第29話 落差が激しすぎるダンジョン飯 〜高級ミノ牛の極上ピリ辛焼き肉と、腐ったオーク肉の代償〜
俺――ユウマは、相棒であるブラックドッグのクロドと共に、ダンジョン『魔獣の窟』の14階層にいた。
ここから一歩先は15階層。中層の最深部であり、あの巨躯と怪力を誇る「ミノタウロス」が我が物顔で闊歩する危険エリアだ。
「よし、クロド。強敵と戦う前に、ここでしっかり腹ごしらえをしておこうな」
「ガルル、ワン!」
クロドが嬉しそうに尻尾を振る。
緊迫した空気が漂うダンジョンの安全地帯で、俺はのんびりと携帯用コンロを取り出した。……はずだった。
どうして、こうなった。
気づけば、俺たちの周りにはむさ苦しい男たちから華やかな女性冒険者まで、文字通りの黒山の人だかりができていた。
11階層から14階層までの道中、オークの群れに囲まれていたところを俺が助けた冒険者パーティー。前回、空腹で行き倒れかけていたから食事を振る舞ってあげた知り合いのパーティー。果ては、その噂を聞きつけて勝手についてきた、顔も名前も知らない完全に初対面の冒険者たちまでいる。
「ねえねえユウマくん! 今日はあの『ミノ牛』を御馳走してくれるんでしょ!?」
期待に満ちた声を上げて身を乗り出してきたのは、中堅パーティーに所属する女性冒険者のアヤカさんだ。心なしか、いつもより距離が近い。
「もー、楽しみすぎて昨日の夜からお腹ペコペコにしてきたんだから!」
同じく女性冒険者のマナミさんも、目をキラキラと輝かせてワクワクを隠しきれない様子で身をよじらせている。
いや、彼女たちに関しては、前回ダンジョンを出るときに「次はミノ牛の肉を手に入れる予定だから、タイミングが合えばね」と軽く約束していたからいい。
問題は、その後ろでヨダレを垂らしそうになりながら俺を見つめている総勢20人以上の冒険者たちだ。
ミノタウロスは文句なしの強敵。中堅の上位パーティーであっても、それこそ四肢の1本や2本は持っていかれる負傷を覚悟しなければ討伐できない。だがその分、その肉は「天上の極上肉」と称されるほど美味だ。当然、普通の中堅冒険者が滅多に口にできるものではない。
「この前ユウマくんに御馳走してもらったオーク肉の生姜焼き、マジで概念が変わるくらい美味しかったんだよねぇ……」
「俺もその噂、ギルドの酒場で聞いてサ。今日ここでユウマ殿に会えたのは、神の導きに違いないって確信したよ」
「ミノ牛の高級肉がタダで食べられるなんて、ああ、今日死んでもいいくらい幸せぇ……」
……おいおい。
いつの間にか、俺が全員に奢ることが既定路線になっているみたいだ。
一言も「みんなに御馳走する」なんて言ってない。っていうか、そこの後ろの3人組、完全に「はじめまして」だよね?
(はぁ……。まあ、これだけ期待に満ちた目でキラキラ見つめられたら、今さら『お前らの分はないよ』とは言えないよな……。クロド、ごめんな。お前の取り分がちょっと減るかもしれない)
「クゥン……(仕方ないなぁ、主殿)」
クロドも呆れたように耳をパタパタと動かしている。
覚悟を決めた俺は、アイテムボックスから、昨日狩ったばかりの新鮮なミノタウロスのロース肉を取り出した。ドサリ、と大きな塊肉が現れた瞬間、周囲から「おおおっ……!」と地鳴りのような歓声が上がる。
見事な霜降り肉だ。これを贅沢に、タレがよく絡むように薄切りにしていく。
熱した鉄板に肉を乗せると、じゅううううっ! という鼓膜を震わせる最高の音と共に、濃密な脂の甘い香りが安全地帯いっぱいに広がった。
「くううっ! この匂いだけで白米が3杯いける!」
「おい、早くしてくれ! 胃袋が限界だ!」
「はいはい、焦らないでください。今回は特製の『秘伝の甘辛醤油タレ』をサービスしますからね」
すりおろしたニンニクとリンゴ、数種類のスパイスを調合した自家製のタレを回しかける。爆発的な芳香が周囲を包み込み、冒険者たちの目が完全に血走った。
「う、うっまーーーい!! 何これ、口の中で肉が溶けた!?」
「タレのピリ辛さと肉の甘みが最高にマッチしてる! ユウマくん、お替わり! お替わりちょうだい!」
焼き上がるそばから、お皿が次々と差し出される。皆、大満足で際限なくお替わりを要求してくる始末だ。俺の手は完全に焼き肉マシーンと化していた。
これ、完全に俺が大赤字だよな……と心の中で苦笑した、その時。
「ちょっとみんな! いい加減にしなさいよ!」
アヤカさんがパンッと手を叩いて、鋭い声を上げた。
「これだけの高級肉と、こんなに美味しい味付けよ!? このままじゃユウマくんが大損しちゃうじゃない! 全員、ちゃんとまっとうな食事代を払いなさい! 払わない奴はアタシがこの大剣でダンジョンの壁に埋め込むからね!」
その迫力に押され、周囲の冒険者たちは慌てて財布を取り出した。
結果として、アヤカさんがテキパキと全員からかなりの額の食事代を回収してくれたため、俺の手元にはちょっとした大金が残ることになった。……あれ、普通に依頼をこなすより儲かっちゃったぞ?
