↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/22

【下剋上の結末編】第九段 兼好、見逃していたものに気づくこと

【下剋上の結末編】第九段 兼好、見逃していたものに気づくこと


--------------------

久秀と信長の話を書き進めていた折、堺の茶人たちの記録を辿っていて、ふと目に留まった名があった。村田珠光という。我は思わず筆を止めてしまった。

これは篁様への正式な報告というより、我自身の恥を晒すような話になるが、書いておかねばなるまいと思う。

珠光、応永三十年の生まれにて、文亀二年に身罷り候由。ちょうどあの義政公の御代、東山にて銀閣の建ちし頃を生きた人物である。一休宗純と親しく交わり、禅の心を茶に映さんとして、「心の文」なる書き付けを遺したという。

「和漢のさかいをまぎらかす」――唐物の華やかさをひけらかすのではなく、質素な道具の中にこそ深い味わいを見出す。この考え方は、堺の武野紹鴎という商人にも受け継がれているという噂を、どこかで耳にした覚えがある。紹鴎の弟子筋に、まだ年若い茶人が何人かいるとも聞くが、その者たちがこの先どうなっていくのかは、我にはまだ分からない。

我は、この珠光という男の生きていた時期を思い返して、愕然とした。義政公の御代といえば、まさに我がずっと見張っていた時代ではないか。あの頃、我は畠山家の内紛だ、斯波家の内紛だ、宗全と勝元の対立だと、京の政変ばかりを追いかけていた。義政公の建てた銀閣についても、如拙・周文という画僧たちの水墨の技については、確かに一段を割いて書いた覚えがある。だが、この珠光という男については、我の報告書のどこにも、その名すら記した覚えがない。

同じ時代、同じ京の空の下で、これほど静かに、しかし深く、後の世にまで続く何かを始めていた者がいたというのに、我はまるで気づかなかった。政の派手な出来事にばかり目を奪われて、すぐ足元で芽吹いていたものを、見事に見逃していたわけだ。

思えば、あの頃の我は「こういう静かで地味な動きというのは、政の派手な出来事に比べると見落としがちなのだが、我の性分として、こういう小さな萌芽にこそ目が向いてしまう」などと、水墨画の段でしたり顔に書いていた。だが、まさにその「見落としがちなもの」の最たるものを、我自身が見落としていたというのだから、我ながら情けない話だ。

篁様への役目を賜ってから、これまで何百年と下界を見てきたつもりだった。だが、こうして後から知る話がまだあるというのは、正直、我の目というものが、思っていたよりずっと節穴だったのだと思い知らされる。政の大事件を追いかけることに気を取られて、地味な文化の芽吹きを見逃す。この癖は、我という男に染み付いた、直しようのない性分なのかもしれない。

もっとも、見逃していたことに気づけただけ、まだましなのだろう。珠光の蒔いた種は、紹鴎という男に受け継がれ、堺の地でさらに育った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。