第42話 魔獣の窟の攻略者
眩しい太陽の光が、俺の視界を真っ白に染め上げた。
薄暗く、死と隣り合わせだった『魔獣の窟』を出て、ようやく辿り着いた見慣れた街の景色。本来なら、無事に生還できた喜びで胸を撫で下ろす場面なのだろう。
だが、俺の口から漏れたのは、ひどく重苦しい溜息だった。
「はぁ……」
「ちょっと、そんな暗い顔をしないの。あなたはあの危険なダンジョンをひっくり返した『ダンジョン攻略者』なんだから。もっと胸を張って、自信を持ちなさいな」
隣を歩く、気風のいい美人冒険者のカノンさんが、俺の肩をぽんと叩いて励ましてくれる。
今回は、実力派として名高い女性ばかりの冒険者パーティー『風月の戦乙女』の5人と一緒だ。その手前、ブラックドッグの相棒・クロドの背に乗るわけにもいかず、俺は大人しく徒歩で進んでいた。クロドは俺のすぐ横を、大きな体を揺らしながら悠然と歩いている。
そんな俺たちの会話は、静かな朝の通りに思った以上に響いてしまったらしい。
「えええっ!? だ、ダンジョン攻略者ぁ!?」
これからダンジョンへ向かおうとすれ違いざまだった冒険者の女性が、文字通り飛び上がるほど驚いてこちらを振り返った。その大声に釣られるように、前方から歩いてきていた見覚えのある一団が、こちらに気づいて足を速めてくる。
「あら? もしかしてユウマくんじゃない!」
声をかけてきたのは、以前ちょっとした縁で知り合ったアヤカさんだった。彼女が率いるパーティーの面々も、目を丸くして俺たちを凝視している。
「なになに、今の会話!? ユウマくん、まさか本当に『魔獣の窟』を攻略しちゃったの!?」
「は、はい……一応、そうなります……」
頬を掻きながら曖昧に頷くと、アヤカさんは「うっそぉ!」と黄色い悲鳴を上げた。
「凄い、凄すぎるじゃない! ちょっとみんな、聞いた!? これはもう、こんな日にダンジョンなんて行ってられないわよ!」
「え、ちょっと待ってアヤカ? 今日のギルドの依頼はどうすんのよ?」
「期限はまだ明日まであるでしょ! そんなの明日、死気物狂いでやればいいわよ!」
「確かに! ユウマくん、決定ね。今日はこれから『祝・ダンジョン攻略達成パーティー』よ!」
わいわい、がやがや。
瞬く間に、俺とクロドの周りは華やかな女性冒険者たちで埋め尽くされていく。香水や汗の混じった甘い香りに包まれ、俺の心臓は別の意味でバクバクと脈打ち始めた。
だが、世の中そんなに甘くはない。
周囲の華やかさに比例して、俺たちとすれ違う男性冒険者たちの視線が、極絶対零度並みに冷たくなっていくのが分かった。突き刺さるような嫉妬の視線が痛い。
「……モゲろ」
「……爆発しろ、マジで」
ボソリと、地を這うような呪詛の呟きが聞こえてきて、俺は思わず背筋を凍らせた。違うんです、俺がナンパしたわけじゃないんです、命の危険を感じるからそんな目で見ないでくれ!
そんな俺の焦りなどどこ吹く風で、女性陣の注目は俺の隣の漆黒の巨体へと移っていく。
「きゃあ、クロドちゃんも相変わらず可愛い~! お疲れ様、触ってもいい?」
「もふもふさせて~!」
クロドは「グルル……」と喉を鳴らし、大人しく女性たちに身を委ねてモフられている。一見すると、主人の危機を救う従順な魔獣、あるいは女性に怯えないお利口なワンちゃんだ。
(……絶対に、後でもらえるはずの『肉』が目当てだろ、コイツ)
俺が心の中で冷ややかなツッコミを入れていると、不意に、念話を通じてクロドの暢気な声が脳内に響いてきた。
『ふふん、主よ。人間のメスどもはチョロいワン。これで今夜は美味いお酒と肉がたらふく飲めるぞワン』
(お前、犬のくせに酒飲む気満々かよ……!)
やれやれと首を振りつつ、俺たちは手厚すぎるほどの包囲網に守られ(あるいは拉致され)ながら、冒険者ギルドへと向かったのだった。
◇◇
冒険者ギルドの重厚な扉をくぐると、熱気と喧騒が肌を刺した。
『風月の戦乙女』の5人は、今回のダンジョン踏破と依頼達成の正式な報告をするために、混み合う受付カウンターへと向かっていった。
一介のEランク冒険者でしかない俺がそこに混ざるとややこしい事になりそうだったので、俺とクロドはそっとロビーを抜け出し、ギルドの裏手にある解体所へと直行することにした。
引き戸を開けると、血と鉄の匂いが混ざり合った独特の熱気が広がっている。
「お早う御座います! おやっさん、素材の買取をお願いします!」
「おう、お早う……って、ユウマじゃねえか! 無事だったか!」
作業着の袖をまくった頑固親父風の解体師――おやっさんが、顔を上げて白い歯を見せた。
「奥の倉庫のスペースが空いてる。そこにドサッと出しちまってくれ」
「分かりました」
俺は倉庫の広い床へと歩みを進め、自身のスキルである『亜空間貯蔵』を発動させる。
今回は、今夜のパーティー用(兼、クロドの胃袋用)の肉はあえて手元に残し、それ以外の純粋な素材だけを吐き出すことにした。
空間が歪み、次々と巨大な素材が床に現れる。
ズシン! ズズシン!
