【下剋上の結末編】第二十段 本能寺、業火に包まれること
【下剋上の結末編】第二十段 本能寺、業火に包まれること
--------------------
いづれ信長の身に、何かが起きるだろうという胸騒ぎは、我の中にずっとあった。だが、まさかこれほど早く、しかもこのような形で来ようとは。
________________________________________
篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
天正十年六月二日未明、信長の重臣・明智光秀、その軍勢を京へ返し、本能寺に宿しおりし信長を急襲いたし候。信長、防ぎきれず自ら火を放ち、自刃して果て候由に候。同日、嫡男・信忠もまた二条御所にて自刃いたし~~~~~
________________________________________
現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
天正10年(1582年)6月2日の未明、信長の重臣であった明智光秀が、中国地方への出陣と見せかけていた軍勢を、突如京都へと引き返させ、本能寺に宿泊していた信長を急襲しました。信長は防ぎきれず、自ら寺に火を放って自刃しました。同じ日、嫡男の信忠もまた、二条御所で自刃しました。
先だって書いた通り、この光秀という男は、美濃の名家・土岐氏の血を引く者です。之長や早雲、あるいは久秀のような、素性の知れぬ成り上がり者とはまるで違う出自を持ちながら、信長のもとでは実力によって重用され、丹波・近畿の統治を任されるまでになっていました。由緒正しい家柄の出でありながら、実力主義の中で頭角を現した男、というのが、私の見るところの光秀の姿です。
なぜこの光秀が信長を討ったのか、正直、私にもまだ判じかねるところがあります。ただ、一つだけ言えることがあるとすれば――信長という男は、これまで我が見てきた早雲、信秀、そして久秀と、皆それぞれのやり方で「下剋上」を体現してきた者たちの、いわば行き着いた果てのような存在でした。親しい相手を欺いて城を奪う、主家を凌いで実権を握る、そうした下剋上の作法を、誰よりも徹底してやり遂げてきたのが信長だったのです。
その信長が、まさに同じ作法――信頼していたはずの家臣に、油断しきったところを突かれる――によって討たれた。これは、下剋上という業が、ついにその体現者自身に跳ね返ってきた、という風にも見えました。由緒正しい家柄の光秀が、皮肉にも、下剋上者を討つために下剋上の手口を用いる。この構図に、我は何か底知れぬものを感じずにはいられません。
________________________________________
之長、元長、久秀と、我はこれまで、多くの者たちの下剋上を見てきた。だが、これほどまでの下剋上者が、これほどまでの速さで、しかも自らが体現してきたのと同じやり口で討たれる様を見るのは、初めてのことだ。因果というものが、これほど綺麗に一周する話があるだろうか。ただ、これで終わりとは、我にはどうしても思えない。光秀という男が、この先どうなっていくのか。




