第41話 裏切りの代償と全裸の狂騒曲、そして黒犬の深謀遠慮
薄暗いダンジョン『魔獣の窟』の空気は、ひんやりと冷たく肌を刺す。
俺――ユウマと、相棒であるブラックドッグのクロド、そして息の合った頼れるAランク冒険者パーティー『風月の戦乙女』の5人は、探索の疲れを癒やすために深い眠りについていた。
張り詰めた緊張の糸が、ほんの少しだけ緩む深夜のひととき。
だが、その静寂を引き裂くように、闇の奥から卑屈な気配が忍び寄っていた。
ソロリ、ソロリと。
音を立てないよう、細心の注意を払いながら近づいてくる足音がある。
「アユム、アユム、起きろ」
それは、昼間の戦闘で醜態を晒し、俺たちに捕らえられていた元『烈風の戦士』のアユムを揺り動かす、ひそひそ声だった。声をかけたのは、闇に紛れて侵入してきた一人の男だ。
「ん? ん~……」
意識を覚醒させたアユムが、驚きに目を見開く。男はすかさず自分の人差し指を口元に当てて「静かにしろ」とジェスチャーを送り、アユムの身体をきつく拘束していた縄をナイフで手際よく切り裂き、口に押し込まれていた猿轡を外した。
「お、ケイト! 助かったよ、マジで死ぬかと思ったぜ!」
アユムは声を潜めながらも、歓喜に顔を歪めた。助けに現れた男の正体は、元『烈風の戦士』の生き残りであるケイトだった。
「クッソー、此奴ら俺たちの前で、美味そうな肉パーティーなんかやりやがって。こっちはもう腹ペコで目が回りそうだぜ。見せつけやがって、絶対に許さねえ……!」
ケイトは俺たちが残した焚き火の跡や、肉の匂いが微かに残る空気を睨みつけ、悔しげに歯噛みした。逆恨みもいいところだが、彼らの目には強い殺意と嫉妬が宿っている。
「おい、まずは形勢逆転だ。取り敢えずこいつらを縄で縛るぞ」
「おう、やってやろうじゃねえか。油断しきってやがる」
アユムとケイトは、近くに転がっていた他の仲間たちの縄も次々と外していった。そして、信じられないほどの身軽さで、眠っている俺と『風月の戦乙女』の5人のもとへと近づいてきた。
彼らは手慣れた手つきで、俺たちの身体を幾重にも縄で縛り上げ、声を上げられないように厚手の布で猿轡を噛ませた。
「むぐっ、むぐっ……!?」
身体を締め付ける強い衝撃と、口の中に押し込まれた布の不快感で、俺は急激に意識を取り戻した。隣を見れば、『風月の戦乙女』のリーダーであるカノンをはじめとした5人も、同時に目を覚ましていた。
しかし、全員が完全に身動きを封じられ、言葉を発することもできない。
「おう、サンキューな、ケイト!」
「へへっ、コイツら、あんなに偉そうにしといてこのザマかよ!」
自由になったアユムの仲間たちが、俺たちを囲んで下品な笑みを浮かべる。
「コイツら、どうしてくれようか! 散々コケにしやがって!」
「ハハッ! 人も殺せん甘ちゃんが、冒険者気取ってんじゃねえよ!」
「大人しくしてろぉ! ひっひっひ、立場が逆転したんだよ!」
アユムは俺の前にしゃがみ込み、勝ち誇った笑みを浮かべて俺の頬を軽く叩いた。その目は完全に狂気に染まっている。
「猿轡を噛ませれば、魔法使いも詠唱が出来ないだろう。おかしな空間魔法も使えまい」
「そうだな。まずは女どもをじっくり味わってからだ。後でゆっくり可愛がってやるよ」
「都合の良い事に、今夜は他に冒険者もいないしな。誰も助けにゃ来ねえよ、ぐへへ」
彼らのゲス極まりない視線が、『風月の戦乙女』のメンバーたちの身体をねめ回す。彼女たちは悔しさと恐怖、そして激しい怒りで身体を震わせ、むぐむぐと声を荒げているが、男たちはそれを楽しむように笑うだけだった。
そして、アユムの視線が、俺の足元で丸くなっている黒い影へと向いた。
「だが……この黒犬のモンスターだけは、縛っても拘束出来そうに無いな。不気味だし、先に殺すぞ」
「そうだな、不確定要素は消しておくに限る」
アユムは腰の鞘から鋭く研ぎ澄まされた剣を抜いた。キィンという冷たい金属音がダンジョンに響く。彼は剣を両手で高く振りかぶった。その切っ先は、微動だにせず眠っているように見えるクロドの首元を捉えている。
「んぐっ!?」
『風月の戦乙女』の5人が驚愕に目を見開いた。彼女たちの瞳に絶望の色が過る。
(くっ、縛られるまで全く気付かなかった……! 俺の不徳の致すところだ。だけど――)
脳内でカチリ、と何かのスイッチが入る音がした。
(クロドを殺すってええええええ! おい、お前ら、もう完全に怒ったからな!!)
