第96話 蜘蛛の瓦解、あるいは英雄の帰還
『黒の群盗』の砦内は、混沌の極みに達していた。
背後から容赦なく襲いかかる土蜘蛛の群れに対し、完全に虚を突かれた騎士達は悲鳴を上げ、次々と血の海に沈んでいく。
「重装兵は盾で防げぇ! 弓兵と魔法兵は重装兵の後方へ回れぇ!」
戦場に急行したベーマタ騎士団長は、自慢の槍で瞬く間に3匹の土蜘蛛をまとめて突き刺し、叫んだ。味方を鼓舞し、崩壊しかけた隊列を強引に立て直そうとする。しかし、パニックに陥った騎士達の耳にはその声も届かず、混戦のなかでなかなか統制を確保できない。
むしろ、普段から少人数での乱戦に慣れている冒険者達の方が、パーティー単位で臨機応変に連携を取り、持ちこたえていた。とはいえ、それも「まし」というレベルに過ぎず、背後からの奇襲という圧倒的劣勢を覆すまでには至らない。
ベーマタは孤軍奮闘し、次々と土蜘蛛を葬り去っていく。しかし、彼の槍が届かない離れた場所では、また一人、騎士が土蜘蛛の毒牙にかかって命を落とした。
「くっ、踏ん張れ! ここで退けば、我が街は悪党どもの蹂躙を許すことになる! 騎士の誇りを見せてみろぉ!」
ベーマタの悲痛な叫びが砦に響き渡る。
一方、そんな阿鼻叫喚の光景を、外壁の上から冷酷に見下ろす二つの影があった。アラクネと、元騎士団情報部門のトヨシモである。
「よしよし、いい調子よぉ! このまま騎士団も冒険者も、一人残らず殲滅してちょうだい!」
アラクネは愉悦に身を震わせ、何本もの蜘蛛脚を小刻みに動かす。
「ああ。厄介なのはあのベーマタ一人だけだ。何とか間に合って良かったわねぇ」
トヨシモもまた、勝利を確信して口元を歪めた。――だが、その笑みは一瞬で凍りつくことになる。
「……あ! ちょっとぉ! あんた、あの黒犬とあの男はもうここには来ないって言ってたじゃないの!?」
アラクネが突然、狂ったように甲高い悲鳴を上げた。その視線の先、砦へと続く街道の遥か彼方に、一つの明確な「脅威」が迫っていた。
「え? 来、来てないでしょう……?」
「じゃあ、あそこからまっすぐこっちに向かって爆走してくる奴は誰よぉ!? いや、無理! 私は逃げるわよ!」
恐怖に顔を歪めたアラクネは、トヨシモの制止を待たずに蜘蛛脚を翻し、一目散に戦場から逃げ出した。
「ちっ、あともう少しで全滅させられたっていうのに……!」
トヨシモは苦虫を噛み潰したような顔で毒づき、自身もまた闇へと身を隠した。
◇◇
【ユウマ Side】
ブラックドッグのクロドの背に跨がり、俺は『黒の群盗』の砦へと急行していた。周囲の景色が猛スピードで後ろへと流れていく。
「ユウマ、砦のほうで大規模な戦闘が行われているワン」
クロドが走りながら、鋭い五感で察知した状況を伝えてくる。
「土蜘蛛の気配も感じるね。なるほど、黒の群盗と蜘蛛の牙は裏で繋がってたってわけか。クロド、急ごう」
「分かったワン!」
クロドはさらに身を低くし、走る速度を一段と上げた。
やがて視界に飛び込んできたのは、無残に門が破壊され、激しい怒号と金属音が響き渡る砦の全景だった。
「さて、まずは状況把握からだな……」
俺はスキルを発動し、砦内の立体的な空間を頭の中に描き出す。敵と味方の配置、その全てを脳内でスキャンしていく。
(ん? ミナト達の気配がないな。まあ、あの要領のいい奴らのことだ、混乱に乗じてとっくに逃げ出したか)
彼らの無事(?)を察し、俺は視線を目の前の大乱戦へと戻した。味方の騎士や冒険者達が、土蜘蛛の物量に押し潰されかけている。
「とりあえず、この不毛な争いはサクッと終わらせておこうか」
俺は空間内に存在するすべての土蜘蛛へと意識を向け、スキルのトリガーを引いた。
――全空間、対象『土蜘蛛』。一斉に封印する。
◇◇
【ベーマタ Side】
「な、何だぁ……!?」
「土蜘蛛どもの動きが、完全に止まったぞ!?」
さっきまであれほど凶暴に牙を剥き、俊敏に動き回っていた土蜘蛛たちが、突如として彫像のようにピタリと硬直した。
「理屈は分からんが、絶好の好機だ!」
「今のうちに動けない化け物どもを叩け! 土蜘蛛を討伐せよ!」
それまで劣勢だった騎士達と冒険者達が一斉に息を吹き返し、猛烈な反撃に出た。というより、完全に動きを止めてただの標的と化したモンスターを仕留めるなど、新米の戦士であっても容易な作業だった。
(うぬぅ、これは……?)
槍を構えたまま、ベーマタはその異様な光景に強い既視感を覚えていた。
(間違いない。蜘蛛の牙のアジトを強襲した時と全く同じ現象だ。ということは……彼が来たのか!)
ベーマタが期待を込めて砦の正面門へと目を向けると、そこには、巨大な漆黒の魔獣――クロドに跨がり、戦場の喧騒などどこ吹く風といった様子で、悠然と歩みを進めてくるユウマの姿があった。
◇◇
その頃、砦から少し離れた山中。
「急げ急げ! とにかくこの砦から一歩でも遠くへ離れるぞ!」
ミナトは、砦の深部から繋がっていた秘密の逃げ道である洞窟をようやく抜け、外の空気を吸っていた。
「ふう、本当に酷い目にあったわ……。せっかく貯め込んだお宝も、あんまり持って来られなかったじゃない」
アオイは不満げに文句を言いながら、土埃で汚れたローブをパッパと叩き落とした。
「そういえば、先に走っていったサキヨマさん達の姿は見えなくなっちゃったわね」
ヒマリは手庇を作って遠くの山道を眺める。あのお騒がせな二人の行方が少し気になるようだ。
ガサガサッ……!!
その時、三人の前に立ちはだかるように、草むらが大きく揺れた。
「黒の群盗! そこまでよ、絶対に逃がさないわ!」
凛とした、しかし怒りに満ちた声とともに飛び出してきたのは、『風月の戦乙女』のリーダー、カノンだった。その手には鋭く磨かれた剣がしっかりと握られている。
彼女の後ろからは、同じく武装した『風月の戦乙女』のメンバー達、そして彼女らに同行してきた複数の実力派冒険者達が、逃亡路を塞ぐように次々と姿を現した。
さらにその最後尾には、なぜか元ギルド受付嬢のメイまでもが、鋭い視線をミナト達に向けて立っていた。
「げぇっ……!? なんでお前らがここにいるんだよ!」
ミナトの顔が、この日一番の絶望に染まるのだった。




