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戦場のアウラウネ  作者: 耕眞智裕
第二章 錯綜の都
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Ⅲ 不安

「あぁっ…… 暑いですわ…… これ脱いでもよろしくて?」


「駄目です。どうかもう少しの辛抱を……」


「神に捧げる生贄になった気分です」


「ですが姫様。ここには……」


「そう…… リナ・バランシュ…… 間違いないですわ」


 兵士たちが敬礼する中、黒い外套を羽織った女とメイド姿の侍女が巨船の甲板を歩く。そして、兵士の代表であるリナが外套の女に膝を折った。


「姫様。ご機嫌麗しゅうございます。我々の様な者に拝謁の機会を与えて」


「貴方がリナ・バランシュですね」


「え? あ、はい! 失礼しました。私第四特務遊撃部隊隊長リナ・バランシュ大尉であります。ですが、なぜ私の様な者の名前を?」


「ふふふ、さて、何故でしょうね」


 隊長の名前位は事前に知らされている可能性もあり、リナはアリス姫が自分の名前を知っている事はあり得ぬ話ではないとその時思ったが、外套から見える彼女の口元に不思議な胸騒ぎを覚えた。幾度となく戦場で感じたものとは違う、もっと内から来る恐怖のようなものだ。


「それでは、バランシュ大尉。船内に案内してくれるかしら。私暑くて仕方ありませんの」


「承知いたしました…… どうぞこちらへ」


 リナは払う様に胸騒ぎを鎮めると、手で身を扇ぐアリス姫と侍女を木の香りが充満する船内に招き入れた。そして、「もうよろしいですね」と一言言った後、アリス姫は外套を脱ぎ棄て、金色の長髪と美貌を露にした。


「姫様……」


 侍女は脱ぎ捨てられた外套を拾い上げ、呆れて呟いた。


「あら? もう人目を気にする必要も無いですし、よろしいでしょう? 

 ところで、リナ・バランシュ大尉。リナさんとお呼びしてもよろしいかしら?」


「あ、はい。お心のままに姫様」


 予想外の言葉にリナは動揺した。そして、その姿をアリス姫はじっと観察した後、舌なめずりして、リナにその美貌を近づけた。猛暑により汗をかいているはずであるが、その匂いを微塵も出さず、高級な柑橘類の香水の香りがリナの鼻先に香った。


「リナさん。リーリシアの御出身ではありませんね?」


「はい。王国の為、同盟国レオンバルトより馳せ参じました! しかし、どうして?」


 身分が違うだけでなく、この様に顔を合わせる事など通常あり得ない間柄である自分に対し、なぜ王国の姫がその様な事を聞くのか、リナには不思議でならなかった。


「いえ、大した理由などございませんわ」


 アリスはまたも不敵な笑みを浮かべ、またもリナの心をざわつかせた。


「こちらが姫様の御部屋となっております。侍女の方はこちらで、護衛の者と待機して頂きます」


 ひときわ大きなゲストルームに小部屋が併設されており、その扉の前で護衛という大任を任されたブレア一等兵が緊張を露に頭を下げた。


「ひ、姫様! レイン・ブレア一等兵です! わが身に代えてもお守りしますっ!」


 ブレアがここまで気を高めるのは、彼女の生まれが、マリア姫の母であるアルゼの故郷であるためであった。そこではアルゼとアリスは信仰と言って差し支えないほどの尊敬を集めており、ブレアも他の村民同様、アリスの信奉者であったのである。


「よろしくお願いしますね。可愛い衛兵さん。 ……そうだ、私少し喉が渇きましたの、ブレア一等兵さん。冷たい紅茶をお願いできるかしら?」


「はいっ! 喜んで!」


 最初の申しつけにブレアは顔を赤らめ、ぎこちない歩みでその場を離れた。そして、彼女が皆の視界から消えるのを確認すると、アリス姫は怪訝な面持ちでリナの顔をじっと見つめ、口を開いた。


「私は軍人じゃないから詳しくないのですけど、ここにあの可愛らしいお嬢さんを護衛としてお置きになるのでしたら貴方はどちらにいらっしゃるのかしら?」


「一等兵は優秀な戦士です。姫様をお守りするのに十分であります」


「……リナさん。私がお聞きしたいのはそう言う事ではありません。この任務私にもしもの事があれば、あなた方もただでは済まない。軍人であり、責任者たる貴方が自ら私を護衛しないのに違和感があるのです」


