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其処に草が生えている 緑之章—踏み潰す—  作者: 宮林 實
第五章『君の気持ちを』
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第五章『君の気持ちを』(7)

「……え?」

 一瞬、何を言っているのか分からなかった。


「そんなの決まったわけじゃ……」

「そうだよ。あくまでも可能性の話だよ。でも使者の行動を考えたら、優香さんは数珠に関係がある異物を殺しに東京へ行った。保険として、縁の効かない均に数珠を託して奪われないようにしてから。そして優香さんは異物に勝てなかった可能性が高い。もし勝てたら、状況的に均の元に帰ってくる気がしない?」

「…………」

「このタイミングで異物として聴こえた五十嵐は、優香さんを殺してる可能性が高い」

「…………」

「均には考えられないかもしれないけど、使者っていうのはそういうものなんだよ」


 言葉が出てこない。

 五十嵐は優香を殺した可能性が高い?


 確かに雪が均に会った時、最初に均に対して『協力しろ』と“聴こえた”と言っていた。それがあって均は五十嵐と接触できたと言ってもいい。

 均はその協力しろという意味が、均にとっては、この数珠を持っていなければならない、つまり守らないといけないと解釈した。


 ということは、優香は誰かから数珠を守らないといけなかったということになる。誰かがこの数珠を追っている。だから均に託した。しかし使者ではない均には荷が重く、守ることが厳しいので、雪が協力するよう声が聴こえた。けれどそれは、数珠を追いかけている者——五十嵐が優香を殺した、ということにはならない筈だ。否、なっては駄目なのだ。


 そこでふと均は違和感を覚えた。

 この流れで考えた時、五十嵐は均と接触したがる筈だ。いくら使者——雪が均に協力するとしても、縁で均や雪を遠ざける必要はないのではないか? どうにかして数珠を持っている者と接触したいに違いない。

 しかしその違和感は雪の声で沈んでいった。


「均は異物が何者か知った方がいいって言った。五十嵐と話して私もそう思った。だから今回五十嵐と親しくなって五十嵐を知ろうと思った」

「なんでそんな……」

「知ることによって、優香さんの事も知ることができるかもしれないけど、私は私が何者かを知る為にあの男を知る。でも均は優香さんの為に知る。ということは、行き着く先は私も均も一緒でしょ。……五十嵐を殺すという事はね。均だって優香さんを殺した五十嵐を殺したいでしょ」


 冷たい瞳。雪は使者として絶対に五十嵐を殺すだろう。

 それならば、優香を殺したかもしれない五十嵐を、均はどうすればいいのか。

 もし本当に五十嵐が殺していたとしたら、その時均はどうすればいいのだろう。

 何も言わない均に雪は言う。


「聴こえたからには消さないといけない。そのことに変わりはない。でもその中身を変えなきゃいけない。少しでも自分が納得する為に」

「……本当に、優香は」

「予測でしかないのは確かだけどね。均にはつらいかもしれないけど、そういう可能性だってあるって言いたいんだよ。だって均には、“その先”が在るんだから」


 「均には、“その先”が在る」という言葉を聞いた瞬間、雪にそんな言葉を言わせてしまった自分に愕然としてしまった。そして均が今言うべき言葉が『優香は……』ではないことに、今、気づいた。


「…………」

「……あくまでも可能性だからね」


 ——雪のことも本当の意味でちゃんと考えなければいけないのだ。

 それにもし、五十嵐が優香を殺したとしても、理由を聞かなければ。絶対に雪だけに任せるわけにはいかないのだ。


「雪は?」

「え?」

「雪は、どうなるんだ」

「言ってる意味が分からないよ」

「雪はつらくないのか? 一人で行動しようとしてるだろ?」

「……そんなこと」

「……ない、って言いたいのか?」

「うるさい。私と均は全然立場が違うんだよ。使者じゃない均にそんなこと言われたくないよ。何もできないくせに」

「……でも、雪が心配なんだよ」

 また優香みたいにいなくなってしまったらと思うと——。


「……知らないよ。そんなの」

 伝わらない。

 当たり前だ。何も行動もできていない奴を信頼なんてできるわけがない。 


「俺は……」

「私は、優香さんじゃない」


 この時の均自身の表情がどんなものだったのか分からなかったが、均の顔に視線を移した雪が、ひどくつらそうな悲しそうな顔をして「ごめん」と呟いた。

 その顔を見て、これ以上何かを言ってはいけないと心が言った。 


「……分かった。でも俺ができることがあったら連絡してほしい。もちろん使者としてじゃなくて、雪自身が俺に頼ってくれたら嬉しい。今の俺にはそれしか言えないから……ごめんな」

「…………」

 雪は黙っていた。


「優香に関しては信じたくない気持ちはもちろんあるけど……どこか納得してるところもあるんだ。心の底で僅かな可能性が過らなかったわけじゃないと思う」

 そう言って後ろ髪引かれる想いだったが、均は雪に背を向けた。


 雪が均を頼りたいと思ってくれない限り、この想いも雪には迷惑でしかない。

 今、雪はどんな顔をしているのだろう。どうか、これ以上雪が傷つくことがありませんように、と均は祈ることしかできなかった。


「——何が、東京に行ったら一定の距離を保ったまま生きていける、だよ」

 馬鹿じゃねえの——。


 『均君には私の存在が此処にいたことを知っておいてほしかった』という手紙の文面を思い出す。

 最後の優香の悲しみに満ちた表情は、もうあの町に帰ってくることができない、もう自分が終わるかもしれないと分かっている表情なのだとしたら、腑に落ちる気はした。



    *



 雪は家に帰るために、電車に乗り込んだ。座席は空いていなかったので、ドアの前に立つ。地下鉄なので、景色は見えず変わりに自分の顔がガラスに映りこむ。

(なんで——なんで心配してくれてるのに、あんな態度を取っちゃったんだろう。均が使者じゃないからこそ、私のことを心配してくれるのに)


 もし自分が均の立場だったら、自分のことをどう思うのだろうか。

 心配、というのは、どういう想いから発生しているのか。

 結局、均は優香という姿を見ていたいだけなのだ。自分が過去にできなかったことを今、雪を使ってしようとしているだけなのだ。


 でも間違いではない。雪は使者で、均に協力しなければならない立場なのだから。それなのに、自分の想いを抑えきれなかった。

 でも、それでも、納得できないのだ。


(……私、やっぱり優香さんに嫉妬してるんだ……)

 均があれだけ心配するのは、優香と関係のある雪を失わないための気持ちなのだろう。


 気持ちが後戻りできなくなる前に、この件は終わらせなければならない。

 このままでは、もっと自分が勝手に傷ついて、自分を嫌いになってゆくのだ。


(山手線乗れば良かったかな。嫌な事、忘れさせてほしい)

 ガラスに映る雪の顔は、みっともないくらい傷ついた顔をしていた。

 優香は死んだ可能性があるのだと酷いことを言ったくせに、一丁前に自分が傷ついているのだ。

 「私は、優香さんじゃない」と言った時の均の顔が頭から離れない。


 やはり感情なんて心の底に沈めていたほうがいいのだ。

 上に土を被せるように、隠していたほうがいいのだ。

 厚い雪に埋もれるように、感情なんて、期待なんて、抱いてはいけないのだ。




第五章『君の気持ちを』【完】

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