Ⅰ 胎動
「国王陛下。オルタリアからの書状の件ですが、いかがいたしましょうか?」
「従う他なかろう。帝国側にオルタリアが付けば、王国に勝機は無くなる」
リーリシア城謁見室にて、王座に座する君主と各大臣が集い、緊急の場が設けられていた。
マレーティア王国逝去、及び停戦に関するオルタリアからの書状にリーリシア王国は戸惑いを隠せないでいたのだ。
この書状は正確にいえばオルタリアからではなく、オルタリア本国から要請された王国内のクレスト教組織によってなされたものであり、この二つの強固な繋がりを示していた。
「御意。では、マレーティアの使節はいかがしましょう?」
王国にとってマレーティアは敵国の同盟国であり、距離が最も離れた最果ての国だ。伝統ある十二王国の末裔として、礼を失するわけにいかぬが、同時に最悪の事態も考えなくてはならない。
「あれを遣わそう。第三王女アリスを」
リーリシア王国国王エドワード二世には、複数の女性との間の子供が幾人もいた。そして、妃の婚前地位によって彼らは区分けされ、王位継承順位が決められる。
第三王女アリスの母は、王国東部の農村出身であり、アリスは王の戯れによって出来た子であった。その為、彼女の王位継承権は妹弟よりも低く、政治上、外交上の駒としか評価されていなかったのである。
「それがよろしいかと存じます。では、護衛の兵士、移動手段もこちらで手配いたします」
「うむ。任せよう」
王は自ら判断する事は無かった。それは、彼が王に即位するまでの複雑な経緯に理由があった。エドワード二世、ジョン=マリス=リーリシアは四人兄弟の離れた末弟として生まれ、王位に就く事はあり得ないと自他ともに考えていた。それ故にジョンは権力闘争に明け暮れる兄たちを横目に、趣味である絵画に没頭していた。
だが、いつしか状況は彼の思わぬところで変化し始める。彼の知らぬところで兄たちは策に溺れ、権謀術数の末に国益を貶めた。自らの行いが毒となって、滅びに向かう醜い王子たちの支持の低下は誰の目にも明らかとなり、権力闘争が血を流すものとなると、自然と人畜無害のジョンに注目が集まった。
無論、兄たちはそれを是としなかった。彼らにとってジョンは取るに足らなく、格下の存在であり、玉座に近づくなど許せるはずが無かったのだ。そして、その感情が彼らに一線を越えさせる原動力となった。共通の敵として、ジョンの謀殺を企んだのである。
結局、謀殺は未遂に終わったが、彼なりに兄達を敬愛していたジョンが受けた衝撃は計り知れないものであった。
そして、国を傾け、王子を殺めんとした兄弟は王令により断罪され、王子としての自覚がないジョンが次期王の座に就いた。
彼は策に溺れ、身を滅ぼした兄達を見ていた事、そして、帝王学と言うべきものを何も修めるに至らなかった事から、多くの政治判断を閣僚や官僚、上級貴族に委ねていた。
「もう余が言う事はないな」
王がつまらなそうに髭を弄り、席を立つと、大臣たちは口を閉じ、頭を下げて主が部屋を出るのを見送った。
「それでは話を続けよう。現在チュニシアトに派遣している隊を国内に撤退させているが、アレをどうするべきか皆の意見を聞きたい」
「禁忌か…… 国境周辺の基地にでも置いておけばいいのではないか?」
「そうであるが、最低でも巨人と操縦者は離すべきではないか? 加えて、操縦者同士も離しておくべきであろう」
この提案の裏には王への不信があった。王は血の契約によって巨兵騎士の停止権を持っていたが、何か起きた時に、彼が迅速に発動できる確証が無かったのである。
王はこの数年で肉体ではなく精神が一気に老いた。彼の興味の対象は食事と女性、そして、絵画のみであり、国家の伝統や、政治に対する幼少期に培った拒否反応がいやまして強くなっていた。
「彼らを分け、他の基地に移送すれば良いであろう」
「それが容易なら私もこのような事は言わん。穢れを街に入れぬように移送するのは存外困難なのだ。しかも四匹だぞ?」
国境周辺には街から離れた基地がいくつか存在していたが、それより東になると、街や田園地帯周辺に基地がおかれ、そこに軍用車を向かわせる場合、それらを経由する必要があった。禁忌に関わるものが街や村に入る事は、穢れを広めるものとして王国では忌むべき事とされていたため、この事は外す事の出来ない重要な事情だったのである。
「然らば、砂漠地帯にでも放って…… いや、四匹は無理でも、一匹は離す事ができるぞ。ふふ、丁度最果てに行く用事があるではないか」
