第50話 傲慢の代償と、次なる招集の報せ
シミツコ商会本店の、悪趣味なほどきらびやかな応接室。俺とブラックドッグのクロドは、そこに通されてから、もう随分な時間をもてあましていた。
重厚なテーブルの上には、そこそこ上等の部類に入るであろう紅茶と、上品に盛り付けられた焼き菓子が置かれている。だが、朝早くに叩き起こされ、朝食すらとっていない俺たちの腹を満たすには、あまりにも頼りない量だった。
当然、出されたものはとっくに完食している。それでも空腹が収まらなかった俺は、今、自分のスキルである『亜空間倉庫』から取り出した特製のサンドイッチを頬張り、温かいスープをズズッとすすっていた。応接室でまさかの持参ピクニック状態である。
「はぁ……。朝早くから人の都合も無視して呼び出しておいて、一体いつまで待たせるんだろうねぇ」
俺はもぐもぐと口を動かしながら、床に寝そべるクロドに愚痴をこぼした。
「随分と甘く見られてるワン。格下の冒険者など、どれだけ待たせても文句は言えまい、と高を括っている証拠だワン」
クロドは呆れたように鼻を鳴らし、器用にスープの器を前足で支えながら、ペロペロと中身を平らげていく。
「だよねぇ。いくら街一番の大商会の会長様だからって、これはあんまりだよ。まともな朝食を出すわけでもなく、謝罪の伝言すらない。このままお昼になっちゃったら、今日の依頼を受けるタイミングを完全に逃して、仕事が出来なくなっちゃうよ」
俺は最後の一口を飲み込み、ため息をついた。
「俺は今、ダンジョン攻略の報酬があるからお金に余裕があるけどさ。もしこれが普通の、日銭を稼がなきゃいけない困窮した冒険者だったら、この半日の拘束だけで明日の生活が苦しくなるレベルだよ。他人の時間を奪う重さを分かってないな」
「主よ、もうこんな不愉快な場所、帰るかワン?」
クロドの真っ直ぐな提案に、俺は少し考えてから頷いた。
「そうだね。――あと半時、およそ1時間待って何の連絡もなければ、置き手紙をして帰ろう。これ以上、あの傲慢な商人の自己満足に付き合ってあげる義理は無いからね」
◇◇
その頃、シミツコ商会の絶対権力者である会長シミツコは、ようやく重い腰を上げて朝の優雅な時間を過ごしていた。
一般の平民や冒険者がとっくに働きに出ているような朝遅くの時間に、のっそりと起床した彼は、前日の商会の売り上げや進捗の報告を聞きながら、専属の料理人が作った豪華な朝食をゆっくりと口に運ぶ。
やがて全ての報告を終え、食後の高級な紅茶を優雅に楽しんでいたシミツコは、ふと思い出したように、傍らに控えるマタカシへ視線を向けた。
「そう言えば、マタカシ。お前に朝一で呼びに行かせた、例の『魔獣の窟』を攻略したとかいう件の冒険者はどうなっている?」
「はっ。仰せの通り、朝早くに宿へ迎えに行きまして、現在は本店の応接室にて待機させております」
「ふむ。よし、では会おうか。どれほどの男か、この儂が直々に値踏みしてやろう」
シミツコは満足げに頷き、マタカシを従えて応接室へと向かった。
待たせることで相手の心を折り、こちらが圧倒的優位に立って交渉を進める――それが、彼らがこれまで何度も使ってきた常套手段だった。
だが、応接室の扉を開けた瞬間、二人は言葉を失うことになる。
「……ん? 誰もいないぞ。マタカシ、これはどういうことだ」
「そ、そんなはずはございません! 確かにここに通し、一歩も外へ出さないよう手配していたはず……!」
部屋の中には、綺麗に片付けられた、だが完全に空になった紅茶のカップと、ぽつんと残された一枚の白い紙があるだけだった。
マタカシは顔色を変えてテーブルへ駆け寄ると、その紙を素早く手に取った。
「置き手紙か? ……おい、なんて書いている!」
シミツコが不機嫌そうに問いかける。マタカシは文面を目で追いながら、額から冷や汗を流して声を震わせた。
