Ⅷ 鉄塔攻略戦 Ⅱ
「ヒュートン・ガレッジ大佐。お喜びください。王国軍作戦統帥本部は第三特務遊撃部隊の活躍を高く評価し、戦力増強を決定しました。資料は貴殿の部屋のデスクにありますので、ご確認の程、よろしくお願いします」
ブリーフィングの後、ガレッジは部屋に備え付けられた壁掛け電話に録音された音を聞き、デスクの引き出しに入っていた資料に目を通していた。中には兵装のリスト等が入っており、第三特務遊撃部隊に新しく入隊する兵士名簿に目を通すと頭を抱えた。
「何がお喜びくださいだ! これでは厄介払いではないか」
彼は資料をデスクに置くと椅子に全ての体重を任せ項垂れた。デスクの上の名簿には、悪名高い外交官僚ゼクト・コックスの息子、ロイド・コックス軍曹の名があった。
彼自身も父の評判同様、問題児として知られていた。士官学校での成績は優秀であったが、素行が悪く、父の失脚後、二度の懲罰房行きを経験している。自分自身に寄らない事象で身分を失った点ではイグニスと共通するが、その後の部分で全く違うものとなった。
このような形で第三特務遊撃部隊増強の報告がなされたのは、他の部隊に配慮しての事であったが、ガレッジの頭には、この事を他の部隊の隊長に暴露し、増強そのものをご破算にしたいという欲望で一杯だった。
「とりあえず、バランシュ隊長とラッシュフォード特尉には連絡しておこう」
一人で悶々とするのを嫌い、情報共有の為、ガレッジは二人に電話を掛ける。リナは直ぐに応答し、ガレッジはいやみたらしく本件を報告した。続いて、イグニスにも電話をしたが、部屋にはおらず、諦める他なかった。
仕方なく、ガレッジは部屋を出て、廊下で深呼吸し、胸中の蟠りを排除しようと試みた。だが、彼はここで妙な違和感を覚えた。
「……静かすぎる」
そう、静かすぎるのだ。現在この基地には600人を超える兵士が基地の収容量をオーバーして駐在している。狭い部屋に数人が押し込められている状況なのだ。だが、まるで、誰もいないかのように、彼のいる廊下は静かであった。
人間というのは、秘密の企みをしている間、どうでもよいことまで小声になってしまうものだ。心内だけでなく、自身の存在も隠そうとする働きがあるのであろう。
「私の杞憂であるか、人畜無害な企みであればよいが……」
ガレッジはそう願ったが、一日を経たずして、彼の願いは裏切られる事となる。八月十六日の夕方、嵐の前の静けさがそこにあった。
「イグニス様、ジョウルク! どちらに行かれていたんですか?」
「申し訳ございません大尉。外せぬ要件があった故、お許しいただきたい」
廊下でリナに捕まり、そう聞かれた私は、ブリーフィングの事を口にする訳にいかず、ジョウルクと共に頭を下げ、謝罪した。
「ところで、大尉。ここには三部隊の将兵が集合しているのですよね? それにしては妙に静かですし、何かあったのでしょうか?」
「えぇ、私も気になったので、他の隊の隊長に話を聞いたのですが、はぐらかされてしまって、どうも状況が分からないのです。
それと、ブリーフィング以降、他の隊の方も目にしませんし、何が起きているのやら…… そのおかげで、食堂は我が隊の貸し切りですけど、不気味ですよね」
イグニスとリナ、そして、口にはしなかったがジョウルクもガレッジと同様の違和感を持っていた。それ程までに基地の静寂は異常であったのだ。だが、三人にはどうする事も出来ない。リナは一部隊の長に過ぎない為、他の隊のやり方に口を挟む事は出来ず、イグニス、ジョウルクには同じ隊であっても発言権は無かった。
「それはそうと、二人とも食事はとりましたか? もし良かったら私たちと……」
「大尉…… 何度も申し上げている通り、私どもには皆と食事を共にする権利はありません。他の方の食事が終わった後、食料を取りに行きますので、お気になさらずよう」
インフェクテッドとポリネイトは衣食住において様々な制約があった。これはその一つであり、以前、禁忌と食事を共にするのを嫌がった兵士の要望が形となったものである。
「それでは、私と三人では、どうでしょうか? レントの時みたいに……」
「やめてください大尉! 貴方の知るイグニス・ロイゼンは国を裏切り、牢獄で死にました。ここにいるのは姿が似た全くの別人です!
……大声を出して申し訳ありません。私たちはこれで失礼します」
叫ぶイグニスは悲しそうだった。どうにもならない世界の理が彼らを癒す事すらも許さない。彼らの姿を見て心を痛めるポリネイトの少女は、その中心にいる自分を恨むほかなかった。
「バランシュ大尉。ここにいたか!
