第拾漆巡 約束したんだ
紫音と別れた俺は、寮へ戻ると、そのまま四九〇号室の扉を開ける。
ついさっきまで一緒にいた翔は、もう自分の部屋へ戻っているのだろう。
静まり返ったリビングを横目に、俺は自分の部屋へ向かった。
ベッドの脇まで歩き、鞄を置くとそのまま身体を投げ出した。
「はぁ……」
柔らかなマットレスが身体を受け止める。
天井をぼんやり見つめながら、俺は長い息を吐いた。
「本当に、とんでもない一日だったな……」
目を閉じると、今日一日の出来事が次々と蘇ってきた。
いつも通りに予備校へ向かって、特に何もない一日を過ごすはずだった。
それが、
「まさか死神に連れて行かれるとはな……」
死神に間違われた挙げ句、気付けば三途の川を渡り、閻魔王庁へ。
そこで自分が死者ではないと知らされ、ようやく帰れると思ったら、今度は転生の門が開かず、
夢や目標がないから帰れないと言われ、そのまま死後の世界で暮らすことになるなんて……。
「……どこの漫画やアニメだよ」
自分で言って、自分で笑ってしまう。
「こんなの、誰かに話しても絶対信じてもらえないだろ」
笑いながらも、ふと口元が止まる。
「……でも、夢じゃないんだよな」
静かな部屋に、俺の声だけが響いた。
「……全部、本当に起きたことなんだ」
白も、翔も、閻魔も、そして、この死後の世界も。
「そして紫音も……」
その名前を口にした瞬間、胸の奥がわずかに締め付けられた。
「でも……ここにいるってことは……」
そこまで呟いて、言葉が止まる。
考えたくなくても、答えは分かっている。
紫音がこの世界にいる、それはつまり――
「……そういうことなんだよな」
天井を見上げたまま、静かに呟く。
幼い頃に一緒に遊んだ少女、引っ越してから一度も会うことのなかった幼馴染。
その紫音と、こんな形で再会するなんて。
「……皮肉なもんだな」
本当なら――生きている間に再会したかった。
苦笑が漏れ、そして再び紫音の言葉を思い出す。
「……約束、か」
『私はずっと待っていました。』
なのに。
「俺は……何も覚えてない」
胸の奥に重たいものが沈んでいく。
「あんなに真っ直ぐ言われたのに……」
「……情けねぇな」
小さく呟く。
忘れてたのは俺だ、待たせ続けたのも、約束を覚えていなかったのも――全部、自分だ。
「それなのに……」
紫音は笑ってくれた。
その優しさが、今は余計に胸に刺さる。
俺はしばらく黙ったまま天井を見つめた。
「運命って、本当に残酷だよな……」
もし今日、ここへ来ていなければ――
もし白が俺を間違えて連れて来なければ――
俺は紫音と再会することもなかった。
きっと何も知らないまま、向こうの世界で生きていた。
そして、あの約束のことも一生思い出さなかったかもしれない。
「……いや」
俺はゆっくり首を振った。
残酷なのは、運命じゃない。忘れてしまった俺自身だ――。
だからこそ、もう逃げたくはなかった。
約束したんじゃないか、必ず思い出すと――だったら…
「守るしかないよな」
記憶が戻るかどうかなんて分からない――
今更、約束を果たしても遅いかもしれない――
それでも思い出すまで、絶対に諦めたくなかった。
――それが今の俺にできる、たった一つの償いなんだから
そう心に決めるとさっきまで胸の中にあった重苦しさが、ほんの少しだけ軽くなった気がする。
「……今日はもう寝るか」
ベッドへ横になり柔らかな枕に頭を預けると、身体から一気に力が抜けていく。
「明日から、この世界での新しい生活が始まる」
その先に何が待っているのか、俺は本当に元の世界へ帰れるのか。
まだ何一つ答えは出ていない。
それでも。
「一歩ずつ……進むしかないよな」
俺は静かに目を閉じた。




