第64話 剣姫の強襲、あるいは届かぬ太刀筋
「ユウマ、あ、ありがとう。……そして、この前は本当にごめんなさい」
屋敷の外へ出ると、あの傲慢だったメイが、見たこともないほどしおらしく俺に向かって頭を下げてきた。
「もう良いよ。早く帰りな」
俺はぶっきらぼうにそれだけ告げると、まだ何か言いたげに口をもごもごさせているメイをその場に置き去りにして、クロドと共に歩き出した。
(いや、今更メイとまともに会話するなんて無理でしょ。話すこともないし、流石にあれだけのわだかまりが簡単に消えるわけないよねぇ……)
結局のところ、あの事件は誰も得をしない最悪の結末を迎えた。
後日談として、謹慎処分中であるにもかかわらず、一般市民を騙して勝手に『蜘蛛の牙』の拠点へ乗り込み、挙句の果てに大失態を晒したサキヨマ、トカツモ、リマサノの3人は、めでたく騎士団を即日クビ――もとい、強制退団処分となった。
サキヨマの尻に深く突き刺さった日傘は、神殿の高度な回復魔法によって傷口自体は綺麗に塞がったらしい。だが、街の裏通りでは「今でも何かが刺さっている奇妙な感覚が抜けないらしい」「重度の痔になった」「いや、むしろそれが原因で新しい快感に目覚めたらしい」といった、おぞましい噂がまことしやかに囁かれ続けた。
……そもそも、あの現場でサキヨマの尻に日傘がブスリと刺さった大爆笑の瞬間を知っている人間なんて、俺とクロド、トカツモ、そして当事者以外には――。
(……メイ! お前、やっぱりあの話を腐女子冒険者仲間に面白おかしく言い触らしたな!?)
なお、サキヨマたち3人が騎士団を追われるのとほぼ同時に、情報部門のトヨシモも何故か自ら騎士団を退団していた。その後、職を失った3人がトヨシモに優しく誘われるようにして、この都市からひっそりと姿を消したことを知る者は、今のところ誰もいない。
◇◇
それから数日後の朝。
燦々と降り注ぐ太陽の光を浴びながら、俺とクロドはいつものように冒険者ギルドへと向かってのんびりと歩いていた。
「たああああああああーーーっっっ!!」
突如として、鼓膜を突き刺すような鋭い咆哮が響き渡った。同時に、空を裂くような巨大な鉄の塊――大剣が、容赦なくクロドの脳頭めがけて振り下ろされる。
「何だワン!?」
野生の勘で本能的にその一撃を素早く躱したクロドが、驚愕の声を上げて背後を振り返った。
「な、避けた!? このワタシの一撃を……!」
大剣の重みで地面を派手に穿ちながら、信じられないものを見たという顔でクロドを睨みつけているのは、一人の女の子だった。
(……美少女だ)
思わず見惚れてしまうほど、将来間違いなく絶世の美人になることが確定しているような、燃えるような真っ赤な髪の女の子。
「これほど強力な魔力を放ち、邪悪な気配を隠そうともしない姿……! お前、ただのブラックドッグではないなぁ! 人に害なす凶悪なモンスターと見た、覚悟しろ!」
身長はせいぜい140センチメートル程度だろうか。そんな小柄な体躯の少女が、自分の背丈とほとんど変わらない凶悪な大剣を、事もなげに軽々と振り上げて再び構えをとった。
「ちょっと待って、子供……? 俺の相棒にいきなり斬りかかってきて、一体どういうつもりなの?」
俺が慌てて割って入ると、少女は顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。
「子供じゃなあああああああい! ワタシは高名なる『剣姫』アスカだぁ!」
「ケンキ・アスカ……?」
聞き覚えのない名前に首を傾げていると、足元で身構えていたクロドが、低く緊迫した声で俺に囁いた。
「ユウマ、見掛けで判断するなワン。このお嬢さん、とんでもなく腕が立つぞワン……!」
「えぇ? だって、どう見てもまだ子供だよ?」
「またぁ! 子供って言うなぁぁぁ!!」
アスカが烈火のごとく怒り、今度は俺に向かって凄まじい速度で剣を振り下ろしてきた。
その瞬間、俺の直感が尋常ではない「違和感」を捉えた。俺は反射的に、身体全身を覆うように密度を高めた『亜空間』のバリアを纏わせる。
通常の戦闘であれば、相手が次にどう動くかさえ空間把握で分かっていれば、攻撃を躱すのは造作もないはずだった。しかし、アスカの放った大剣は、俺が大剣を掴み取ろうと突き出した亜空間の右手を――何故か文字通り「すり抜けて」、そのまま俺の右肩へと直撃したのだ。
普通なら、右肩から斜め半分に身体を叩き斬られて即死しているような一撃。だが、事前に全身に纏わせていた強固な亜空間の障壁が、どうにか刃の侵入を面で食い止める。
カキン!!!
「は、弾かれたぁっ!?」
今度はアスカが驚愕の表情を浮かべ、目を見開いて俺を見つめた。
信じられない。通常、剣を振り上げただけの予備動作の段階では、誰も攻撃を躱そうとはしない。相手が一歩踏み込み、実際に剣を振り下ろした「その瞬間」に合わせるのが基本だ。
しかし、このアスカという少女の足の運びと剣速は完全に常軌を逸していた。いつ踏み込まれたのか、いつ振り下ろされたのか、俺の認識が完全に置き去りにされ、気付いたときには既に肉薄されていたのだ。
――いわば、「見えているのに、躱せずに斬られる」という、圧倒的な技量差が生み出す恐怖のパターン。
「うぅううううう! 何故斬れない! 何故斬れない! 何故斬れない何故斬れない何故斬れない何故斬れない!!何故斬れない何故斬れないいぃぃぃ!!!」
アスカは半ばパニックになりながら絶叫し、怒涛の勢いで俺に剣を繰り出してきた。
カンッ! カンッ! カンッ! カンッ! カンッ! カンッ! カンッ!
激しい金属音が途切れることなく連続して街頭に響き渡る。
真上からの唐竹割り、地を這うような下からの斬り上げ、右斜め上からの袈裟斬り、左から右へ、右斜め下から左斜め上へ、そして空間を薙ぎ払うような右から左への横一文字――。
重厚な大剣をまるで羽毛のように軽々と振り回す、まさに千変万化の太刀筋。肉眼で追うことすら不可能な神速の剣速が、縦横無尽に全方位から繰り出され、一向に止まる気配がない。俺の周囲に展開された亜空間の障壁が、火花を散らしながら辛うじてその超絶的な猛攻を防ぎ止めていた。
(この子……一体何者だよ!?)
気がつけば、ギルド前の通りを行き交う大勢の冒険者や野次馬たちが遠巻きに足を止め、「おい、あれ剣姫アスカじゃねえか?」「誰だあいつ、あの猛攻を全部防いでるぞ……」と、興味津々でこちらを眺めている。
(……みんなめちゃくちゃ見てるし、誰か早くこれ止めてくれないかなぁ!?)
俺は冷や汗を流しながら、終わりの見えない超高速の剣舞の嵐の中で、ただただ呆然と耐え続けるしかなかった。




