第76話 逃亡の足跡あるいは禁断の果実
「おい、ユウマ!」
緊迫した空気を切り裂くようなベーマタ騎士団長の声に、俺はハッと我に返った。
つい先ほど、圧倒的な剣気で俺の『封印』すら斬り裂き、この国と決別して夜の帳へと消え去ったアスカ。彼女が去っていった先を、俺はどこか放心したように見つめていたのだ。ぽっかりと心に穴が空いたような奇妙な静寂の中、隣にいたクロドが心配そうにクンクンと鼻を鳴らし、俺の足元にそっと身を寄せ、温かい体温を分け与えてくれた。
「……ああ、すいません。少し考え事をしていました」
「無理もない。あのアスカが国を捨てることになるとはな……。だが、感傷に浸っている時間はないぞ。ユウマ、このまま息つく暇もなく『シミツコ商会』の本拠地へ行く。すでに他の騎士たちには、商会の建物を幾重にも包囲するように指示を出してある」
ベーマタ騎士団長は苦渋に満ちた表情を精悍なものへと引き締め、槍を握り直した。
「そ、そうですね。ここで手を緩めるわけにはいかない」
「その通りだ。ここで一気にシミツコ商会を叩き潰さねば、アラクネとの繋がりを隠滅され、最悪の場合は上層部のトカゲの尻尾切りで逃げられる可能性もあるからな」
「はい。分かりました。行きましょう」
「よし。デミツヒと、彼に巻き込まれて命を落とした騎士たちの遺体については、後続の部下たちに王都へ運ぶよう手配を済ませた。俺たちはこのまま先を急ぐぞ」
「了解です。……念のため、もう一度確認しておきますね」
俺は歩き出しながら、脳内で『空間把握』のレーダーを再度発動し、都市内全域へと広域走査を展開した。網の目のように広がる魔力の波が、夜の街の輪郭を映し出していく。
すると、そのレーダーの端に、妙に慌ただしく高速で移動する不審な生体反応が引っかかった。
おや……? これは、シミツコ商会の敷地内から裏口を経て、大型の馬車が猛スピードで街の主要道路を走っているな。
「──ちょっと待ってください、団長さん!」
俺は思わず大きな声を上げ、隣を走ろうとしていたベーマタ騎士団長を呼び止めた。
「ん? どうした、ユウマ。何か不測の事態か?」
「シミツコです。奴が大量の荷物を積み込んだ馬車に乗って、今まさにアジトから逃亡を図っています!」
「何だと!? クソ、包囲が完成する前に気づいて動きやがったか!」
「馬車の進路からして、このまま西の正門へ向かうつもりみたいです。団長さん、俺たちは商会の建物ではなく、今すぐ門へ向かいましょう! 商会の包囲網は、残党を逃がさないためにそのまま維持させておいてください!」
「分かった、判断を任せる! 遅れるなよ、急ぐぞ!」
ベーマタ騎士団長は凄まじい瞬発力で地面を蹴り、鎧を鳴らしながら疾走を始めた。
だが、いくら一流の騎士とはいえ、人間の足では限界がある。
「クロド、頼む!」
「任せろワン!」
俺がクロドの強靭な背中に飛び乗ると、クロドは低く唸り声を上げて爆発的な加速を見せた。しなやかな四肢が夜の街道を捉え、風を置き去りにするような速さで突き進む。俺たちは一瞬にしてベーマタ騎士団長を追い抜いていった。
「団長さん、お先に行きます! 門の手前で馬車を完全に止めておきますから、後から追いついてください!」
「おい、ユウマ! 無茶はするなよ!」
後ろから聞こえる騎士団長の声を置き去りにし、俺はクロドに馬車の現在位置をリアルタイムで念話伝達した。
「あっちの路地裏から回り込んだ方が早いワン!」
クロドは抜群の状況判断で狭い路地へと滑り込み、垂直に近い建物の壁を力強く蹴り上げると、そのまま民家の屋根から屋根へと軽々と跳躍した。最短距離を文字通り立体的に駆け抜け、逃走を続ける馬車の真上へとあっさりと追いつく。
位置は、西の正門まで残り数百メートルという緊迫した直線道路だ。
「そこだワン!」
シミツコ商会の紋章が刻まれた豪奢な馬車の前に、クロドが屋根の上から音もなく鮮やかに飛び降りた。突如として目の前に現れた巨大な黒犬に、馬車を操っていた御者が悲鳴を上げる。
「うわああ!? なんだこいつは!」
「させるか──『空間固定』!」
俺は間髪入れず、突進してくる馬車とその手前で狂乱する馬たちの周囲の空間を、丸ごとピンポイントでカチリと完全固定した。
ドゴーン!!!
