三
# 第一話 最弱の新しい仲間
「これを召喚する」
ユッケが指さした先で、透明な塊がぷるんと震えた。
体長二十センチ。攻撃力はほぼ皆無。踏めばつぶれそうな迷宮スライムである。
レオンが真顔で尋ねた。
「冗談だよな?」
「本気だ」
「終焉竜は?」
「強すぎて正体がばれる」
「魔王は?」
「観客席の菓子を全部食べる」
少し離れた木陰で、ノアが菓子袋を抱えたまま抗議した。
「失礼な。半分は残すぞ」
「誰のために?」
「未来の余のためだ」
レオンが諦めたようにスライムを見る。
「ロクメなら問題ないだろ」
「武闘祭で優勝するだけならロクメが一番だ。でも俺たちの本当の目的は、世界を召喚することだ」
ユッケは《万象召喚録》を開いた。
日本との接続率は、まだ0.001%。
《召喚者の理解と登録個体の成長により、接続率が上昇します》
強い魔物を増やすだけでは足りない。弱い存在の可能性まで引き出してこそ、万象召喚士になれる。
「こいつには、まだ名前がない」
ユッケが手を差し出すと、スライムが掌へ乗った。
ひんやりして、少し気持ちいい。
《迷宮スライムが命名を希望しています》
「透明で、ぷるぷるしてるから……プル」
沈黙が落ちた。
ミアが首をかしげる。
「ロクメと同じくらい、そのまま」
「名前を考える才能はF級なんだ」
しかしスライムは喜んだ。ユッケの腕を登り、頭の上でぷるぷる跳ねる。
《迷宮スライム“プル”とのつながりが強化されました》
《隠し特性“無限適応”を確認》
《摂取した物質および魔力の性質を一時的に再現できます》
グレゴールが髭を撫でた。
「最弱だからこそ、決まった性質を持たん。何にでもなれるということか」
「武闘祭まで三週間。プルに、できるだけ多くのものを覚えてもらう」
特訓初日、プルは鉄を食べて硬くなり、ロクメの毛を取り込んで嗅覚を得た。
二日目、セレスの時間逆行を一滴だけ吸収し、割れた皿を三秒前へ戻した。
三日目、ミアの指へ触れた。
プルが消えた。
「食べた?」
ユッケが青ざめる。
「食べてない」
ミアが足元を指す。魔力を失ったプルは、ただの水たまりのようになっていた。
数秒後、ミアが離れると元へ戻る。
《新特性“休眠擬態”を獲得しました》
魔力を断たれても死なず、水に擬態して耐えられる。
「プルは、ミアの近くでも運べるな」
「私も乗れる?」
「大きくなれば」
プルは任せろと言うように大きく膨らみ、そのまま破裂した。
全員が頭から粘液を浴びた。
ノアだけが腹を抱えて笑っていた。
その笑い方を見た瞬間、ユッケはなぜか、日本の教室にいる普通の女子中学生を想像した。
---
# 第二話 第一王子アルベルト
武闘祭の開会式当日、王都の闘技場は五万人の観客で埋まった。
王族席へ、一人の少年が現れる。
金色の髪、青い瞳。白い軍服には王家の紋章。
第一王子アルベルト・アルディア、十六歳。
彼が入場すると、リリアナの顔が目に見えて曇った。
「久しぶりだね、僕の婚約者」
アルベルトがリリアナの手を取ろうとする。
彼女は一歩下がった。
「婚約した覚えはありません。両家が候補として話し合っているだけです」
「同じことさ」
王子の目がユッケへ向く。
「君が噂のF級か。リリアナと親しくしているそうだね」
「同級生です」
「身分をわきまえたまえ」
「名前なら、わきまえてます」
「何?」
「初対面で笑わなかったのは立派だと思って」
リリアナが口元を押さえた。
アルベルトは意味が分からず、側近から耳打ちされて初めてニキビという名字に気づいた。
「ふざけているのか!」
「俺がつけた名字じゃありません」
王子は顔を赤くした。
そこへ学院評議会の使者が現れ、一枚の命令書を読み上げる。
