第72話 電撃の強襲あるいは地下に蠢く傀儡の女王
生臭い血の臭いが充満するホールの中、俺は一歩一歩、確実な足取りで進んでいった。そこは、ブラックドッグのクロド、ベーマタ騎士団長、そしてアスカの三人(と一匹)によって、文字通り『蜘蛛の牙』の構成員たちが蹂躙されている地獄絵図の真っ只中だった。
「お、やっと重い腰を上げたか、ユウマ」
ベーマタ騎士団長が、息を乱すこともなく手際よく敵の胸から槍を引き抜きながら、俺を振り返ってニヤリと笑った。その槍先からは、どろりとした赤黒い血が床へと滴り落ちている。
「フン、どうやらようやく覚悟を決めたみたいだワン」
クロドは襲いかかってきた男の剣ごと、その強靭な前足で容赦なく踏みつぶしながら、冷徹な瞳で俺の様子を観察していた。
「ああ。こいつらはただの犯罪者じゃない、明確な殺意を持って他人の命を奪ってきた奴らだ。なら、こちらも躊躇なく殺す。それだけだ」
俺の心は、自分でも驚くほど冷え切っていた。すぐ近くの床を、血だまりの中で這いずりながら必死に逃げようとしている男の姿が目に留まる。俺は迷うことなくその男に近寄り、頭の中でスキルの焦点を合わせた。
──『封印』。
男の『首から上の空間』だけをピンポイントで固定し、そのままほんの数センチだけ、横の空間へとスライドさせるようにズラした。
「ひっ……!?」
男が短く息を呑んだ次の瞬間、俺が『封印』を解除すると、物理法則に従って男の首が境界線から綺麗に切断され、床をごろごろと転がっていった。首を失った身体がどさりと倒れ、周囲の血だまりをさらに広げる。
「ちょっとぉ! ユウマ、覚悟決めるのが遅いよぉ! こっちの獲物がもうほとんど残ってないじゃないの!」
大剣についた血を鋭く振り払いながら、アスカが不満げに頬を膨らませて文句を言ってきた。彼女の言う通り、広いホールにいたはずの『蜘蛛の牙』のメンバーは、今や息をしている者の方が圧倒的に少なくなっている。
しかし、俺の『亜空間把握』のレーダーは、すでに次なる無数の脅威をはっきりと捉えていた。
「のんびり文句を言っている場合じゃないぞ、アスカ。……このホールの真下だ。地下に、もの凄い数の蜘蛛が湧いてる」
「マジかぁ! あはは、まだお楽しみが残ってたわけね! なら、一番乗りはワタシが貰ったぁ! ──『撃滅剣』っ!!」
アスカは獰猛な笑みを浮かべるや否や、背負った大剣を全力で真下の床へと叩きつけた。
ドガッ!!!
凄まじい衝撃音と共に、頑丈な石造りの床に蜘蛛の巣状の亀裂が走り、爆発に巻き込まれたかのように粉々に砕け散った。これは昨日、冒険者ギルドの建屋を半壊させたのと同じ、彼女の規格外のスキルによる一撃だ。床が完全に崩落し、直径数メートルに及ぶ巨大な闇の穴がぽっかりと姿を現した。
その穴の奥、薄暗い地下空間の底では、無数の巨大なモンスター『土蜘蛛』たちが、突然の衝撃にキチキチと不気味な鳴き声を上げながら蠢いているのが見えた。
「じゃあね、お先ぃ!」
アスカは何の躊躇もなく、その奈落の底へと自ら飛び降りていった。
「ちっ、あの馬鹿娘が……! 少しは状況を確認してから動かんか!」
ベーマタ騎士団長が、呆れ果てた様子で額を押さえながら穴の中を覗き込む。しかし、アスカが放った一撃の破壊力は、単に穴を空けるだけでは収まらなかったらしい。すぐさま、俺達が立っている足元からズズズ……と不穏な地鳴りと激しい振動が伝わってきた。
「……どうやら、のんびり状況を確認する暇は、俺達にも無いみたいだワン」
クロドが低く唸るように言葉を紡いだ直後、ホールの床が天井の重みに耐えかねたように、連鎖的に激しく崩れ落ちた。
ガラガラガラ! ドゴン!
