第83話 狂気の限界、あるいは断罪の雨
実家の門を出た俺とクロドを、完全に理性を失った村人たちが取り囲み、血走った目で睨みつけてくる。その包囲網の中央には、勝利を確信したように醜く太った元『焔の剣』の回復士ユイナと、その父親である村長が、傲慢な笑みを浮かべて君臨していた。
彼らが手にしているのは、まともな武器ではない。日々の農作業で使う鍬や斧、薪割りの鉈、あるいはただの太い木棒など、身の回りのあらゆる物を武器に変えて持ち寄っている。その光景は、さながら歴史の教科書で見た百姓一揆のようだった。
「――武器を構えて、俺の前に相対している者は、全員もれなく殺される覚悟があるとみなすが……本当にそれで良いんだな?」
俺は周囲の村人たちへ、冷徹な声で最終通告をした。これが、俺が人族として彼らに与える最後の温情だった。
「ふん! ハルキチの小倅がぁ、いっぱしの口をききやがってぇ!」
「どうせ、あのハルキチと同様に痛めつけてやれば、すぐに泣いて許しを請う癖に生意気なんだよう!」
「いいかぁ、みんな! 村の疫病神は手足を切り取って、嫌と言うほど生きて来た事を後悔させてやるんだぁ!」
「殺して下さいと、泣いてお願いするまで甚振(痛ぶ)ってやるぞ!」
辺境の、そして閉鎖的な村の人間というのは、狂うとここまで残酷になれるらしい。投げかけられる罵詈雑言の端々から、俺の父親であるハルキチが、どれほど酷い方法で嬲り殺されたのかが容易に想像できてしまい、胃の奥がドロリと焼けるように熱くなる。
そもそも、俺は小さい頃に、近所の大人から優しくされた覚えが一切ない。母親が亡くなった後、村では厄介者扱いされていた父親が、半分村八分の状態で暮らしていたのだ。当然、その子供である俺に対しても、村人たちの印象は最悪だったのだろう。
母は俺が3才の時に亡くなったと聞いている。だから、母が生きていた頃の温かい記憶なんてものは、俺の脳内には欠片も存在しない。
取り囲む村人の中には、子供の頃に見かけた記憶のある老人の顔もいくつか混ざっていた。だが、不思議なほどに懐かしいという感情はこれっぽっちも湧いてこない。ただ「顔を見た事がある」程度の、動かない背景と同義だ。
――ここまで言われれば、もう十分だ。
襲い掛かって来たら、たとえ相手が誰であろうと、殺す事に躊躇する理由はどこにもない。……そう、心の中で冷酷に割り切った、その瞬間だった。
ヒュン! ブシュッ!
「う゛っ……!」
鋭い風切り音と共に、一本の矢が飛来し、俺の肩を深く突き刺した。肉が裂ける鈍い痛みが走る。俺はその場に片膝をつき、顔をしかめながら肩の矢を一気に抜き取った。そして、血の滴る矢を睨みつけながら、それが飛んできた方角へと視線を走らせる。
向いの家の、古びた藁葺き屋根の上。そこに、憎悪を剥き出しにして弓を構えた一人の老人が立っていた。元『焔の剣』の弓使い、ヒマリの父親だ。
「よくも……よくも我が娘のヒマリを、あの街から国外追放にしやがってぇええ!」
老人――ヒマリの父は、狂乱した叫び声をあげながら、間髪入れずに二発目、三発目の矢を番えて放ってきた。
「主様、油断し過ぎだワン!」
低く鋭い声と共に、クロドが俺の横から猛然と飛び上がった。漆黒の体躯が空中で翻り、迫り来る二本の矢をその前足で正確に叩き落とす。
「……そうみたいだ。ただの村人程度だと、心のどこかで侮っていたよ。ありがとう、クロド」
俺は立ち上がり、怪我をした肩の傷に魔力を流して止血しながら、静かに右手を掲げた。
「――『亜空間作成』」
瞬時に、目に見えない透明な空間の障壁が、俺とクロドを包み込むようにドーム状に展開される。外の世界から完全に隔離された、俺だけの絶対防御領域だ。
「それぇ! ユウマを殺せぇ!」
俺が片膝をついたのを見て好機と捉えたのか、村長の卑劣な号令が響き渡った。それを合図に、周囲を取り囲んでいた数十人の村人たちが、雄叫びをあげて一斉に襲い掛かって来る。
カキン! カキン! ゴン! ドン!
