第30話 傲慢な元仲間たちの焦りと、深層へ突き進む元雑用係の無双飯
ジメジメとした不快な湿気と、死臭が混じり合うダンジョン『亡霊洞窟』の地下8階層。
薄暗い一本道を、二つ名『闇の探索者』を持つリュウセイは、油断なく周囲を警戒しながら進んでいた。
その後ろを、重い足取りでブツブツと呪詛のような文句を言いながらついていく男がいた。冒険者パーティー『焔の剣』のリーダーであり、プライドだけは一流の剣士ミナトだ。
「くそっ……。あの野郎、たかが干し肉一切れであんなにボリやがって。人の足元を見やがって、性格が歪んでるんじゃねえのか」
ミナトは懐から消えた金貨の重みを思い出し、憎々しげにリュウセイの背中を睨みつける。しかし、空腹には勝てず、先ほど買った干し肉はすでに胃袋の中だ。あまりの小ささに、腹の足しにもならなかった。
「本当に、人生で一番高い干し肉になったわ……。あんなペラペラな肉一切れに金貨1枚だなんて、今思い出しても涙が出そうよ」
魔法使いのアオイが、恨めしそうな声を上げて同意する。
「お腹空いたよぉ……。ねえミナト、あんなのじゃ全然足りない。もっとちゃんとしたお肉が食べたいよぉ……」
回復士のユイナも、情けない声を出しながらミナトの袖を引っ張る。
二つ名持ちを雇うほどの資金があるとはいえ、干し肉一切れに大金を叩いたことへの不満は凄まじかった。彼女たちは、ミナトの怒りに乗っかる形でリュウセイへの不満を爆発させていた。
そんな中、弓使いのヒマリだけはどっちつかずの態度で、リュウセイとミナトの間に挟まれながら、気まずそうに俯いて歩いていた。
(……そもそも、私たちがユウマを追い出して、食材を腐らせたのが原因なんだけどな。それをリュウセイさんに八つ当たりするのは違う気がする……。でも、ミナトたちにそんな正論言ったら、今度は私が責められるし……)
そんな割り切れない思いが、彼女の足をさらに重くさせていた。
実は先ほど、食材が全滅した時点で、リュウセイは「これ以上の探索は命に関わる。即刻撤退すべきだ」と強く主張していたのだ。まともなスカウトや前衛なら当然の判断である。
しかし、ミナトたちはそれを強固に拒否した。
ここで帰れば、高額なリュウセイの雇用費だけがすっ飛び、前回に引き続き『利益ゼロ』という最悪の結果になってしまう。それだけは、Aランクを目指す彼らのプライドが絶対に許さなかったのだ。
結局、押し問答の末に「あと半日程度だけ探索を続行し、それでも成果が出なければ帰還する」という、妥協とも言えない危険な条件で進むことになったのだった。
「――チッ、ゾンビが来るぞ!」
リュウセイの鋭い警告が通路に響く。
前方の闇から、肉の腐った臭いと共に、うめき声を上げる死者の群れが姿を現した。
「ちょうどいいわ! このイライラをぶつけさせて貰うから!」
ヒマリが慌てて矢を番える。それよりも早く、ミナトが苛立ちを爆発させるように怒号を上げた。
「おいお前ら! 溜まった鬱憤をこのデコスケどもに叩き込め! 蹴散らすぞ!」
ミナトの剣が荒々しく振るわれ、ゾンビの首を撥ね飛ばす。
アオイもまた、金貨を失ったストレスを晴らすかのように、狂ったように火魔法の呪文を唱え、炎の弾を乱射した。激しい炎がゾンビを焼き尽くしていく。
数分と経たずにゾンビの群れは殲滅されたが、戦いの後に待っているのは、地道で不快な作業だった。
リュウセイは無言のまま、ゾンビの焼け焦げた死骸の前にしゃがみ込み、鼻をつまみながらナイフで胸を切り開いて魔石を取り出していく。
続いてヒマリ、アオイ、そしてミナトの4人も、悪臭に顔を歪めながら無言でその作業に加わった。
かつてはユウマが笑顔で、すべて代わりにやってくれていた「汚い雑用」だ。自分たちの手で行うその作業は、精神的な疲労を倍増させていく。
ユイナはその様子を、少し離れた安全な場所から、ひどく眉を顰めながら眺めていた。自分は聖職者だからと汚れ役を拒み、手伝おうともしない。
「……ふぅ。ゾンビエリアはここまでだ。そろそろ『グールエリア』に入るぞ」
リュウセイが立ち上がり、衣服についた灰を払いながら告げた。
だが、ミナトたちからは何の反応も無い。ただでさえ空腹と疲労で限界に近いのだ。まともな返事をする余裕すら失いつつあった。
それから少し進んだ時、通路の先からゾンビとは比較にならない敏捷な足音が近づいてきた。
「グールが来るぞ! 動きが速い、構えろ!」
リュウセイの声に、ミナトがぎらついた目で前に出る。早く成果を上げてこの悪夢のようなダンジョンから抜け出したい一心で、ミナトはリュウセイに尋ねた。
「おい、リュウセイ! グールの『核』はどこにある!?」
「ん? 頭だけどな」
「頭のどこだよ! 細かく言え!」
「……額の中心辺りだ。そこを破壊すれば一撃で沈む」
「よし! お前ら聞いたな! グールは額の中心を狙うぞ!」
ミナトの号令と共に、戦闘が始まった。
ヒマリが鋭く引き絞った弓から放たれた矢が、疾走するグールの額の中心を正確に射抜く。動きを止めたグールへ、アオイが容赦なく火魔法を放ち、その頭部を激しく燃え上がらせた。
「おおおおらぁッ!!」
トドメとばかりに、ミナトが跳躍し、大上段からグールの頭を叩き斬る。パカリと割れた頭部から、魔石が転がり落ちた。