 アリス姫は直立するリナの元に近づき、プレッシャーを与えながら言葉をぶつけた。


「私は指揮官です。直接警護する立場ではありません。それに、一等兵は信頼に足る人物で……」


 リナの心中にあった彼女に対する不可解な敵意に近い恐怖が再燃していた。アリスの風貌、仕草、声、そのどれもがリナにアラートを鳴らしていた。


「ブレア一等兵さんでしたか。あの方が屈強そうには見えないのですが、まぁ、悪い事を考えているようには見えませんでしたね。

 それは分かりました。私ったら、変な事を聞いてごめんなさいね。

 でも私、貴方が気に入りましたの。もし、私があの方ではなく、貴方に私の警護をお願いしたら、貴方は従ってくれますか?」


 求めていた答えが得られず、アリス姫は表情をそのままに、答えを直接求める事は止めて、新たにリナに要望を突きつけた。


「う、言いにくいのですが……この船には危険人物が乗っているのです。私は“それ”を監視する役目がありますので、姫様の要望に沿う事は出来ません。どうかご容赦を」


 リナは口に力を入れて、不快そうな顔をしないように言葉を繋げた。そして、アリスは彼女から欲しい回答を導き出せた事で表情を和らげた。


「……そうですか。

 ごめんなさいね。我儘を言ってしまったわ」


「いえ、滅相もございません。

 これより“それ”の監視の任に当たりますので、これにて失礼いたします」


 言葉の波が引いたタイミングで退出の意志を示し、リナは息の詰まりそうな部屋から身と心を引き上げた。そして、牢獄から外に出た虜囚の様に、外界の空気を懐かしみ、存分に肺に入れた。




「……聞いていましたか? アリエル?」


「勿論です。姫様。全くお人が悪い。“全てご存知の筈なのに”」


 アリスの呼びかけに侍女の少女が何処からともなく現れ、小さく溜息をついた。


「全ては知りませんわ。私にもリナさんの心内は分からないですもの。だから、計ったのです。壁を叩いて部屋の広さを知るように、水面みなもに小石を放って、波紋から深さを知るようにね。」


 王国上層部でアリスの派遣が決定し、その通知が流れた直後、アリスとその侍女アリエルは偶然捕らえた侵入者を尋問していた。

 王宮敷地内に侵入したその女はいくつかの資料を依頼主に持ち出す途中だったようで、彼女の懐には持ち出しが禁じられた文書の写し書きが隠されていたのだ。

 その内容はアリス姫にとってもに無関係と言えず、彼女は好奇心から女の主を吐かせようとアリエルに尋問させたが、女は口を割ることなく、奥歯に隠した毒物で自害した。

 そして、二人の手元には女が命を賭けて持ち出しを図ろうとした“マレーティア王国派遣団”に関する情報だけが残され、興味本位でアリスはその内容を目に通すと、運命の輪が重なった様な、言い知れぬ歓喜と興奮を抑える事が出来なかった。資料にある護衛部隊リストの中にある二つの名前リナ・バランシュとイグニス・ラッシュフォード。アリスはその二つに巡り合えた導きに感謝し、自害した女が幸運を運ぶ天使に思えたのである。


「リナさんは想像していた通りの反応をしていましたね。ほんと、“あの時”からそう言う所は変わらない。ふふふ、彼女が危険人物を“それ”と呼ぶ度に声を震わせ、表情が硬くなっていました。あの方にとって危険人物というのは私より優先して庇護する対象であり、それは危険性故ではない事が手に取るように分かる」


「私には分かりかねます。その様な訓練は受けていませんので」


「その内あなたにも分かる時が来ますわ。女の勘は恋に身を浸した時、開花するものなのですから」


 アリスはアリエルの頬に優しく手を添え、母が娘に語るように、慈悲深き声で囁いた。



「ア、アリス姫様! お紅茶とケーキをお持ちしました!」


「ふふふ、ありがとう。ブレアさん」


 紅茶とケーキが乗った木製の盆を手にしたブレアをアリス姫は高貴な笑顔で歓迎した。その瞳は全てを愛するかのように慈悲深く、そう、誰にもそのように映ったが、その奥底には獲物を狙う決意に燃えた肉食獣の輝きがあった事は彼女の侍女にしか知らぬ事であった。








(あれがリーリシアの姫……)


 ゲストルームから離れ、イグニスの元に向かうリナの心には未だに、言い知れぬ恐怖と不安が食い込んでいた。そして、故は分からないが、イグニスに会う事でこの胸の締め付けが解かれる事を彼女は理解していた。

 不安が彼女の歩みを急がせる。今の彼女には木板を踏み込む足の音も聞こえない。彼のいる部屋の扉の前に至った時、彼女の鼓動は不安と安心、共存しえぬ二つの思いで高鳴っていた。


「イグニス様! 私です。リナです。どうか扉をお開け下さい」


「リ……大尉殿。どうしたのですか? そんなに声を大にいたしますと……」


 リナはイグニスの姿と声が五感の二つに刺激を与えたと同時に、彼の胸元に飛び込み、彼を押し倒した。


「リナ! どうしたの? 何があったの?」


 突然の行動に、ジョウルクも心配そうに声をあげる。


「大尉殿? 大丈夫ですか?」


「……今はどうかこうさせて下さい。ここにいらっしゃるという実感を下さい」


 私にはリナの言っている事が理解できなかった。だが、私は身の程を弁える事無く、彼女を癒せるのは自分しかいないと思い、彼女の美しい黒髪をなぞって後頭部に手を添えた。


「私も、大尉にいて欲しかったのかもしれません。

 先ほど、件のロイド・コックス軍曹に会いました。

 ははは…… 私もまだ人間の部分が残っているのでしょう。慣れていると思っていても、当然の事と思っていても、心はひび割れていく……

 ありがとう………………リナ」


 リナはイグニスに言葉では答えなかった。だが、古くから繋がった心の糸を介し、気持ちは波となって伝わっていた。そして、二人だけの世界から閉め出されたジョウルクは寂しさを感じながらも、身を寄せ合う二人を温かく見守っていた。


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