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# 第一話 ミアの故郷


「行きたくない」


ミアがそう言ったのは、旅立ちの朝だった。


王都の北門には馬車が用意され、ユッケ、ノア、リリアナ、セレス、レオンが荷物を積んでいる。


目的地は、獣人自治区・月哭きの森。


三本目の観測杭がある場所であり、ミアが生まれ育った故郷でもある。


「嫌なら、行かなくてもいい」


ユッケが答えると、ミアは制服の袖をつかんだ。


「でも、ルルがいる」


ルルはミアより三歳年下の妹だった。


一週間前、獣人自治区から密書が届いた。


――魔力を消す力が妹にも現れた。災いを招く《月喰らいの子》として、次の満月に処刑される。


「助けたい。でも、森のみんなは私を嫌ってる」


「全員に好かれる必要はない」


「ユッケは、馬鹿にされても平気?」


「全然。名前を笑われるたび、普通に傷つく」


ミアが少し驚いた。


「平気そうに見えた」


「慣れても、嫌なものは嫌だ。でも嫌われないために、家族を見捨てたらもっと嫌になる」


ミアはしばらく考え、馬車へ乗った。


「行く」


「うん」


「ユッケも来る?」


「そのために集まってる」


ミアの尻尾が小さく揺れた。


馬車が出発する。


ノアはユッケの隣へ座ろうとしたが、ミアが先に場所を取った。反対側にはリリアナが座る。


「余の席がない」


「向かいが空いてるぞ」


「遠い」


ノアはユッケの膝へ座った。


「もっと問題のある解決をするな!」


「日本では電車が混むと、こうするのであろう?」


「たぶん記憶が間違ってる」


リリアナは笑顔のまま、扇子の骨を一本折った。


旅の初日は、平和に始まった。



夜、野営地でノアは再び日本の夢を見た。


病室で、黒瀬奈緒の母が手を握っている。


「奈緒。聞こえる?」


眠る少女の指が動く。


ノアは遠い世界から、自分の体へ手を伸ばした。


今度は、指先が触れた。


---


# 第二話 月喰らいの子


月哭きの森は、巨大な樹木に覆われていた。


木々の間には獣人たちの家があり、縄の橋で結ばれている。頭上では鳥人が飛び、地上を狼獣人の狩人が走っていた。


ミアが森へ入った瞬間、空気が変わった。


「月喰らいだ」


「災いを連れ戻した」


獣人たちは道をあけ、子どもを家へ隠した。


ミアの耳が伏せる。


ユッケは手を握ろうとしたが、その前にノアが反対の手を握った。


「胸を張れ。お前は余の仲間だ」


リリアナも隣へ並ぶ。


「王国武闘祭優勝者を支えた英雄でもあります」


「私が支えた?」


「支えられた」


ユッケが言うと、ミアは少しだけ顔を上げた。


村の中央には、木の檻があった。


中に小さな獣人の少女がいる。ミアと同じ灰色の猫耳。手首には魔力を封じる鎖が巻かれていたが、鎖自体の魔力が消えかけている。


「お姉ちゃん?」


「ルル!」


ミアが駆け寄る。


族長が杖を突きつけた。


「近づくな、追放者」


白い鬣を持つ老いた獅子獣人だった。


「その子は何もしてない」とミア。


「月喰らいの力が現れた。満月まで生かせば、神獣が目覚める」


「迷信です」とリリアナ。


「人間に我らの歴史が分かるものか!」


族長が杖を振る。


炎がミアへ飛ぶ。


彼女の一歩手前で、魔法は消えた。


獣人たちが悲鳴を上げる。


「見よ! 月を喰らう呪いだ!」


ミアの体が震えた。


ユッケは前へ出る。


「その力が神獣を目覚めさせる証拠は?」


「古くからの言い伝えだ」


「誰が残した?」


族長は答えられなかった。


《万象召喚録》が村の地下にある反応を捉える。


《観測杭を検知》


《周辺住民の認識へ、長期的な精神干渉が行われています》


迷信ではない。


誰かが何百年も、獣人たちにミアの一族を恐れさせていた。


「処刑まで、あと三日」


ユッケは族長を見据えた。