「召喚士ユッケ・アマノは、武闘祭で使用する契約個体を一体に限定する。また登録個体の変更を禁止する」
「ほかの召喚士は三体まで認められているはずです」とリリアナ。
「彼の能力は未確認要素が多い。観客の安全のためだ」
アルベルトが満足そうに笑う。
「辞退しても構わないよ」
ユッケは肩のプルを指さした。
「もう一体に決めています」
闘技場に笑いが広がった。
王子も目を丸くする。
「スライム?」
「はい。俺の仲間です」
「その程度の存在で、王国武闘祭を戦うつもりか」
「戦うのは階級じゃありませんから」
アルベルトの笑みが消えた。
「では勝ち上がってこい。決勝で、君に身分というものを教えてやる」
王子が去ったあと、ノアが柱の陰から現れた。
「あの男、食ってよいか?」
「駄目だ」
「半分だけ」
「量の問題じゃない」
ノアは頬を膨らませた。
リリアナが笑い、それを見たノアはなぜか面白くなさそうにユッケの反対側へ立った。
ミアも無言で制服の袖をつかむ。
左右と正面を少女たちに囲まれ、レオンが遠くから親指を立てた。
ユッケには、その意味が分からなかった。
---
# 第三話 スライムの初勝利
予選第一試合。
相手は赤塔のC級重戦士、ガルド。
全身を鋼鉄の鎧で包み、巨大な戦斧を持っている。
「スライムを潰せば勝ちか?」
「降参させれば勝ちです」と審判。
「スライムが降参できるのか?」
観客が笑う。
開始の鐘が鳴った。
ガルドはプルへ戦斧を振り下ろした。
プルは真っ二つになった。
二つに分かれたプルが、それぞれガルドの足へ絡みつく。
「増えた?」
ガルドが振り払おうとする。プルは鎧の隙間から内部へ入り込んだ。
「ひ、冷たい! どこに入って――やめろ、脇は駄目だ!」
巨体が笑いながら転がる。
「降参! 降参する!」
開始から十八秒。
ユッケとプルの勝利だった。
観客は笑いながら拍手した。
第二試合の相手は、風魔術師。
プルは飛ばされるたびに体を薄く広げ、風を受け流す形を覚えた。最後は相手の杖へ張りつき、魔力を吸収して勝利。
第三試合は毒使い。
ロクメの性質を学んでいたプルには毒が効かず、逆に取り込んで紫色へ変わった。
予選を終えるころには、「最弱スライム」という笑い声は消えていた。
代わりに観客席の子どもたちが声をそろえる。
「頑張れ、プル!」
プルは得意げに膨らんだ。
また破裂しそうになり、ユッケが慌てて押さえた。
◇
夜、ノアが高熱を出した。
魔王の体に病気はない。原因は、戻り始めた記憶だった。
「白い部屋が見える」
ベッドの中でノアがつぶやく。
「機械の音。母親が泣いている。余は眠っているのに、別の場所からそれを見ている」
「黒瀬奈緒」
ユッケがその名を口にすると、ノアの目から涙が流れた。
「その名で呼ばれると、胸が痛い」
「日本にいた君の名前かもしれない」
「ならば余は、ノアではないのか?」
「両方、君だろ」
ユッケは濡らした布を額へ置いた。
「俺も日本ではニキビ・ユッケで、こっちではユッケ・アマノだ。どっちかを捨てなくてもいい」
ノアはしばらく黙った。
「お前は、余が黒瀬奈緒に戻っても見つけられるか?」
「名字より簡単だ」
「ニキビは確かに珍しいからな」
二人は小さく笑った。
「約束しろ」
ノアが小指を差し出す。
その仕草は魔王ではなく、日本の少女そのものだった。
「日本へ戻っても、余を見つけろ」
ユッケは小指を絡めた。
「約束する」
扉の外で、見舞いに来たリリアナが足を止めていた。
彼女は二人の会話を聞き、寂しそうに微笑んでから、持ってきた薬を静かに扉の前へ置いた。
---
# 第四話 聖騎士ヴィクトル
本戦一回戦の相手は、S級聖騎士ヴィクトルだった。
「手加減は侮辱になる」
ヴィクトルは聖剣を構える。
