【下剋上の結末編】第八段 久秀、信長に降ること
【下剋上の結末編】第八段 久秀、信長に降ること
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長きにわたる三人衆との争い、ついに決着をつける機会が訪れた。それも、久秀自身の力によってではなく、東からやってきた、あの男の力によってだった。
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篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
永禄十一年九月、尾張の織田信長、前将軍・義輝の弟たる義昭を奉じ、上洛の軍を起こし候。畿内の均衡、たちまち塗り替えられ、久秀、いち早くこれに降り候て、十月二日には人質と名物茶器「九十九髪茄子」とを差し出し~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
永禄11年(1568年)9月、尾張の織田信長が、義輝の弟である義昭を奉じて上洛の軍を起こしました。これまで畿内で釣り合っていた力関係は、瞬く間に塗り替えられ、三好三人衆は次々と追い落とされていきました。
久秀はこの動きをいち早く見極め、義継・久通とともに、真っ先に信長のもとへ降りました。10月2日には人質を差し出し、あわせて秘蔵の名物茶器「九十九髪茄子」を献上したそうです。武力で敵わぬと見るや、刀ではなく茶器で忠誠を示す。この男らしい、実に抜け目のないやり方だと思いました。
10月4日には芥川城にて義昭・信長に拝礼し、「大和一国は久秀の進退次第」という形で、その支配を正式に認められました。長らく筒井順慶らと奪い合ってきたあの大和国が、ここにきてようやく、久秀の手にしっかりと収まったことになります。
その後、信長は佐久間信盛・細川藤孝・和田惟政らに率いさせた2万の軍勢を大和へ差し向け、久秀の後ろ盾となりました。三人衆はこれによって完全に畿内から追い出され、対抗馬として担がれていた将軍・義栄も上洛できぬまま病で亡くなり、義昭が正式に十五代将軍の座に就きました。
之長、元長、そして長慶と、幾代にもわたって築かれてきた三好の権勢が、こうしてあっけなく崩れていく一方で、その家臣に過ぎなかった久秀は、今度は信長という新しい主のもとで、むしろ息を吹き返しています。主家の没落と、家臣の生き残り。これもまた、下剋上の一つの形と言えるのかもしれません。
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刀では敵わぬと見るや、迷わず頭を下げ、茶器一つで相手の懐に入り込む。この身の処し方、正直、我のような生前の武士の作法しか知らぬ者には、なかなか馴染めぬものがある。だが、こうして幾度となく死地をくぐり抜けてきた久秀を見ていると、これこそが乱世で生き延びるための、もう一つの「武」なのかもしれないと思えてくる。三好の家が沈み、久秀という男だけが、次の波に乗り換えて生き延びていく。この先、この男が信長のもとでどこまで行くのか、そしていつか、その信長にも刃を向ける日が来るのか。我はまだ、その答えを知らない。




