第4話 亡霊洞窟
……どれほどの時間が経っただろう。
俺は、冷たい岩肌の上で目を覚ました。ズキズキと訴えかけてくる後頭部の鈍痛と共に、最悪の現実が脳裏に蘇る。
Sランク冒険者パーティー『焔の剣』――かつての幼馴染たちに、俺はこのダンジョンの奥底へ置き去りにされたのだ。
このダンジョンの名は『亡霊洞窟』。その名の通り、実体のないゴーストやアンデッド系のモンスターが跋扈する不毛の地。
「くそっ……! 最低な連中だ……!」
戦うスキルも持たないポーターから武器を奪い、俺が必死に書き込んだ地図まで強奪して追放するなど、正気の沙汰ではない。
完全に「ここで死ね」と言っているようなものだ。だが、ただで死んでたまるか。
幸い、あの地図をマッピングしたのは俺自身だ。帰り道のルートはある程度頭に入っている。
できる限り魔物との接触を避け、生きてこの地獄を脱出してみせる。
俺はふらつく身体をどうにか起こし、周囲を見渡した。先ほどまで宝箱を囲んでいた、見覚えのある空洞。天井には、かすかに自発光する淡い光源が広がっている。ライトの魔法や松明がなくても、うっすらと周囲の地形が視認できるのは、今の俺にとって唯一の救いだった。出入り口へと這うように歩き出す。
このエリアの主な魔物はゾンビだ。やつらは特有の凄まじい腐臭を放つため、慎重に臭いを嗅ぎ分けながら進めば、不意の遭遇は避けられるはず。
五感を限界まで研ぎ澄まし、足音を殺して薄暗い通路を進む。どのくらい歩いただろうか。神経をすり減らしながらどうにか隠密を貫き、ゾンビの徘徊エリアはどうにか突破したようだった。
「罠の感知モノクルもないんだ……一歩一歩、慎重に……」
ガタッ。
静寂を引き裂くような硬い物音に、全身の血が凍りついた。ビクッと肩を震わせ、恐る恐る振り返る。
「……嘘だろ……」
薄暗い洞窟の奥、闇に紛れるようにして佇んでいたのは、3体の骸骨――スケルトンだった。しかも、タチの悪いことに剣と盾で武装している。
カタカタカタカタ……。
顎の骨を不気味に打ち鳴らし、骨の化け物たちがこちらを認識する。
さっきまでは確実に存在していなかった。このダンジョン特有の、唐突なポップ(リスポーン)だ。
最悪だ。俺は武具すら持たない、ただのポーター。今まで、モンスターを前にして武器を振るった経験など一度もない。
怖い。
圧倒的な『死』の気配に、魂が恐怖で悲鳴を上げる。
タッタッタッタッタッタッタッタッ!
スケルトンたちが乾いた足音を響かせ、一斉にこちらへ突進してきた。一瞬で距離が肉薄する。
逃げなければいけないのに、恐怖で全身が硬直し、足がピクリとも動かない。
心臓が破裂しそうなほどドクドクと激しく脈打ち、呼吸は浅く乱れる。冷や汗が全身から吹き出し、耳鳴りのせいで周囲の音が遠ざかっていく。
視界の端からじわじわと闇が広がり、景色が狭まっていく。
「ああああああああああああああーーーっ!!」
限界を迎えた精神から、魂を振り絞るような絶叫が迸った。喉がちぎれんばかりに大声を出す。
――その瞬間、脳裏を過ったのは、いつか誰かから聞いた不確かな噂話だった。(人間、極限の状態で大声を出すと、脳のブレーキが壊れて『火事場の馬鹿力』が出る――)
奇跡的に、恐怖による呪縛が弾け飛んだ。一瞬だけ、硬直していた身体が自由を取り戻す。
「動けぇええええ!!」
俺は地を蹴り、無我夢中で走り出した。いつもより遥かに速い、風になったかのような速度で通路を駆け抜ける。
しかし、その逃走劇はあまりにも呆気なく幕を閉じた。唐突に、足の裏の感触が消失したのだ。
「っ、落とし穴――!」
確実に、このエリアに危険な落とし穴が存在することを知っていたはずだった。だが、背後に迫る追っ手の恐怖が、俺の正常な判断力を奪い去っていたのだ。
叫ぶ間もなく、俺の身体は漆黒の縦穴へと吸い込まれていく。
――ジャッバアアアアアン!!!
鼓膜を震わせる轟音と共に、冷たい衝撃が全身を襲った。水だ。底が見えないほどに深い。
バシャバシャバシャッ!
必死に手足を打って水面に這い上がり、貪るように酸素を肺に吸い込む。
淡い光が差し込む洞窟の奥に、辛うじて這い上がれそうな陸地が見えた。俺は必死の思いでそこへ向かって泳ぎ進む。
やがて底に足が触れた。水位はまだ顎のラインを揺らしている。さらに這うように進み、水面が肩のあたりまで下がってきたその時、肌を伝う奇妙な違和感に気づいた。
……いや、粘り気がある? 水がヌルヌルしてきた……?
それだけじゃない。衣服から露出した肌の表面が、ピリピリと怪しく痺れ始めていた。
ん?
気のせいか、周囲の水面がボコボコと波打ち、生き物のようにうねり始めた。
「――っ、これ、水なんかじゃない……っ!?」
淡い光の中で目を凝らす。そこにいたのは、半透明の体をうごめかせる無数のスライムたちだった。
俺が落ちたのはただの水の穴じゃない。底が見えないほど大量のスライムがひしめき合う、恐ろしい巣窟だったのだ――。
◇
一方、ユウマを奈落の底へ突き落とした『焔の剣』は、ダンジョンの別エリアを進んでいた。
ドガッ! バコッ!
「ハッ、どけどけぇ! Sランクパーティーの前に跪きやがれ!」
前衛の剣士ミナトが、圧倒的な力押しでスケルトンたちの骨を砕いていく。
ゴゴゴゴ、ブォアアアア!
「焼き尽くしてやるわぁあ!」
火魔法使いのアオイが猛烈な業火を放ち、残ったスケルトンを瞬く間に灰へと変えていく。
後衛の弓使いヒマリは、敵の弱点を突く必要すら感じない退屈な戦いに、退屈そうに髪を弄んでぼーっとしていた。
回復士のユイナにいたっては、危機感など欠片もなく、休憩でもするかのようにお気楽な様子で通路の壁に手を突いた。
ガコッ。
不穏な駆動音が響く。
「え?」
シュッ、ブシュッ!!
「痛ったぁあああ~いっ!!」
隠し狭間から放たれた一本の矢が、ユイナの太ももを深く貫いた。
「ちょっとユウマ! 罠があるなら、ちゃんと事前に教えなさいよっ!!」
ユイナは涙目で矢を引き抜き、怒声を上げながら自身の足に回復魔法をかける。
そんなユイナの醜態を、弓使いのヒマリが心底呆れ果てた様子で、眉を顰めて見下ろした。
「ちょっとユイナ、あんた頭大丈夫? ユウマならさっきクビにして置いてきたじゃない」
「「「あ……」」」
これまでユウマが『罠探知のモノクル』を使い、どれだけ未然に危険を防いでくれていたのか。
彼らはその『当たり前の安全』を失ったことに、まだ本当の意味で気づいていなかった―