「それまでに、本当の災いを見つけます」


---


# 第三話 魔法を消す理由


ミアの母は、村外れの小屋で暮らしていた。


娘を追放から守れなかった罪により、共同体から離されていた。


「ミア……」


母が手を伸ばす。


ミアは一歩下がった。


「どうして、私を捨てたの」


「あなたを殺させないためには、追放するしかなかった」


「一緒に来てほしかった」


母は何も言えなかった。


ユッケたちは二人を残して外へ出た。


しばらくして小屋から泣き声が聞こえた。ミアの声か、母の声かは分からなかった。



夜、ユッケたちは森の古い神殿へ潜った。


入口の魔法障壁はミアが触れるだけで消えた。


壁画には、巨大な狼と、一人の猫獣人が描かれている。


猫獣人の手から広がる光が、狼へ刺さった黒い杭を消していた。


「月喰らいは、神獣を殺す者じゃない」


ユッケが壁画の古代文字を読む。


「杭から守る者だ」


壁画の続きを、ノアが日本語として読んだ。


「《魔力無効化個体を危険因子として指定。現地住民の認識を改変し、発見次第処分させる》」


「読めるのか?」


ノアは自分でも驚いていた。


「日本語だ。余は……これを知っている」


観測者は神獣の力を吸うため、唯一杭を壊せる一族を迫害させた。


何世代にもわたり、獣人たちは守護者を災いだと信じ込んだ。


「ルルに力が現れたのは、杭が活性化したから」とミア。


「君の力も、必要だから生まれたんだ」


神殿の床が揺れる。


地下から、狼の苦しげな咆哮が響いた。


満月まで三日あるはずだった。


しかし空には、黒い月が昇っていた。


観測杭が偽物の満月を作り出している。


処刑ではなく、神獣の覚醒こそが目的だった。


---


# 第四話 月を喰うフェンリル


森の中央が爆発した。


大地を割って、銀色の巨狼が現れる。


山より大きな体。額に三日月の紋章。四本の黒い杭が背中へ刺さり、銀の毛を黒く染めていた。


《神獣フェンリル》


《危険度:大陸滅亡級》


《精神汚染率:93%》


フェンリルが空へ吠える。


偽りの月を噛み砕き、飲み込んだ。


世界から月明かりが消える。


「月を喰う神獣……」


族長の顔が絶望に染まった。


「やはり月喰らいの子が災いを!」


「違う!」


ミアの声が森に響く。


普段ほとんど声を荒らげない少女が、村人たちの前へ立った。


「私たちは、あの子を助けるために生まれた!」


フェンリルの爪が振り下ろされる。


ユッケは森の外で実体召喚しておいたオルドを前へ出した。


古代甲冑の盾が爪を受ける。


一撃で両腕が砕けた。


セレスが時間を戻して修復するが、もう一度が限界だ。


「ロクメ!」


六つ目の狼が神獣へ向かって吠える。


フェンリルが動きを止めた。


『なぜ人に従う、同胞よ』


ロクメの思いがユッケへ流れ込む。


――従っていない。選んだ。


ユッケが代わりに伝える。


「ロクメは俺の仲間だ。命令でここにいるんじゃない」


『人間は我らを縛り、力を奪う』


「俺も、それを止めに来た」


フェンリルの瞳から黒い涙が流れた。


『ならば我を殺せ。もはや自分では止まれぬ』


《緊急任務:神獣フェンリルを討伐してください》


《成功報酬:大陸滅亡級個体の召喚権》


ユッケは表示を閉じた。


「討伐しない」


「どうする?」とミア。


「四本の杭を全部抜く」


「無茶」


「いつものことだ」


ノアが翼を広げる。


「余が一番上の杭へ行く」


リリアナが魔力の道を作り、レオンが剣を握る。セレスは最後の時間逆行を残した。


ミアは檻にいる妹を見た。


「ルルの力も必要」


「危険すぎる」


「私が守る。今度は置いていかない」


ミアは村人たちの前で檻を壊し、妹の手を取った。


姉妹の《魔断ち》が重なった瞬間、森を覆っていた精神干渉が揺らぎ始めた。


---


# 第五話 姉妹の魔断ち


作戦は単純だった。


四本の杭を同時に無力化する。