「はい、これユウマくんの取り分ね。それと……」
アヤカさんは回収した金貨の袋を俺の手へ握らせると、ふっと距離を詰め、吐息が届きそうな距離で俺の耳元に唇を寄せた。
「……また、アタシに美味しいもの、御馳走してね?」
艶やかな声で囁き、顔を離すと同時にパチンとウインク。
俺の心臓がドクンと跳ねる。
(これって……もしかして俺に気があるってことか!? いやいや、落ち着けユウマ。騙されるな。彼女はただ、美味しい食事に釣られているだけだ。男の勘違いほど悲惨なものはない。調子に乗っちゃダメだ、うん)
真っ赤になって硬直する俺の足元で、クロドがジト目を向けていた。
「儂は分からんぞ、ワン(チョロすぎる主殿の将来が心配だぞ、ワン)」
◇◇
一方、その頃。
ところ変わって、ジメジメとした不気味な空気が漂うダンジョン『亡霊洞窟』の地下8階層。
その暗い一角で、煮え切らない表情で地べたに座り込んでいる男女がいた。
かつてユウマを「無能」と罵ってパーティーから追放した、ミナト率いる『焔の剣』のメンバー4人。そして、彼らが新たに雇った二つ名持ちの実力者『闇の探索者』ことリュウセイである。
「おい、リュウセイ。そろそろ腹が減った。食事は契約通り、お前が作れよ!」
リーダーのミナトが、不機嫌さを隠そうともせずにリュウセイを指差した。重い装備をつけての探索で、肉体も精神も疲弊しきっているのだろう。
リュウセイはふぅ、と深い溜息をつき、冷ややかな視線をミナトに返した。
「分かっている。事前の約束だからな。だが、何度も言わせるな。俺は料理人じゃない。味は『普通』、ただ栄養を摂取するためだけのものだぞ」
「ふん。不味くなければそれで良いさ。多少の味の悪さは我慢してやる。元いた雑用係のユウマって奴が無駄に凝った飯を作ってただけだからな」
ミナトは鼻で笑う。彼らの中では、ユウマの料理技術は「誰でもできる雑用」の延長線上に過ぎなかったのだ。
「フ。まあいい。食材と調理器具は『焔の剣』側で用意するという約束だったな。どこにある?」
「ヒマリ、出してやれ」
「はいはい、分かってって」
ミナトに促され、弓使いのヒマリが腰のアイテムバッグを叩いた。
実は前回の探索時、ユウマが準備していた食材がかなり大量に余っていた。ミナトたちは「食材費をケチれる」と大喜びし、今回は自分たちでそれを用意するとリュウセイに大見栄を切っていたのだ。
中でも、ユウマがいた時に狩ったオーク肉はかなりの量が手つかずで残っていた。
ヒマリはアイテムバッグの口を開き、中からオーク肉の塊と、ユウマの荷物から奪い取った調理器具を地面に放り出した。
「ほら、これを使って……って、え?」
出した瞬間、安全地帯の空気が一変した。
調理器具を点検しようと近づいたリュウセイが、一歩足を踏み出したところでピタリと動きを止め、眉をひどく顰めた。
「……おい。これはダメだ。完全に腐っているぞ」
「はぁ!? そんなはずないでしょ! ちゃんとアイテムバッグに入れて保管してたんだから!」
ヒマリがヒステリックに声を荒らげる。しかし、リュウセイは冷淡に顎をしゃくった。
「嘘だと思うなら、自分で臭いを嗅いでみろ」
「なによそれ……うっ! く、くっさ!!! なにこれ!?」
肉に顔を近づけたヒマリが、猛烈な悪臭にのけ反って鼻を固く押さえた。
それは、どす黒く変色し、ドロドロに溶けかけた肉塊から放たれる、耐え難い死臭だった。
「ひゃあ!? 本当だ、信じられないくらい腐ってるよ! 緑色の汁が出てる!」
「うへぇ……ナニコレ? 雑巾を1ヶ月放置したみたいな臭いがするんだけど……」
魔術師のアオイと回復士のユイナが、汚物を見るような目で悲鳴を上げて飛び退く。
「何だとぉっ!? そんなバカなことがあってたまるか!」
