Ⅱ 出発
オルタリアによる停戦は法的な拘束力はないが、かの国が持つ宗教上の権力、化学力、経済力が大陸の国々を拘束し、従わせていた。
強制的停戦は長くて半年続き、この時間は戦況に大きな影響を与えるため、戦争当事国首脳部は歯ぎしりしながら足踏みをするのが通例であった。
しかし、王国にとってはシュペルク再建と、それに伴う国境戦力増強の時間を。帝国にとっては、大破した巨兵騎士の再生に要する時間を得たことになり、今回の停戦は両社にとってむしろ喜ばしい事であった。
つかの間の平和が到来した。だが、無論それは完全ではない。大陸の国々は軍事行動を制限されたが、その対象外の武装集団――リーディア旅団の存在が彼らを常に緊張させていた。
その神出鬼没さ、オルタリアにすら尻尾を掴ませない抜け目のなさ、そして、その残忍さや強さから時に敵国以上に恐れられ、平和のぬるま湯につかる事は許されなかったのである。
しかし、リーディア旅団の次なるターゲットは南大陸ではなく、王族関係者が集まるマレーティアにあった。無論、その警備は強固であり、狩りには危険が伴われたが、虎穴に入らずんば虎児を得ず、得られるものも大きかったのだ。そして、保有する巨兵騎士『タウラス』の損傷は想定以上に大きかったのも理由の一つであった。
潮風香る港町。海鳥の声がここ――カサドラの朝を告げていた。カサドラは王国首都ゼスから北西に300キロ。港町としてはそこまで大きくはなく、人口も少ないこの町が訪問団を送る舞台に選ばれた。
本来、王国ではインフェクテッド及びポリネイトが街に入る事は許されないが、これは特例であり、秘密裏に行われていた。
「本日、王国第三王女アリス・ミリア・リーリシア様をお迎えし、マレーティア王国に出発する。諸君らは戦争に赴くわけではないが、常に己が剣を研いでおけ。
砲車はない。銃器も多くは持ち込めない。頼れるは自らの肉体のみだ。私は諸君に同行する事は叶わなかったが、皆の力を信頼し、任務を託す」
ガレッジ大佐の言葉が集った40名に対して投げかけられる。マレーティアに明るい者、調理の才がある者、戦闘能力の高い者などが集められた。現在、第三特務遊撃部隊はアレンシア要塞で補充された兵士、第四特務遊撃部隊の生き残りなどが合流し、総兵力200人を数えた。その内の20%が今回の任務にあたる事になり、自然と隊に馴染めていない者が出てくる。
(さて、どうなるか……)
この事について、ガレッジには気になる点があった。バレンシアにて隊に入ったロイド・コックスである。良い噂を聞かぬあの男が何かしでかすのではないかという当然の疑念だ。
彼は親の仕事の関係で短い期間であったが、マレーティアに滞在していた時期があった為、当国に関する知識について、隊の中で並ぶ者はいなかった。その有益さは、落ちこぼれやよそ者の集まりのこの隊において非常に重要であり、彼を本任務から外す事も考えたが、リナが彼を監視するという事で渋々同行させることにしたのだ。
それともう一点。彼には任務そのものに対する疑念があった。この隊が国のお偉いさん方にとって、使い捨ての駒程度にしか思われていないのは彼も知るところであり、その隊だけに任務を任せ、加えて、王族の中でも地位の低い第三王女アリスを派遣するという事に対し不審に思わざるを得なかったのである。
つまり、帝国を装って姫を殺し、その責を帝国に追求する事でオルタリアの支援を得ようとしている可能性だ。
(考え過ぎか……)
従来からいる兵士と新しく補充された兵士の態度や、醸し出す雰囲気が両極端であるのを見つめながら、ガレッジは複雑な表情で出立の挨拶を終えた。後は姫を待ち、3隻の木造船に乗り込むのを見送るだけである。
「なんだこれは?」