アユムたちは、重大な勘違いをしている。
猿轡をしたくらいで、俺の空間魔法が封じられるとでも思っているのだろうか。
悪いが、俺の魔法はいつも無詠唱、完全なる思考発動だ。
アユムがニヤリと笑い、クロドに向けて剣を激しく振り下ろした。
まさにその瞬間、俺は頭の中で鮮明にイメージした。
(『亜空間収納』――発動!)
振り下ろされる途中の空間が、一瞬だけ歪む。アユムの手から、凄まじい勢いで振り下ろされていたはずの剣が、唐突に消失した。
それと同時に、俺と『風月の戦乙女』の5人の身体をぎちぎちに拘束していた縄、そして口を塞いでいた猿轡も、全て一瞬にして俺の亜空間へと直接収納して消し去った。
「へっ……?」
手応えのない空振りに、アユムが間抜けな声を上げた。自分の両手を見つめ、狐につままれたような顔をしている。
その瞬間、今まで死んだように眠っていたはずのクロドが、獰猛な黄金の目を見開いた。
「ガルルルッ!」
クロドは凄まじい瞬発力で地を蹴り、アユムの胸元へと弾丸のように体当たりを食らわせた。
ドゴッ!!
鈍い衝撃音が響き渡り、アユムの身体が後ろへと大きく突き飛ばされる。
「ぐふっ……あがっ!?」
息の詰まった悲鳴を上げるアユム。だが、クロドの追撃は容赦がない。吹き飛んだアユムが地面に激突するより早く、クロドは素早く踏み込み、仰向けに倒れたアユムの背中(いや、ひっくり返った胴体)に力強い前足を叩きつけ、完全に地面へと縫い付けた。
そして、信じられないことに、クロドが不敵な笑みを浮かべて人間の言葉を発した。
「おい、ユウマ! こいつは儂に任せろワン」
「分かった、そっちは任せた!」
自由になった俺は、すぐさま残りの男たちへと視線を向けた。
あまりの急展開に、ケイトをはじめとする冒険者たちは腰を抜かしかけていたが、我に返ったように一斉に向きを変えて逃げ出そうとする。
「ひっ、化け物め! 逃げろ!」
そうはさせない。俺は逃げ出そうとした男たちの足元の地面に、ピンポイントで亜空間の『穴』を出現させた。
ガタガターン!
予測できない足元の消失に、男たちは勢い良く前方へと転倒し、無様に地面を転がった。
「いてぇ!」
「な、なんだぁ、これっ……足が、地面が!?」
「ひぃ、助けてくれ!」
パニックに陥る彼らに、俺はさらなる追撃を見舞う。彼らが身につけている武器、そして今着ている防具や服、下着に至るまでの全てをターゲットに指定し、一瞬で亜空間へと収納した。
フッ、と男たちの衣服が消失し、ダンジョンの冷気の中に完全な全裸となった男たちが転がされる。
「これで、逃げる事も出来ないだろう。外は魔物だらけだし、服も武器もないんじゃな」
俺が冷たく言い放つと、後ろから凄まじいまでの殺気が立ち上った。
◇◇
「よくも、よくもやってくれたわね……!」
縄から解放された『風月の戦乙女』のメンバーたちが、般若のような形相で全裸の男たちへと駆け寄っていく。彼女たちのプライドはズタズタだ。もしあのままだったらと思うと、怒りは頂点を突破していた。
呆然と全裸で震える男たちの前に立ったカノンたちは、一切の容赦なく、剥き出しになった男たちの股間へと、渾身の力でブーツのつま先を蹴り込んだ。
「もげろー!」
「これでも喰らええええ! この変態ゲス野郎どもがぁ!」
ドゴッ! バキッ! と、およそ人間から鳴ってはならない鈍い音がダンジョンに木霊する。
「いってええええええ!?」
「ぎゃっ!? あがっ、は、鼻から脳みそが出っ……!」
「ひぃぃぃぃ! 痛い、痛すぎるぅぅ!」
男たちは股間を押さえ、海老のように丸くなって泡を吹いて悶絶している。だが、彼女たちの怒りはそれでは収まらない。カノンたちは腰から鋭い剣やナイフを抜き払い、ギラリと光る刃を男たちの首筋へと向けた。本気で細切れにするつもりだ。
