【下剋上の結末編】第十三段 久秀、再び信長に降ること
【下剋上の結末編】第十三段 久秀、再び信長に降ること
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久秀が乗り換えたはずの船が、あっという間に沈み始めた。頼みの綱であったあの武田信玄が、あっけなく世を去ったのだ。
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篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
元亀四年四月、信玄、西上の途中にて病に倒れ、身罷り候。信長包囲網、これにより大いに勢いを失い候。同年七月、義昭もまた信長に敗れ、京を逐われ候仕儀と相成り~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
元亀4年(1573年)4月、頼みの綱であった武田信玄が、西上の途中で病に倒れて亡くなりました。武田勢はそのまま撤兵し、信長包囲網はこれによって大きく勢いを失いました。
同年7月、将軍・義昭もまた信長に敗れて、京から追放されてしまいました。かつて信長自らが奉じて上洛させたはずの将軍が、今度はその信長自身の手で追われることになったわけです。11月には、久秀とともに包囲網に加わっていた三好義継も、信長方の佐久間信盛に攻められて敗死しました。
そして同年12月末、余勢を駆った織田勢に多聞山城を包囲された久秀は、ついにこの城を信長に差し出して降伏しました。かつて共に反旗を翻した三好三人衆もまた、この頃には信長に敗れて壊滅しており、信長包囲網は完全に瓦解したことになります。
翌天正2年(1574年)正月、久秀は自ら岐阜まで出向いて信長に謁見したそうです。かつて大和を奪い合った筒井順慶も、この頃には信長に服属しています。長年の宿敵同士が、揃って同じ主のもとに膝を屈するとは、何とも皮肉な巡り合わせだと思いました。
信玄という大きな柱が倒れただけで、包囲網に加わっていた者たちが、まるでドミノのように次々と崩れ落ちていく。義昭、義継、三人衆、そして久秀。誰も彼も、一人の男の死によって運命を狂わされたことになります。
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かつて茶器一つで忠誠を示し、風向きを見て船を乗り換え、そして今度はその船が沈むと、また元の主に頭を下げる。久秀という男、これで二度、信長に膝を屈したことになる。之長や早雲のように、一度の敗北で命を落とす者もいれば、こうして何度でも頭を下げて生き延びる者もいる。どちらが賢明なのか、我にはにわかに判じがたい。ただ、これで三度目の裏切りがあれば、さすがに信長も、この男を許しはしないだろう。




