【下剋上の結末編】第二段 久秀、文と武の両輪となること
【下剋上の結末編】第二段 久秀、文と武の両輪となること
--------------------
久秀という男、ただの書記に収まる器ではなかったらしい。筆を執るだけでなく、いつの間にか兵をも率いるようになっていた。今回はその移り変わりを書いておこうと思う。
________________________________________
篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
天文十一年、木沢長政討たれ候後、なお蠢動する大和国人の残党討伐のため、久秀、三好方の指揮官の一として山城南部に在陣いたし候。かねてより右筆・奉行として文書を扱い候身なれど、この頃より武将としての働きも見え始め~~~~~
________________________________________
現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
天文11年(1542年)、木沢長政という者が討たれた後も、なお不穏な動きを見せていた大和の国人衆の残党を討つため、久秀は三好方の指揮官の一人として山城南部に陣を敷いたそうです。これまで右筆・奉行として文書を扱う身でしたが、この頃から武将としての働きも見えるようになってきました。
さらに天文18年(1549年)、長慶が江口の戦いで細川晴元方を打ち破り、晴元と将軍・足利義輝を京都から近江へ追い出して、ついに京都を掌握しました。この時、久秀は三好長逸という者とともに、公家や寺社が三好家と折衝する際の仲介役を務めるようになったそうです。
筆を執る者が、いつしか兵を率い、さらには京の公家や寺社との交渉ごとまで一手に引き受けるようになる。この移り変わりを見ていると、久秀という男、単に主家に忠実なだけの家臣ではなく、文にも武にも、そして人と人との間を取り持つ駆け引きにも、抜け目なく手を伸ばしていく質のようだと、私には見えます。
________________________________________
以前、伊豆の早雲や出雲の経久を見た時も思ったが、こういう「よろず屋」のような働き方をする者ほど、気づいた時には主家の内側深くまで入り込んでいるものらしい。久秀もまた、そういう類の男なのだろう。長慶がこの男をどこまで信じ、どこまで使いこなしていくのか、我はこれからも目を離さずにいようと思う。




