第37話 因縁の再会、そして始まった処刑 〜格上の絶望と、狂気の味を占めた元Sランク〜
「へへへ、まずは挨拶代わりだ……っ!」
下卑た笑みを浮かべたアユムが、縄で身動きが取れない『風月の戦乙女』のミウさんに向けて、執拗にその身体を押し付けようと抱きつこうとした――その瞬間だった。
「――あんた、信じられないくらい臭いのよぉっ! もげろおおおおおっ!!」
ドゴッ!!!
「ぶふぇっ!?」
緊縛されているにもかかわらず、ミウさんは驚異的な身体の柔らかさで、アユムの股間めがけて渾身のフロントキックをブチ込んだ。
急所への直撃。アユムは白目を剥き、その場に両膝を突いて股間を押さえながら激しく悶絶する。
「いっ……痛てぇえええええ! この、クソアマがぁっ!! しょうがねえだろっ! この前からずっとこの最悪な臭いが身体に染みついて、何度風呂に入っても絶対に取れねえんだよ!」
アユムが涙目で怒鳴り散らす。
確かに、物陰にいる俺の鼻腔にも、彼から漂う強烈な悪臭が届いていた。というか……この、鼻がひん曲がりそうな特有の獣臭、どこかで嗅いだ記憶がある。
「ガハハハハ! 確かにアユム、お前あの依頼から戻ってからクソみてぇに臭いもんな! だがよぉ、その臭いのおかげで周囲のモンスターが全然寄って来ねえんだ。たまに向かい合っても、モンスターの方が怯えて逃げ腰になるから、楽に狩れて最高じゃねえか!」
アユムの仲間とおぼしき冒険者がゲラゲラと笑う。
モンスターが寄ってこない? 対峙した魔獣が怯えるほどの臭い……。
……あ。
俺は隣に伏せているブラックドッグのクロドをじっと見つめた。クロドはバツが悪そうに、フイッと視線を逸らしながら小声で耳打ちしてくる。
「……儂の小便だワン。あの時たっぷり引っ掛けてやったから、あと2日はその地獄の臭いが消えないワン」
やっぱりお前の仕業か。
しかし、図らずも最上位の魔獣の縄張り誇示が、アユムにとっての魔除けになっていたとは。何とも皮肉な話だ。
「よしっ! 雑魚の相手は後だ! ジャンケンで勝った通り、カノンは俺が最初に貰ったからな!」
アユムの醜態を横目に、じゃんけんで勝利をもぎ取った男が、ギラついた目をカノンさんに向けた。アユムが正面から行って急所を蹴られたのを見ていたため、男は警戒して横から回り込もうとする。
だが、縛られているカノンさんもただでは転ばない。男の動きに合わせてズサズサと泥の上で身体を執念深く動かし、常に男と正対する位置をキープする。
「げひひ、無駄な抵抗は止めろぉ、カノン!」
バシッ!!
「くぅっ……!」
苛立った男は、容赦なくカノンさんの負傷している足を強く蹴飛ばした。バランスを崩し、その場に仰向けに倒れ込むカノンさん。
――これは、もう完全にアウトだ。
弁解の余地のないゲス野郎確定。助けるには、少し遅すぎたくらいだ。
「さあ、まずはその生意気な服から破いて――」
男がニヤニヤとしながらカノンさんにのしかかり、その胸元に手をかけた瞬間。
俺はクロドを物陰に残し、無音で『空間移動』を発動した。
フッ、と男の真後ろの空間が歪む。
俺は一瞬でその背後に音もなく出現すると、怒りを込めて拳を強く握りしめ、その分厚い前腕を、男の無防備な後頭部めがけて思い切り叩きつけた。
ドガッ!!!
