第92話 決死の潜入、あるいは戦場に響く絶叫
黒の群盗が立て籠もる砦は、険しい山の地形を巧みに利用して築かれた、事実上の山城であった。背後にそびえ立つ断崖絶壁と複雑に入り組んだ斜面が天然の要害となっており、数で勝るはずの都市の騎士団をしても、完全な包囲網を敷くことは不可能な状態だった。
物見の騎士からその致命的な報告を受けた騎士団長ベーマタは、深く眉間を寄せていた。すぐさま陣地に『黒紅の無頼』のリーダーであるショウゴ、そして『豪勇の斧』のリーダーであるフドウの2人を呼び寄せ、今後の方針についての緊急の話し合いが行われた。
「ベーマタさん、包囲は難しいらしいね。このままダラダラと囲んでいるだけじゃ、敵を兵糧責めにすることも出来ないし、いざとなったらあの険しい裏山から逃走を許すことになってしまうんじゃないか?」
ショウゴが、腕を組んだまま砦の図面を見落とし、懸念を口にした。
「うむ……確かにその通りだ。数はこちらが圧倒的に多い。ならば、敵に逃げ道の準備をさせる隙を与えず、こちらの兵糧が潤沢にあるうちに、一気に総攻撃を仕掛けようかと思っているのだが……」
ベーマタの言葉に、フドウが巨大な戦斧の柄をじっと見つめながら、重々しく口を開いた。
「総攻撃そのものに反対する気はねぇ。だがよ、あの門の上で指揮を執っていた奴の動きを見たが、奴らはただの盗賊と思えねぇほどの装備と連携、そして確かな実力を持っていやがる。力押しだけで突っ込めば、こっちもタダじゃ済まねぇ。細心の注意が必要だと思いますぜ」
「おや、いつもなら『俺が真っ先に突っ込んで叩き割ってやるぜ』とでも言いそうな、豪放磊落のフドウらしくねえ弱気な発言だなぁ」
ショウゴが少しからかうようにニヤリと笑うと、フドウはフンと鼻を鳴らし、真剣な眼差しでショウゴを睨み返した。
「ふん、からかうな。俺の部下や、集まった若い冒険者どもの命は軽くねえんだよ。無駄死にだけはさせたくねぇ」
「……まあ、それはそうだ。お前の言う通り、ただの力押しは危険すぎる。そこでだ、良い提案がある。うちの探索者であるリュウセイが、あの険しい崖側の地形を調べて、砦の内部に隠密で潜り込む算段を着けたんだ。少数精鋭の探索者がまず侵入し、内部で派手に陽動を起こす。敵の防衛陣形が混乱したその瞬間に、正面から一斉に総攻撃を仕掛けるってのはどうだい?」
ショウゴの現実的かつ効果的な提案に、フドウの目がらんらんと輝いた。
「お! それは願ってもない良いアイデアだ。よし、その作戦でいこうぜ。潜入班には、うちのウェアウルフのタンチも参加させるぞ。あいつの鼻と耳があれば、隠密行動の成功率は跳ね上がるはずだ」
「助かるよ。……すまんな、2人とも。本来なら騎士団の情報部門が真っ先にその役目を果たすべきなのだが……どうにも最近、組織がおかしな事になっていてな。苦労を掛ける」
ベーマタ騎士団長は、申し訳なさそうに肩を落とした。有能だったトヨシモが突然騎士団を辞めて以降、騎士団の情報部門はどうもチグハグな動きを繰り返しており、重要な偵察任務において全く信用ができない状態だった。そのため、ベーマタは今回の遠征に情報部門を同行させておらず、偵察や裏工作のすべてを信頼できる冒険者たちに一任していたのだ。
方針は決まった。騎士団と冒険者たちは各々の武器を握り締め、砦の周囲に位置取りながら、潜入班による陽動と、その後に続く総攻撃の号令を静かに待つこととなった。
◇◇
砦の後方に位置する、比較的傾斜の緩やかな斜面の草むらに、『風月の戦乙女』のメンバーたちが身を潜めていた。その中には、見習いとして紛れ込ませた少女――メイの姿もあった。
「ねぇ、メイ。本当に大丈夫? 緊迫した戦場なんて初めてでしょう。あんたってそもそも、実戦的な冒険者の経験なんてあったっけ?」
リーダーのカノンが、心配そうにメイの顔を覗き込む。周囲の緊迫した空気に当てられて、メイの顔は少し上気しているように見えた。
「多少はあるわよ……。それより、何だか……何だか今、すごいインスピレーションが沸きそうなの。頭の中で、言葉が溢れそう!」
