↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
12/22

【下剋上の結末編】第十二段 久秀、初めて信長に背くこと

【下剋上の結末編】第十二段 久秀、初めて信長に背くこと


--------------------

これまで殊勝に信長へ仕えてきたかに見えた久秀だったが、ついにその牙を剥く時が来た。しかも、その時機の選び方には、いかにもこの男らしい計算高さが見えた。

________________________________________

篁様へ申し上げ候。

此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。

元亀三年、甲斐の武田信玄、西上の軍を起こし候。将軍・義昭、これに呼応して信長包囲網を敷き候由に候えども、久秀もまた三好三人衆や石山本願寺らと結び、信長に反旗を翻し候~~~~~

________________________________________

現代語訳

篁様、報告します。

今回見たことを書いておきます。

元亀3年(1572年)、甲斐の武田信玄が、西へ向けて大軍を動かし始めました。将軍・義昭は、これに呼応する形で、各地の反信長勢力を糾合し、いわゆる信長包囲網を敷きました。この動きに、久秀もまた加わり、かつての敵であった三好三人衆や、石山本願寺の勢力とも手を結び、信長に反旗を翻しました。

かつては誰よりも早く信長に降り、名物茶器まで差し出して忠誠を示していた久秀が、なぜここで反旗を翻したのか。私が見るところ、これは信玄の勢いを見極めた上での、いかにも久秀らしい計算だったように思えます。信長包囲網に加わる大名たちの数、そして信玄という男の武名を思えば、この時点では、信長よりも包囲網の側に分がある、と踏んだのではないでしょうか。

刀ではなく茶器で忠誠を示した男が、今度は情勢を見極めて、その忠誠をあっさり翻す。二君に仕えることを恥としない、というより、そもそも「仕える」ということの中身自体が、この男にとっては損得の勘定でしかないのかもしれません。

________________________________________

かつて早雲や信秀が、親しい相手を欺いて城を奪う手口を使ったのを見てきたが、久秀のこの身の翻し方は、それとはまた違う質のものだ。城を奪うのではなく、ただ風向きを読んで、乗る船を替える。刀を交えることさえせず、損得だけで主従の縁を切り替えてしまう。これもまた、下剋上の時代が生んだ、一つの新しい生き方の型なのかもしれない。ただ、この賭けが吉と出るか凶と出るか、それは信玄という男の、この先の命運にかかっている。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。