第五章『君の気持ちを』(6)
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均は、スーパーのバイトが採用になって、本日二日目の勤務だった。
土曜、日曜とシフトが入っていて、その二日間はフルタイムのシフトだった。平日の大学がある日は四時間のシフトだ。大体週に三、四日で調整している。
肉を加工、包装をする精肉部門に配属された均は、初日は先輩から基本的な流れを聴いた後、味の付いた肉をパックに詰める簡単な作業などを任された。
二日目の今日は、業者から搬入された肉を受け取ったり、肉に味付けする作業も教わった。
十六時過ぎ頃、惣菜部門で使われる肉が入り込んでいたことに気がついた先輩に、惣菜部門の方に持って行ってほしいと頼まれたので、均はその肉を持って惣菜部門に足を運んだ。
肉関連と惣菜を置いている場所は少し離れた場所に配置されていた。惣菜を作っている調理場に足を踏み入れる。しかし時間が時間なので、皆必死に夕方に並べる商品を作る作業をしていて誰もこちらを見ようとなかった。
どことなく殺伐とした雰囲気が流れている。
「あのー……」
均はおずおずと声をかけた。
「惣菜部門で使われる分の肉が精肉部門の方に紛れ込んでて、持ってきたんですが……」
近くにいた人に問いかけるが、反応が薄かった。
「えっと……どうすれば……」
「そこに置いておいて」
「そこって……?」
そこがどこか分からず困っていると、それに気づいた一人の女性が奥からやってきた。
「右の台に置いてもらっていいですか」
「あ、はい」
近くの台に肉を置いた。
「ありがとうございます。今バタバタしていて……すみません」
困ったように笑う女性は、かなり綺麗な人だった。
「今は夕方に向けた商品を作らないといけない時間ですし、そりゃバタバタしますよ」
これ以上話をしてしまうと邪魔になるので、均は踵を返そうとしたが足を止めた。
「助かりました。ありがとうございました」
せっかく親切にしてもらったので、一応名前を聞いておこうと思ったのだ。
「あの、僕、昨日から精肉部門に配属された岩崎です。せっかくなので、お名前聞いてもいいですか?」
女性は少し沈黙した後、口を開いた。
「鈴木です」
十七時でバイトが終わり、携帯を見ると、雪からメールが入っていた。
メールの内容を確認すると、すぐに雪と連絡を取って、待ち合わせをすることにした。
例の男が働いているという美容室の近くのコンビニ前で雪が待っていた。
「本当にあの男が雪の髪切ったのか?」
「そうだよ。さっきから何回も言ってるじゃん」
半ば呆れたように言う雪は、均を待っている間に買った紙パックのミルクティーを飲んでいた。
雪の髪の毛は肩辺りまで切られていた。長かった時よりも少し幼く見えるが、短くなっていても似合っている。
「髪伸ばしてるのかと思ったよ」
「本当は伸ばしてたよ」
「え?」
雪は小さな声で呟いたので、均は聞き取ることができなかった。
「本当に縁って存在してるんだな」
「そうだよ。だから言ったでしょ。心配しなくてもいつかは縁が異物を紡ぐんだよ」
「あの男の力が使者を遠ざけたのかと思ってたんだけど」
「対象の異物の職場が分かったから、もう時間の問題だよ」
いつでも消すことができる、と雪は感情のない声色で言い、雪は歩き出した。均もそれに続く。
大通り沿いの一角にその美容室があった。道を挟んだ向かい側の曲がり角で立ち止まる。
美容室は、おしゃれな雰囲気を醸し出していて、均には敷居が高かった。
「あの茶髪の男だよ。名前は五十嵐拓実」
道を挟んでいるので遠目からだが、確かに先日の男だった。男性客の髪を切りながら、楽しそうに雑談をしている。
今の流行りであろう服を完璧に着こなしていて、髪も頭を振っても崩れないのではないかというほどきっちりと整えられていた。
あの時もきっとそうだったのだろうが、あの時の雰囲気は夜の街で見たからか、かなり違って見えた。
「普通の人に見える」
「うん。私もそう思う」
「異物を特定したのはいいけど、そのあとはどうするんだ? あいつの仕事が終わってから行動するのか?」
