第94話 蜘蛛の強襲、あるいは謀略の影
激戦が繰り広げられる『黒の群盗』の砦――それを遥か高方、鬱蒼と生い茂る大木の上から見下ろす二つの影があった。
一人は、元騎士団情報部門に籍を置いていた男、トヨシモ。しかし、その恰幅のいい体躯から発せられるのは、実におどろおどろしいオネエ言葉であった。
「ちっ、完全に遅れたようね。だから早く来てって言ったのよぉ! あんたときたら、いっつもグズグズしてるんだからぁ!」
トヨシモが忌々しげに扇子を煽りながら責め立てる相手。それは、美しくも妖艶な人間の女性の上半身と、おぞましい巨大な蜘蛛の下半身を持つ魔獣――アラクネであった。
「だって、仕方ないじゃないのぉ。あの男と、あの禍々しい黒犬がまだ近くにいると思ったら、トヨシモの手伝いなんて怖くてやってられないわよぉ」
アラクネは膨れっ面をしながら、複数の蜘蛛脚を不器用そうにモゾモゾと動かした。
「折角、あの都市を血の海に沈めるための戦力をコツコツ集めたっていうのに、一瞬で全滅させられたのよ? もう、今思い出しても信じられないわ!」
「大丈夫だって言ってるじゃないの。ユウマとクロドは、もうあの都市を出発したわ。この襲撃部隊のどこを見渡したっていやしないわよ」
トヨシモはふんと鼻を鳴らし、砦の混乱を冷酷な目で見つめる。
「私だってね、あの何でも斬り裂く馬鹿娘のアスカを使って、天槍を後ろからブスリと斬らせる完璧な計画を立ててたのよ? それが全部、あのユウマの所為で台無しになったんだから! これでも慎重になってるわよ、馬鹿ねぇ」
「本当に……本当に本当?」
「もう、しつこい男は嫌われるわよ! 本当だってば! さっさとあんたの手下を砦に襲撃させなさいよ、手遅れになっちゃうわ。今ならまだ、騎士団の背後を突いてめちゃくちゃにできるんだから!」
「もう、しょうがないわねぇ……」
アラクネは観念したように溜息をつくと、大木から滑り落ちるようにして砦に向かって猛然と駆け出した。
カサカサカサカサ!
彼女の背後から、地中や草むらを割って無数の『土蜘蛛』たちが湧き出て、黒い津波となって追従していく。
あっという間に砦の防壁へと到達したアラクネは、妖しく目を光らせて号令を掛けた。
「さあ、可愛いお前達! 派手にやっておしまい!」
ギチギチギチ、と不気味な音を立て、土蜘蛛達は無言で砦の壁へと殺到した。垂直な石壁など彼らにとっては平地も同然。カサカサと不気味な足音を響かせながら、一瞬にして壁を乗り越え、砦内へと侵入していく。
それは、門を突破して前進していた騎士達の、まさに『真後ろ』であった。
「うぉっ!? 何だこの音は――ぎゃああっ!」
「げっ、土蜘蛛だぁ! 蜘蛛の魔獣だぞ!」
「気を付けろぉ! 前だけじゃない、背後から無数に湧いて出てきやがった!」
不意を突かれた騎士や冒険者達は、大慌てで武器を振り回して反撃を試みる。しかし、狭い砦内で前後から挟み撃ちにされる形となり、統制は瞬く間に乱れ、戦況は目に見えて悪化していった。
「ベーマタ騎士団長! 報告します!」
一人の騎士が、血相を変えて最前線へと走る。そこでは、先頭に立って逃走する盗賊達を、ベーマタが怒涛の勢いで追撃している最中だった。
「後方より突如として大量の土蜘蛛が出現! 我が軍の背後が強襲され、現在、非常に苦戦を強いられております!」
「何だと……!?」
ベーマタは槍をピタリと止め、鋭い眼光を後方へと向けた。
「むぅ、あの『黒の群盗』め……裏で犯罪組織『蜘蛛の牙』と繋がっていたか! フドウ!」
ベーマタは近くで戦っていた『豪勇の斧』のリーダーを呼んだ。
「追撃は貴殿らに任せたぁ! 俺は後方へ戻り、襲撃してきた土蜘蛛どもの討伐に向かう!」
フドウは眼前の盗賊を容赦なく斧で叩き斬り、返り血を拭いながら豪快に笑った。
「了解した! ここは任せて先へ行け! そっちも気を付けてくれよ、団長さん!」
頷いたベーマタは反転し、白い外套を翻して土蜘蛛の群れへと突撃していった。
◇◇
一方その頃。
砦の幹部であるトカツモは、外でアラクネ率いる土蜘蛛の援軍が到着したことなど露ほども知らず、荒い息を吐きながら砦の深部を走っていた。
(くそっ、ベーマタの化け物め……だが、この秘密の逃げ道さえ使えば、俺一人だけでも確実に逃げおおせる……!)
そう確信し、薄暗い地下通路の角を曲がった、その瞬間だった。
「おいおい。お前、その格好からして盗賊の幹部だろ? こんな時にどこへ行くんだ? ――悪いけど、ここから先へは逃がさないよ」
冷徹な、しかし若々しい声が響く。
トカツモが息を呑んで顔を上げると、前方の通路を完全に塞ぐようにして、一人の男が立っていた。
赤い装飾の入った軽鎧を身に纏い、鋭い眼光を放つ男――名高きAランクパーティ『黒紅の無頼』のリーダー、ショウゴであった。
しかも、彼一人ではない。
「ここで行き止まりよ、悪党さん」
ショウゴの後ろからは、静かに魔力を練り上げる魔法使いのココナ。
「逃げ道を探すのは僕らの専門でね。ここが隠し通路だってことはお見通しさ」
不敵な笑みを浮かべる探索者のリュウセイ。
さらに、すでに剣を抜いて切っ先を向けている剣士のシュンスケ、万全の体制で皆の後方に控える回復士のホノカ。
『黒紅の無頼』の精鋭5人が、完璧な布陣でそこに勢揃いしていた。
「ちっ……『黒紅の無頼』だと!? なぜこんなところに……!」
トカツモは一歩後退り、激しい焦燥感に駆られながらも槍を構え直した。
「邪魔だ、そこを退けぇ! 死にたくなければな!」
「おや、俺たちの名前を知っているのか」
ショウゴはトカツモの脅しを鼻で笑うと、得物を引き抜くこともせず、素手でゆったりと構えを取った。その構えには一転の隙もない。
「なら話が早い。お前が何者なのか、その不気味な黒面の下にある素顔を見せてもらおうかぁ!」
一触即発の空気が、地下通路の暗闇を支配した。