ラッシュフォード特尉に戦力増強の件を……」
立ちすくむリナに通りかかったガレッジが優しく言葉をかけたが、涙を浮かべた彼女の顔を見て、言葉を止めた。
「……大佐。すみません。イグニス様に伝え……そびれました……」
リナは涙を袖で拭ったが、イグニスの名を口にした瞬間、大粒の涙が次々とこぼれ始めた。それは最早湿った袖でなんとかできるものでは無く、彼女は涙が出るに任せ、声を出して項垂れた。
「特尉と何かあったんだな? もう少し、もう少しの辛抱だ……」
リナとガレッジには企みがあった。イグニスとジョウルクの地位向上という企みである。
彼らはイグニスの活躍を常に記録し、王国軍勝利の暁にはこれらを暴露するつもりであった。
ガレッジはイグニスが王国軍に入り、第三特務遊撃部隊が結成されたと同時に、諜報部からこの隊の監視官に異動となった。監視官への異動というのは、実質無能の烙印を押されたと同義であり、彼は失望と落胆を隠せなかった。
そして、それらの捌け口は自然と被差別者であるイグニスらに向けられた。彼は幾度と責め苦を二人に与え、己の歪んだ心を癒そうとしたが、それは叶わなかった。二人はそれらを甘んじて受け、それに動じることが無かったからである。
ガレッジは、まるで機械の様な二人の態度に苛立ちを募らせた。彼は反応が欲しかったのだ。泣き叫び、助けを請う姿を見る事で、自分の惨めさを矮小化しようとしていたのだ。
だが、ある時、転機が訪れる。その日、第三特務遊撃部隊は夜襲によって敵軍に包囲され、帝国軍歩兵部隊による野営キャンプ進入を許したのだ。これはポイント設定に慎重を欠いた事によるもので、まんまと敵の罠に嵌められたのであった。
ここまでの接近を許すと、巨兵騎士の起動も不可能であり、隊員は武器を取ることなく逃げ惑い、敵の放った銃声だけがキャンプに響いた。
そして、進入してきた敵兵に発見され、その銃口がガレッジに向いた時、彼の脳裏に走馬灯のように自分が転げ落ちていくのが見え、死を受け入れようとした。だが、その中に王都に残した妻と幼い娘の姿が映るのが見え、涙が溢れた。
「ぐわぁ……」
一瞬だった。敵兵が引き金を引くより先に、銃が握られた手は手首から切断され、宙を舞っていた。そして、更なる一閃で首を落とし、鮮血が辺りに降り注いだ。
血の雨の中、両手に携行軍刀を握り、次の相手を探すイグニスの姿は、ガレッジの目に鬼の様に映った。だが、銃を持つ相手の懐に素早く接近し、踊る様に相手を捌く彼の姿に美しさを感じ、ガレッジは腰を抜かしたまま見惚れていた。
「少佐。お怪我はありませんか?
周囲にいた帝国兵は全て処理しました。二派が来る前に行動すべきです」
美しい舞を見せた青年は手に付いた血をふき取り、ガレッジに近づき手を差し出す。ガレッジが彼の手を握ると温かさが伝わってくるのを感じた。
イグニスの活躍によって第三特務遊撃部隊は壊滅の難を逃れた。
だが、部隊の3人が戦死。6人が軽傷を負った事で、イグニスはまたも無力な自分を呪った。
そして、3人の簡易な葬儀の後、イグニスはガレッジに呼ばれ、ジョウルクを残して指令室の戸を叩いた。彼は、罰を受けるものだと覚悟したが、ガレッジの顔には怒りよりも悲しみが濃く表れていた。
「ラッシュフォード特尉。君には大切な人はいるか?」
突然の問いに、イグニスは複数の顔を心に浮かべながらも、首を横に振った。
「ふふふ、私もそのようなものは無いと戦場では思わされていた。
私は自分の地位が脅かされるのが怖かった。能力が低く評価されるのが怖かった。だが、死の際に私を襲ったのは、大切な人を残し死ぬ事への恐怖だった。その恐怖は死の恐怖を凌駕し、私は涙した。
君は先ほど首を横に振ったが、本当は心に浮かんだ者があるのだろう? 君は生き残って彼らと会え。
それと、ありがとう。そして、すまなかった。君のおかげで私は救われた。きっと皆も救われた」
ガレッジの話はそれで終わりだった。罰を受ける事も無く、イグニスは返された。
一人指令室に残ったガレッジはあの夜、目の前で舞った青年の姿を思い出す。あの華麗さは凡人には作れない。それ以来、ガレッジはイグニスが普通ではない身分だったのではないかと、思うようになった。
そして、リナ・バランシュが隊に入り、彼女がとるイグニスへの態度を見て、それは確信に変わった。