「なんでうちの町にこんなものが……」
第三特務遊撃部隊が町内にあるクレスト教が保有する公会堂に集まっている頃、町民達は港に押し寄せた三隻の大型帆船に度肝を抜かれていた。
船体にはクレスト教の紋章が刻まれており、その所有者がかの教団である事を示していた。
実際の所、その姿に驚愕したのは町民だけではなく、それに乗船する事になる兵士たちも同様であった。海を見た事すら無い者は勿論、その他の者たちの中でも、この規模の船は教団とオルタリアしか保有しておらず、見る機会などそうあるものでは無かったのである。
「恐るべきオルタリアの技術力という事か」
公会堂から出て、船を目にした兵士たちの中の一人がそう呟いた。
南北大陸を大河の如く分断する大海――北海。この海を制する者が、両大陸の覇権を手中に収めると言っても過言ではなく、各国が競って海上戦力の開発を行ってきた。そこで、最大の障害となったのが、海水と反応を起こして分解を始めるランページ鉱である。
これを多分に含んだ鋼鉄は海上においてその価値はなく、含有量の少ない希少金属を用いるのであれば、膨大な時間と予算を覚悟する必要があった。
この大地でランページ鉱を一切含まず、長時間海水に晒す事の出来るものは、植物、動物、海岸部に存在する一部の岩石や砂だけであり、鉄を利用する事を諦めた国々はこれらの素材に注目する事になった。
ある国は海岸の岩石を採取し、利用しようと画したが、技術的に加工できず、形を成す事ができなかった。別のある国は海中を悠々と泳ぐ海洋動物に注目した。即ち、その皮や鱗、甲殻を剥ぎ取り利用しようという考えだ。だが、これも上手くはいかなかった。それらの素材も加工し、船とする事は困難であり、強度にも問題が生じたのだ。そして、ある国は身の毛もよだつ、恐ろしい手段に着手した。動物の生皮を剥ぎ取り、それが足りなくなると、人間の死体から素材を獲得、それを金属の船に張り付けたのだ。だが、彼らの試みも上手くはいかなかった。パッチワークで張り付けられた獣皮人皮は海中で削げ落ち、剥き出しになった金属は海水の一部に還元したのである。
彼らの努力は無駄足に終わったわけであるが、この事は試すまでもなく当然の結果であった。なぜなら、それらの素材を利用したところで、海上を長時間航行する強度は無く、戦闘はおろか、物資運搬すら難しい代物であったからだ。
結局、海上覇権の宝物を眼前にぶら下げられた者達の狂気に似た試みは、木材が最良というふりだしの結論に至った。
その後、素材開発に挫折した各国にオルタリアから驚くべき材料が提示される。それが『ゴム』だ。弾力性のあるこの素材は短時間ながら海水への耐性もあり、このようなものを容易に提示できるかの国を畏怖した。ゴムの生成方法は門外不出であり、各国はこの素材が植物由来である事すら知らない。
「わっ、なんだ!」
カサドラ駐在の軍人が銃剣で威嚇し、野次馬の町民を追っ払い始め、船の周辺が静かになると、ついに第三特務遊撃部隊乗船の命令が下された。彼らは命令に従い、三つのグループに分かれ、乗船を速やかに開始した。
大型木造船の内装も海水が侵入した時に備え、扉のヒンジ等を除いて木材で出来ており、独特な匂いが船内に充満していた。そして、金属の武具を担いだ者達が単一化された空気を濁し、かき回した。
「船内での火器の使用は厳に慎むように! タバコ、ランプと言ったものの使用も甲板を除き船内では禁止だ」
船内に立ち入るよそ者に船のクルーは声高に忠告する。
木に囲まれた空間にはランプの代わりに発光虫の入れられた籠がかけられ、彼らの火に対する警戒が尋常ならざるものである事を表していた。
また、船内には調理室は無く、食料は停泊した港で確保する事となっていた。
