Ⅴ 悪夢
九月十一日。休戦下にあるはずのチュニシアトに光を吸収する黒い布に覆われた巨兵騎士の巨体が深緑の大地を揺らしていた。
二日前の九月九日。リーリシア王国軍務大臣アリュトス・ノル・ガラが王国外縁軍を統括するジム・バルボッサ大将に極秘の指令を送っていた。
内容は鉄塔戦の通信傍受で知る事となった敵軍要塞の攻略。かつてはアニマティズミストらに聖地として信仰の対象とされたこともあった森林地帯『ラーディフ』。鬱蒼とした木々に覆われ、高低差の激しいこの地に帝国が要塞を建設しているという情報は王国上層部にとって眉唾物であったが、交通路の集中するポイントを一望できる場所に存在し、それが真実ならば早期に排除しなくてはならなかった。
「あれを使え。アレはまだアーデンにあるのだろう?」
アリュトスは手にした資料を数回机に叩きつけ、軍服を纏った大男に威圧をかけながらそう言った。その様子はまるで自分の方が、立場が上である事を示しているかのようだった。
「巨兵騎士ですか? あれは騎士戦術室の管轄故、バレンタイン准将にこの件を……」
「不必要だ! はぐらかす事もないだろう? バルボッサ。
確かに特務遊撃部隊はあの青二才が仕切っているが、一体だけ、王国正規軍西部防衛部隊の管轄にあるものがあるだろう? それを使え」
アリュトスの指摘は正しかった。『カプリコーン』『アリエス』『ピスケス』の三体は騎士戦術室が管轄しているが、王国最初の巨兵騎士である『アクエリアス』だけは投入当時のまま西部防衛部隊に管轄が残されていた。
「ですが大臣。現在南大陸は休戦下。軍事行動を起こせばオルタリアが黙っていますまい」
「軍事行動か。今や形骸化している十二王国連盟憲章にある軍事行動を意味するのであれば、『武装を以って相手国に損失をもたらす』という事になるが、幸いアレは武装を用いずとも目的の達成が可能だ」
アリュトスは下卑た笑いを浮かべ、バルボッサの耳元で語りかけた。その囁きに軍服の男は心底不快な表情を浮かべる。
「『武装』というのが、巨兵騎士が装備する剣刀銃器だけでなく、巨兵騎士そのものを指している。と読むことも出来ます。敢えて今は静観に徹し、休戦期間が終了した後に攻略するのが良いかと」
「臆病風に吹かれたか!? その様なものいくらでも解釈できよう!
そこまでオルタリアの影に怯えるのなら、身を隠して行けばよい。これは、攻撃ではない。リーディア旅団なる略奪集団に対しての哨戒行動である。という事にしておけばいい」
事実バルボッサは臆病風に吹かれていた。もし、オルタリアがこの行動を休戦違反と非難すれば、単独で行動を起こしたとして、人身御供として自分が捧げられると考えていた。その場合、恐らくは比喩も何でもなく、首を差し出す事になるであろう。
「では、頼んだぞバルボッサ大将。良い知らせを期待している」
この言葉を最後にアリュトスは口を塞ぎ、黒い背広を整えると、バルボッサの制止する言葉を無視して部屋を出ていった。
もはや彼には道は一つしかない。命を賭して穢れた戦いに挑む他なかったのである。
九月十二日。バルボッサの命を受けたアルゴ・ブルート特佐は非武装の軍用車二台とアクエリアスを伴い、ついに帝国が拠点を構築したと言われるラーディフに到着した。
ラーディフ山の噴火によって作られた地表は固く、露出した木々の根や起伏が車両の通行を困難なものにしており、ここからの進軍は一層の時間を要する事が予想できた。
「こんなところに基地などあるのか? 我々は偽の情報をつかまされたのではないか?」
同行した兵士は隠すことなく苦言を放った。目の前に広がる光景は彼にそう思わせるのに十分だったのである。
「それがどうあれ、我々はやらねばならない。本来であれば特務遊撃部隊の肥溜め共の役割であるが奴らはバカンス中だ。
目標地点まであと20キロ。もう少しの辛抱だ」
部隊とも呼べぬ小集団は“アクエリアスの機能”が最も有効に働くポイントへ疑心暗鬼になりながらも向かっていた。
「旦那? やっぱり嫌なんか?」
「そうだな。気分の良いものでは無い。王国軍軍人として言うべきではないが、ここに帝国兵などいない事を願うばかりだ」
「そっか……」
作戦へと赴くインフェクテッドとポリネイトの表情は暗かった。彼らはこれから自分たちが何をしようとしているのか分かっていたのである。
「閣下。東よりこちらに向かう巨兵騎士らしき物体が確認されました」
「王国軍か? それとも旅団軍か?」
「黒布で覆われているため確認が取れません。いかがいたしましょうか?」
木々をなぎ倒し、大地を揺らしながら前進する巨体の姿をラーディフ要塞に駐留する帝国軍が確認したのは十二日正午の事だった。
ラーディフ要塞は兵士の転落事故によって偶然発見された地下空洞に設けられた要塞であり、自然の強固さと自然の隠密性を兼ね備えた帝国の重要拠点であった。
さらにラーディフ要塞の有用性を示すものが地上に伸びた数本の長い地上口であり、これによって地上の悪路に左右されず、チュニシアトに点在する拠点への物資輸送を可能にしていたのである。
