第95話 砕かれた黒面、あるいは無頼の鉄拳
薄暗い地下通路の空気が、肌を刺すような緊張感で張り詰めていた。
『黒の群盗』の幹部・トカツモが構える槍の穂先は、冷徹な光を放っている。対するAランク冒険者パーティー『黒紅の無頼』のリーダー、ショウゴは得物すら抜かず、完全に素手の構えだ。
「ここは俺に任せてもらおうか」
ショウゴは不敵な笑みを浮かべ、仲間を背に一歩前へと進み出た。
「くくく……いい度胸だ。さあ、来い!」
トカツモは喉を鳴らして笑い、槍を引き絞って身構える。
その胸中にあったのは、絶対的な強者としての自負だった。トカツモの槍の腕前は、並の騎士団であれば上位に食い込むほどの実力である。あの化け物じみた『天槍のベーマタ』には敵わないと割り切ってはいるが、たかが冒険者ごときに後れを取るなど微塵も思っていなかった。
しかし、対峙するショウゴもまた、数々の死線を潜り抜けてきた格闘の猛者。両拳を覆う自慢の手甲は、並の剣器を上回る硬度を誇り、これまで幾多の強固な皮膚を持つモンスターを粉砕してきた実績がある。
「どうした? ずいぶんと槍に自信がありそうじゃないか。出し惜しみしてないで、掛かって来いよ」
ショウゴは左手を前に、半身の姿勢を取った。そして、手のひらを上に向けて指を挑発的に動かす――「おいでおいで」の仕草だ。
「ふっ、後悔するなよ!」
トカツモの身体が鋭く踏み込まれる。刹那、最速の突きがショウゴの喉元を目掛けて放たれた。常人の目では捉えきれず、通常の騎士であれば躱すことすら叶わない必殺の一撃。
パシィン!
だが、ショウゴは最小限の動きで、その槍の側面を左手の掌底で弾き飛ばした。
(何っ……!?)
一瞬の驚愕がトカツモの脳裏を過るが、長年の鍛錬は伊達ではない。体勢を崩すことなく瞬時に槍を引き戻すと、息つく暇もなく次なる一撃を突き込む。今度は中段、腹部への刺突。
いや、それだけでは終わらない。初動から狙い澄ましていた、上段・中段・下段を同時に穿つかのような、目にも留まらぬ高速の3段突きだった。
ショウゴは最初の中段突きを再び左の掌底で受け流すが、続く下段――下腹部を狙った最後の鋭い一突きに対し、あえて後ろに引かず、斜め前方へと果敢に踏み込んで躱した。
懐に潜り込まれたトカツモの目が、面の下で大きく見開かれる。
「オラァ!」
ショウゴの鋭い蹴りが、トカツモの槍を持つ右手を容赦なく跳ね上げた。
「くっ……!」
トカツモは咄嗟に槍を引いて直撃を避けようとしたが、あまりに間合いが近すぎた。完全に躱しきることはできず、強烈な蹴りが槍の柄を直撃する。その衝撃でトカツモの鉄壁の体勢が大きく崩れた。
勝負の均衡は、一瞬で崩れ去る。
隙を逃さずさらに踏み込んだショウゴが、腰の入った右の正拳を真っ直ぐに突き出した。狙いは一点、トカツモの黒い面の額。
バギッ――!!
硬質な破壊音が通路に響き渡る。
「ぬっ、うああっ!」
衝撃に耐えかね、トカツモの顔を覆っていた黒い面が、左右真っ二つに割れて地面へと転がり落ちた。
トカツモはもんどりうって派手に倒れ込んだが、そこは流石の執念と言うべきか、すぐさま飛び起きるようにして再び槍を構え直した。どれほどの衝撃を受けても、決して武器だけは手放さなかった。しかし、割れた額からは鮮血が止めどなく流れ落ち、その素顔を赤く染めていく。
「――トカツモ!!」
その顔を見た瞬間、後ろで見守っていた探索者のリュウセイが驚愕の声を上げた。
「ほう……」
ショウゴは拳の痛みを逃がすように軽く手を振ると、ニヤリと笑ってトカツモを見据えた。
「黒の群盗の『三本槍』の一人は、元騎士団のトカツモだったわけか。ってことは、残りの二人はあのサキヨマとリマサノだな?」
「ちっ、ばれたか……」
素性を看破されたトカツモは、槍を構えてショウゴを激しく睨みつける。しかし、額を流れる血の冷たさが、彼に冷酷な現実を突きつけていた。――この男には、逆立ちしても勝てない。
(まずい、このままでは確実に捕まる……! どうにかしてここを脱出しなければ……!)
トカツモの鋭い視線が、周囲の地形へと向けられる。
だが、その企みをAランク冒険者が逃すはずもなかった。トカツモの不穏な視線の動きを察知したリュウセイと剣士のシュンスケが、逃げ道を塞ぐようにして素早く彼の左右へと回り込んでいた。
(……やるしかないか。剣士が相手なら、俺の槍の間合いが活きる!)
対剣の戦闘に強い自信を持っていたトカツモは、迷わず右方にいるシュンスケを突破口に定めた。大地を蹴り、一気にシュンスケへと肉薄しようと駆け出す。
「――残念でしたぁ!」
その時、シュンスケの斜め後ろから、悪戯っぽくも冷徹な少女の声が響いた。魔法使いのココナだ。彼女はトカツモが動き出すよりも前に、すでに魔法の詠唱を完璧に完了させていたのだ。
刹那、トカツモが踏み出そうとした足元の強固な土が、音を立てて底なしの泥濘へと姿を変えた。
「うぉっ!? な、何だこれは……っ!」
勢いよく踏み込んだ両足が一気に泥の中へと沈み込み、トカツモは完全にバランスを崩す。
さらに恐ろしいことに、彼が囚われた瞬間に、泥は再び瞬時に元の硬い土へと戻り、急速に凝固していった。
「くそっ、動かん……! 離せ、離しやがれ!」
膝上まで完全に土の中に埋まり、文字通り楔を打たれたようになったトカツモは、もはや指一本まともに動かすことすらできない。
槍を構える気力さえ奪われ、完全に身動きを封じられた『三本槍』の一人は、こうして『黒紅の無頼』の手によって無様に捕縛されるのだった。