ミナトが血相を変えて怒鳴り散らす。
「ユウマが持ってた時は、1ヶ月前に狩った肉でも信じられないくらい新鮮で、最高に美味く食えたはずだ! なんでヒマリのバッグに入れた途端にこうなるんだよ! お前、管理をサボったな!?」
「私のせいにしないでよ!」
ヒマリが顔を真っ赤にして言い返す。
「へぇ……。そのユウマとかいう元メンバー、そいつが持っていたアイテムバッグには、時間を止める機能でもあったんだろうな」
「アイテムバッグじゃなくて、確か空間魔法って言ってたけど……」
ヒマリの言葉に、リュウセイは呆れたように肩をすくめた。
「なるほどな。時間停止機能付きの高級空間魔法か。……ヒマリさんが持っているその安物のアイテムバッグには、当然そんな高度な機能はない。ただ荷物を軽くして収納するだけだ。魔物の肉を常温で放置すれば、数日で腐るのは子供でも知っている常識だろう」
「うへぇ……じゃあ、食材は全滅ってことね。最悪……」
アオイが頭を抱えて地面に座り込む。
「ミナトぉ、食事どうするのぉ? 私、もうお腹すいて一歩も動けないよぉ……」
回復士のユイナが、お腹を押さえてミナトの袖を引っ張る。
しかし、ミナトだってどうしようもない。プライドだけは一丁前だが、サバイバルの知識など皆無なのだ。
「どうもこうも……食材が全滅したなら、どうしようもないだろうが!」
「……おいおい、正気か? お前たち、まさか『非常食』すら持参していないのか?」
リュウセイが、信じられないものを見るような、軽蔑の混じった目を向けた。
「だ、だって、アイテムバッグがあるから大丈夫って思ってたのよ……!」
ヒマリが顔を真っ赤にして苦しい言い訳をする。
「そうよ、食材の管理とか準備は全部ユウマに任せっきりだったから、そんなこと考えたこともないわよ。あいつが気が利かなかったのが悪いのよ!」
ユイナが口を尖らせて他人事のように不満をぶちまける。彼女たちにとって、ユウマがいなくなった実感が、最悪の形で突きつけられていた。
「おい、リュウセイ!! そう言うお前は、偉そうに非常食を持ってんだろうな!?」
逆ギレしたミナトが、八つ当たり気味にリュウセイを怒鳴りつける。
「当然だ。冒険者なら各自が最低限の食料を持ってるものだ。ダンジョン内でパーティーとはぐれたらどうするつもりだったんだ? アホなのか」
吐き捨てるように言うと、リュウセイは自分のバックパックから、カチカチに乾燥した一切れの干し肉を取り出した。お世辞にも美味しそうとは言えない、ただの塩辛い肉片だ。
しかし、飢え始めたミナトたちの目には、それがまるで黄金の塊のように映った。
「ちっ、あるならさっさと寄こせ!」
ミナトが乱暴に腕を振り、リュウセイの手から干し肉を強引に奪い取ろうとする。
だが、リュウセイの動きの方が圧倒的に速かった。
ミナトの手が空を切る。リュウセイは素早く手首を返し、干し肉を自身の懐へと避難させていた。
「おいおい、他人の非常食を力ずくで奪うのは立派な犯罪だぞ、ミナト。……まあ、いいだろう。そこまで飢えているなら、一切れずつ『売って』やる。ただし、これは俺の命綱だ。命を削るようなものだからな。――金貨1枚だ」
「なっ……!? 干し肉一切れで金貨1枚だと!? ふざけるな、そんなの暴利だろ!!」
金貨1枚。それは、街の高級宿屋に何泊も泊まれるほどの金額であり、先ほどユウマが冒険者全員から回収した「最高級ミノ牛の焼き肉(お替わり自由)」の、ちょうど1人分の値段と同じであった。
「嫌なら買わなくていい。俺は困らないからな」
リュウセイは冷酷に言い放ち、干し肉を仕舞おうとする。
「くっ……!!」
ミナトは屈辱に唇を血が出るほど噛み締め、悪魔のように思えるリュウセイをキリキリと睨みつけることしかできなかった。