「全力で行く」
「俺もそうする」
開始と同時に、白い斬撃が闘技場を走った。
プルが鉄の性質を再現し、盾へ変形する。
それでも衝撃を受けきれず、ユッケごと壁際まで飛ばされた。
攻撃力、速度、技術。すべてヴィクトルが上だ。
二撃目で鉄の盾に亀裂が入る。
三撃目を受ければ壊れる。
「終わりだ!」
ヴィクトルが踏み込んだ。
プルは鉄を捨て、透明な液体へ戻る。
聖剣が体を通過した。
斬撃の魔力だけを取り込み、プルが白く光る。
「今だ!」
プルは聖剣と同じ形に変わった。
ユッケが握り、ヴィクトルの剣を受け止める。
「僕の聖剣を再現した?」
「形と魔力だけだ。技術は俺のままだけどな」
剣術では勝てない。
ユッケは一撃で剣を手放し、プルを地面へ落とした。
スライムは薄く広がり、ヴィクトルの足元を覆う。
踏み込んだ足が滑った。
体勢を崩した瞬間、プルが背中で膨らみ、ヴィクトルを場外へ押し出した。
審判の旗が上がる。
「勝者、ニキビ・ユッケ!」
闘技場が揺れるほどの歓声が起きた。
ヴィクトルは地面に座ったまま、しばらく空を見ていた。
「僕は、S級であることに頼っていたのかもしれない」
「俺もプルに頼った」
「同じではないだろう」
「一人で勝つ必要はないって意味では同じだ」
ユッケが手を差し出す。
ヴィクトルはその手を取り、立ち上がった。
「次は負けない」
「俺だって次は、もっと楽に勝ちたい」
「そこは格好よく言え!」
観客席でアルベルト王子だけが拍手をしていなかった。
彼の隣には、学院評議会議長が座っている。
「決勝まで上がらせろ」
王子が低い声で命じた。
「僕自身の手で、すべてを奪う」
議長の袖口から、黒い杭の紋章がのぞいていた。
---
# 第五話 王子の婚約者ではありません
準決勝を前に、リリアナが失踪した。
部屋には王家の封蝋が押された手紙が残されている。
――公爵令嬢リリアナは、第一王子との婚約準備のため王宮で保護する。
「保護ではなく、監禁です」
セレスが珍しく怒っていた。
ユッケは武闘祭を棄権し、王宮へ向かおうとした。
だがノアが道をふさぐ。
「お前は試合へ出ろ。女を助けるため夢を捨てれば、あやつも喜ばぬ」
「でも時間がない」
「余とミアが行く」
「魔王が王宮へ乗り込むのは駄目だろ」
「では、静かに乗り込む」
不安しかなかった。
結局、ノア、ミア、セレスが救出へ向かい、ユッケとレオンが武闘祭に残った。
◇
王宮の塔で、リリアナは父であるレーヴェ公爵と向き合っていた。
「王子との結婚は、お前の義務だ」
「王国のためですか。それとも、お父様の地位のためですか」
公爵は答えなかった。
窓の外から、こつこつと音がする。
ミアが壁を登り、ノアとセレスを背負っていた。
「遅くなった」
窓を開けると三人が転がり込む。
「どうしてここへ?」
「ユッケが心配してた」とミア。
リリアナはうれしそうにし、それからノアを見た。
「あなたは、わたくしがいない方がよいのでは?」
「恋敵を見捨てて得た男など、つまらぬ」
ノアは胸を張った。
「それに、ユッケが悲しむ」
リリアナは驚き、やがて笑った。
「負けませんわよ」
「望むところだ」
「私は?」とミア。
二人が同時に振り向く。
ミアは猫耳を立てていた。
三人の間に、別の意味で危険な空気が流れる。
セレスはそっと距離を取った。
そのとき塔の扉が開き、王宮騎士が押し寄せる。
ミアの魔断ちが拘束魔法を消し、セレスが破壊された窓を元へ戻して追手を遮る。
ノアは魔法を使わなかった。
「なぜ戦わないのです?」
「ユッケに、王宮を壊すなと言われた」
「律儀ですのね」
「約束は守る。日本でも、そうすると決めた」
四人は秘密通路から脱出し、決勝開始直前の闘技場へ駆け込んだ。