もしそうだと言ったら、殺す事は少し待ってほしかった。その間に、どうにかあの男の素性を調べたいのだ。しかし雪は首を横に振った。
「違う。先にあの男の事を調べる」
「調べるって、何を調べるんだよ」
「あの男が何者か」
雪は均に視線を向けた。その目は複雑な感情も垣間見えた。
「でも、雪は異物の事は知る必要ないって……」
「均が言ったじゃん。異物が何者か知ってからでもいいんじゃないかって。よく考えたら、確かにそうだって思った。私が殺している人たちが何者か知れば、私が人を殺さなければならない理由が分かるかもしれない。均に言われて考え直した」
雪は美容室を見た。
「普通に生活してる。今回は状況的に五十嵐がやったことになってるけど、実際は中村佳奈を殺してるところなんて見ていない。私はあの男が異物だって聴こえただけで、あの男になんの罪があるのかも分からない。あの秋本誠司を犯人にした縁があの男の力かも分からない」
「……確かに、あくまでも状況証拠だけだ。俺もそこが一番気になってるけど……」
「だから、まだ殺さない。とりあえず、連絡先聞いたから今度会うよ」
「……は?」
「色々あって、二人で会えることになったから」
「おいおいおいおい、ちょっと待て!」
「だからまた情報入ったら連絡する」
「いやいやいやいや、違うだろ!」
雪は露骨に呆れ顔になった。
「五十嵐を知るには、近しい関係性を築くのが一番じゃん」
「確かにそうだけど! そうじゃなくて!」
均は自分を落ち着かせるように息を吸って吐いた。
「……雪がそんなことする必要はないんだ。俺がそれを調べればいいんだ」
「……均が?」
「そうだ。俺がこうやって雪たちの縁に介入できるのも、きっと理由があるんだ」
「だからそれは優香さんの行方を探すとかでしょ」
「それもあると思う。けど、それだけじゃない。五十嵐が何者かを知る——そして、雪がなんでこんな殺しをしなければならないのかを知る。それが、俺がすべきことなんだよ」
「意味が分からない。なんで均が私のやってる事を知ることが均のすべきことなの? 均は優香さんの行方を追う為に此処にいる。そうでなきゃ、私と均の関係はなんの為にあるの?」
「……俺は」
確かに、優香の存在が在ってこそ、雪と均の関係性は構築されている。でもだからと言って、雪をどうでもいい存在だとは一切思っていないし、雪の存在から見える、世界の使者や異物、縁を知りたいと思うのも事実だった。
特定の者しか視えない世界。それは一体なんなのか。
得体の知れない、ドロドロとしたものが背中を這いずり回るような感覚が、とても不快だった。
でも均にできることは少ないのも事実だった。
雪の為にしてあげられることが皆無に等しい状況の中で、大口は叩けなかった。
雪は美容室に背を向けて歩き出した。
「待って、雪!」
均は一度振り返って五十嵐が働いている美容室を見た。
普通に働いている五十嵐が客と普通に笑っていた。
すぐに向き直って、数メートル先を歩いている雪を追いかけた。
「雪、俺は確かに優香の行方を追ってる。でも雪が悩んでる事を解決したいって思ってるのも事実なんだよ」
「…………」
雪は前を向いたまま進んでいる。
「雪が怒ってるのは、俺が好き勝手言ってるからなのか?」
「……怒ってない」
「本当? なんか苛々してるだろ。俺はその苛々もどうにか——」
すると、雪は勢いよく振り返り、均を睨むように見上げた。雪の短くなった髪がふわりと揺れる。
どうにかしてあげたい、という言葉は雪に遮られた。
「優香さんが本当にどこかにいると思ってる?」
「なんだよ急に。当たり前だろ。だから今こうやって五十嵐を追ってるんだ」
「均、よく考えなよ。均は優香さんからこの数珠を絶対持っていて欲しいって預かった。それで優香さんは東京に行った。でも東京に来ないで欲しい、この数珠を持っていてほしいって手紙で書かれていた。東京に何か在ると仮定した時、優香さんは東京に何しに行ったんだろうってなる。そして私は東京に足を踏み入れた均に協力しろって聴こえている。それがこの数珠を何かから守るようにって意味に均が捉えたなら——」
「何が言いたいんだよ」
雪は一度大きく息を吸って言った。
「——優香さんはもうこの世にはいない可能性がかなり高いって事だよ」




