国軍部を総括する立場であるルートヴィッヒ・アルベールも賛意を示しており、この事は昨今の度重なる軍事的失態によることより、クローヴィスに対する信奉によるところが大きかった。
「やはり君にはその姿が似合う」
帝都の端に新造された研究施設。窓から深緑を望む指令室でヴォイニッチは口説くような言葉を漏らした。相手は帝国最強の巨兵騎士を駆る乙女――マリア・マクラレン。彼女はその言葉に表立って反応はせず、軍服の袖を揺らして敬礼し「恐縮です」とだけ返した。
「一体ここはどこなの!? ああ! マリア様!!」
言葉を無くした二人の静謐な空間を破るように、兵士を伴った少女が大声を伴って現れた。
「シンチャブリュ。お元気そうね」
マリアに名前を呼ばれたロール髪の金髪少女は嬉しそうに彼女に駆け寄ると、その存在を確かめるように抱擁した。
「君がライブラのポリネイト。えっと、シンチャブリュで合っているかな?
そうだ、茶と菓子を用意したのだ。どうかな?」
ヴォイニッチは二人の傍に近づくと、子供を相手にするように身を落として十歳ほどの少女に話しかけた。シンチャブリュは見知らぬ男に警戒感を露わにし、鋭い目つきで睨みつける。
「いや、これは嫌われてしまったかな。まぁ、それも致し方ない事か」
「……シンチャブリュと申します。貴方様は一体どなたですの?」
「これは失敬。私は巨兵騎士運用の最高責任者。アルフレート・ヴォイニッチです」
人の名を聞く前に先ず自分の名を。その事を看過していたヴォイニッチは苦笑いで失態を隠すと、自分の名を少女に告げた。
「アルフレート・ヴォイニッチ…… どこかで聞いた名前ですわね」
「帝国技術省兵器開発局長官、兵器の開発、進化に多大な貢献をされた人です。我が国の砲門の射程が王国より優れているのはこの方の功績です」
ヴォイニッチには見せなかった笑顔を見せながら、マリアはシンチャブリュに彼女が知るアルフレート・ヴォイニッチという男の情報を語った。
「ご存知でしたか」
「帝国の要職に在ると共に、クローヴィス殿下の信頼も厚いお方。皆知っている事です」
マリアはそう言ったが、無論これが彼女の知る全てではない。アルフレート・ヴォイニッチという男には栄光の表の姿があると同時に、得体の知れぬ過去がある。彼はクローヴィス第一皇子の元で今の地位に上り詰めたが、それ以前の彼について知る者は無い。故に、『過去の見えぬ男』と呼ばれ、彼の帝国への忠誠を疑う者もいた。
「それで、何故そのようなお方が私たちを飼う事になったのですか?」
巨兵騎士やポリネイト、インフェクテッドを扱うのは決して好まれる事ではない。そのような事を進んでするのは社会の転落者か異様なもの好き、或いは弱いものを虐げる事を喜びとする異常者だろう。最低でも地位と名誉を持つヴォイニッチのような人間がやる事ではない。
「単純で簡単な事だ。私は君たちに興味がある。知的好奇心というやつだ」
どうやら、帝国技術省兵器開発局長官殿には“異様なもの好き”の気があったようだ。
二人の女性は変質者を見るような目でヴォイニッチを見つめ、肌を手で覆い隠した。
「他の者にとっては禁忌でも、私にとっては神秘でね。植物の巨人にそれを操る者達、ロマンの塊で無くして何と言おうか」
相手の態度を気にすることなく、ヴォイニッチは新しい玩具を与えられた子供のようにはしゃいでいた。
「ところでシンチャブリュ君」
「な、なにかしら?」
ヴォイニッチに目を付けられた少女は恐怖を隠し切れず、半歩後ろに下がって警戒の体制で彼の言葉を待った。
「にわかに信じられぬが、クレスト教の文献によると、君は植物から生まれ出でたそうじゃないか。だが、君の姿は人間そのものだ」