「ぐ、ひぃっ!?」
今の俺はレベル32。最下層のボスを屠り、ステータスは以前とは比べ物にならないほど跳ね上がっている。手加減をしたつもりだが、それでも一撃の威力は凄まじい。
男は短い悲鳴を上げると、のしかかっていたカノンさんの上で即座に白目を剥き、口からぶくぶくと泡を吹いてそのまま意識を失った。
「だ、誰だぁっ!? てめぇ、どこから湧いて出たっ!!」
突如として現れた俺の存在に、周囲の男たちが一斉にドスの利いた声を上げて色めき立つ。
俺は彼らを完全に無視し、まずは『亜空間』から一本のナイフを取り出すと、カノンさんの身体を縛っていた頑丈な縄を鮮やかに切り裂いた。そして、そのまま彼女の手元にナイフを滑らせる。
「カノンさん、これで急いでみんなの縄を切ってください」
あまりに劇的な救世主の登場に、カノンさんの美しい瞳がじわりと涙ぐむ。
「あ……有難う。ユウマくん……!」
彼女が他のメンバーを救出するために動き出すのを見届け、俺はゆっくりと立ち上がり、男たちのパーティーへと向き直った。
「なっ……! お、お前は……!?」
アユムが股間を押さえたまま、俺の顔を見て驚愕に目を見開く。
「てめぇ! ユウマぁあああッ!!」
かつて自分が格下として見下し、いいように利用しようとした少年の登場に、アユムの顔が怒りと屈辱で真っ赤に染まる。男たちは次々と腰の武器を抜き、俺を取り囲むように構えた。
「――ほう。俺はBランク冒険者のレオだ。お前が噂の、黒犬を連れてるだけのEランク、ユウマだな?」
男たちのリーダー格である戦士レオが、大剣を肩に担ぎながら鼻で笑った。
「どうしたぁ、身体が震えてるんじゃねえのか? モンスターを相手にするのとはワケが違うんだぞ。人と本気で殺し合いをするのは、これが初めてなんだろう?」
「くくく、ガキがビビって固まってやがるぜ」
「げひひ、上位ランクの本当の実力ってやつを、その身体にたっぷりと染み込ませてやるよ」
彼らは俺がその場から動かないのを「恐怖による硬直」だと勘違いし、一様に下卑た嘲笑を浮かべる。その中で、アユムだけが復讐心に目を血走らせ、狂ったように叫び声を上げた。
「ユウマぁあああああッ!! よくも俺をこんな目に、仲間たちの仇を取らせて貰うぞぉおおおおお!! モンスターは狩れても、人間は狩れねぇだろうよおおおおおッ!!」
アユムが剣を大きく振りかぶり、俺の照準を狂わせるようにジグザグに地面を蹴りながら、猛烈な勢いで突っ込んでくる。
それと同時に、リーダーのレオともう一人の前衛の男が、アユムとは完全に逆の方向から、同じくジグザグに進路を取りながら挟撃の構えで迫る。
さらに後方では、もう一人の男が早くも弓を引き絞り、俺の心臓めがけて狙いを定めていた。
――4方向からの、完璧な同時波状攻撃。
普通の中堅冒険者なら一瞬でパニックになるような猛攻を前にして、俺はただ静かに、冷徹な目で彼らの軌道を見つめていた。
「……人間は狩れない、か。よくそんな言葉が、その口から出るな」
俺の周囲に、不可視の『亜空間バリア』が静かに、そして強固に展開されていく。
◇◇
その頃。
ダンジョン『亡霊洞窟』の通路を進む、『焔の剣』の4人は――。
「ふふふ……また、格好の『獲物』を見つけたぞ」
リーダーのミナトは、前方の通路を無警戒に歩いている別の冒険者パーティーの背中を見つめ、唇を醜く歪めながら目を細めた。一度人殺しの味を占めた彼の目に、かつての正義感など微塵もない。
「ねえ、また殺しちゃう? 今度の人たちも、食料をいっぱい持ってるといいなぁ。お腹すいちゃった」
ユイナは口元の返り血も拭わず、狂気を孕んだ歪な笑みを浮かべてミナトの袖を引く。
「そうね。見たところ弓使いもいるみたいだし、私の分の予備の矢もたっぷりと奪っておきたいわ」
弓使いのヒマリも、罪悪感を完全に麻痺させた冷酷な声で同意する。
「それと、今度の奴らはお金をたくさん持ってるかなぁ? 早くあいつらから全部剥ぎ取っちゃいましょうよ」
魔法使いのアオイも、ギラギラとした欲望を隠そうともせず、杖を強く握りしめた。
完全に『略奪者』へと変貌を遂げた4人は、無辜の冒険者たちの背後から、音もなく静かに刃を突き立てるべく距離を詰め始めていた。




