【下剋上の結末編】第二十二段 中国大返し、そして山崎
【下剋上の結末編】第二十二段 中国大返し、そして山崎
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光秀の天下は、あまりにも短いものだった。しかも、その終わらせ方が、また一段と我の関心を引く。先だって書いた、あの人をたらし込む男が、ここでも本領を発揮したようだ。
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篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
信長横死の報、備中にて毛利方と対陣しおりし羽柴秀吉のもとにも届き候。秀吉、直ちに毛利方と和議を結び、軍勢を引き連れ、京へと取って返し候。この行軍、初めの数日はすさまじき速さにて進み候えども~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
信長横死の報せは、備中で毛利方と対陣していた羽柴秀吉のもとにも届きました。秀吉は直ちに毛利方と和議を結び、軍勢を引き連れて京都へと取って返しました。この行軍、初めの数日はすさまじい速さで進みました。ところが、摂津に近づいたあたりからは、日々の進む距離がやや落ち着きました。これは、光秀に味方する者の襲撃を警戒しつつ、無傷の大軍が仇討ちに向かっていることを諸方に知らしめ、味方を集めるための計らいだったのではないかと、私には思えます。
こうして味方を増やしながら京都近郊に至った秀吉は、6月13日、山崎にて光秀の軍勢と激突しました。光秀方は思うように味方を集められず、あっけなく敗れました。光秀自身は、落ち延びる途中、土地の者に討たれて命を落としました。信長を討ってから、わずか11日ほどの出来事でした。
正直に申し上げれば、私はこの秀吉という男の手際の良さに、いささか不審なものを感じています。あまりにも早く和議をまとめ、あまりにも早く京へ引き返し、あまりにも手際よく味方を集めた。まるで、こうなることを、あらかじめどこかで見越していたかのようです。
先だって書いた通り、この秀吉という男は、人を口説き落とし、味方に引き入れる術に長けています。もしそうだとすれば、光秀の企てにうすうす気づいていながら、あえて止めなかったとしても、我には少しも不思議には思えません。同じ下剋上の徒として、由緒正しい光秀が信長を討つのを黙って見物し、その隙にまんまと漁夫の利を得る。由緒も血筋も持たぬこの男らしい、実に抜け目のないやり方だと思います。
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之長の代から数えて幾世代、我はこの国のあちこちで、数えきれぬほどの下剋上を見てきた。だが、この本能寺と山崎の一件ほど、幾重にも皮肉の効いた話には、そうそう出会わなかった。下剋上者が下剋上の手口で討たれ、その隙を、また別の下剋上者が奪う。この繰り返しは、いったいどこまで続くのだろうか。
兼好法師の黄泉報告書【下剋上の結末編】
---完---
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