【下剋上の結末編】第二十一段 家康、伊賀を越えること
【下剋上の結末編】第二十一段 家康、伊賀を越えること
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信長の死は、備中の秀吉だけでなく、もう一人の男の運命も大きく揺さぶっていた。三河の徳川家康、信長とは長く同盟を結んできた間柄だ。この男もまた、あの本能寺の一件の折、思いがけない苦難に見舞われていた。
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篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
家康、かねてより信長と清洲にて盟約を結び、長く同盟を保ち候仲にて候えども、本能寺の変の折、たまたま和泉国堺に遊覧しおり、わずかな供回りのみを連れ候て、信長横死の報を受け候~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
家康は、以前から信長と清洲で盟約を結び、長く同盟関係を保ってきた間柄です。ところが本能寺の変が起きたその時、たまたま和泉国の堺を見物中で、供回りもわずかしか連れていませんでした。信長横死の報せを、堺から京へ向かう途中で、懇意にしていた商人・茶屋四郎次郎から聞かされました。
光秀の兵に襲われれば、ひとたまりもない人数です。家康は一時、覚悟を決めて自害しようとまでしましたが、家臣たちに説き伏せられ、本国の三河国を目指して落ち延びることにしました。
選んだ道は、伊賀国を抜ける険しい山道でした。この一帯は、以前信長が伊賀の者たちを厳しく攻め滅ぼした土地で、落ち武者狩りの一揆衆がそこかしこに潜んでいました。家康は、これまで縁のあった甲賀・伊賀の者たちの手引きを受け、金品を配りながら、命がけでこの道を切り抜けました。わずか2日ほどのことでしたが、家康にとっては、生涯忘れられぬ危難であったろうと思われます。
信長の死を知り、家康はこうして命からがら、ほとんど供もなく山道を逃げ惑う羽目になった。
備中で兵を率いていた秀吉が、この報せを受けてどう動くのか、気になるところです。
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信長という一本の柱が倒れただけで、命からがら山道を逃げ惑う。同盟者であろうと家臣であろうと、頼りにしていた者を失えば、たちまち己の身一つで乱世に投げ出される。これもまた、下剋上の時代の恐ろしさの一つの形だと、我は思う。ただ、この命がけの逃避行を生き延びたこの家康という男、之長や早雲のような派手さはないが、こういう危難をくぐり抜ける粘り強さを持つ者こそ、案外この先の世を長く生き残るのかもしれない。