リリアナは五万人の前で宣言した。
「わたくしはアルベルト王子と婚約しておりません。そして自分の人生を、政治の道具にはいたしません!」
観客席がどよめく。
王子は笑顔のまま、持っていた杯を握りつぶした。
---
# 第六話 決勝戦
決勝は、ニキビ・ユッケ対第一王子アルベルト。
王族が学生の大会へ出場するのは異例だった。しかし王子は十五歳時に学院を首席卒業しており、特別出場資格を持っていた。
職業はA級光剣士。
だが闘技場へ現れた彼の魔力は、S級のヴィクトルをはるかに上回っていた。
「杭を使ったな」
ユッケは王子の胸元を見た。
黒い脈が首まで伸びている。
「これは王たる者の力だ」
「誰かから奪った力だろ」
開始の鐘が鳴る。
アルベルトが光へ変わった。
見えない。
次の瞬間、ユッケの脇腹が切り裂かれた。
プルが傷口へ張りつき、セレスから学んだ時間逆行を使う。傷は塞がるが、一度覚えただけの力では三回が限界だった。
二撃目。
三撃目。
プルの時間逆行を使い切る。
「君は借り物の力でここまで来ただけだ」
アルベルトが剣を向けた。
「竜、狼、魔王、スライム。君自身には何がある?」
「つながる力だ」
「それを借り物と言う!」
光剣が振り下ろされる。
プルが剣を包み込んだ。
魔力を吸収する。しかし量が多すぎて、透明な体に亀裂が入る。
「離せ、プル!」
プルは離れなかった。
自分が壊れてもユッケを守る。それが、プル自身の選択だった。
「仲間の力を借りることの、何が悪い!」
ユッケは光剣を握った。
掌が焼ける。
それでもプルと一緒に、剣を王子の手から引きはがした。
吸収された光がプルの中で暴走する。
《限界適応を開始》
《新形態“光晶スライム”へ一時進化》
プルの体が無数の小さな鏡へ変わった。
王子が放った光を反射し、闘技場全体へ分散させる。
眩い光の中で、黒い杭だけが影として浮かび上がった。
「そこか!」
ユッケは錆びた短剣を王子の胸へ突き立てる。
狙ったのは肉体ではない。
プルが短剣を覆い、ミアから学んだ休眠擬態によって一瞬だけ魔力をゼロにする。
杭との接続が断たれた。
黒い結晶が砕ける。
アルベルトから膨大な魔力が抜け、普通の少年へ戻った。
ユッケの拳が頬を捉える。
王子は場外へ転がった。
静寂。
審判が震える手で旗を上げる。
「勝者――ニキビ・ユッケ!」
五万人が、その名を叫んだ。
かつて教室で笑われた名前が、今度は歓声となって闘技場を満たした。
---
# 第七話 王国最強のF級
評議会議長は逃走した。
王子へ杭を与え、武闘祭の混乱に乗じてリリアナを支配しようとしていたことが判明する。
アルベルトは医務室で目を覚ました。
「なぜ僕を助けた」
「王子が死んだら、優勝賞金が出ないかもしれないから」
「真面目に答えろ!」
ユッケは少し笑った。
「杭に操られた人を、もう一人知ってる。助けられるなら助ける」
アルベルトは顔を伏せた。
「リリアナは、君を選ぶのか」
「本人に聞いてください」
「君は彼女をどう思っている?」
答えに迷っていると、扉の向こうで何かが倒れる音がした。
リリアナ、ノア、ミアが聞き耳を立てていたらしい。
「全員、何してるんだ?」
「通りかかっただけですわ」
「偶然」とミア。
「余は壁の強度を調べていた」
壁には三人分の耳の跡があった。
◇
表彰式。
国王はユッケへ金色のメダルを授けた。
「望む褒美を一つ申せ」
爵位、金、領地。観客はどれを選ぶか注目した。
「王家の書庫にある《観測者》の資料を、すべて読ませてください」
国王の顔がこわばる。
「なぜ、それを知っている」
「日本へ帰るためです」
闘技場がざわめく。
ユッケは初めて、自分が異世界から来たことを公にした。