凄まじい衝撃音。凄まじい速度の慣性エネルギーが行き場を失い、固定された見えない空間の壁に馬車が正面衝突したような状態になったのだ。固定された馬と車体は一歩も前に進めず、その場で完全に停止させられる。
その衝撃の反動で、座席に座っていた御者は派手に前方に吹き飛ばされて宙を舞い、地面に叩きつけられて一発で気絶した。同時に、馬車の中からはゴロゴロと人間が派手に転がり、お互いの頭をぶつけ合う鈍い音が盛大に響いてくる。
「痛たたた! 何事だぁ!? 一体何が起きた!」
「痛ぅうう! クソ、何があったんだ? おい御者、何をモタモタしている、早く馬車を出発させろ!」
馬車の頑丈な扉が乱暴に開き、中から額を押さえたシミツコと、鋭い目つきをした見るからに腕の立ちそうな二人の護衛の男たちが、よろめきながら這い出てきた。
俺はクロドの背から静かに降り、冷ややかな視線を彼らに向けた。
「こんな夜更けに、シミツコさん。そんな大荷物を抱えて、一体どちらへお出かけですか?」
「誰だぁ、お前はぁ! ガキの分際で、この儂を誰だと思っとるか!」
シミツコは派手な衣装の埃を払いながら、藪睨みの目で俺を猛烈に睨みつけてくる。
「誰って……見れば分かりますよ。この街の経済を牛耳っているはずの、シミツコ商会の会長、シミツコさんでしょう?」
「ぬぬぬ……。その不気味な黒犬と一緒にいるところを見ると、お前、最近噂のダンジョン攻略者、ユウマだな!? 何故貴様のような者が儂の邪魔をする! 用がないならそこを退け!」
「用は大有りですよ。俺は今、犯罪組織『蜘蛛の牙』と裏で不適切に繋がっている不届き者を捕縛する目的で、騎士団の作戦に協力しているんです。大人しくお縄に就いて、商会の闇をすべて吐いてもらいましょうか」
「はぁ!? 蜘蛛の牙と繋がっているだと? とんだ言いがかりだ、馬鹿馬鹿しい! 商業ギルドの重鎮であるこの儂が、そんな賊どもと組むわけがないだろう! どこにそんな証拠があるというのだ。いいからそこを退け、さもなくば痛い目を見るぞ!」
シミツコが顔を真っ赤にして必死に怒鳴り散らし、俺と言い合いを続けていると、背後の暗闇から激しい息遣いと共に、鎧の擦れる音が近づいてきた。
「はぁ、はぁ……っ、間に合っ、たか……! シミツコ! そこまでだ、大人しくしろ!」
息を乱しながらも、凄まじい威圧感を放つベーマタ騎士団長がようやくここに追いついた。
「む、ベーマタ騎士団長……。これは一体どういう事ですかな? いくら騎士団長とはいえ、儂の馬車を強制的に止めさせた上で、賊との関係があるなどという根も葉もない在らぬ疑いをかけて拘束しようとは。商業ギルドを通じて王家に厳重に抗議しますぞ、ただでは済まされませんからな!」
シミツコは騎士団長の登場に一瞬怯んだものの、すぐに尊大な態度を取り戻して脅しをかける。
しかし、ベーマタ騎士団長はそんな脅しを鼻で笑い飛ばした。
「はっはっは! 大言壮語もそこまでだ、シミツコ。お前が『蜘蛛の牙』に活動資金と物資を融通し、さらには上位モンスターのアラクネを街の中に引き込む手引きをしていたという明確な証拠は、すでにこちらで入手しているのだよ。往期が悪いぞ、大人しくついてこい」
「な、何ですと……っ!?」
言い逃れができないと悟ったシミツコは、みるみるうちに顔を青ざめさせ、最後には狂ったような声を張り上げた。
「ええい、お前たち、掛かれ! この邪魔な奴らを皆殺しにして、儂をここから逃がすのじゃ! 報酬はいくらでも弾んでやる!」
シミツコの命令に呼応し、二人の護衛が腰の剣を引き抜こうとした。
だが、その抜剣の動作よりも、俺の思考速度の方が遥かに早かった。
「──『封印』」
パシィン、と空間が爆ぜるような不可視の音が響き、二人の護衛の身体が、剣の柄に手をかけた状態のままピきりと完全に固まった。指先一本、瞳一つ動かすことすら許されない絶対的な拘束だ。
「おい! どうしたお前たちぁ! 早くそこのガキを倒せ! 殺ってしまえと言っているのが聞こえんのか!」
シミツコは、石像のように完全に動かなくなった身内の護衛たちを何度も怒鳴りつけるが、護衛たちはうんともすんとも言わず、ただ虚空を見つめたまま固まっている。
「無駄だ。観念しろ、シミツコ」
ベーマタ騎士団長が、冷徹な一言と共に槍の鋭い矛先をシミツコの喉元へとピタリと突きつけた。
「ひぃっ……!?」
突きつけられた刃の冷たさに、シミツコは一瞬で腰を抜かし、地面に無様にへたり込んだ。彼はプライドをかなぐり捨て、涙目になりながら必死に手をすり合わせて命乞いを始める。
「ま、待ってくれ! 金を出す、いくらでも金を出すから見逃してくれ! 珍しい武器でも、時価数百万ゴルドの宝石でも、好きな物を何でも渡す! ほら、すべてあの馬車の中に積んであるんだぁ! なぁ、頼む! ここで見逃してくれれば、お互いに悪い話ではないだろう──」
ゴンッ!!!