激しい金属音や打撃音が、俺たちの目の前で虚しく鳴り響いた。
亜空間の障壁に叩きつけられた村人たちの鍬や鉈、棒は、目に見えない強固な壁に激しく跳ね返され、使い手の腕を痺れさせている。当然、その内側にいる俺とクロドに、彼らの攻撃がかすり傷一つ負わせることは無い。
「くそぉっ! 当たらねぇ!」
「なんだぁ、これは!?」
「おかしいぞ、透明な壁があるみたいだ!」
「おい! どうなってんだ、ユウマの奴!」
パニックに陥り始める村人たち。亜空間の中に静かに佇む俺は、ただただ冷めきった瞳で、彼らの醜い右往左往を眺めていた。
キン! キン! キン! キン!
屋根の上からヒマリの父が執拗に放ち続ける矢も同様に、亜空間の表面に触れた瞬間、パキパキと小気味よい音を立てて弾かれ、地面へと転がっていく。
「化け物……!」
「ひぃっ、なんだこれ!」
「村長! 聞いてた話と違うぞ!」
「あいつ、ただの無能なポーターじゃねぇのか!?」
「ちょっとぉ! あんたたち、邪魔よ! お退きぃ!」
背後から、一際甲高い、そして耳障りな老婆の叫び声が響いた。
その声に恐怖した村人たちが、蜘蛛の子を散らすように俺の周りから急いで離れていく。次の瞬間、視界が真っ赤な光に染まった。凄まじい熱量を孕んだ巨大な炎の塊が飛来し、俺たちの展開する亜空間の障壁へと直撃したのだ。
轟!! という爆音と共に、俺たちの目の前が完全に炎の海に包まれる。
「アオイの恨みよぉおおおおお!!」
「やったかぁ!?」
「流石は元冒険者、村の誇る魔導師様だ!」
パチパチと燃え盛る炎の向こうで、杖を掲げて息を荒くしている老婆が見えた。なるほど、元『焔の剣』の魔法使い、アオイの母親だな。
そういえば、以前ユイナから聞いたことがあった。ミナトの父親、ヒマリの父親、そしてアオイの母親は、全員がかつてそれなりのランクまで上り詰めた元冒険者だと。歳こそとっているが、長年の経験がある分、一般の村人とは比べ物にならない戦闘力を未だに維持している。おそらく、どこか影に隠れてこちらの隙を窺っているであろうミナトの父親も、元は前衛の戦士か何かなのだろう。
――この、かつての力を笠に着た元冒険者の老人たちが。
寄ってたかって、まともに戦う術すら持たない俺の父親を、残酷な仕打ちでなぶり殺しにしたのだ。その事実を頭の中で反芻した瞬間、胸の奥からドス黒く激しい怒りが、火山のように沸々と込み上げてきた。
やがて、激しく燃え盛っていた炎が、何の影響も与えられずに虚空へと消えていく。
そこには、衣服の端一枚すら焦げていない、完全に無傷の俺とクロドが立っていた。炎の魔法を浴びる前と全く変わらない、世界のすべてを拒絶するような冷めた目でこちらを見つめ返してくる俺たちの姿に、村人たちは血の気が引いた顔で驚愕し、ガタガタと震えながら後退り始めた。
「ひ、ひぃっ……!」
「化け物だ、本物の化け物だぁ……!」
「おい、どうするべぇ……魔法すら効かねぇぞ……!」
恐怖の連鎖が村人たちを支配していく中、俺は静かに、自分のステータスに刻まれた新しい力を解放する準備を始めていた。