倉庫の床が悲鳴を上げるような重量感が響き渡る。
最初は「どれどれ」と軽い気持ちで見ていたおやっさんだったが、出現する素材の山が高くなるにつれて、その目が限界まで見開かれていった。
「な、なんだぁ……!? こ、これは、おい……!」
おやっさんは手にしたナイフを危うく落としそうになりながら、這いつくばるようにして素材に駆け寄った。驚きのあまり声が上擦っている。
「この禍々しいまでの黒い毛皮、強靭な牙、鋼鉄じみた爪……。おい、ユウマ、これってまさか……!」
「そうです。黒毛巨牛に黒毛大猪、それから巨大黒山羊と巨大黒鳥の素材です。……あ、あと、こっちの少し特殊な部位は、オルトロスとゲリュオンのものです」
俺が淡々と名前を挙げるたび、おやっさんの顔から血の気が引いていき、今度は真っ赤に変色した。興奮のあまり、呼吸が荒くなっている。
「お、お前……これ、これだけの化け物どもの素材を、こんなに傷一つなく綺麗に……。ってことは、まさか本当に、あの『魔獣の窟』を最奥まで攻略しちまったのか!?」
「は、はい。なんとか、最後まで行けました」
一瞬の静寂の後、おやっさんの顔が爆発したような笑顔に変わった。
「やったじゃないか! おい! 凄いぜ、お前はとんでもねえ快挙を成し遂げたんだ!」
バシバシバシ!! と、肉厚な手のひらで俺の肩を壊れんばかりに叩いてくる。痛い、おやっさん、解体師の筋力で叩かれると骨が折れる。
「ってことは、おい! アレもあるんだろ!? 肉だよ、肉!」
「勿論、ありますよ。特上のやつが山ほど」
「良し! 決まりだ! 今晩はギルド総出で大パーティーだな! ……あ、いや、その前にちょっとここで待ってろ! 動くんじゃねえぞ!」
おやっさんは興奮冷めやらぬ様子で、鼻息を荒くしながら猛烈な勢いで冒険者ギルドの内部へと走っていってしまった。
取り残された俺とクロドは、顔を見合わせる。
『主よ、肉の配分は間違えるなよワン』
(分かってるって。お前の分はちゃんと確保してあるから)
そんなやり取りをしながら待つこと数分。
ドタドタと騒がしい足音が近づいてきた。おやっさんが、いかにも「只者ではない」というオーラを纏った、髭面の体格の良い初老のおじさんを連れて戻ってきた。高級そうな外套を羽織っており、ただの冒険者ではないことが一目でわかる。
「君がユウマくんだね。儂は、この街の冒険者ギルドでギルド長を務めているソウマという者だ」
「ギ、ギルド長!? は、はい、俺がユウマです!」
突然の最高権力者の登場に、俺は思わず直立不動の姿勢を取ってしまった。心臓が跳ね上がる。
「トモヤから話は聞いたよ。『魔獣の窟』の攻略、見事だ。ギルドを代表して、心からの敬意とお祝いを言わせておくれ」
「あ、ありがとうございます。……って、トモヤ?」
聞き覚えのない名前に俺が首を傾げると、隣でおやっさんがガシガシと頭を掻いた。
「え? 俺の名前だけどよ。言ってなかったか?」
「ああ、おやっさんの本名、トモヤって言うんですね……」
いつも「おやっさん」としか呼んでいなかったので、新鮮な衝撃を受けつつ納得する。
「さて、ユウマくん。話の途中で済まないが、君の冒険者証を見せてもらえないだろうか?」
ギルド長であるソウマさんの、真剣そのものの眼差しが俺を射抜く。
「は、はぁ。分かりました、どうぞ」
俺は懐から、やや薄汚れた、お世辞にも高級とは言えない鉄色のプレートを取り出した。俺の現在のステータスを示す、Eランクの冒険者証だ。それをソウマさんに手渡す。
それを見たソウマさんは、深く、深く溜息をついた。
横から覗き込んだおやっさん――トモヤさんが、我が意を得たりとばかりにギルド長の肩を小突く。
「ほら、見てみろギルド長! 俺の言った通りだろ!」
「うむ……」
ソウマさんは苦虫を噛み潰したような顔で冒険者証をじっと見つめ、それから、申し訳なさそうに俺の目を真っ直ぐに見つめ返してきた。
「ユウマくん、本当に……今まで済まなかった。これほどの高難度ダンジョンを単独、あるいは少人数で攻略できるだけの実力を持つ傑出した冒険者を、よりにもよって『Eランク』のまま据え置いておくなんて……。これは我がギルドの、大いなる怠慢であり、痛恨の極みだ」
重々しく頭を下げるギルド長を前に、俺はただただ困惑し、上がらないはずの悲鳴を心の中で上げるのだった。
(えええ……なんか話がめちゃくちゃ大きくなってない!?)