俺とクロド、そしてベーマタ騎士団長が立っていた床が、一瞬にして消失する。
「うぉおっ!?」
突然の自由落下に、騎士団長が驚愕の声を上げながら、大量の瓦礫と共に暗い地下へと真っ逆さまに落ちていく。
だが、俺は冷静だった。落下が始まった瞬間に、俺とクロドの足の真下の空間へ、不可視の『亜空間の足場』を即座に展開していたからだ。俺とクロドは、瓦礫が激しく落下していく様子を、まるで虚空に浮いているかのように上空から冷静に見下ろしていた。
地下の底では、凄まじい勢いで降り注いだ瓦礫の直撃を受けたはずの土蜘蛛たちが、その強靭な外殻のおかげでほとんどダメージを受けていない様子だった。奴らはむしろ怒り狂ったように瓦礫を力任せに押し退け、ガサゴソと這い出てきている。
「はぁーっ!」
真っ先に落ちたアスカは、当然のように無傷だった。彼女は降り注ぐ瓦礫すらも大剣の風圧で粉砕しながら、周囲に群がる土蜘蛛たちを容赦なく一刀両断にしている。
「フンッ!」
一方、不意の落下を強いられたベーマタ騎士団長も、ただでは転ばなかった。着地の瞬間に、真下にいた土蜘蛛の脳天へと正確に槍を突き刺してクッション代わりにし、即座に槍を引き抜いて大きく一閃。迫り来る周囲の土蜘蛛たちを、圧倒的な技術と膂力でまとめて叩き飛ばしていた。
「さすがに強いな……。でも、これだけの数をいちいち相手にしていたらキリがない」
俺は空中に浮いた状態のまま、地下空間全体を『亜空間把握』の範囲に収めた。蠢く無数の土蜘蛛たちの体内、その中心部にある魔力の核──『魔石』の位置が、暗闇の中で鮮明に浮かび上がる。
──全て、まとめて『亜空間収納』。
思考の速度でスキルを発動した瞬間、地下にひしめき合っていた全ての土蜘蛛の体内から、一斉に魔石だけが消失した。
一瞬前まで凶暴に牙を剥いていた土蜘蛛たちが、何が起こったのかも理解できないまま、一斉に力を失ってどさどさと床に倒れ伏していく。まるで、広範囲に即死魔法でもばら撒いたかのような、圧倒的かつ身も蓋もない光景だった。
◇◇
「え……? 何これ、何が起きたのよぉ!? 蜘蛛たちが急に全部死んじゃったんだけど! ユウマ、あんた今、何かしたでしょう!?」
大剣を振り上げた姿勢のまま、突然動きを止めた獲物たちを前に、アスカが地下から俺をキッと見上げて大声を張り上げてきた。
俺はそんな彼女の問いかけを完全に無視し、意識を別の場所へと向けた。土蜘蛛たちの影に隠れて、この地下に潜伏していた『蜘蛛の牙』の生き残りの人間たちが数人いる。俺は彼らの身体を即座に『封印』で固定し、指一本動かせない状態に陥れた。こいつらには、色々と白状してもらわなければならないからな。
「ベーマタ騎士団長! そこにいる生き残りの奴らは、全員動けないように封印しました。外で周囲を包囲している騎士たちに合図を送って、こいつらを連行させてください」
「おお! それは助かる、気が利くなユウマ! こいつらから、過去の犯罪の全容や、背後にいるであろう黒幕の情報を徹底的に尋問しなきゃならんからな」
騎士団長は俺のサポートに深く感謝すると、見事な跳躍を見せ、崩れ落ちずに残っていた1階ホールの床へと一気に飛び上がってきた。
「ちょっとぉ! 無視するんじゃないわよ、返事ぐらいしなさいよぉ!」
アスカも怒り心頭といった様子で地面を蹴り、同じように跳躍して1階の床へと戻ってきた。
無事に合流し、さて次の商会へ向かうかと思った、その時だった。
「──フフフ。よくも私の可愛い部下たちと、下僕の蜘蛛たちを殺してくれたわね」
突如として、俺の真後ろの上空から、背筋が凍るような妖艶で冷酷な女の声が響いた。
「っ!?」
俺達が一斉に振り返り、上空の天井を見上げる。そこには、信じられない光景があった。天井の暗がりに、蜘蛛の糸で編まれた巨大な巣が張り巡らされており、そこに一人の女が張り付いていたのだ。
いや、女ではない。
女は俺達の視線を受けると、天井に付着させた頑丈な糸を器用に操りながら、頭を真下にした逆さまの状態で、するすると滑り落ちるように降りてきた。その姿が月明かりに照らされる。上半身は、妖艶な美貌を持つ人間の美女。しかし、その腰から下の下半身は、おぞましい剛毛に覆われた巨大な蜘蛛そのものだった。
「アラクネぇッ!」
アスカがその姿を認めるなり、即座に地を蹴って跳躍した。空中で大剣を限界まで引き絞り、アラクネの首を容赦なく刎ね飛ばそうと、鋭い横薙ぎの一閃を放つ。
しかし、アラクネは嘲笑うかのように、張り巡らせた糸を弾いて身体を不自然な角度で反らし、宙を舞うようにしてアスカの一撃を軽々と躱した。
「ふん、小癆しい騎士団と冒険者の小蝿どもが。くっ……まさか、これほど簡単に我が拠点の罠を食い破られるとは、夢にも思っていなかったぞ」
宙に浮いた状態のアラクネをよく見ると、彼女はホール中の天井や壁に視認できないほど細く強靭な蜘蛛の糸を縦横無尽に張り巡らせており、その糸の上に信じられないバランス感覚で立っていたのだ。
空中で攻撃を躱されたアスカは、即座に壁を強く蹴って軌道修正し、ホールの床へと着地した。大剣を再び低く構え、いつでも次の跳躍に移れるよう全身の筋肉を緊張させて身構える。
「チッ、すばしっこい化け物ね……!」
「間違いない、上位種のアラクネだワン。ただの魔獣とは格が違うワン」
クロドは低く身を屈め、肉食獣が獲物を確実に仕留める時のように、いつでも飛び掛かれる体勢でアラクネを鋭い眼光で睨みつける。
「まさか、これほどの高位モンスターが、ギルドの目の前である街の中に巣くっていようとはな。……面白い、騎士団長の名に懸けて、ここで討ち取ってくれる!」
ベーマタ騎士団長も槍を厳然と構え、アラクネの僅かな隙を窺うようにじりじりと間合いを詰めていく。
張り詰めた空気、一触即発の緊迫感がホールを満たす中、俺はただ一人、自身の周囲に絶対不可侵の亜空間を平然と纏わせたまま、天井で糸を操るアラクネの姿を冷徹に見つめていた。どれほど強力なボスだろうが、俺のスキルの前には関係ない。
「さあ、誰から細切れにしてあげようかしら?」
アラクネが妖しく微笑み、無数の糸が生き物のように蠢き始めた。