「待って!」
俺は思わず、声を大にして『風月の戦乙女』の動きを止めた。
カノンが鋭い眼光で俺を振り返る。その瞳には、まだ怒りの炎が燃え盛っていた。
「ユウマ! またこいつらを助ける気!? 今度ばかりは冗談じゃないわよ!」
「そうだよ、コイツら殺さないとダメだよ! また裏切られたらどうするの!?」
「ユウマが止めても、私は絶対に殺すから!」
口々に叫ぶ彼女たちに対し、俺は静かに首を振った。そして、今までに見せたことのない、冷徹で固い決意を宿した瞳で彼女たちを見つめ返した。
「いや、違うんだ。俺が殺すよ。――俺に、殺させてください」
「え……?」
俺の言葉に、カノンたちは言葉を失った。俺が彼らを庇おうとしたのではなく、自分自身の手でケジメをつけると言ったからだ。人を殺したことのない俺が、自らの手を汚す覚悟を決めた。その表情の真剣さに、カノンは小さく息を吐き、剣を引いた。
「……ん、分かった。ユウマに任せるわ」
カノンがそう言うと、他のメンバーも渋々と刃を収め、一歩後ろへと下がった。
俺は、地面に這いつくばって震える男たちへとゆっくり歩み寄る。
「ひ、ひぃ……ユウマ、頼む、助けてくれぇ!」
「悪かった、俺たちが悪かったから! もう絶対にしません!」
「命だけは、命だけは助けてぇ!」
涙と鼻水で顔をグシャグシャにし、全裸で許しを請う男たち。だが、俺の心はもう微塵も動かない。ここで甘さを捨てなければ、次は本当に仲間やクロドが死ぬ。
俺は泣き叫び許しを請う男たちを、無言のまま、一人ずつ確実にその生命を刈り取っていった。刃が肉を裂くたびに、ダンジョンの床が赤く染まっていく。もう迷いはなかった。
「ぎゃあああああああああああ!」
背後から、一際大きな、まるでこの世の終わりかのような悲鳴と、絶望に満ちた許しを請う声が響き渡った。
「た、助けて……イ、イヤだぁ! 痛いよう、痛いようおぉ……! ひぃぃぃぃ!」
声の主はアユムだった。
ガリガリ! ブシュッ! グチャ……、ベチャ……。
暗闇の中から、生々しい肉を引き裂く音と、骨を噛み砕く凄惨な咀嚼音が聞こえてくる。
そこには、クロドの影から這い出た『不気味な黒い何か』に、生きたまま下半身から貪り喰われているアユムの姿があった。アユムは血反吐を吐きながら、自分の身体が文字通り咀嚼されていく恐怖に発狂していた。
その光景を、冷酷に目を細めて静かに見詰め続けるクロドがいた。
(……クロド、お前、マジで怖ええええよ……)
俺は心の中で、相棒のあまりの容赦なさに冷や汗を流すのだった。
◇◇
全ての処理が終わり、静寂を取り戻したダンジョンの片隅で、俺はクロドの隣に座り込んだ。風月の戦乙女の5人は、まだ興奮が冷めやらない様子で少し離れた場所で片付けをしている。
俺は、何食わぬ顔で前足を舐めている黒犬に、小声で話しかけた。
「……クロド。お前、本当は最初から起きてたでしょ」
俺の追及に、クロドはペロリと舌を出すと、ニヤリと不敵に笑った。
「まあな。今後もあるから、ユウマにそろそろ『決意』して欲しかったワン」
「何が『決意』だよ……。もし俺の空間魔法の気付くのがあと一瞬遅れてたら、お前確実に殺されてたんだぞ?」
俺が呆れ気味に、そして少しだけ心配そうに言うと、クロドはふんと鼻を鳴らして誇らしげに胸を張った。
「ハッ、あんななまくらに儂の首は斬れんワン。傷一つつけられんわ」
「……ホントに?」
「ワン」
そう言って、可愛らしく首を傾げてみせるクロド。
(いや、どっちやねん! さっきの化け物みたいな捕食シーンを見せといて、その可愛い犬のフリは無理があるだろ!)
俺は心の中で激しく突っ込みを入れつつも、どこか頼もしい相棒の頭を、苦笑しながら力いっぱいに撫で回すのだった。




