第52話 伯爵の懐刀と、行く手を阻む傲慢な鉄壁
俺とブラックドッグのクロドは、幾重もの思惑が交錯する街の喧騒を離れ、領主の館へと辿り着いた。
領主の館は、白磁の強固な外壁と高い鉄柵の塀に囲まれた、気が遠くなるほど広大な屋敷だった。威圧感を放つ巨大な鉄門の前には、全身を金属鎧で固めた二人の門番が、微動だにせず立っている。
俺とクロドが門の前まで歩いて近づいていくと、門番たちは一瞬だけ身体を強張らせた。やはりクロドの放つ漆黒の存在感に気圧され、ちょっとビビっているようだ。それでも流石は領主の兵、すぐに鋭い視線で俺を値踏みし、硬い声で話し掛けて来た。
「……お前が、Cランク冒険者のユウマか?」
「はい。そうです」
「念の為、本当に本人かどうかの確認をさせてもらう。冒険者証と、我が主からの召喚状を提示してくれ」
「はい。どうぞ」
俺は懐から、ヤヨイさんから受け取ったばかりの銀色に輝くCランクの冒険者証と、最高権力者の蝋印が押された領主からの召喚状を取り出し、門番の目の前に差し出した。
「……よし、確認した。問題ない。上司からは事前に話を聞いている。通って良いぞ。門をくぐり、敷地内を真っ直ぐ進んだ先に本館の入口がある。そこで名前を言えば、中に入れる手はずになっている」
ガガガ、と重々しい音を立てて鉄門が開かれた。
(うわぁ……。えっ、ちょっと待って。遠い……)
門をくぐり抜けて敷地内に入った瞬間、俺は思わず圧倒されて足を止めた。綺麗に手入れされた前庭の向こう、館の正面玄関が遥か彼方に見える。門から入口まで、わりと絶望的な距離があるのだ。歩いていたらそれだけでまた時間を食ってしまう。
周囲を見渡しても、俺たちを運ぶための馬車が用意されている気配はない。なら、クロドに乗って行ってしまってもいいのかな?
「ねえクロド、ちょっと距離があるから、本館の手前まで乗せて貰ってもいい?」
「構わんワン。しっかり掴まるが良いワン」
クロドは俺が乗り易いように、その巨体をその場に低く伏せてくれた。
俺が慣れた動作でその大きな背中に跨がると、クロドは音もなくのそりと起き上がり、次の瞬間には弾かれたように疾走した。――はやっ!
あまりの加速に風が耳元を激しく殴る。驚いている暇すらないうちに、あっという間に本館の重厚な正面入口へと到着した。
すると、館の大きな扉が勢いよく開き、中から一人の初老の男が飛び出してきた。仕立ての良い衣服を着たその男は、かなり慌てた様子で額の汗を拭いながら、目を丸くして俺たちを待っていた。
(なるほどね。門番から魔導通信か何かで、俺が門を通過したっていう連絡はすぐにいってたんだろう。だけど、まさかブラックドッグに乗って爆走してくるなんて思ってなかったから、想定より遥かに早く到着しちゃって、慌てて迎えに出てきたって感じかな?)
「ゆ、ユウマ様ですね。……私は、当館の主である領主リミツナ伯爵に仕えております、執事のエトシーでございます。……ハァ、お、お待ちしておりました。此方にどうぞ、ご案内いたします」
エトシーは必死に息を整えながらも、流石のプロ意識で慇懃に一礼し、俺たちを屋敷の中へと招き入れた。
◇◇
豪華絢爛な調度品が並ぶ廊下を通り、俺たちはまず、格式高い控え室へと案内された。そこで一息つく間もなく、程なくしてエトシーが再度迎えに来る。
「ユウマ様、伯爵様がお呼びです」
連れて行かれたのは、天井が驚くほど高い、貴族の威光を具現化したような応接室だった。
部屋に入ると、上等な毛皮が敷かれた一人掛けの高級ソファーに、恰幅のいい貴族の男が、どっしりと威厳を放ちながら腰掛けて待っていた。彼こそが、この地を統べる領主、リミツナ伯爵だった。
奴隷時代の癖で少し緊張しながらも、失礼のないように挨拶をしようと、俺が「私は、」と口を開きかけた、まさにその瞬間。
伯爵は短く手を挙げて、俺の挨拶を遮った。
「お主が、ユウマか? ……ふむ。今日は公式な謁見の場では無いのでな。そのように堅苦しい挨拶や作法は要らぬぞ。まあ、そこに腰掛けよ」
「……はい。失礼致します」
言われるがまま、俺は伯爵の正面にある二人掛けのフカフカしたソファーに腰を下ろした。クロドは俺の隣の席ではなく、その反対側の床に、いつでも動けるような体勢で静かに伏せた。
「……それにしても、お主。こちらが召喚状を出してから、思ってたより、来るのが随分と遅かったのぅ?」
リミツナ伯爵が、値踏みするような鋭い視線を向けながらチクリと言い放った。
ここで不興を買うわけにはいかない。俺は、午前中にシミツコ商会に理不尽に拉致同然で招かれ、半日近くも放置されて時間を潰されたこと。そして午後、この領主の館に来る途中の大通りでも、不審な連中に立ち塞がれて足止めを食らったことを、包み隠さず話した。