メイは興奮を隠せない様子で、胸元に抱えたメモ帳をぎゅっと抱きしめた。
実は、メイは現在、出版社や読者から「早く新作を出してくれ」と強く求められており、相当なプレッシャーで精神的に追い込まれていた。以前、凶悪な魔物『蜘蛛の牙』の討伐現場に居合わせた際、命の危機を感じるほどの恐怖と興奮の中で最高の名作を書き上げることができたという成功体験が、彼女の脳裏に焼き付いている。
だからこそ、彼女はこの血生臭い戦いに全てを賭けていた。戦いの中でしか得られない、極限の人間模様や情熱的なヒントを求めて、危険を顧みずここにいるのだ。
「私はこの戦いの中で、次の最高傑作のヒントを絶対に得るのよ……!」
その瞳に宿る、物書きとしてのどこか狂気じみた執念に、カノンたちは「やっぱりこの子、ちょっと普通じゃないわね……」と引き気味に視線を交わし合うのだった。
◇◇
一方、包囲されているはずの砦の内部では、別の意味で凄まじい緊張感と焦燥感が渦巻いていた。
作戦室に集まったミナト達とサキヨマ達は、完全に心の余裕を失っていた。
「おい、サキヨマさんよ! あのトヨシモの野郎、一体どこへ行っちまったんだ!? 籠城すれば『応援が来る』って大口を叩いていた話は、一体どうなったんだよぉ!」
ミナトが苛立ちを爆発させ、机を激しく叩きながら元騎士団長のサキヨマに詰め寄った。外からはいつ総攻撃が始まってもおかしくない地響きが聞こえているのだ。
「知らんよ! トヨシモなんて、昔からいつも急に消えたり現れたりしてるだろ。私に当たられても困る、あいつにとってはいつもの事じゃないか!」
サキヨマがうんざりしたように拒絶すると、今度はその横から魔法使いのアオイが、ねっとりとした、どこか確信に満ちた笑みを浮かべて一歩前に踏み出した。
「なーに惚けてるのよ、サキヨマさん。サキヨマさんって、実はトヨシモさんの『彼氏』なんでしょう? 私、全部知ってるんだからぁ。そんな間柄の人が、居場所を知らない訳ないじゃない。……はい、これがその決定的な証拠よぉ!」
ドン、とアオイが机の上に叩きつけたのは、市井で爆発的な人気を誇る二冊の本――『禁断の騎士団』、そしてその続編である『禁断の騎士団2』であった。
何事かと、部屋の隅で無言を貫いていた弓使いのヒマリが、音もなくサキヨマの近くへと移動した。サキヨマの表情の変化、そして僅かな挙動をも見逃さないように、その瞳をらんらんと輝かせ、ワクワクとした期待に胸を膨らませて注視している。
「はぁ!? 彼氏だと!? 何をおかしなことを言っているんだ、んな訳無いだろう! そもそも俺は男だぞぉ! ……大体、何だその怪しげな本は?」
完璧な濡れ衣に憤慨したサキヨマは、アオイの手から乱暴にその2冊の本を分捕った。そして、身の潔白を証明するために、パラパラとそのページを流し読みし始めた。
「……ん? 『騎士団長と副団長の、秘められた夜の演習』……? 『お前のその頑強な盾で、俺の矛を受け止めてみせろ』……?」
サキヨマの視線が、あるページで完全に静止した。
彼は本を一度閉じ、表紙を二度見した。そして、信じられないものを見るかのように目を限界まで見開き、手にした本がガタガタと音を立てて震え始める。
そこに書かれていた登場人物の容姿、癖、役職は、どう見ても自分と部下たち、そしてトヨシモとの奇妙な関係性を極端に歪ませ、美化し、濃厚な男色へと昇華させたものだった。
「な、な……なんじゃこりゃああああああーーーッ!!!」
アジトの頑強な石壁を震わせるほどの、サキヨマの魂からの絶叫が響き渡った。
まさか自分たちが、あの上品ぶった軍師の妄想の中で、そのような破廉恥かつ禁断の関係に仕立て上げられていようとは、夢にも思わなかったのだ。
驚愕するサキヨマの横で、アオイは「やっぱり図星ね」と不敵に笑い、ヒマリは「尊い……」と言わんばかりに頬を紅潮させていた。
凄惨な戦場になるはずの砦の内部に、まさかの『腐女子』のネットワークが完成しつつあることを、外で総攻撃を待つ冒険者たちはまだ誰も知る由がなかった。