平穏な場に身を置く彼らは、巨兵騎士の戦力に依存しつつも、その穢れの側面に重きを置いていた。戦地の情報は王国中枢に至るまでにリファインされ、その過程において巨兵騎士の活躍は矮小化されていたため、彼らの認識は致し方なき部分もあった。
これらの認識の差異は軍部に顕著で、同一の事象にもかかわらず、制服組と背広組の持つ認識が異なるケースが多々見られた。
「これで、姫の護衛に関しては確定だな。問題が生ずれば奴らを処断すればいいし、姫は尊い犠牲として、我が国の一体化に貢献するであろう」
「では、移動手段に関してであるが……」
謁見の間での話し合いは夜まで続き、マレーティア王国国王の葬儀に関する事は大方決定した。そして、主不在の玉座に頭を下げると、大臣たちは各々の持ち場へと戻り、官僚にこの決定を伝達した。
この決定は、翌、九月九日にアーデンに巨兵騎士を預け、撤退中の該当部隊兵士達にも伝えられ、彼らに溜息をつかせていた。
「オルタリアが一声発したら、急に剣を収めて平和にってか。全く、かの国は南大陸の戦争など遊びか何かとしか思っていないのだろうな」
一時の平和を得たが、生命を賭して戦う兵士にとって、このような形の平和は気分を悪くさせるものであった。
「それでも、安全な場所で兵を休める事が叶うのならそれに越したことはない。それに、お上がどのような決定を下すかに関わらず、我々には今後についての時間が必要だ」
今やチュニシアトで機能している遊撃部隊は国境防衛を兼ねている第一特務遊撃部隊第を除けば、三特務遊撃部隊しか存在していなく、部隊の再編が必要とされていた。
そうこうしている内に、砲車70両、軍用車50両の部隊はアーデン通信基地より東に存在する王国絶対防衛ライン、その中枢をなすアレンシア要塞に到着した。
ここより西は、アシャリハ等の特殊な都市を除き、バッファーとしての側面が強く、絶対防衛ラインの東西で五倍を超える人口差があった。
「インフェクテッドから一人、マレーティア王国訪問団に随行する事となった。さて、その人選であるが」
アレンシア基地内にある隔離棟、その一室に四人のインフェクテッドとポリネイト、そして、最後の監督官であるヒュートン・ガレッジが集まった。そして、監督官は彼らを前に上からの伝達を説明した。
「俺たちにそんな仕事が回ってくるなんて、不思議な事もあるものだ」
インフェクテッドの一人、ジョシュア・バレットは怪訝な顔で辺りを見回す。良くしてくれた人を亡くした悲しみに囚われている少女、腕を組んで表情を変えずにいる男、興味津々といった表情でガレッジの言葉に耳を傾ける青年。インフェクテッドの態度は三者三様だった。
「加えて、我が隊から40人護衛として派遣される」
「ますます不思議な話だ。王室守備隊じゃなくて我々を使うなんて。それほど使節団の代表は嫌われているのか?」
言葉を発しない三人のインフェクテッドの代わりにジョシュアは狭い室内に声を響かせた。
「代表は王国第三王女アリス様が内定している。大臣も官僚も同行しない。まるで生贄だな」
姫の待遇に同情し、ガレッジは顔を歪ませた。
「アリス姫? 誰だそりゃ? 済まないが俺はリーリシア出身じゃないから分からんが、その姫様は何かしでかしたのか?」
ジョシュアがガレッジの歪んだ表情に言葉をぶつけ、その皺の数を増やさせた。
「……ジョシュア様。アリス姫は亡くなられた農民出身の妃アルゼ様の娘です」
「ポリネイトの方が王室に明るいとは、出身を用いた言い訳は通用しないなバレット特尉」
マルスの言葉を受け、ガレッジはしたり顔でジョシュアの顔を覗き込んで微笑んだ。
「……コホン。では、話を戻しましょう大佐。誰が姫様に同行しるかについてですが、俺はラッシュフォード特尉を推します。
理由は、この隊からも兵士を送るのであれば、関係が深い人間が同行すべきという事と、彼には優れた戦闘技術がある事の二点です」
苦し紛れに咳をつき、ジョシュアは話を戻した。そして、黙っていた青年を矢面に出し、彼に皆の目線を向けさせた。
使命を受けたイグニスは立ち上がると、上官に敬礼した。その姿に、彼のポリネイトであるジョウルクも慌てて立ち上がり、手先を頭に当てた。
「大佐が“行け”と命じれば私は行きます」
注目の青年の最初の言葉は簡素でつまらないものだった。
「私も彼を推したい。ここの四人の中では最も適任だろう。君はどう思うかね? ブレス特尉」
組んでいた腕を解放し、王国所属インフェクテッド最年長のアルゴ・ブルートが話を横にいる少女に伸ばした。
