第84話 絶望の檻、あるいは因縁の終着
「ちっ」
向かいの家の屋根の上にいた、ヒマリの父親であるヒマルが舌打ちをした。俺がアオイの母親の炎の中から傷一つなく姿を現したのを見て、勝機がないと悟ったのだろう。弓を放り出し、屋根の裏手へと身を翻して逃走しようとする。
だが、見逃すわけがない。俺は空間魔法を発動し、ヒマルの脳を直接『亜空間収納』へと格納した。
次の瞬間、ヒマルは目、鼻、口からどっと鮮血を噴き出し、糸の切れた人形のように態勢を崩して屋根から真っ逆さまに落ちていった。
ドサッ!
鈍い肉打音が響き、後ろにいた村人が数人、物音に気づいて恐る恐る様子を見に行く。
直後、悲痛な絶叫が上がった。
「うわああああ! ヒマルが顔から血を流して死んでる!」
「狩人のヒマルが屋根から足を踏み外して落ちるなんて、信じらんねぇ!」
かつて高ランクの冒険者として村を守護していたはずのヒマルの変わり果てた死体を見て、村人たちは底知れぬ恐怖に怯え始めた。
「ひぇええええ!」
「逃げろぉおおおお!」
「ひゃああああ!」
腰を抜かしそうになりながら後退りした村人たちが、我先にと村の外へ向かって逃げ出そうとする。
しかし、俺はすでに『亜空間作成』のバリアを村の周囲に張り巡らせ、誰も逃げられないように檻を完成させていた。
ゴンッ!
「なんだこりゃああああ!」
「壁があって先へ進めねぇ!」
「逃げらんねぇ、閉じ込められたぞ!」
見えない亜空間のバリアに必死で手を押し付け、前に進もうと足掻く村人たち。だが、世界から隔離された空間の壁は、人力ごときではびくともしない。
「くっ……お前、儂らをどうする気だ」
事態の異常さをようやく察した村長が、顔を引きつらせながらも俺を睨みつけてくる。
「ユウマぁ! あんたが何か姑息な術をしてるのね! いいからアタシたちを今すぐ解放しなさい!」
元『焔の剣』の回復士ユイナは、まだ自分の立場が分かっていないのか、胸を張って上から目線で俺に命令を下してきた。相変わらず肥大化したプライドだけは立派な女だ。
その横で、魔法使いアオイの母親であるアオナが、何やら呪文の詠唱を始めていた。禍々しい魔力の光が彼女の身体を包み込んでいく。
俺は冷酷に、アオナの脳も亜空間に収納した。
「影よ、我を約束の地へ運べ! シャドー――」
ドサッ!
アオナは詠唱の途中で言葉を詰まらせ、目、鼻、口から血を流してその場に崩れ落ちた。明らかに転移系の魔法を使って、村人たちを見捨てて自分だけ逃げようとしていたのだろう。因業な母親に相応しい末路だ。
たった今、隣で呪文を唱えていたアオナが突然死体へと変わったのを見て、急に現実の恐怖が襲ってきたユイナが悲鳴混じりに叫ぶ。
「ア、アオナ婆さんに何をしたのぉおおお!」
俺は何も答えず、ただ無言で村人たちを見下ろす。
村の絶対的な武力であった元冒険者の二人、ヒマルとアオナがあっけなく即死したのを目撃し、村人たちはガタガタと歯の根が合わないほど恐怖で震え上がっていた。
「ヒマルとアオナが死んじまっただ……」
「この村は終わりだぁ……化け物に滅ぼされる……!」
「ひぃいいい、助けてくれぇ!」
完全に戦意を喪失した彼らを見て、村長が冷や汗を流しながら、交渉を試みるように声を震わせた。
「……ユ、ユウマ。お前の父親を殺したのは儂らだ、それは認めよう。だから、儂らを街の領主の元に突き出すがいい。法の裁きを受けさせれば満足だろう!」
その言葉を聞いて、俺は思わず吹き出した。
「ははは、その手には乗らないよ、村長。どうせ領主に突き出したところで、お前たちは裏で口裏を合わせて、俺を一方的な犯罪者に仕立て上げるつもりだろう? 役人だって、一介の冒険者に過ぎない俺の言葉よりは、毎年せっせと賄賂を渡してくる村長の言葉を信じるに決まっている」
「ちっ……!」
目論見を見破られた村長が顔を歪めて舌打ちする。
「だったらどうする!? お前、本当にこの場にいる儂ら全員をここで殺す気か!?」
その時、突然横の生垣の影から、凄まじい風切り音と共に一つの影が飛び出してきた。
大剣を真横へと豪快に払い、俺の首を容赦なく刎ねようとする男――元『焔の剣』の剣士ミナトの父親、ミナオだ。
だが、哀れなことに、最初から『空間把握』でミナオがそこに潜んでいたのは完全に丸見えだった。
俺はミナオが振り下ろす寸前の大剣だけを、ピンポイントで亜空間に収納した。
スカッ……。
「なにぃ!? け、剣が無くなりやがったぁ!?」
渾身の力で空を斬り、得物が消えたことで完全にバランスを崩したミナオの腹部へ、俺は容赦なく強烈な蹴りを叩き込んだ。
ドゴッ!
「ぐふっ……!」
凄まじい衝撃音と共に、ミナオの身体がゴミのように後方へと蹴り飛ばされ、地面を何転もしながら転がっていく。
「チクショー、何が何だかわかんねえ……! おい、お前! その斧を貸せ!」
這いつくばった先にいた村人から、強引に木こり用の斧をひったくるミナオ。彼は再び斧を構え、獣のような目で俺を睨みつけて身構えた。
「――無駄だよ」
俺が小さく呟くと同時に、ミナオを含め、その場を取り囲んでいた村人たち全員が手に持っていた鍬、斧、鉈、棒といった全ての武器を、一瞬にして亜空間へと収納した。
「え? お、俺の鍬が!?」
「武器が無くなった!?」
「なんだぁこりゃあ!? 消えたぞ!?」
手に残された妙な軽さに、村人たちは完全にパニックに陥り、ただ呆然と自分の手のひらを見つめるしかなかった。