言葉と共にヴォイニッチは不快な表情をしたシンチャブリュの瞳から胸、腹、そして足先へと舐めるように見回す。
「そこで疑問だが、君は人の子を宿す事が出来るのかい?」
「なっ!?」
その問いは明確なハラスメントであり、女性二人は顔を赤らめて声を上げた。だが、男は彼らの態度を気にすることなく話を続ける。
「動物というのは分類学上の界、門、綱、目、科、属が一致しないと生殖できないから…… いや、実の所非常に不快な話であるがペドフィリアの加虐者による懲罰の名を借りた暴行によって一定の統計は取れているのだ。つまり、ポリネイトにはものが備わっていても生殖能力はない」
ここまで言い放った後にやっとヴォイニッチも二人が自分に対して警戒の態度をとっている事に気付き、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。
「だが安心したまえ。私の元では断じてその様な目にはあわせたりしない」
従来のやり方への不快感を乗せたように、ヴォイニッチの語勢は強かった。だが、二人の目には未だ不信感が浮かんでおり、それを感じ取ったヴォイニッチは気の利いた言葉でそれを取り除こうと口を開いたが、その瞬間、有線通信機の音が部屋中に鳴り響いた。
「……失礼」
出そうとした言葉を飲み込むと、ヴォイニッチは窓の前にあるデスク上の通信機の受話器を手に取った。伸びる線の先は施設の職員であり、話の内容は“同志”が到着したという報告であった。
「分かった。こちらまでお連れしろ」
その言葉だけ返し、男は溜息をつくと受話器を戻した。
「すまないが急用が入ってしまいました。後の事は居住区画の職員に聞いてくれたまえ」
不審の目を向ける二人に笑顔でそう言うと、ヴォイニッチは入口で待機する大陸復興委員会傘下の兵士に目線を送った。シグナルを受け取った兵士は小さく頷くと、二人の禁忌の元に近づき、居住区画へ案内する事を告げた。二人はそれに応じ、新たな飼い主に敬礼すると兵士の後を追って部屋を後にした。
「どう思いますか?」
「どう思うというと?」
「勿論ヴォイニッチ卿の事ですわ」
部屋を出た後、二人は先導する兵士に聞かれない程度の声で自分たちの上に就く男に対する所感を語る。
「変人とは聞いていましたし、特に思う事も無いでしょう。それに、私達には関係のない事です。上が誰であろうとやる事は変わらない」
「でもあの方……」
「特に思う事はない」とマリアは断じたが、ヴォイニッチに今までの者とは違う何かを感じていた。
「ええ、最低でも、私たちを人として扱ってくださった」
彼との会話は一時間にも満たない。だが、そう感じるには十分であった。
今までに禁忌と面した者は、女であれ男であれ、汚物を見るような不快な目で見つめて罵倒を繰り返すか、実験動物を扱うかのように体中を撫でまわした。だが、先の男の態度は今までの者達とは明らかに違った。彼は禁忌に興味があると言ったが、身体に一度たりとも触れる事は無く、飲食を用意するなどという事は異常な事だ。「彼は自分達を実験動物ではなく人間として扱っている」そう思わざるを得なかった。
「ですが、ヴォイニッチ卿がどういう考えをお持ちであっても、私たちのやる事は変わりません」
マリアは短い判事経験から自分の考えを軽んじる傾向があった。その時の後悔の念が今も彼女を縛り続けているのである。
「ここだ。さっさと入れ」
大陸復興委員会の兵と雖も、ヴォイニッチの見ている所以外では正規軍兵と変わらない。
二人は兵士の態度にむしろ安心を覚え、言われるがまま真新しいゲートを潜った。
「これはこれは、クレナイ殿。貴女がここにいるという事は殿下もお戻りか?」
急な来客であるローブの少女を適当な礼をもってヴォイニッチは出迎えた。