突然話を振られた王国所属インフェクテッド最年少の少女は動揺しながら意味も分からず首を縦に振った。明らかに話を聞いていなかったという表情だ。
「実の所、私は最初からラッシュフォード特尉にこの件を頼むつもりであった」
ガレッジは笑顔でそう言った。だが、彼にとってこの場は別の意味を持っていた。
このように一人の監督官の前にインフェクテッドが集まる事は今までになく、それぞれの人物像を知る良い機会であったのだ。そして、場合によってはインフェクテッドの地位向上という野望に利用しようと考えていた。
ガレッジは全てに慈悲深く、善意を向ける聖人ではない。彼にとって救済対象たるインフェクテッドはイグニス唯一人であり、仮に他の三人を地獄に墜としてイグニスが救われるなら容易くそれを実行する人物であった。ここにいる他のインフェクテッドに関しては利用できるか否かが最大の関心事であった。王室内部で阻害されているアリス姫に関する話題が自然と導き出される本件は、それを見るための試金石として打って付けだったのである。
「この任務が無事成功すれば、我々の待遇も改善されるであろう。ラッシュフォード特尉。君に我らの未来を託す」
無論、この発言もインフェクテッドの反応を見るためのものであったが、それに対する彼らの淡白な反応はガレッジを落胆させるものであった。更に、皮肉な事に、彼にとって取るに足らない存在であるポリネイト達が主に代わり、この話に目を輝かせ関心を示していた。
「イグニス・ラッシュフォード特尉。任務了解しました! 必ずや作戦を成功させ、王国の未来、大佐の望みの糧となりましょう」
力強くイグニスはそう言ったが、彼はガレッジの真意を理解していなかった。彼もまた、他のインフェクテッドと同様に待遇を受け入れていたのだ。それを知らないガレッジではなく、彼のこの様な態度は言い知れぬ歯がゆさをもたらしていた。
話し合いの主目的は達成され、敬礼を以ってガレッジを送ると、インフェクテッド達は隔離棟内にある牢獄の様な自室へと向かい始めた。
「マルスさん。今日は白い軍服を着ていないんですね」
「はい。アレはもう必要のないものですから…… いや、今は必要ないだけかもしれません」
イグニスの突然の問いに、見た目相応の可愛らしいシャツとスカートを身に着けたマルスは嬉しそうに答えた。
マイペースで感情が表に出やすいジョシュアと、理知的で冷静なマルスのペアはまさに氷炭相愛の関係と言え、彼らはお互いに支えあっていた。そして、彼女の白い軍服はその一端を示すものであった。
「ジョシュア様。ラッシュフォード特尉と少しお話ししたいので、先に部屋に戻っていてください」
マルスは主を見送り、イグニスとジョウルクを交互に見つめた後、ゆっくりと口を開いた。
「私とジョシュア様は第四特務遊撃部隊で極めてぞんざいな扱いを受けてきました。ジョシュア様は毎日の様に暴力と暴言に晒され、私も幾度となく辱めを受けてきました。だから、今とても清々しい気分なんです。
白い軍服はジョシュア様を護るための証。禁忌との性交渉は穢れと見做され、それを行った者は特殊な性癖を持つと嘲笑され、白眼視される。だが、野蛮な彼らは私の身体を求めてきた。そして、私と契約したのです。身体を彼らに捧げ、この事を決して口外しない見返りにジョシュア様に暴力を振るわないとする契約…… そして、あの男、ジン・ダラスは契約の証として、人権の無い非人間を示す、あの服を常に身に着ける事を義務付けた。それだけです。
今は契約当事者の片方がいなくなり、契約は無効となったわけなので証も義務もない! 素晴らしい事だと思いませんか? あなたなら分かるでしょうジョウルク!」
マルスの目は血走り、狂気すら感じた。
「あ、は、はい……」
その狂気に怖じ、ジョウルクは怯えながら返事をする。そして、自分がまだマシな環境に置かれていた事を痛感した。
「だからねぇ特尉様ぁ…… この作戦は絶対に成功させてください! 大佐が仰っていた事を私も実現したいのです。 その為なら私は何でもします」
普段、冷静な少女が媚びるように上目遣いでイグニスの体に触れてくる。その姿は彼女があの隊でどのような事をされていたのかを如実に語っていた。
「委細承知……」
イグニスも彼女の気迫に押され、言葉の引き出しを開ける手が委縮していた。
「よろしくお願いしますね特尉様。私が今言った事はジョシュア様には内緒ですよ」
イグニスとジョウルクを戦慄させた少女は笑顔を見せてスカートを靡かせながら去っていった。




