【下剋上の結末編】第一段 久秀、長慶に仕えること
この物語は、「兼好法師の黄泉報告書【南北朝の終焉とその後の火種編】」「同【応仁の乱編】」「同【下剋上編】」の続きとなります。
政元暗殺を皮切りに、早雲・経久・元就・信秀と、各地で下剋上が芽吹いてきました。この巻では、その中の一人、松永久秀を軸に、下剋上という時代がどのような結末を迎えるのかを描きます。
前3作から読んでいただくと、この結末に至るまでの積み重ねをより楽しめますが、この巻から読み始めても内容が分かるよう書いております。
【下剋上の結末編】第一段 久秀、長慶に仕えること
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前の記録の最後に、幼い三好家当主に仕える書記役として名が知られ始めていると書いたあの久秀、その後の様子を、もう少し詳しく調べてみた。この男、思っていたよりずっと早くから、主家の内側に食い込んでいたようだ。
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篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
享禄五年、三好元長討たれ候後、その嫡男・千熊丸、わずか十歳にして家督を継ぎ候えども、母とともに阿波へ逃れ、雌伏の日々を送り候。天文二年六月、一向一揆と細川晴元との和議、この千熊丸の名にて取り結ばれ候由に候えども~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
享禄5年(1532年)に三好元長が討たれた後、その嫡男・千熊丸はわずか10歳で家督を継ぎましたが、母とともに阿波へ逃れて、雌伏の日々を送っていました。天文2年(1533年)6月、それまで元長を死に追いやった一向一揆と、主君筋の細川晴元との和議が、この千熊丸の名で取り結ばれたそうです。もっとも、当時まだ12歳の少年が実際に交渉をまとめられるはずもなく、叔父の三好康長らが代理を務めました。
この和議の直後、千熊丸は元服して「利長」と名乗りました。父を死に追いやった張本人とも言える晴元に、翌天文3年(1534年)には帰参することになったというのですから、私にはにわかに理解しがたい話です。ただ、河内守護代の木沢長政という者の仲介があったこと、そして利長がまだ若年であったことが、この不思議な和解を後押ししたようです。
ちょうどこの頃、久秀という男が、利長の右筆(書記)として仕え始めたという噂を耳にしました。いつから仕えているのか、はっきりした日付までは分かりませんが、下界の記録によれば、天文9年(1540年)には、西宮神社への寄進状を「松永久秀」の名で伝達していました。この時、久秀は33歳。同じ年の暮れには、堺の豪商が買い求めた土地の安堵状にも副状を出していて、もはや単なる書記役を超えて、奉行のような実務を任されつつあるように見受けられます。
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父を殺した男に頭を下げてまで生き延びようとする利長と、その利長のもとで静かに実務を積み重ねていく久秀。どちらも、我が生前に見知った武士の作法――義理と面目を何より重んじる作法――とは、かなり違う生き方をしているように思う。だが、この乱世で生き延びるには、こういうしたたかさこそが要るのかもしれない。
之長、元長と、二代にわたって非業の死を遂げた三好の家に生まれた利長が、仇敵に頭を下げてまで家を保とうとする。その傍らで、出自の知れぬ久秀という男が、筆一本で静かに地歩を固めていく。この二人の組み合わせが、この先どういう交わりを起こしていくのか、我は大いに気になるところだ。