「は、はぁ……。『本業である冒険者の仕事が控えている為、本日はこれにてお暇いたします』と、非常に……非常に丁寧な文面で書かれております……」
「どれ、見せてみろ!」
シミツコはマタカシの手から置き手紙を乱暴に取り上げると、怒りに顔を真っ赤に染めながら中身を凝視した。だが、読み進めるうちに、その顔が今度は屈辱で歪んでいく。
「くっ……! おい、マタカシ! この手紙に書かれている内容は本当の事か!?」
「は、はい……? 一体、何と……」
「『ギルドの依頼を受ける間もなく強引に連れ出し、本日の稼ぎの保証も一切ないまま、何の説明もなく半日も待たされた』と書いているぞ! おまけに、皮肉たっぷりに『お茶菓子、ごちそうさまでした』とまである! これでは、こちらに文句の言い様が無いではないか! お前、まさか食事も出して無いのか!?」
シミツコの怒号に、マタカシは直立不動のまま、必死に言い訳を口にした。
「はっ、しかし、冒険者風情ゆえに、依頼前に呼び出さなければ本日はお会い出来ないと判断いたしました! それに、たかがCランクごときの若造です。上等な紅茶と菓子を与えただけでも過分なもてなしであり、わざわざ食事を出す必要など無いと……!」
「ぐぬぬぬっ……! Cランク冒険者ごときが、この儂の、シミツコ商会の誘いを直前で断って帰るなど……何たる生意気な、身の程知らずめ!」
シミツコは手紙をくしゃくしゃに握りつぶし、床へ叩きつけた。自分のプライドを、たかが小汚い冒険者に完璧に踏みにじられた事実が許せなかったのだ。
「マタカシ! 我が商会が抱える私兵の腕利きどもを動かせ! 力ずくでも、無理矢理にでもあの生意気なガキをここへ連れて来い!」
「はっ! ただちに手配いたします!」
慇懃無礼な大商会は、その本性を剥き出しにして、ユウマの捕縛へと動き出すのだった。
◇◇
そんな商会のドタバタ劇など知る由もない俺とクロドは、串焼きの香ばしい匂いが漂う賑やかな屋台街で、のんびりと昼食を済ませていた。
「ぷはぁ、やっぱり屋台の肉肉しい串焼きとスープが一番落ち着くね」
「あの堅苦しい部屋で食べるより、よっぽど美味いワン」
お腹も膨れて満足した俺たちは、午後の仕事を求めて冒険者ギルドの建物へと向かって歩いていた。
「でも、流石にこの時間じゃ、もう目ぼしい美味しい依頼は残って無いだろうね。大体みんな、朝一番に掲示板から剥ぎ取っていくし」
「そうだろうワン。主よ、こういう時は大人しく常設依頼の薬草採取でも受けて、そのついでに遭遇したモンスターを狩るいつもの手堅いパターンだワン」
「そうだねぇ。無理せず、のんびり行こうか」
そんな会話をしながら、ギルドの重い木製の扉を押し開けた。
中に入った瞬間、受付カウンターの奥から、俺たちの姿を見掛けた受付嬢のヤヨイさんが、目を丸くしてガタリと椅子を鳴らして立ち上がった。そして、そのままの勢いで俺たちの元へと猛ダッシュで駆け寄って来た。
「あ! ユウマくん! もう、探したんだから! 一体今まで何処に行ってたの!?」
「え? あ、ヤヨイさん、お早うございます。ちょっと用事があって……。どうしたの、そんなに慌てて?」
息を乱すヤヨイさんは、俺の両肩をがっしりと掴むと、周囲を気にするように声を潜めて言った。
「どうしたのじゃないわよ! 大変なことになってるんだから! 今朝一番に、この土地を治める領主様から、直接ギルドへお達しがあったの!『ユウマを今すぐ館に連れて参れ』って!」
「えええええっ!? 今度は領主様かぁ……!」
俺は思わず頭を抱えた。
大商会の次は、この街の最高権力者である貴族の登場である。
(はぁ……。最悪だ。ぶっちゃけ、昔の奴隷時代のトラウマのせいで、俺は傲慢な商人よりも、特権階級を振りかざして人を人とも思わない『貴族』の方が、何百倍も嫌いなんだよねぇ……)
せっかく勝ち取った自由な冒険者生活が、急速に騒がしく、そして不穏な方向へと巻き込まれていくのを感じて、俺は盛大なため息を漏らすしかなかった。