国王は長い沈黙のあと、うなずいた。
「よかろう。ただし知った真実により、そなたが王国の敵となる可能性もある」
「そのときは、話し合いましょう」
「戦う、ではないのだな」
「召喚士なので。まず、つながる方法を探します」
国王は声を上げて笑った。
この日からユッケは、「王国最強のF級」と呼ばれるようになった。
プルには勲章の代わりに、王都最高級の果実が贈られた。
一口で飲み込んだプルは金色に輝き、翌朝まで戻らなかった。
---
# 第八話 日本で会う約束
王家の書庫の最深部。
ユッケ、ノア、リリアナは五百年前の記録を開いた。
《第一世界魂魄転送実験》
そこには、観測者が日本人の魂を異世界へ引き込んだ記録があった。
転送対象、黒瀬奈緒、十四歳。
交通事故による遷延性意識障害。肉体は第一世界で生命活動を継続。
魂魄のみ第二世界へ転送し、魔王核の器として使用。
ノアの手から記録が落ちた。
「余は、魔王として生まれたのではない」
「日本からさらわれたんだ」
「では、黒瀬奈緒の体は……」
「まだ生きている」
アポカリプスが召喚録から姿を現す。
『五百年前、我が焼いた観測施設に、その娘がおった。我は人間どもから魔王と呼ばれる彼女を救い出した』
「お前が、ノアを?」
『だが記憶までは守れなかった。すまぬ』
ノアは幼竜を両手で抱きしめた。
ミアが近くにいないため、今度は消えなかった。
「謝るな。お前がいなければ、余はユッケに会えなかった」
記録の最後には、帰還条件が記されていた。
《第一世界と第二世界の完全接続時、転送魂魄は元の肉体との再統合が可能》
日本を召喚すれば、ノアは黒瀬奈緒として目覚められる。
だが同時に、魔王ノアの肉体は失われる可能性が高い。
「怖いか?」
ユッケが尋ねる。
「怖い」
ノアは素直に答えた。
「黒瀬奈緒が、余と同じ心を持っている保証はない。目覚めたとき、お前を忘れているかもしれぬ」
「それなら、もう一度友達になる」
「余がお前を嫌いだと言ったら?」
「結構へこむ」
「そこは諦めぬと言え」
「嫌がってる相手を無理に召喚しないのが、俺の決まりだから」
ノアは笑った。
少し泣いていた。
「では、余が選ぶ」
彼女はユッケの手を取る。
「日本でも、お前に会いたい」
「俺も会いたい」
「友達としてか?」
ユッケは答えに詰まった。
ノアが顔を近づける。
あと少しで唇が触れそうになった瞬間、書庫の扉が勢いよく開いた。
「資料の整理が終わりましたわ!」
リリアナが不自然に大きな声で入ってくる。
その後ろからミアが顔を出した。
「近い」
「いつからいたんだ?」
「偶然ですわ」
「ずっと」とミア。
「ミアさん!」
ノアは残念そうに離れた。
ユッケの肩では、プルが状況も分からず二人の顔をまねて、唇のような形を作っていた。
◇
その夜、日本。
病室で眠り続けていた黒瀬奈緒の指が、初めて動いた。
心電図の波形が速くなる。
奈緒の母が看護師を呼びに走った。
閉じた瞳の奥で、奈緒は夢を見ていた。
妙な名字の少年が、一匹のスライムを頭に載せて笑っている。
――日本でも、必ず見つける。
「ユッケ……」
奈緒の唇から、かすかな声がこぼれた。
同じころ、ニキビ家ではカワセミが未開封のゲームを手に取っていた。
箱の表面に、見覚えのない透明な粘液が一滴だけついている。
粘液は小さく震え、文字の形になった。
――マッテテ。
カワセミは長い間、それを見つめていた。
「本当に、いるのか……ユッケ」
二つの世界の距離は、確実に縮まり始めていた。
《観測杭の残存数:五》
《第一世界との接続率:0.1%》
《次の杭の位置:獣人自治区・月哭きの森》
そこは、ミアが故郷を追われた場所だった。