「ここが私たち三人の部屋です」
リナが嬉しそうに私とジョウルクにそう言って戸を開けた。
「私達? ……た、大尉殿。それぞれの部屋は男女に別れているはずではありませんか?」
今回の任務にあたるインフェクテッドとポリネイトを除く40人の内、12人が女性であり、当初の話では男女に別れ、二人ずつ部屋が分けられる事になっていた。
「はい。そうですよ。だから、二人が一部屋に泊るのは不健全だと思うんです」
私は彼女が言わんとしている事が理解できなかった。私はジョウルクと常に空間を共にしてきたし、間違いが起きた事など今までないのは彼女も知っているはずだ。
「ほらほら早く入って下さい。時間は有限なんですよ」
リナは怪訝な表情の二人を強引に部屋へ押し込むと、周囲を見渡した後扉を閉め、扉の内側に配置された木製の閂を勢いよく横にした。
「えっとですね。つまるところ私はイグニス様とジョウルクの監視役という事になっているんです」
「巨兵騎士を持たない私たちに力など無いというのに、ご苦労な事ですね」
リナを見つめ、不快そうな顔でジョウルクが呟いた。先のリナが口にした「二人が一部屋に泊るのは不健全」という発言が癇に障ったのである。
「まぁ、実はこれも建前。本当の監視目的はこっちなの」
ジョウルクの言葉に苦笑いしながらリナはそう言うと、部屋の壁を指差した。そこにあるのは何の変哲もない木の壁。二人は顔を傾け上官に説明を求めた。
「隣にいるのは危険人物。ロイド・コックス……」
「コックス……」
その名を聞いて、私の脳裏にレオンバルトにいた王国大使の顔が浮かんだ。
「イグニス様も御存じでしょう? かつて我が祖国の大使であったゼクト・コックス。ロイド・コックスはその嫡子です。
彼はアレンシアでも暴れたみたいで、誰かとペアにするのは危険と判断し、隣の部屋で一人にする事にしたんです」
「なぜそのような方が私たちの部隊に……」
ロイドなる人物の話を聞いて、不快そうな顔を変えず、ジョウルクはぼそぼそと小声で呟いた。
「我々に拒否権はありませんからね。上が入れろと言えば入れるしかないんですよ。それに、今回の任務では彼は役に立ちそうですし、拒否する理由がありません」
リナはあきれ顔で手を左右にかざし、ヤレヤレとポーズをとる。そして、入室した時に持ち込んだ私達の荷物に目を付け、その元に駆け寄った。その突然の行動に私達二人は唖然とし、彼女が荷物を物色するのを止められなかった。
「ちょっと大尉! 一体何を!?」
イグニスの声を馬耳東風に流し、真剣な目でリナは荷物を漁る。そして、彼女の指先に何かが当たり、それを取り出した。
「やっぱり……」
「大尉、それは……」
リナが手にしていたのは、あの忌まわしい仮面だ。私は自分への戒めの為、その仮面を彼女の目に付かない範囲で持ち歩いていたのだ。
「これは貴方に必要ないものです。上官権限で没収しますね」
「私もそう思います。こんな物持っていても皆悲しいだけです」
女性二人に鋭い目線を当てられ、私は無様にたじろぐ。だが、俺にとってそれは罪の証であり引くわけにはいかない。
「お待ちください。それは私にとって重要なものなのです。どうかお返しいただけないでしょうか?」
俺は返却を懇願し、頭を下げた。その姿にリナは腹から炎が湧き出したような怒りの表情を浮かべ、ジョウルクは全身に冷水が通ったような暗く悲しそうな表情を浮かべた。
「重要…… 重要と仰いましたが、イグニス様にとってこの仮面がどう重要なんですか!?」
リナの怒号に似た言葉が部屋の空気を震わせる。
「それは私の罪です。周囲の物たちを際限なく不幸にする罪の証なのです」