「いえ、殿下はマレーティアに残られております」
マレーティア王国国王ジート・マレーティア崩御に関する使節団にクレナイはクローヴィスの付き添いとして同行していた。そして、本来であれば、皇子が帰国の際も行動を共にしているはずであった。
「貴女お一人とは…… なにか事情でも?」
「いえ、大した事由はございません。私は大陸復興委員会で自分の任に就くために帰国し、殿下はリーリシア王国の使節を待つために残られただけの事です」
「王国の使節? その様な者はマリーベル姫に任せておけばよいのに。彼女は外交の責任者であるし、それより何も大陸復興委員会の指導者がいないのは画竜点睛を欠く」
ヴォイニッチは禁忌二人に出すはずであった二人分の飲み物と菓子の片割れをクレナイに手渡しながら不満げにそう言った。
「あのお方にはあのお方のお考えがある。是非も無き事でしょう」
クレナイもまた不機嫌そうな表情でカップを受け取ると、それを口に含む。
「温いですね。
ああ、大陸復興委員会軍務部門統括殿にご報告があります」
「何かね? 大陸復興委員会諜報室長殿」
ヴォイニッチは自分の淹れた茶の温さに表情をゆがめながら答えた。
「我が軍の巨兵騎士の一体、《ジェミニ》が事実上失われました」
「ん? 今は休戦中だ。事故でも起こしたのか?」
休戦下での兵器の消失に首を傾げるヴォイニッチに、クレナイは資料を手にして子細に説明した。
「……なるほど、軍部が最後に余計な事をしてくれたわけか。だが、これは見方によっては良い状況ともいえる」
「そう、我が軍の巨兵騎士の中で最も低い評価を受けていたジェミニが、我が軍に甚大な被害をもたらした水瓶の巨兵騎士と相打ちになったと見た場合。この一件は我々に利している」
特異な再生能力を持つ白檀の巨兵騎士ジェミニだが、戦闘能力の面で他の巨兵騎士に劣っており、軍部の中でも著しく評価は低かった。そのジェミニが強力な巨兵騎士であるアクエリアスと共倒れするというのは、ポーンとクイーンが共に倒れるようなものであり、そういう意味では大金星と言えた。
「だが、安心はできない。ジェミニのポリネイト、インフェクテッドが生還したという事は相手方も“そう”だったと考えるべきだ。つまり、ラーディフの底で二体の巨兵騎士は“生きている”という事だ」
ガラスの器の底に沈む菓子を取り出しながらヴォイニッチは厳しい目つきで言い放った。
「そう考えるべきでしょうね。ただ、ヴォイニッチ殿の心配は杞憂にすぎません。
報告によると、二体の巨兵騎士が沈んだのは地上から100メートル下の地底湖。水深は不明ですが地上から巨兵騎士の姿が確認できない事から最低でも40メートルはあると考えられる。あの場所を我が国も王国も放置するわけがなく、戦時下での引き揚げ作業が出来るとは思えません。あれらは『生きたまま死した』と見るのが妥当でしょう。
それに、“水中の巨兵騎士を動かし、水中の巨兵騎士を破壊する”という事に関しては我が軍に適材適所な巨兵騎士がおります」
「……《キャンサー》か。
そう言えば、ガレル名誉少佐も貴女と共に帰国したのか?」
大陸復興委員会の軍事機構の前進となった組織、クローヴィス・アルベール親衛隊。その隊長である凛々しい女性の姿をヴォイニッチは思い浮かべた。
「名誉少佐は殿下とご一緒です。あの人の任務は殿下をお守りする事なのですから」
嫉妬心からか、クレナイは複雑な表情を浮かべる。
「はははっ。まぁ、いいさ。私たちは私たちの仕事をするとしよう。殿下が帰国した時、恥ずかしい姿を見せたくは無いからな」
ヴォイニッチはクレナイの心情を察して豪胆に笑うと、温い紅茶を飲み干してそう言った。
指令室の大窓は気が付けば朱に染まっており、一日の速さを物語っていた。