「黙れ、見苦しい」
ベーマタ騎士団長が、容赦なく槍の柄でシミツコの頭を思いきり小突いた。鈍い音が響き、シミツコは白目を剥いてそのまま地面へと倒れ込み、呆気なく気絶した。
「ふぅ……。さて、これで大物は仕留めたな。しかし、この散乱した荷物と馬車をどうするか……」
騎士団長が困ったように周囲を見渡す。
「ベーマタ騎士団長、とりあえず、この馬車もシミツコたちも、まとめて俺の『亜空間収納』の中に一時的に収納しておきますよ。その方が移動も楽ですし、残りの商会メンバーの制圧に急げますから」
「おお! またしても君の便利な魔法に頼ることになるとはな。助かるよ、頼む」
「了解です」
俺はスキルを発動し、気絶したシミツコと護衛、そして巨大な馬車を丸ごと亜空間の中へと吸い込ませた。周囲がすっきりと片付く中、俺は馬車が急停止した拍子に、中から滑り落ちて地面にポツンと転がっていた『一冊の本』に、何気なく目を留めた。
「ん? なんだこれ……」
拾い上げてみると、それは妙に装丁がしっかりとした、最近出版されたばかりと思われる新品の小説本のようだった。
表紙をめくり、題名を確認してみる。
──『禁断の騎士団』。
……ん? なんだか嫌な予感がするタイトルだな。視線を下に移し、作者の名前を見てみる。
『著者:メイ』。
「……嘘だろ?」
俺は思わず、夜の街の真ん中で乾いた声を漏らしてしまったのだった。
◇◇
ところ変わって、王都のとある高級宿の一室。
そこでは、現在進行形で外部との連絡を一切遮断され、事実上の『強制缶詰状態』に追い込まれている元・冒険者ギルド受付嬢のメイが、机の上の山積みの原稿用紙を前に、真っ青な顔で頭を抱えていた。その対面には、目を血走らせた出版社の編集者の女性が、ハァハァと荒い息を吐きながら身を乗り出している。
「メイ先生……! 信じられません、例の処女作が、発売直後から王都中の貴婦人たちの間で売れに売れまくっていますぅうう! すでに重版がかかり、増刷に入りましたぁ!『頑固で不器用なベテラン騎士団長と、若き美貌の副隊長が織りなす、騎士団の中での禁断の愛』……! もう、最高すぎますぅ! 読者からの熱い要望が殺到しているんです、早く、早く次の第2話を書いてくださいいいいいいいい!」
「えええええっ!? ま、マジで!? そんなに売れてるの!?」
メイは嬉しさよりも恐怖が勝ったようで、ガタガタと震えながら自分の書いた原稿を見つめた。
「でも、それって本当に大丈夫なの!? モデルにしてるサキヨマさんとかトヨシモさん本人に、これ絶対にバレてるよね!? もしあの人たちに知られたら、私、今度こそ物理的に消されるか、国家反逆罪で処刑されると思うんだけど!」
「大丈夫ですってぇ! メイ先生、心配しすぎですぅ。作中では、お二人の高貴な名前を、ちゃんと『マサキヨ』と『モトヨシ』って絶妙に変えてあるじゃないですかぁ! これならどこからどう見ても完全なるフィクションですよぉ!」
「いや、文字の順番をちょっと変えただけじゃない!? 誰が見ても一発で元ネタが分かるわよ!」
メイが必死にツッコミを入れるが、編集者はふんと鼻を鳴らし、ドヤ顔で言い放った。
「いいですか、メイ先生!『ビール』と『ルビー』は同じ物ですかぁ!? 文字は同じでも全くの別物でしょう!『タイヤ』と『ヤタイ』は同じですかぁ!? 順番が変われば、それはもう宇宙の法則レベルで別の物なのですよぉ! これを勝手に実在の人物と結びつけて勘違いする、読者の頭が悪いのですぅ! 私たちは何も悪くありません! ですから、そんな下らない言い訳はいいから、早く『禁断の騎士団2 〜すれ違う純情編〜』を書き上げてくださいいいいいいい!」
「ひぃいいい! もう完全に開き直ってるじゃないのよぉ!」
どうやら、受付嬢をクビになって行方をくらましていたメイは、いつの間にか王都でアングラな人気を誇る新進気鋭の「耽美小説家」へと、見事な転身(闇落ち)を遂げていたらしい……。
そんな彼女の、今後の平穏と命の無事を、俺は遠い空の下で祈るばかりであった。