一本でも残れば、ほかの杭を再生させてしまう。


ミアとルルが二本。


ノアが魔王の力で一本。


最後の一本は、プルがミアの魔断ちを模倣する。


だがフェンリルは苦痛で暴れ続けている。


ロクメが森を駆け、ユッケと姉妹を背へ乗せた。実体召喚の肉体は魔断ちの中でも消えない。


「右へ!」


フェンリルの尾が木々をなぎ倒す。


ロクメが跳ぶ。


レオンは銀の毛へ剣を突き立て、振り落とされながら背を登る。


「手が震えてるぞ!」


ユッケが叫ぶ。


「怖いに決まってるだろ!」


「なら大丈夫だ!」


「お前の励まし方、絶対おかしいぞ!」


リリアナの風が全員の体を支える。


ノアは最上部の杭へ到達した。


「ユッケ、合図を!」


姉妹がそれぞれ杭へ触れる。


プルが水のように最後の一本を包む。


「今だ!」


四つの力が同時に発動した。


黒い杭がひび割れる。


しかし内部から触手が現れ、ルルの胸へ突き刺さった。


「ルル!」


ミアが妹を抱きしめる。


ルルの魔断ちが止まり、杭が再生を始めた。


セレスが杖を掲げる。


「三秒だけ戻します!」


時間が巻き戻る。


触手が胸から抜け、傷が消える。


同じ攻撃が来ると分かっている。


今度はミアが妹の前に立った。


触手がミアへ迫る。


ユッケが体を入れた。


「また、かばった」


ミアが怒ったように言う。


「病気だから」


「知ってる」


ミアはユッケの背後から手を伸ばした。


触手が二人へ触れた瞬間、魔力ごと消滅する。


「でも今度は、一緒に守る」


四本の杭が砕けた。


フェンリルを覆っていた黒い色が剥がれ、銀色の毛が月明かりを取り戻す。


《観測杭の破壊を確認》


《残存数:四》


巨大な神獣が静かに地へ伏せた。


『魔断ちの娘たちよ。長い間、待っていた』


ミアとルルの額に、三日月の紋章が浮かぶ。


『そなたらこそ、我が守護者』


村人たちは、初めて真実を知った。


---


# 第六話 故郷を選び直す


精神干渉が消えると、獣人たちの記憶が戻り始めた。


ミアの一族を処刑するたび、森の結界が弱くなったこと。


族長たちが疑問を抱くと、黒い夢によって思考を奪われていたこと。


老いた族長は、ミアとルルの前で膝をついた。


「許してほしいとは言えぬ」


「許さない」


ミアは答えた。


村人たちが息をのむ。


「今は、まだ許せない。でもルルとお母さんがここで暮らせるなら、森は守る」


「お前は戻らないのか」


ミアはユッケたちを見る。


「私の帰る場所は、灰組」


母が寂しそうにしながらも、うなずいた。


「今度は、いつでも帰ってきて」


「うん」


故郷とは、生まれた場所だけではない。


一度拒まれても、関係を結び直すことはできる。


ユッケは自分と日本のことを考えた。


帰ったとき、以前と同じ生活には戻れないかもしれない。家族はユッケの死を経験し、ユッケ自身も別の世界を知ってしまった。


それでも、新しい関係を作ればいい。



フェンリルは体を大型犬ほどに縮め、ユッケの前へ座った。


『我を召喚録へ登録せよ』


「いいのか?」


『ロクメとやらが、人と結ぶつながりを我も見てみたい』


ロクメが尻尾を振る。


《神獣フェンリルが召喚契約を申し出ています》


《受諾しますか?》


「受諾する」


《大陸滅亡級個体を登録しました》


《月属性、空間捕食、神獣の加護を獲得》


フェンリルがユッケの頭へ顎を載せる。


「重い」


『神の重みだ』


アポカリプスが召喚録から飛び出す。


『犬の分際で我が場所を取るな!』


『トカゲは黙れ』


『誰がトカゲだ!』


二体の神話級が取っ組み合いを始めた。


ロクメは少し離れ、六つの目すべてで呆れた顔をしていた。


---


# 第七話 黒瀬奈緒の一分間


日本。


病室の心電図が大きく揺れた。


黒瀬奈緒が目を開ける。


「奈緒!」


母がナースコールを押しながら娘の手を握る。


