【下剋上の結末編】第十四段 兼好、久秀という男を思うこと
【下剋上の結末編】第十四段 兼好、久秀という男を思うこと
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これは篁様への正式な報告ではなく、我自身の中で、一度きちんと整理しておきたい話だ。ここまで久秀を追ってきたが、そろそろこの男の輪郭が、我の中でようやく像を結び始めた気がする。
思えば、久秀という男を最初に見た時、我はただの「素性の知れない書記」としか捉えていなかった。右筆から奉行、そして武将へ。三悪と呼ばれた悪名も、一つ一つ確かめてみれば、久秀が自ら望んで手を汚したものは、実のところ一つもなかった。将軍暗殺は息子の仕業を黙認しただけ、主家乗っ取りは三人衆との内輪もめの果ての結果、大仏殿焼失は夜討ちの延焼。どれも「久秀が積極的に悪事を働いた」というより、「なりゆきの中で、久秀に責めが集まった」という色合いの方が強かった。
そして信長への臣従。茶器一つで頭を下げ、信玄の勢いを見て裏切り、信玄が死ねばまた頭を下げて戻る。これを我は、最初はただの「食えない男の処世術」としか見ていなかった。だが、ここまで見てきて、我はようやく気づいたことがある。
この男は、そもそも武家というものの作法を、腹の底では信じていないのではないか。
義理、忠節、面目――我が生前に見知った武士たちは、たとえ建前であっても、こういうものを何より大事にしていた。だが久秀には、そういう建前すら見当たらない。茶器で忠誠を示すというのも、考えてみれば奇妙な話だ。刀でも誓紙でもなく、ただの道具一つで「私はあなたに服従します」と示す。これは、忠誠というものを、まるで商いの取引のように扱っているということではないか。
出自の知れぬこの男にとって、武家の作法など、初めから縁のないものだったのかもしれない。之長や早雲のような、家柄や一族の因縁を背負う者たちとは違い、久秀には守るべき「家の誇り」というものがない。だからこそ、義理や面目に縛られず、損得だけで動き続けることができた。もしかするとこの男は、内心では、こうした作法にこだわる武家という生き物そのものを、いくらか見下しているのではないか。そんな気さえしてくる。
だとすれば、この先この男が、あの信長――同じく実力だけでのし上がった、下剋上の権化のような男――に、いつまで大人しく仕え続けるのか、我は俄かに不安になってくる。信長もまた、久秀のことを「使える道具」としてしか見ていないだろう。だが、久秀という男が、自分自身をも「道具」として扱われることに、いつまで甘んじていられるだろうか。
之長、元長、長慶と、三好の一族はみな、武家の作法の中で戦い、そして武家の作法の中で死んでいった。だが久秀だけは、その作法の外にいる。この男の最期がどのようなものになるのか、我にはまだ見当もつかない。ただ、もしこの男が武家の作法をどこかで小馬鹿にしているのだとすれば、その最期もまた、武家らしい潔さとは違う、何か別のものになるのではないか。そんな予感が、我の胸の内から離れない。