「ハハッ! 弱点さえ分かってりゃ、こんな奴らただの雑魚だなぁッ!」
ミナトの攻撃は、飢えと焦燥感によってむしろ激しさを増していく。普段以上の力を振り絞り、次々とグールを切り伏せていく。
「そうよ! 邪魔なデコスケども、全員まとめて燃やし尽くしてやるわ!」
アオイも高笑いを上げながら、魔力の消費も顧みずに中級魔法を次々と放っていく。完全に我を忘れて暴走気味の攻撃だった。
そんな前衛たちの狂乱を後ろで見守りながら、リュウセイはふと、隣で矢を番え直しているヒマリに声を掛けた。
「ヒマリさん。そのショルダー型のアイテムバッグ……矢を射る時に、ちょっと邪魔そうじゃないですか?」
「え? あ、あはは、そうなのよ……。紐が長くて、弓を引く時にどうしても肩に引っかかっちゃって」
ユウマの空間魔法とは違い、物理的なバッグだ。容量が大きい分、どうしても身体の動きを阻害してしまう。
「もし良ければ、矢を射る間だけ俺が持っていましょうか?」
「えっ、いいの? 助かるわ、ちょっと持ってて!」
ヒマリは手早く背中から矢筒を取り出すと、肩にかけていたアイテムバッグを外してリュウセイに手渡した。
身軽になった彼女が、再び弓を引き絞る。
「――っ、おお! やっぱりこっちの方が全然撃ちやすいわ!」
ヒマリの放つ矢の速度と精度が見るからに上がった。
その成果に気を良くしたのか、ミナトたちは「俺たちの実力なら楽勝だ」と言わんばかりに、どんどん通路の奥へと突き進みながらグールを殲滅していく。
しかし、そんな快進撃も長くは続かなかった。
「……おい、また来たぞ。なんだか、さっきから数が出すぎじゃないか?」
ミナトが剣を構え直しながら、怪訝な声を上げる。通路の奥から、十数体ものグールが、奇声を上げながら一斉にこちらへ走ってきているのが見えた。
「おかしいわね……? 倒しても倒しても、奥からどんどん湧いてくるんだけど!」
アオイもさすがに息を荒らげ、焦りの色を浮かべながら魔法をぶっ放す。だが、火球で2体燃やしても、その背後からさらに3体、4体と現れるのだ。
「確かに……普通じゃないわね、これ……」
ヒマリは次の矢を番えながら、額から冷や汗をだらだらと流していた。
次から次に、闇の奥から這い出てくる果てしないグールの群れ。戦っても戦ってもキリがないその異常な光景に、ミナトたちの脳裏に、強烈な『イヤな予感』が過り始めていた。
――まさか、これは、ダンジョン大氾濫の前兆なのではないか、と。
◇◇
その頃、俺――ユウマは、まったく別の意味で冷や汗を流していた。
……と言っても、恐怖の汗ではない。あまりにも順調すぎて、笑いが止まらないのだ。
「よし、クロド! 次の階層へ行くぞ!」
「ガルル、ワン!」
俺は大きな背中のクロドに跨がり、風を切るような速度で、ダンジョン『魔獣の窟』の地下20階層を駆け抜けていた。
地下15階層に降りてからというもの、俺たちの目的はただ一つ。
――ミノタウロスを、徹底的に狩りまくること。
14階層のセーフティエリアで、アヤカさんや他の冒険者たちにあれだけ大量のミノ牛の焼き肉を御馳走してしまったからな。おかげで俺のアイテムボックスのストックが、かなり寂しいことになっていたのだ。
「美味い肉は、常に最高の状態でストックしておくべし」という俺の料理人としてのプライドが、補給を求めていた。
幸いなことに、地下15階層から20階層までのエリアは、並の中堅冒険者では足を踏み入れることすらできない危険地帯だ。
そのため、他の冒険者の姿はほとんど見当たらなかった。
「誰かを助けたりする手惑いがないって、こんなにスムーズなんだな……」
邪魔が入らないのをいいことに、俺はクロドとの完璧な連携で、遭遇するミノタウロスを片っ端から瞬殺していった。
クロドが影に潜んで敵の動きを止め、俺がその隙に弱点を一撃で叩き斬る。
倒したミノタウロスは、即座に俺の『時間停止機能付き空間魔法』のアイテムボックスへ収納していく。血抜きも鮮度管理も完璧な、最高級の霜降り肉が、みるみるうちに山のように積み上がっていった。
我ながら、前のパーティーにいた頃とは比べ物にならないスピード感だ。あいつらのペースに合わせて、文句を言われながら歩いていたのが馬鹿らしくなる。
そして――俺たちはついに、地下21階層へと降りる階段の前に立っていた。
「ここから先は、さらに深い下層エリアだな」
21階層のゲートを潜ると、これまでの岩肌の景色から一転し、どこか神秘的な緑の苔が光る、美しい大空洞が広がっていた。空気の質が変わり、漂ってくる魔力の濃度が格段に上がったのがわかる。
何より、ギルドの資料によれば、この階層からはさらに珍しく、そして『美味い』と噂される未知の魔獣たちが生息しているらしい。
「よし……! どんな美味い食材が待っているのか、今からワクワクするな、クロド!」
「バウッ、ワン!」
クロドも俺の気持ちを察して、期待に胸を膨らませるように力強く吠えた。
元仲間のミナトたちが、どこかで飢えと恐怖に震えていることなど、今の俺の頭には微塵もなかった。俺とクロドは、まだ見ぬ極上の味を求めて、意気揚々と深層への一歩を踏み出したのだった。