「我々がここにいるという事を示すのはまずい。ここは静観だ。
なぁに、ここに要塞があるなど奴らは夢にも思わんさ」
現実、王国軍はこれまでこの要塞を発見できていなかったし、今も「この辺に要塞があるらしい」という不明瞭な情報しか持っていなかった。ラーディフのカモフラージュは長い間機能していたのである。
「上からの命令だ。静観だとよ」
「そりゃそうだろうな。下手に行動すれば休戦下にあるにもかかわらずチュニシアトに駐留している事が表に出てしまう」
「けどよぉ。やっぱりおっかねぇぜ…… あれがすぐ近くにいるってのはよぉ……」
「あぁ、生きた心地がしないな。できれば見る事も無く人生を終えたかったぜ」
要塞に隣接した高台。そこに見張りとして配置された兵士たちが、禍々しい禁じられた巨体の姿をその眼に焼き付け、体を震わせていた。それは、これから起こる事への生物的、直感的警告だったのかもしれない。
「こちらアルゴ・ブルート特佐。指定されたポイントに巨兵騎士『アクエリアス』が到着した事を確認した」
新緑の中に存在する異質な黒い巨体が動きを止め、操縦者は作戦行動の第一段階が完了した事を機械のような冷たい声色で告げた。
「よろしい。作戦実行の前に風向、風量を確認する。全車両は巨兵騎士遠隔操作可能範囲ぎりぎりまで後退! 遅れるな!」
部隊長を任ぜられた兵士の号令が発せられると、巨兵騎士を残し、王国の追随車両が来た道を戻っていった。これは、アクエリアスの悍ましい能力に巻き込まれないためである。
「…………」
「…………」
「…………風向依然変わらず。九月十二日、十三時五分。作戦を開始する。
……この日、この時。信仰の大自然はその命を終える」
最終命令が発せられるまでの暇は、躊躇の表れだった。休戦規定に背くことに対してではなく、また、神聖なる地を侵す事でもない。それは、もはや戦争とは言えない残虐な行為の開始を宣言する事に対しての躊躇である。
「……任務了解。隠密布をパージし、『シトゥラ』を起動します」
「旦那……」
「いいんだ。私の手は既に血に染まっている」
外套を脱ぎ捨てたアクエリアスは、背に持った巨大な水瓶『シトゥラ』に熱を加える。そして、そこから濁った紫色の煙が出るや否や、アクエリアスの全身に配置されたダクトからも毒々しい煙が溢れ出し、風に乗って東へと波の様に押し寄せていった。
煙に触れた木々は冬が突然訪れたかのように落葉し、取りや動物は血の涙を流して土に伏した。そして、昆虫さえも石化したように生命活動を止めた。
「なんだこれは!? ぎゃぁぁぁああああ! ががっががっが……」
毒煙の波は高台の兵士を襲い、彼らの穴と言う穴から血を吹きだたせ、絶命させた。そのあまりの苦しみから、死体の表情は歪み、鬼の形相を形成していた。
万物を死に追いやる呪われた煙は、風と重力という二つの自然の法理に従い、自然の要塞を攻略し蝕んでいく。基地上部に存在する通気の為に開けられた穴穴から毒煙が侵入し、少しずつ地下内部へと規模を広げていったのだ。
「地上との通信が取れなくなりました。何かあったのかもしれません」
「電波不調か機械の故障だろう?」
「いえ、それが、風の音などは入って来るのです。ただ、誰も応答しない模様で……」
地下の者達は地上の悪夢を知らない。そして、それが彼らの命を求めて近づいている事も……
「あぁ、悍ましいな。先ほどまでの鳥の声すら聞こえなくなった。きっと我々は地獄に堕ちるだろうな」
“森を殺す”という光景は味方である王国軍にも畏怖の感情を与えていた。中には目を背ける者もいる。そして、不思議な事に「ここに帝国兵などいなければいいのに」というブルートと同じ思いに彼らは至った。
毒煙散布機能『シトゥラ』が起動してから10分経過した十三時十五分。毒煙はラーディフ基地内部に到達し、逃げ場のない死の檻と化した地下空洞に動物の様な絶叫がこだましていた。その声は通気口を通り、まるで管楽器の様に静かな地上に音を運び、それがアクエリアスの音感部位に届いたことでそこに帝国軍が存在していたという事が王国軍に知られる事となった。
だが、作戦目的をほぼ完遂した彼らの表情は暗かった。車内にあるアクエリアスの球根から洩れる煉獄の叫びが彼らを戦慄させていたのだ。
そして、十三時ニ十分。その声は完全に消えうせ、豊かだった森には風の音だけが残った。
まるで害虫が駆除されるように、ラーディフ要塞の帝国兵1000人余りは空の見えぬ死の檻の中で物言わぬ亡骸となった。そして、彼らは皆共通してこの世の全ての苦しみを一身に受けた様な名状しがたい形相で血の涙を流していた。
「これで何度目だろうか? いずれ何も感じなくなるのだろうか? それとも、先に帝国人が絶滅するのか?」
ブルートは平静にそう口にした。それはまだ自分がまだ“人間”でいるという確認であり、目尻からの一筋の光が彼の感情を物語っていた。