その言葉にリナの糸が完全に切れ、仮面を放ると、イグニスの肩を掴み地面に押し倒した。木で出来た床はその衝撃で軋んだ音を奏でるが、彼女は止まらない。悲壮と憤怒が涙と声に表れ、彼女は強烈なプレッシャーを部下に放つ。
「誰が不幸ですって!? 勝手に不幸だとか決めないで下さい! 己惚れも甚だしい……
今の貴方が一番私たちを不幸にしているんですよ…… 全く……」
「大尉……」
私は彼女の言葉に答える舌を持たなかった。どれだけ脳をかき回しても答えは見つからない。それはきっと彼女は正しいから……
「ラッシュフォード特尉。命令です。我々だけの時はレントにいたころと同様に接しなさい」
このような命令は職権乱用であり、許されないのはリナも理解していた。だが、彼女の怒りと悲しみが倫理のタガを外していた。
「それはできません。私はもう、あの時の私では無いのです。これは貴方も同様です大尉殿」
イグニスの答えの後、しばし静かな時間が流れた。そしてその数秒の刻の終わりに戸を叩く音が聞こえた。
「イグニス様は知らないかもしれませんが、私は非常に強欲です。絶対に諦めませんから」
リナは私に顔を近づけ宣告すると、乱れた髪と服装を整えて訪問者の応対に向かった。相手は船員のようで、この任務で最も重要な人物が来た事を告げるものだった。
「ラッシュフォード特尉。この場でしばし待機せよ。私はしばし部屋を外す」
船員にいらぬ誤解を与えぬよう、リナは語勢を強め鋭く告げた。そして、放った仮面を拾い上げると、船員と共に部屋から離れ、重要人物の出迎えに向かった。
「イグニス様…… もう分かっているのでしょう?」
服装を乱したまま床に座る私にジョウルクが語りかける。
「あぁ、分かっているさ。だけど、もう無理なんだ。私たちは前に進むしかない。それが破滅に向かうものだとしても…… 私はその運命にリナを巻き込みたくない」
私の中でイグニスという人間は死んでいた。リーリシア大使館に身を投じたあの日に私は死んだのだ。ここにあるのはイグニス・ロイゼンだった器と、死神の魂だ。
「もう戻れないのでしょうか……」
ジョウルクの悲痛な言葉は空気を冷やしたが、突然の戸を叩く音にそれは掻き消えた。
上官が不在の状況で応答するかどうか考えたが、私は彼女の不在を伝える為に戸を開いた。
「バランシュ大尉は不在であります。ご伝言があればお伺いしますが……」
「ふーん。お前がこの隊のインフェクテッドか。そして後ろにいるガキがポリネイト……」
戸の向こうにいたのは、王国軍の軍服を纏った痩せた男だった。男はイグニスの肩下から部屋の奥を覗き、少女を見つけると不気味に笑った。
「あなたは一体?」
俺は男を不審に思い、身元を求めた。
「ったく…… 躾がなってないな。名を名乗るのならてめぇから名乗るのが普通だろ。
まぁ、バケモノに人間様のルールを理解しろという方が無理な話か。
俺はロイド、ロイド・コックス軍曹だ。しっかり根と茎で出来た脳に刻み付けておけ」
ロイドは名を名乗るとイグニスを卑下する様に笑う。傷ついた者に愉悦を感じているかの如き下卑た笑いだ。
「私はイグニス・ラッシュフォード。これからよろしく頼みます。コックス軍曹」
イグニスの言葉に感情は無く、機械の様であった。その事が癪に障ったロイドは右拳を突く様にイグニスの顔に放った。そして、拳は顔の2センチほど前で止まり、風の流れがイグニスの鼻先を撫でた。
「ふん、俺の身体を汚したくないからな。まぁ、精々身の程を弁えておけよ。バケモノ!」
拳を収めたロイドは満足そうににやけ、奥にいるジョウルクにも聞こえるよう、大きな声で言い放った。
感情を露にするロイドに対し、イグニスの心は風も無く、生き物もいない海面の様に平静だった。ただ、容易な航海にはならないだろうという認識だけが彼の心のノートに刻まれた。




