第89話 緊迫の進軍、あるいは淑女たちの秘密
抜けるような青空とは裏腹に、都市の巨大な入口門の前には、重苦しくもどこか浮足立った空気が漂っていた。
これから始まるのは、街道を脅かす凶悪な盗賊団『黒の群盗』の討伐。そのための出陣式が、今まさに執り行われようとしていた。
門の前には、二つの対照的な集団が並んでいる。
片や、白銀の鎧を眩しく輝かせ、一言の無駄口すら叩かずに直立不動で整列する騎士団。彼らの放つ規律と威圧感は、まさに国家の盾そのものだった。
片や、統一感のない装備を身に纏い、武器を肩に担いだり、あくびを噛み殺したりしながら、だらしなく私語を交わしている冒険者たち。緊迫感の欠片もない彼らだったが、その瞳の奥には一攫千金と実戦への飢えがギラギラと輝いている。
整然と並ぶ軍勢の先頭に立ち、鋭い眼光を放つ男が一人。騎士団長ベーマタが、腹の底から響くような声を張り上げた。
「諸君! 我が都市の繁栄と平和を脅かす、不届きなる群盗を討つため、どうかその力を貸してくれ! これより悪徒の巣窟へと向かう――出撃だぁ!」
「「「はっ!!」」」
地響きのような怒号とともに、騎士たちが一斉に揃って右手を額へと当て、完璧な敬礼を行う。その一糸乱れぬ動きに、ダラダラとしていた冒険者たちからも、わずかに感嘆のどよめきが漏れた。
馬蹄の音を響かせ、重厚な鎧を鳴らしながら、まずは騎士団が整然と門をくぐって出発していく。
その後ろ姿を見送り、今回、寄せ集めの冒険者たちを束ねるリーダー役に指名された『豪勇の斧』のフドウが、前に歩み出た。背負った大斧を軽く叩き、気合を入れるように声を張り上げる。
「おい、野郎共! 騎士サマたちに遅れをとるんじゃねえぞ! 行くぜぃ!」
「「おーっ!!」」
およそ半分ほどの冒険者たちが、威勢よく右腕の拳を突き上げてフドウの後に続いた。残りの半分は「やれやれ」と肩をすくめたり、ニヤニヤと笑いながら歩き出す。良くも悪くも、それが冒険者という人種の気質だった。
目的の地である『黒の群盗』のアジトは、遥か北にそびえる山の中にある。うっすらと緑の広がる広大な森を抜けた先にあるのだが、その森に辿り着くだけでも、これだけの軍勢であれば数日は要する道のりだった。
◇◇
進軍が始まって数時間。早くも、この遠征の最大の弱点が露呈し始めていた。それは「移動速度の致命的な遅さ」だった。
訓練され、統率の取れた騎士団は、自前の頑強な騎馬や専用の軍用馬車に乗り、一定の速度で悠々と進んでいく。
対して、冒険者たちの中で自前の馬を用意できるほどの資産家はごく一握りしかいない。そのため、彼らの移動手段はギルドが急遽かき集めた馬車に頼ることになった。
しかし、これだけの規模の人数分、快適な乗合馬車を用意できるはずもない。
結果として、用意された馬車の多くは荷物運搬用の無骨な荷馬車であり、そこへ無理やり人間が詰め込まれる形となった。あちこちの馬車が完全に定員オーバーを無視してギチギチの状態で走っている。当然、馬にかかる負担は凄まじく、全体の進軍スピードは必然的に遅くならざるを得なかった。先頭の騎士団も、遅れる冒険者たちの馬車に速度を合わせるため、ダラダラとした歩調を強いられていた。
そんな中、ひときわ華やかな――しかし、車内の空気は最高にむさ苦しい一台の馬車があった。
女性だけで構成された中堅パーティー『風月の戦乙女』が乗る馬車である。
女子だけ、と言えば聞こえはいいが、この馬車も例に漏れず地獄の積載量を誇っていた。本来であればゆったりと8人が座れるはずの馬車の中に、なんと10人もの女性冒険者がギチギチに詰め込まれていたのだ。
「うう、もう……キツいよぉ。お尻が痛い……」
荷物と人間に挟まれたカエデが、少しでも楽なポジションを探そうと、お尻をぐりぐりと動かす。シートが軋む音が狭い車内に響いた。
「ちょっとぉ、カエデ! 狭いんだからお尻を動かさないでよぉ、こっちに圧迫が来るじゃない。……モグモグ」
隣に座るワカナが眉をひそめて文句を言う。だが、その手にはしっかりとドライフルーツの袋が握られており、口元は忙しなく動いていた。どんな状況でも食欲を忘れないのが彼女の長所であり短所でもある。
「あ、それ美味しそう。ちょっとちょーだい」
正面に座るマナミが、ワカナの抗議を無視して袋の中からドライフルーツを器用につまみ取り、ひょいと口に放り込んだ。
「ん! これ、甘酸っぱくて美味しいじゃん。どこのお店の?」
「あら、美味しいけど……私、マナミにあげるなんて一言も言ってないんだけど?」