奈緒の瞳には、病室ではない景色が映っていた。


銀色の神獣。


猫耳の少女。


そして、妙な名字の少年。


「ユッケ……」


「食べたいの? 先生、食事はまだ――」


「違う」


奈緒は乾いた喉を動かした。


「ニキビ・ユッケを、探して」


母の表情が変わる。


その名を知っていた。


数か月前、近隣の市で幼い子を助けて亡くなった中学生。珍しい名字だったため、ニュースでも報じられていた。


「奈緒、その子は……」


「生きてる。遠いところにいる」


「夢を見たのね」


「夢じゃない」


奈緒は母の手を強く握った。


「私を、見つけるって約束した」


一分後、奈緒は再び目を閉じた。


医師が駆けつけたとき、昏睡状態へ戻っていた。


ただし脳波は、これまでにないほど活発になっている。


母は病室を出ると、スマートフォンでニキビ・ユッケの名を検索した。


追悼記事の写真が表示される。


奈緒の枕元に置かれた紙へ、いつの間にか同じ少年の顔が描かれていた。


その片隅には、見たことのない文字がある。


《接続率:1%》


---


# 第八話 神獣の見る未来


王都へ戻る前夜、月哭きの森では宴が開かれた。


ノアは獣人料理を次々と平らげ、プルは果実酒を吸って虹色になった。


「未成年に酒を飲ませるな!」


ユッケがプルを抱えると、スライムは陽気に分裂した。


二匹になったプルが左右の頬へ張りつく。


「増えるな! 戻れ!」


村の子どもたちが笑う。


以前はミアを恐れて隠れていた子どもたちも、今は妹のルルと一緒にプルを追いかけていた。


宴の外れで、ミアはユッケの隣へ座った。


「ありがとう」


「みんなで助けた」


「ユッケが来なかったら、私は来られなかった」


ミアは彼の肩へ頭を預けた。


「好き」


あまりに静かに言うので、聞き間違いかと思った。


「え?」


「仲間として」


ミアはすぐに付け足した。


「ああ。俺も」


「鈍い」


「何で怒られた?」


木の陰で聞いていたノアが、安心したような、申し訳ないような顔をしていた。


日本へ戻れば、ノアは黒瀬奈緒になる。


ミアとは別れることになる。


ユッケがどちらの世界を選ぶのか、誰もまだ知らない。



深夜、フェンリルがユッケを呼んだ。


神獣は月光を飲み込み、未来の断片を見せる。


日本の街が、アルディア王国の草原と隣り合っている。


剣士がコンビニで買い物をし、日本の中学生が小さな竜をスマートフォンで撮影している。


二つの世界は衝突していない。


互いを壊すことなく、一つの大きな世界の中で共存していた。


その街角で、制服を着たユッケが誰かを待っている。


横断歩道の向こうから、黒髪の少女が走ってくる。


顔はノアと同じだった。


だが角はなく、日本の制服を着ている。


少女がユッケの前で立ち止まる。


『初めまして、ニキビ君』


そう言ってから、魔王のように笑った。


『それとも――久しぶり、と言うべきかの?』


未来の映像が消える。


「今のは、本当に起きるのか?」


『未来は選択によって変わる。しかし可能性は生まれた』


《万象召喚録》が開く。


《新たな最終召喚方式を確認》


《世界移動ではなく、世界接続を選択可能》


《必要条件:七本の観測杭の破壊、両世界の同意、召喚者の全能力》


日本をこちらへ奪うのではない。


ユッケだけが帰るのでもない。


二つの世界を、誰も犠牲にせずにつなぐ。


その方法が初めて示された。


しかし同時に、新たな警告が浮かぶ。


《第四観測杭が移動を開始しました》


《現在位置:アルディア王国王都》


《推定宿主:国王》


ユッケは立ち上がった。


遠く離れた王都の空が、黒く染まり始めている。


「帰ろう。俺たちのもう一つの居場所が危ない」


神獣の遠吠えが、月夜の森へ響いた。


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