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Lycorisーリコリスー  作者: 小鳥遊 千夜
第二章 あの世からの再スタート編

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17/25

第拾陸巡 私はずっと……あなたを待っていたんですから。

 

 翔(しょう)と別れた俺は、火照った身体を冷ますため寮を出た。

 夜風は心地よく、温泉でのぼせた頭をゆっくりと冷ましてくれる。


「ふぅ……。この世界にも夜があるんだな。」

 (時間は流れていないはずなのに……こんな所まで現世の世界を模してあるとかすげぇな。)

 

 昼間は賑やかだった街も、夜になるとどこか静かだった。

 街灯が柔らかな光を落とし、遠くには夜景が広がっている。


「まぁ、いいや。せっかくだし、少し散歩してから戻るかな」


 あてもなく歩いていると、小高い丘の上に休めるような開けた場所を見つけた。


「へぇ~こんな所に公園があるとは…」


 展望台のようになっているらしく、街全体が一望できる。

 死後の世界とは思えないほど綺麗な景色だ。


「いい眺めだな……」


 思わず感心しながら階段を上る。


 その時だった。


「……ん?」


 ベンチの近くに人影があることに気付く。

 夜景を眺めていた少女は、足音に気付いたのかゆっくりと振り返った。


「……あなたは……?」


 月明かりに照らされたその姿に、俺は一瞬目を奪われる。

 白と赤茶色が混じった長い髪の制服姿の少女。

 どこか儚げなのに、不思議と温かい笑顔。


「あっ……もしかして……」


 俺の姿を見た少女は目を丸くしながらも、次の瞬間ぱあっと花が咲くように笑う。


「空(・)君(・)?」


「……いや、確かに俺は空(そら)だが……どうして俺の名を?」

 俺は思わず自分を指差した。


「やっぱり空君なんですね!懐かしいな~。」

 少女は嬉しそうに何度も頷く。


「……悪い。どこかで会った気はするんだけど……思い出せない。」

 俺は首を傾げた。


 同じ学校ではなく、制服も見覚えがない。


 もちろん恋人なんていた記憶もない。

 (こんな可愛い子を忘れるとも思えないし……。)


「もしかして……忘れちゃったんですか?」

 少女はぷくっと頬を膨らませた。


「いや、……本当に悪い。」


「もう…私ですよ。」


 少し拗ねたように腕を組むと一歩近付いてきて、小さく笑う。


「夢乃紫音(ゆめのしおん)です。」


「紫音……?」


 その名前を聞いた瞬間、頭の奥で、何かが引っ掛かった。


「……あ。」


 ぼんやりとした記憶が少しずつ形になる。

 小さ頃に一緒に遊んだ子を思い出す。


「……ああっ!紫音か!」


 俺は思わず声を上げた。


「やっと思い出してくれましたね。危うく本気で泣くところでした。」

 彼女は胸に手を当て、大げさにため息をついた。


「悪い悪い。小学生の頃以来だろ? あの時引っ越してから一度も会ってなかったし。」

 俺は苦笑する。


「そりゃ分からないって。」


 あの頃は背も低くて、髪はもっと短くかったはずだが、

 目の前にいる少女は、その面影を残しながらもすっかり大人びていた。


「……ずいぶん変わったな。綺麗になったというか……」


「え?」


「あっ…いや、その……!」


 思わず口をついて出た言葉――しまった、と言った瞬間に気付く。


「そ、そういうことを急に言うのは反則です……」

 俺の言葉に紫音の頬がほんのり赤く染まった。


「ああ、いや違う! その!…深い意味はなくて!」

 慌てて手を振る。


「ふふっ。…」

 俺の慌てた様子を見ながら紫音は口元を押さえて笑った。


「空君、昔と変わりませんね。」


「くそ、からかわれてたのか……。」


「少しだけです。」


 くすくす笑う姿は、どこか懐かしく俺もつられて笑ってしまう。


「それにしても…」


 俺は改めて紫音を見る。


「なんで、俺だってすぐ分かったんだ?俺なんて昔と結構変わってるだろ。」


 紫音は少しだけ目を伏せ、夜風が長い髪を揺らす。


 そして、優しく微笑んだ。


「……そんなの。」


 一歩だけ近付く。


「決まってるじゃないですか。」


 その瞳は、まるで長い時間を越えてきた人のようだった。


「私はずっと……、あなたを待っていたんですから。」


「…………え?」

 俺を……待っていた?


 その言葉が胸の奥に静かに沈んでいく。


 紫音は夜風に揺れる長い髪をそっと押さえながら、ゆっくりとこちらへ向き直った。

 月明かりを浴びたその横顔は、どこか儚くそれでいて誰よりも優しく微笑んでいる。


「あなたとの約束を胸に秘めて……ずっと待っていました。」


 一度言葉を区切り、小さく目を伏せる。


「もっとも……空君は、もう忘れてしまっているのかもしれませんけど。」


「約束……」


 その一言を聞いた瞬間、胸の奥がわずかに疼いた。


 頭の中に霞がかかったような景色が浮かぶ。


 夕焼けの小さな公園で、交わした言葉――


『約束だからね』


『ああ、約束だ。絶対に────』


 そこから先が、どうしても思い出せない。


 まるで、その記憶だけ誰かに鍵を掛けられてしまったかのように。


「くっ……」


 思い出そうとするたび、頭の奥が締め付けられる。


「……すまない。思い出せない。」

 俺は悔しさを押し殺すように小さく呟いた。


「……いいんですよ。」

 紫音は静かに首を横へ振る。

 その声は責めるものではなく、どこまでも穏やかだった。


「子どもの頃の約束なんですから。忘れてしまうのも当然です。」


 そう言って微笑む。

 けれど、その笑顔はどこか寂しかった。


「それに……」


 少しだけ空を見上げる。


「もう、意味のない約束ですから。」


「そんなことない。」

 思わず言葉が口をついた。


 紫音が驚いたように俺を見る。


「忘れた俺が言う資格なんてないのかもしれない。」


 それでも――


「でも、その約束をずっと待っていてくれたんだろ?」


 俺は紫音の目を真っ直ぐ見つめる。


「だから、必ず思い出す。」

 

 今度は俺が約束を果たす番だった。


 一歩前へ踏み出す。


「俺が思い出すまで……もう少しだけ待っていてくれないか?」


 紫音は目を丸くしたまま、しばらく何も言わなかったが

 やがて、小さく吹き出すように笑う。


「ふふっ……本当に……変わっていませんね、空君は。」

 その笑顔は、さっきまでより少しだけ温かかった。

 そして、優しく頷く。


「はい。待っています。」


 夜風が二人の間を静かに吹き抜ける。

「……いつまでも。」

 紫音は月を見上げ、穏やかな笑みを浮かべた。


「……ありがとう。」

 その言葉しか出てこなかった。


 約束の内容は思い出せない、それでも一つだけ確かなことがある。


 ――この笑顔だけは、もう曇らせたくない。


 その想いだけが、不思議なくらい胸の奥にはっきりと刻まれていた。



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