ワカナが頬を膨らませてドライフルーツの袋を死守するように胸元に抱え込む。
「ケチケチしないで良いじゃん、減るもんじゃなし。あ、もう一個」
「だーめ!」
そんな騒がしいやり取りを、少し緊張した面持ちで見つめていた控えめな少女――メイが、自身の懐から小さな布袋をそっと差し出した。
「あの……もしよろしければ、おひとつどうぞ? 私のも、美味しいですよ」
「えっ、メイ? ありがとう! やっぱり気の利く子が一番よねぇ」
マナミは嬉しそうにメイからドライフルーツを受け取り、口に運ぶ。そして、おっとりとした雰囲気のメイの顔をまじまじと見つめた。
「それにしても、メイ。あんたも本当に変わってるわよね。冒険者でもない普通の女の子なのに、なんでこんな危険な討伐隊の馬車に潜り込んでるわけ?」
「あ、ええと……それは、その……取材ですよ、取材。現場の生の空気を感じたくて……」
メイは気まずそうに視線を泳がせながら、小さな声で答えた。
「取材?」
マナミが首を傾げる。戦場に赴く物書きなど、物好きなこともあるものだと不思議に思ったのだ。
すると、馬車の隅に座っていた『風月の戦乙女』の頼れるリーダー、カノンが、フッと悪戯っぽい笑みを浮かべた。そしてマナミの耳元に顔を寄せ、悪びれもせずに小声で囁いた。
「(ちょっとマナミ、声が大きいわよ。……ここだけの秘密だけどね、メイはあの超大ヒット小説『禁断の騎士団』の作者サマなのよ)」
「ええっ!?」
ガタタン、と馬車が揺れた瞬間、窓の外をぼんやりと眺めていたミウが、弾かれたように勢いよく振り返った。その瞳は興奮でらんらんと輝いている。
「ちょ、『禁断の騎士団』って……あの、美形の騎士たちが織りなす熱い愛憎劇の!? それをメイさんが書いてたんですか!?」
「ちょっとぉ、ミウ! 声が大きいってば!」
カノンが慌ててミウの口を両手で塞ごうとする。
「メイに頼まれて、今回は『風月の戦乙女』の見習い枠として特例で紛れ込ませたんだから! ギルドの上層部や騎士団にバレたら、連れ戻されちゃうんだからね!」
カノンはミウの耳元で口を尖らせ、周りに聞こえないように必死に注意を促す。
しかし、狭い馬車内である。そんな密ひそ話が完全に隠し通せるはずもなかった。
「ちょっとぉ、カノン! 今の話、バッチリ聞こえたわよ!」
同じ馬車に乗っていた同僚のアヤカが、驚愕のあまり目を見開いた。そしてガタゴトと揺れる車内で身を乗り出し、カノンとメイの間に無理やり顔を突っ込んで問い詰める。
「メイ! あんたが本当にあの神作『禁断の騎士団』の作者なの!? 嘘でしょ!?」
「……は、はい。本当です……。身分を偽って、すみません……」
詰め寄られたメイは、完全に縮こまってしまい、顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。怒られる、あるいは軽蔑されるのではないかと、その小さな肩を震わせる。
しかし、アヤカの反応は、メイの予想を遥かに超えるものだった。
「マジでえええええええ!! 私、あの作品のめちゃくちゃ大ファンなのよぉおおお!」
アヤカは興奮のあまり絶叫し、メイの両手をがっしりと力強く握りしめた。その勢いにメイの身体がビクリと跳ねる。
「え! あ、あの……本当、ですか?」
「本当も本当だよぉ! まさか作者本人と一緒に馬車に乗ってるなんて、どんな奇跡よ! 後で絶対にサイン貰うわよ、拒否権なしだからね!……あ、ところでさ、気になって夜も眠れないんだけど、次の3話目っていつ出るの!? あの二人の関係はどうなっちゃうの!?」
「あ、あの、それは、今回の取材を生かして、これから……」
結局のところ、狭いスペースでの密告だったため、馬車内にいた女性冒険者たち全員にメイの正体が筒抜けになってしまった。
だが、幸運なことに、車内の女性陣のほとんどがその小説の熱狂的なファン、あるいは愛読者だった。
最初は怯えていたメイだったが、「みんなの秘密にする代わりに、この遠征が終わったら全員分のサインと、次回作のほんの少しのネタバレを教えること」という条件を提示されると、ホッとしたように笑みをこぼした。
「約束よ、絶対に静かにしてるからね!」
「3話目のプロット、少しだけ見せてくれてもいいのよ?」
ギチギチの詰め込み馬車は、先ほどまでのむさ苦しい文句の言い合いから一転し、ファンミーティングのような異常な熱気と女子たちの黄色い歓声に包まれながら、ゆっくりと北の山を目指して進んでいくのだった。