仲間を亡くし、死の恐怖を目前で経験した第三特務遊撃部隊の隊員は、イグニスに対し協力的に接するようになっていった。監督官であるガレッジが態度を軟化させたのもあるが、それ以上に生き残る事に必死だったからだ。隊の人間は特別優秀という訳ではなく、イグニス無くして、戦場において生存を保つ事が困難であると、あの一件で理解したからだ。
だが、生への執着は彼らを成長させ、結果的に、第三特務遊撃部隊は常勝の軍団となっていた。
部隊の車両に薔薇の意匠を施すことを提案したのはリナであったが、これに反対する者は誰もいなかった。薔薇は部隊の中心である巨兵騎士カプリコーンの象徴であり、そのもとで鍛錬を受けた兵たちは薔薇の戦士である事に誇りを持っていたからだ。
そして、『獄薔薇』の常勝伝説は始まったのである。
故に、隊の信頼の絆は太く、強く繋がっていた。隊員はイグニスをサポートする事で信頼を示し、イグニスとジョウルクは彼らを生き延びさせる事で、その信頼に応えた。
この信頼関係が他の隊との決定的な違いを生み、後に大きな意味を持つことになる。
そして、静かな夜が明け、八月十七の朝を迎えた時、裏で蠢いていた者達が行動を起こしていた事を知る。
「これは一体、どういう事ですか!?」
冷静さを失っているバレンタイン准将がレーン大佐に言葉をぶつけた。彼が焦燥するのも無理はない。この基地に駐留していた200両以上の軍用車及び砲車が忽然と姿を消したからだ。
「申し訳ございません閣下! 作戦の一環と思い、彼らが出撃するに任せてしまいました。このマナ・レーン、基地司令として、甘んじて処罰を受ける所存です」
この事態は、正規軍と、巨兵騎士を扱う特務部隊が異なった管轄であった事に起因していた。基地司令といえどもレーンは作戦に関与するどころか、内容を知る事すら許されていなかったのである。その為、無断出撃の企てを見抜くことが出来なかったバレンタインの落ち度だったことは誰の目にも明らかだった。
「いえ、すみません大佐。少し、錯乱していたみたいです。これは私たちの問題。尻拭いはさせて頂きます」
バレンタインは事の首謀者に覚えがあった。そして、それを確かめるべく、残った者に連絡を取り、確認を取った。
結果、案の定、第四特務遊撃部隊、及び第二特務遊撃部隊が昨晩、西へ出撃していた事が分かった。扇動者は監督官ジン・ダラス少佐。彼らの意図は先行して鉄塔を破壊し、巨兵騎士によらない勝利を証明しようという身勝手なものであった。
「ガレッジ大佐。急な作戦の変更があった。
君たちの隊は先行する第四、及び第二特務遊撃部隊を追い、合流次第陽動作戦を開始して欲しい。私は作戦の要となる巨兵騎士を持って君たちの後を追う。
作戦開始は八時。ニ十分後だ」
第一会議室にガレッジを呼び、急な命令を下した。
「ニ十分で出撃の準備をするのでありますか……」
「無理は承知だ。だが、もたもたしていたら200以上の軍用車、400人以上の将兵の命が無為に散る事になるかもしれないのだ。
すまないが、頼みます」
渋い顔でバレンタインはガレッジを説得した。そして、ガレッジは彼の心情を利用し、一つ要求を申し出た。
「了解しました。准将殿。
……ですが、一つお願いがございます。この戦いに勝利した暁には私、及び我が隊の地位向上をお願いしたいのであります」
その要求にバレンタインは目を丸くさせた。
「ふふふ。なるほど、君は私の後釜を狙っている。そういう事ですか。
……いいですよ。私が作戦本部に君の事を伝えておきましょう」
ガレッジは出世に興味が無かったわけではなかったが、最大の目的は地位を利用しイグニスを軛から解放する事であった。終戦を待たずしても、その地位に着けばこの目標は叶うと思ったのである。
ガレッジとリナの下、出撃準備は早急に進められた。実の所、拠点を変えながら戦場を駆け巡った彼らにとって、このような事など朝飯前であり、十二分で大体の準備を終えた。
「ブレア一等兵。今日もよろしくお願いします」
イグニスは自ら搭乗する軍用車の運転席に座る女性に挨拶した。
「ラッシュフォード特尉。お任せください。私があなたをお守りします」
運転手――ブレアは笑顔でそう返し、袖をまくって力こぶを見せた。
そして、その瞬間サイレンが鳴り響き、出撃の命が下った。作戦領域まで約半日の行軍が開始したのである。