もちろん、男たちの衣服や武器を一瞬で奪い去った俺自身の固有スキル『亜空間倉庫』や空間魔法の詳細については、適当に「便利な魔法の道具を使いまして」とボロが出ないようにぼかして説明した。
俺の話を静かに聞いていたリミツナ伯爵の顔が、次第に不快感で険しくなっていく。
「成る程なぁ……。あのシミツコの奴め、儂の召喚があることを薄々察していながら、自分たちの交渉を優先して、儂の命令を後回しにしろと、そう言うつもりなのだな。不届き千万な。……しかも、街の裏社会の膿である『蜘蛛の牙』と裏で繋がって、お主を力ずくで拉致しようとしていたか。良し、面白い。その件については、儂の方で直々に処理しておいてやろう」
伯爵は不敵に笑ったが、俺としてはちょっと困るのだ。あの全裸で固めてきた『蜘蛛の牙』のチンピラどもには、俺個人として、きっちりと後で仕返しに行くって宣言してきちゃったからね。
「お気遣い、ありがとうございます。ですが伯爵様、『蜘蛛の牙』の拠点に関しては、この後帰り掛けに俺の手で直接潰そうと思っております。ですので、伯爵様の方では、俺がのして転がしておいた連中の『逮捕』と身柄の拘束だけを行っていただければ助かります。その代わりと言ってはなんですが、大元のシミツコ商会の処分については、全て伯爵様にお任せいたします」
「ほほう……!」
俺の恐れ知らずな提案に、リミツナ伯爵は驚いたように目を見張り、次いで満足そうに声を上げて笑った。
「闇組織をこれから一人で潰しに行くと平然と言うか。流石は、前人未到の難関ダンジョンを攻略した者だけのことはあるのう。その度胸、気に入った」
「……恐縮です。ところで、伯爵様が俺を呼び出したお話というのは、そのダンジョン攻略の件でしょうか?」
「うむ、察しが良いな。長年、この街の脅威であり、多くの冒険者の命を呑み込んできた『魔獣の窟』を攻略してくれたことへの感謝。そして、どのような傑物がそれを成し遂げたのか、お主と直に会っておきたいと思ってな。……どうだ? 何か欲しい物があるか? 褒美だ、何でも言ってみよ。金か、名誉か、それとも地位か? ……もし望むなら、冒険者などやめて、儂のお抱えの騎士として、この館で働かんか?」
それは、一般の平民や冒険者からすれば、一攫千金どころか、一生の安泰を約束された破格のスカウトだった。
だが、俺の答えは最初から決まっていた。
「俺が今、何よりも欲しいものは――『自由』です」
誰かに縛られ、命令され、奴隷のように使われる日々には、もう二度と戻りたくない。その強い意志を込めて、真っ直ぐに伯爵の目を見つめた。
「……む。なるほど、儂の元で、誰かの下について働く気は更々無い、と言う事かぁ。……いや、惜しいのう、本当に惜しい。お主のような優秀な人材を逃すのは痛手だが、まぁ、今日のところはここまでとするか。無理強いをして、ダンジョン攻略者に恨まれるのも割に合わん。お主の意志を尊重し、無理強いはすまい」
「はい。寛大な御心、有難う御座います。それでは、お話が済みましたら、これで失礼致します」
「ああ、待て。仕官は断られたが、攻略の正式な褒美だ。これを持っていけ」
伯爵が手元からずっしりと重い、ジャラジャラと金属音が鳴る布袋を差し出してきた。中には最高級の金貨が大量に入っているのが、触らなくても分かる。
「ありがたく、頂戴いたします」
俺は素直にそれを受け取る事にした。こういった報酬まで頑なに断ってしまうと、今度は「貴族の面子」を丸潰れにすることになり、後々面倒な恨みを買うことになりかねないからだ。
◇◇
こうして、ひとまずは大きなトラブルもなく伯爵との面会をお暇し、俺とクロドは応接室を出た。
緊張が解けてホッとしながら、玄関の入口に向かって静まり返った館の長い廊下を歩いていた、その時だった。
カチャリ、と重々しい金属鎧の擦れる音が前方から響く。
見上げると、廊下の先、正面玄関へ続く唯一の曲がり角の真ん中に、一人の男が立っていた。
磨き抜かれた白銀のフルプレートアーマーを身に纏い、腰には装飾の施された立派な長剣。如何にも「私は領主様を守る高潔な騎士団長です」と言わんばかりの、プライドが高そうで威圧的な雰囲気を全身からプンプンと醸し出している男だった。
男は、近づいてくる俺とクロドを冷酷な、そして明確な敵意と蔑みを孕んだ目で見下ろし、逃げ道を塞ぐようにして、ど真ん中で行く手を遮っている。
(はぁ……。大商会、闇組織、領主の次は、今度はプライドの塊みたいな騎士様の登場かよ……。本当に、今日はいちいち面倒臭いなぁ……)
俺は心の中で盛大なため息をつきながら、その傲慢に立ち塞がる騎士の前に向かって、一歩を進めるのだった。




